開かれたネットワークでイイですか?

 ――『なりうぇぶ』のネットワークは、全然『閉じていない』んです。


 下吹越エリカが示唆したその言葉の意味を、即座に理解できたのは南雲仙太郎だけだった。四回生の卒業論文のテーマだからといって、物事を安直に捉え、前提の認識を誤っていた自分のミスに南雲仙太郎は気付いた。


 しかし、単純で直球ストレート・フォワードな考え方で問題に迫った時に、それでは解釈仕切れない現実に気付かされる。それも、また研究の面白さだ。


(そうか……、そうだよな。それでこそ研究だ)

 俯いたまま、南雲仙太郎は誰にも気づかれないように笑みを漏らした。何か秘密を知って喜ぶ、少年のような笑顔だった。


「あの、下吹越さん? 『閉じていない』ってどういうこと? ごめんだけど、もうちょっと具体的に説明してもらっていいかな?」

 右手を小さく挙げて、素朴な質問を出したのは平坂ひらさかかくだった。IT技術やWEBサービスなどに詳しい平坂は、今日の下吹越エリカの発表を一番興味深そうに聞いている学生の内の一人だった。エリカはもちろん、コクリと頷いて説明を続ける。


「普通、ソーシャルネットワークの分析をする時って、ユーザの間のコミュニケーションが、そのWEBサービス上で行われているって無意識の内に仮定していると思うの。だから、そのネットワークだけを取り出して、データを取って分析するのね。ユーザ間のコミュニケーションがこういう風にある一つのメディアだけで行われている場合、コミュニケーションがそのメディアに『閉じている』って言ったりするわ」


 エリカの説明に、大学院生の北上と一色、そして四回生の数人も「うんうん」と頷く。エリカは一人一人の目を見ると、説明を続けた。


「でも、よく見ると『なりうぇぶ』のユーザの多くは『なりうぇぶ』でコミュニケーションをあんまり取ってないのよ」


 その発言の意味に、真っ先に気づいた平坂が「そうか!」と手を打つ。それを見て、下吹越エリカはコクリと頷く。


「そう。『なりうぇぶ』のユーザのほとんどは、その日常のコミュニケーションを『なりうぇぶ』上ではなくて、別の補完的なソーシャルメディアを使って行っているのよ。早い話が、ツイッターよ」


 それは、「ぼよよよ〜ん」さんも言っていた。「ぼよよよ〜ん」さんのプロフィールページに行くとツイッターアカウントが併記されていた。「ぼよよよ〜ん」さんとのやり取りも、途中までは『なりうぇぶ』上だったが、すぐにツイッター上でのやり取りに移行した。未恋川騎士も、もちろんツイッターアカウントを持っている。


 上方カリエとして、ツイッター上で『なりうぇぶ』ユーザをフォローしていくと、如何に『なりうぇぶ』というWEBサービスの外側で、『なりうぇぶ』のユーザ同士が相互作用しているかがよく分かった。


「例えば、11ページ目を見てください。そこに示しているのは、『なりうぇぶ』ユーザの活動の強度と、それに対して、ツイッターアカウントを持っている割合の関係です。そんなに多いとは思われないかもしれませんが、実際にはツイッターアカウントを持って活動しているけど、『なりうぇぶ』に登録を忘れている人も加えるとかなりの割合のユーザがツイッター上で宣伝を含めたコミュニケーションを取っているのだろうと思われます」


「つまり、……下吹越さんは、何が言いたいんだい?」

 大学院生の北上雄一郎がレジュメから顔をあげる。


「つまり、『なりうぇぶ』のネットワークだけを分析していても片手落ちなんです。『なりうぇぶ』という社会システムは『なりうぇぶ』だけで閉じていない。その、ソーシャルネットワークはツイッターにも支えられて存在しているんです。言ってみれば、ツイッターも『なりうぇぶ』という社会の一部なんです」


 それが、下吹越エリカが得た「気付き」だった。これは、『なりうぇぶ』ユーザにとってみれば当たり前のことかもしれない。でも、「ネットワーク科学に基づく分析をする」と言って、そのデータに向き合った途端に、研究者は、ユーザとしては自然な感覚を忘れて、学術的方法論に拘泥してしまう。

 下吹越エリカが「上方カリエ」として、『なりうぇぶ』の中に自ら飛び込んで居なければ、気付かずにやり過ごしてしまったことかもしれない。


「うん。確かにそうだ。確かにそうだね。僕はそこまで詳しくないけど『なりうぇぶ』みたいなWEBサービスが、その中だけのコミュニテケーションに閉じてるって考えるのは不自然だよ。でも、当たり前のことなのに、言われないと気づかないや」

 平坂が頷く。その平坂の話を、北上雄一郎が頷いて受ける。

 そして、北上は再び口を開くのだが、彼が言ったのは極めて悲観的な意見だった。


「しかし、そうだとしても、それじゃあ、折角集めた『なりうぇぶ』のユーザデータだけじゃ、どうにもならないってことじゃないか? やっぱり、そういう論理展開をするなら、『なりうぇぶ』ユーザのツイッター上でのユーザデータ自体が無いことには、どうにもならないんじゃないかなぁ。……残念だけど。……そうですよね? 先生」

 北上がそう行って南雲教授に同意を求めると。南雲教授も少し悩ましそうにしながらも、頷いて「基本的には、……そうだな」と認めた。


 下吹越エリカの気付きには、大きな賛辞を送りたいし、この話の展開は面白いと、お世辞抜きに思う。しかし、その気付きだけでは研究成果とは言えない。何かを示すためには証拠エビデンスが必要だ。実証的な研究とはそういうものなのだ。


 南雲仙太郎は「残念だけど……」と下吹越エリカに言いかけて、顔を上げたまま止まった。下吹越エリカと南雲仙太郎の視線が交差する。しばらくの間、二人は見つめ合っていた。

 南雲仙太郎は下吹越エリカの双眸に微かな火の揺らめきを見て取った。それは情熱であり、静謐な悲しさであり、そして、未来を見つめる瞳の煌めきであった。


 クリスマス前に下吹越エリカが教授室に訪問しに来てくれた時、予定が立て込んでいて会えなかった。それ以来、下吹越エリカのことは、卒業論文の進捗についても、個人的な思い入れとしても気にはしていたが、今日の日まで、結局、彼女は一度も教授室を訪問しては来なかった。

 そして、この目。去年までの無垢な瞳とは、また違う。誠実だけど、何かの悲しみを乗り越えて、そして、それを抱えながら強くなろうとしている女性の目だ。何か、自分の知らないところで、何かが起きていたんだ。南雲仙太郎はそう直感的に気づいた。


 その瞳の中の火は強さを増し、そして、炎に変わった。自らの強さを、そして苦難を乗り越えて得た自信を表す炎に。


 「……まさかっ!」

 その理由に気づいて、南雲仙太郎は下吹越エリカのレジュメを勢いよく捲る。

 それはあった。レジュメの中にあった。

 

 ――15ページ目。


 二つ目の「対象と方法マテリアル・アンド・メソッド」。そこには、取得された『なりうぇぶ』ユーザデータから、さらに、彼らの持つツイッター上でのユーザデータの取得手順が記載されていた。


「そう考えて、十万人の『なりうぇぶ』ユーザの中から、ツイッターユーザ情報を登録していたアクティブなユーザ、約一万人に対して、分析のために


 夜の総合C棟4階、南雲ゼミ室に、さざ波のようなざわめきが走った。

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