ネットワーク分析をしてもイイですか?
――十万ユーザです。
下吹越エリカが「なりうぇぶ」のソーシャルネットワーク構造の分析のために取得したユーザデータの数は十万だった。思ってもいなかった規模感に成沢サクラは息を飲む。
特に質問が無いことを確認すると、エリカは説明を続けた。
「えっと。データ取得に関しては、今、述べたような規模感なんですが、出来るだけ調査者の恣意性が入らないように、そのレジュメに示した通りの手順で集めています。ですので、以下に得られた結果は全てそのデータの集め方の条件に依存していると考えてください」
エリカは「
「では、早速ですが、主たる結果について説明させてください。まず、前半の研究として『なりうぇぶ』のネットワーク構造を、従来のネットワーク科学で頻繁に用いられる尺度で分析しました。具体的にはいわゆる『次数分布』と『クラスタ係数』です」
そこまで説明して、下吹越エリカは「五ページ目を開いてください」と皆にページ送りを促す。中村メイや御幸夏子といった四回生女子達も、指示に従ってページを捲る。
「次数分布っていうのは、簡単に言うと、どれだけの人にフォローされている人がどれだけいるかっていう関係なんですけど……、えっと、それを散布図でプロットしたものが、五ページ目の上に載せているグラフです」
エリカが示したページには縦軸に頻度、横軸に次数と書かれたグラフが描かれており、その上には左上から右下に連なるように多くの点がプロットされていた。
「えっと、昨年の一二月のゼミでも、『なりうぇぶは相互評価を含んだ投稿サイトで普通のソーシャルネットワークのようなべき分布はしていないんじゃないか?』っていう指摘を頂いたのですが、実際に計算してみますと、ほぼ綺麗に『べき分布』をしていました」
そう紹介すると、南雲仙太郎は「ほう」と興味深げにレジュメに見入った。顔を上げて、真剣な顔で南雲教授は「これ、検定はかけたりしてる?」とエリカに問う。
「……検定……ですか?」
「そう、統計的検定。『べき分布』しているっていうのは出来たらデータからきちんとサポートしたいから」
「いえ、していません。ただ、両対数グラフでフィッティングしてスケーリング係数を計算しただけです」
「そうか。うん、ま、いいよ。大丈夫、大丈夫」
南雲教授は踏み込んだことを言ったとばかりに手を振って「続けて、続けて」と促した。多分、国際会議で報告したりするならそういうレベルの話が入ってくるのだろう。成沢サクラや横尾翠はポカンとした顔をして、南雲教授と下吹越エリカのやり取りを見ている。
「もう一つの『クラスタ係数』ですが、これも、ほとんど一般的なソーシャルネットワークと変わりませんでした」
次のページを捲りながら、エリカは報告を続ける。南雲教授は「……そうなのか。……確かにそうかもしれないな」と呟く。
「面白いな……。評価行動や作品の投稿というような活動があっても、それよりも、フォローや、そのフォロー関係に基づいて、新たなフォローをするという単純な人間の社会的行動の原理の方が支配的にネットワーク形成に寄与しているということかもしれないな」
多分、本日の全員発表会で南雲仙太郎が「面白い」という言葉を使ったのはこれが始めてだ。一色ユキエはそれに気づいて、発表者席の下吹越エリカの顔を見上げる。
(下吹越さん……、これは凄いことなのよ。南雲先生が四回生の卒業論文の、この時期の事前資料に対して、素直に「面白い」って言うなんて)
一色ユキエの卒業論文では最後まで南雲教授に「面白い」という単純なその褒め言葉を貰えなかった。始めて貰ったのは大学院に入って国際会議に投稿する論文を書く時になって初めてだ
成沢サクラはそれが面白くない。
「つまり、プログラムを書いて十万人のデータを取得して『次数分布』と『クラスタ係数』を計算しました、っていうのが下吹越さんの卒業論文ということでいいんですのね?」
成沢はわざと下吹越の報告内容を単純化し、さも普通のことしかやっていないような言い回しで言い換える。この発言に即座に反応したのは、鴨井ヨシヒトだった。
「成沢さん……。最後までちゃんと聞こうよ。下吹越さん、まだ、発表中じゃないか。まだ、レジュメだって半分以上残ってるし」
その突如見せた鴨井の常識的な男気に、平坂を含めた他の男子学生三人が驚いた顔をする。「鴨井が……キモくなく……カッコイイこと言っている……」と。
「そうだね、成沢さん。結論を急ぐのは良くないよ。急がなくても、君の発表の時間は、この後きちんとあるんだから、最後まで聴こうじゃないか」
南雲教授がそういうと、成沢サクラは俯きがちに「すみません」と言うと、身体を椅子の背もたれに沈めた。
「結局、『なりうぇぶ』は、普通のソーシャルネットワークだったっていうのが、下吹越さんの結論なのかな?」
南雲仙太郎は、成沢の発言を受け取って、やんわりと発表者である下吹越エリカに水を向け直した。
下吹越エリカは、その南雲仙太郎の視線を真っ直ぐに、そして、凛々しく受け止める。そして、ゆっくりと首を左右に振った。「いいえ」と。
「
このあたりの話は、十二月の途中から自分自身で考えて来たことなので南雲先生にも話していない、よく相談に乗ってもらっていた一色ユキエにすら話していないことなのだ。一色ユキエは、手元のA4のレジュメを両手で強く握りしめ、南雲ゼミのメンバーを代表して質問する。
「……その、大きな違いって……何なの? 下吹越さん?」
一色サナエの質問を、下吹越エリカは顔を上げて受け止める。その表情は、穏やかで、そして、どこか楽しそうだった。
「『なりうぇぶ』のネットワークは、全然『閉じていない』んですよ。一色先輩」
――『閉じていない』?
そのフレーズが、何を意味するのか? 多くのゼミ生達にはよく分らなかった。
しかし、大きなミーティングテーブルを挟んで、下吹越エリカの対面に座る教授、南雲仙太郎だけは「――そうか!」と手を打った。
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