第十四章 全員発表会
ランチセットで新年スタートしてもイイですか?
空はよく晴れていた。
突然やってきた明るい日差しは、屋外ではコートを脱いでも良いんじゃないかと思えるくらい、街路を暖めていた。
今日、一月十二日は、新年初回の南雲ゼミの日だ。
月末の卒業論文締切を控えて、今日のゼミ「全員発表会」は非常に重要なイベントなのだ。
締切の二週間前にはデータや分析をまとめて、本文自体を書き出さなければ間に合わない。月末まで二週間半。このタイミングで先生や先輩から見て、卒業論文に足る内容であるかどうかを評価される。もし、問題があれば、早急に軌道修正を行わねば手遅れになる。そんな通過点であり、分岐嶺であるのが、本日の「全員発表会」だった。
もし、このタイミングで、自分自身の卒業論文の内容に根本的な誤りがあることが明らかになったりすれば、これから半月は生死を賭けたデスマーチとなる。いわば、南雲ゼミの四年生にとって「天下分け目の戦い」なのだ。
今日の南雲ゼミで開催される「全員発表会」では、卒業論文を書く予定の学生が一人ひとり、全員が卒業論文に書く予定の内容を発表する。学部のゼミ生は十人いるので、一人もし三十分かかってしまうと計算すれば五時間かかることになる。そのために、午後二時半過ぎから始まるいつものゼミとは異なり、今日は午後一時から始まることになっていた。発表の形式は、いつもと同じレジュメを配布しての発表と議論である。
下吹越エリカは、前日の内にレジュメを完成させ、ゼミ室での印刷を終えていた。準備万全だ。今日のゼミでの評価がそのまま卒論のクオリティに比例し、今日のゼミでの指摘の量の多さがそのままこれから二週間半の卒論追い込みの厳しさに比例してくる。
下吹越エリカは、十一時半ごろから、大学側のカフェで、早めのランチを食べていた。午後一時からゼミが始まるので、その十五分前にはゼミ室に待機しておきたい。今日が関ヶ原の合戦なので、ちょっと贅沢して、学食ではなく東山キャンパスの坂の下にあるカフェで、ランチセットを頂いている。ドリンクが付いて千円をちょっと超えるセットなので、大学生にとってはちょっとした贅沢だ。
このカフェは柊ケイコとよく来ていたカフェだが、今日は、エリカ一人だった。鹿児島から戻ってきてから、柊ケイコとは、まだ一度も会えていない。だから、故郷で友達と確かめた自分の気持も、柊ケイコに言いたいことも、まだ、一つも彼女に伝えられていない。
下吹越エリカは、アボガドとサーモンのオープンサンドに、イングリッシュ・ブレックファーストのミルクティーを注文した。店員の女性は「かしこまりました」と恭しく頭を下げると、メニューを下げて行った。
(さっきの女性店員さんは、上叡大学の学生アルバイトかな? 多分、自分よりも若いんじゃないかな)
窓からの日差しを浴びながら、下吹越エリカは思う。
(自分もこんなカフェで一年生か二年生のときからアルバイトしていたら、大学生活もまた違った風だったんだろうな)
彼女を見て、そんな事を考えていた。
今日は本当にいい天気だ。カフェのガラス張りの壁から見える大通りは晴れやかな顔をした通行人が、いつもより多く見られる気がする。
人の気分は天気や気温、気圧などといった気候に左右されるという。今日みたいな日は「本当にそうだな」と思う。天下分け目の戦いを前に、下吹越エリカの気持ちは晴れやかだった。年末にあんなに落ち込んでいたことが嘘みたいだ。
スマートフォンを弄りながらしばらく待っていると、店員さんが注文したプレートを持ってきてくれた。オープンサンドを持ってきてくれたのは、エリカよりも少し年上に見える男性の店員だった。エリカが「ありがとうございます」と軽く頭を下げると、男性は「ごゆっくり」と笑顔を作ってトレーを下げた。
フォークでアボガドを押さえながら、ナイフでオープンサンドを切る。普通のサンドイッチと違って、オープンサンドは少しこんがりと焼いたパンの上に、たっぷりと野菜や魚が乗っている。オープンされている全てを強引に挟めばサンドイッチとして食べられなくは無いが、溢れてしまう可能性が大変高い。
豪快さを誇示したい男子ならいざしらず、普通の女子はフォークとナイフで切り分けて食べるものだ。お店によってはオープンサンドの具が多くなくて、普通に挟める店もあるが、この店のオープンサンドはフォークとナイフで食べるべき。
初めてエリカがこの店に来たのは、大学二年生の時だった。連れてきてくれたのは柊ケイコだった。その時に、エリカがオープンサンドを頑張ってサンドイッチにして食べようとしているのを見て、ケイコは笑った。そして、「そうじゃなくてフォークとナイフで食べたらいいんだよ」と優しく教えてくれた。
しばらくすると、初めの女性店員がミルティーを持って来てくれた。また、彼女が小さく会釈するので、エリカは「ありがとう」と微笑んだ。陶器のポットの蓋を押さえながらティーカップに一杯目を注ぐ。小さなピッチャーから少しだけミルクを入れて、砂糖は入れない。
スマートフォンを手に取るとツイッターを開いた。未恋川騎士のページを開くと、新しいツイートがいくつもあった。ほんの三十分前のものもあった。
(先生、業務時間中でしょう……。南雲先生の時間なんだから、ダメですよ〜)
エリカは心の中でそんなツッコミを入れてみる。もう一ヶ月近く、先生の部屋には行っていない。ゼミが終わったら、また、行きたいな、行けるかな。エリカはツイッターのタイムラインをざっとスクロールさせて眺めると、アプリを閉じた。
ホームスクリーンに置かれた「なりうぇぶ」のショートカットを、代わりにクリックする。ブラウザが開き、「なりうぇぶ」のマイページが開いた。「上方カリエ」のエッセイも随分と長い間、更新出来ていない。フォローしている作家さんの更新が無いかを確認する。一件あったが、ちょっと今読む雰囲気の作品でも無かったので、また夜にでも読もうと思ってスルーした。
ひょんなことからログインするようになった「なりうぇぶ」だけど、この三ヶ月で本当によくアクセスするようになったし、お世話になった。
(卒業論文が終わるまで、もうしばらくよろしくね)
そう心の中で呟いて、エリカはブラウザを閉じた。
エリカは自分の今日のレジュメを再度確認したりしながら、アボガドとサーモンのオープンサンドを平らげた。大通りの道行く人々や、東山キャンパスの坂を登っていく学生立ちを眺めながら、イングリッシュ・ブレックファーストのミルクティーをゆっくりと頂く。
暖かな日差しの中で、こういう落ち着いたランチタイムは贅沢な時間だと思うし、大好きだ。また、近いうちにケイコと来ようと思う。
時計の針が十二時半を過ぎたのを確認すると、エリカは伝票をテーブルから取り上げて立ち上がった。スマートフォンをトートバッグに仕舞うと、コートを羽織り、トートバッグを肩に下げる。
今日は、パソコンのキャリングケースは持ってきていない。今日のゼミはどちらにせよ紙に印刷したレジュメでの発表だし、何だかんだで、あのノートパソコンは重いのだ。使わないことが分かっている日は持って来たくない。
レジで言われた合計金額を支払うと、店員さんが「ありがとうございました」と笑顔で言うので、エリカも「ごちそうさまでした」と微笑み返した。
――カランコロン、カランコロン
カフェのドアを開けると、ドアに取り付けられた鈴が鳴る。大通りに出た下吹越エリカは、小さく伸びをした。今日はいい天気だ。
「さてと……」
左肩にトートバッグを掛け直すと、エリカは上叡大学東山キャンパスに向かって歩き出した。
――さぁ、全員発表会だ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます