その世界の真実を発見してもイイですか?

 ――ツイッター上でのユーザデータも取得しました。


(そこまでやってくるとは!?)


 南雲仙太郎は思わずレジュメの該当ページを凝視する。


 下吹越エリカは面白い女子学生だと思っていた。真面目だし、頭の回転も良い。人当たりもよくて、学術的な好奇心も十分にある。時折見せる「ちゃんとした卒業論文を書きたい」という意思と発言は、時に野心的な研究者のそれにすら見えた。


 「エロラノベ同盟」と二人が呼ぶものが結ばれたのは、後期が始まってすぐの頃だった。三ヶ月ほど前だろうか。

 南雲仙太郎は、彼女に「教授室にいつ来てもよい」という権利を与えた。もちろん、彼女が南雲仙太郎の秘密である、未恋川騎士としての姿を知ってしまったからというのがその元々の理由だ。しかし、その理由も、ある意味ではきっかけとしての理由に過ぎなかった。

 南雲仙太郎だって、学会の前線を走り続けている今が旬の研究者である。仕事場に普通の女の子を入れて遊んでいる余裕なんて無い。もし、彼女が遊びで、教授室にやってきては彼の邪魔するだけのような存在であったら、そんな権利を許してはいなかっただろう。


 下吹越エリカは面白い女子学生だった。


 南雲仙太郎が、教授室で雑談として話した社会システム論に関わる話題を、彼女はスポンジが水を吸収するように柔軟に吸収していった。彼が、何も言わなくても、与えられ題材を切っ掛けに、彼女は自分で色々と調査していった。また時には、彼の話す理論に対して、彼女自身の経験に照らして、無邪気に自分の意見や解釈を述べてくることもあった。

 南雲仙太郎は、知らない間に、そんな彼女のことを、教授として頼もしく、愛おしく思い、そして、その成長を楽しみにするようになっていたのだった。


 教授が学生と「同盟」を組むなどお笑い草だ、とどこかで思ってしまう冷めた四十代の自分も居た。でも、面白いものを面白いと言い、楽しいものを楽しいという、そういう自分の本質的な部分は、この同盟をとても居心地良いものとして感じていた。そして、この可愛い盟友の成長を望まない日は無かった。


 南雲仙太郎は、この下吹越エリカの努力と成長を、心の底から歓迎していた。


 しかし、彼女の瞳の奥に見えている、悲しげな光。それだけが気になってはいた。


「ツイッター上の彼らのフォロー関係を統計的に見ていくと、ある特徴が観測されました」

 レジュメの十七ページ目を開き、下吹越エリカは説明を続ける。


「それは、何?」

 この辺りは、一色ユキエも知らない部分だ。


「『相互フォロー』です」

 下吹越エリカは棒グラフが書かれたページを皆に示すように左手で持って見せた。


 何かに気づいたのか、鴨井が「あっ、そうか」と呟いた。


「『なりうぇぶ』ユーザは通常のツイッターユーザに比べて顕著に相互フォローが多いのです。また、通常のコミュニティに比べても、圧倒的に『なりうぇぶ』ユーザ同士で閉じてツイッター上の相互フォロー関係を築く傾向があります。今回のデータでは、この傾向を、統計的にも示すことが出来ました」


 下吹越エリカはそのグラフに有意差検定ゆういさけんていの結果を指し示した。有意差検定とは、二つのグループの平均値などの統計量が、意味ある程度に異なるかどうかを示す、統計的な検証方法だ。

 科学的研究では、これを行わないと、ちゃんとした発見だと見なされないことが多い。しかし、卒業研究で有意差検定まできちんとやる学生は決して多くはない。そんな中、エリカは、新たに得たデータに対して、自ら仮説を立て、その統計的な検証までをやって見せたのだ。


 四回生全員と大学院生の二人は、下吹越エリカの示すレポートに、ただただ圧倒されていた。これまで発表してきた七名の学生とはレベルが違う。やっている作業の量も、議論の深みも、論理の構築も、レベルが全然違うのである。


 少しの間、沈黙が流れた。


 手元のレジュメのページを表紙に戻し、一つ溜息をついた南雲仙太郎が、静寂を破るように口を開いた。


「それが、君が見つけた『小説投稿サイトにおいてインセンティブ・メカニズムがソーシャル・ネットワークに与える影響』なんだね?」

 南雲仙太郎の言葉に、下吹越エリカは嬉しそうにコクリと頷いた。主人に褒めてもらって、ご褒美を貰って喜ぶチワワのような笑顔だった。


「……先生、どういうことですか?」

 ちょっと話についていけなかったとばかりに大学院生の北上雄一郎が尋ねる。


「下吹越さんの言いたいことは、つまりはこういうことだよ」

 そうして、南雲仙太郎は解説を始めた。


 『なりうぇぶ』では、ポイント制と呼ばれる相互評価システムがある。読者が作品に評価をつけたり、ブックマークをすることでポイントを与え合える仕組みだ。ポイントを多く得られれば、ランキング上位に上がる事が出来、自己承認欲求が満たされると共に、さらに閲覧者を呼び込むことも出来る。また、夢の書籍化への光明も見える。この、ポイント制は『なりうぇぶ』のインセンティブ・メカニズムそのものだった。

 しかし、この読者による評価は、誰でも付けられるわけではない。評価をつけられるのは。故に、『なりうぇぶ』ユーザにとっては、ツイッター上でコミュニケーションを取る際に、自然と、『なりうぇぶ』ユーザと繋がる誘因は高まり、非『なりうぇぶ』ユーザと繋がる誘因は下がる。これがフォロー・フォロワーネットワークの形成に影響を与え、ツイッターの広大なネットワークの一部に、相互フォローの密度の高い、島のようなものを生み出すのだ。

 それを統計的なデータから支持サポートしたこと。それが、下吹越エリカの卒業論文の主たる結果だった。


 南雲ゼミ生達は、教授の解説に静かに耳を傾けていた。


 教授の話が終わった時、四年生男子の一人が「すげー」と、呟いた。少し悔しそうな声だったが、下吹越エリカの努力とその成果を讃える、そんな呟きだった。

 「うん、すごい」と平坂書も呟く。成沢サクラも「そうね……」と、憮然とした表情で言う。横尾翠も静かに頷く。一色ユキエは何だか涙顔だ。母鳥の気持ちだろうか。

 

「下吹越さん! すごいです! やっぱり、あなたは特別な人だっ!」

 突然立ち上がったのは、鴨井ヨシヒトだった。鴨井は両手を合わせると、突然、拍手を鳴らし始めた。その、あまりの、挙動不審さに、一同は眉を潜めたが、その拍手に、南雲教授が笑いながら続くと、一色も、平坂も、横尾も、北上も、成沢も……、そして全員が続いた。


 夜五時半を過ぎたゼミ室は、温かい拍手に包まれていった。

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