気づいちゃった気持ちをどうすればイイですか?

 同窓会が終わり、エリカは純子と二人、居酒屋からカフェに移動していた。


 公式の二次会は無かった。同窓会が終わると、三々五々、それぞれにそれぞれの小さなグループを作って二次会へと消えていった。帰る者は帰った。あるグループは飲み足らずもう一軒別のお店へ、あるグループはカラオケへ、そして、エリカと純子のように話し足りない人間はカフェなどに流れていった。

 

 同窓会の冒頭で、いきなり泣いてしまったエリカだったが、純子に「よしよし」とあやされている間に、涙も嗚咽も止まり、平静を取り戻した。むしろ、涙を流したことで、スッキリしたような感じもあった。そして、涙の跡がバレないようにしながらも残りの同窓会の時間はちゃんと楽しんだ。

 それでも目敏めざとく、涙の跡に気づいた同級生には「純子に笑い泣かされた」と、変なテンションで苦しい言い訳をした。


 純子との時間も大切だが、折角の年に一度の同窓会である。皆としっかり話さないと勿体無い。飲み会の後でカフェに移動して続きの話をすることを、純子と約束するとエリカは二十人の同窓生の輪の中に飛び込んだ。


「ごめんね。なんだか心配かけちゃって」

 エリカはカフェのカウンターでキャラメルマキアートを受け取ると、テーブルにマグカップを置いて、一人掛けソファに腰掛けた。いつもなら、イングリッシュ・ブレックファーストのミルクティーがエリカの定番だが、ちょっとコーヒーと、甘い糖分を入れたい気分だった。


「全然大丈夫だよ。むしろ、こっちこそゴメンね。開始早々で突っ込んじゃって」

 上村純子はぺろりと舌を出した。そういう仕草をしても、嫌味が無いのが、上村純子の素敵なところだとエリカは思う。上村純子は先に受け取っていたブラックのコーヒーを両手で包んでもう一脚のソファに沈み込んでいた。


 ガラス越しにカフェの外に目を遣ると、鹿児島市の象徴の一つである路面電車が夜の街を走っていた。このあたりはこんな時間帯でも、まだ、人通りは多い。ここ天文館通付近と、中央駅付近が鹿児島市の二大繁華街なのだ。


「さてと、……どっから話そう?」

 上村純子はブラックのコーヒーを「あちち」と言いながら一口飲むとマグカップを机の上に下ろした。エリカは自分自身の微妙センシティブな話題だけに、苦笑いを浮かべながら、首を傾けるしか無かった。


「エリカはその先生のことを好きになっている。それも、恋愛感情か、それに極めて近い感情で……このことは、認めちゃってもOK?」

 下吹越エリカは、もう、コクリと頷くしかなかった。


 冷静に考えてみると、それを示唆することだらけだった。自分の指導教員ということもあるし、二十歳も年齢が離れているということもあるし、妻子もある。そういう理由で、恋愛対象として考えることなどあり得ないと、頭の中では考えていた。でも、心と身体は、必ずしも頭の理屈には従ってくれなかったということだろうか。


「と言うことは、私の方が、先生と不倫したいって思ってたってことなのかな……? ケイコのこと言えないね」


 純子は「言っちゃったね。相手の女の子の名前」と笑った。「あ、しまった」とエリカは口を押さえる。さっきはずっと「彼女」や「その女の子」などと言って「ケイコ」という実名は出さずに説明していたのだった。とはいえ、この二人が会うことも無いだろうし、多分、大丈夫だろう。

 エリカが純子に「……秘密だからね」と言うと、純子は「もちろん」と頷いた。


「私はそういうことじゃないと思うな〜。エリカは別に不倫をしたいわけじゃ無いんだよ。エリカは全然、その先生の奥さんには嫉妬していないみたいだし、そもそも不倫っていうもの自体をエリカ自身が好きじゃないから、既婚者に恋をしてても、不倫をしたいってわけじゃ無いんだと思う。……少なくとも今のところはね」

 上村純子は自分の考えを開陳する。 


「うん。私も、そんな奥さんから先生を取り上げたいなんて、そんな気持ちは全然ない」

「でも、エリカ。その、ケイコさんには先生を取られたくないんでしょう?」

「うぐっ……」

 さすが純子だ、見事なところを突いてくる。


 純子の言う通りだ。自分が、先生の事を好きだってことを前提にすれば、いろいろ整理がついてくる。自分は先生と出来るだけ一緒に居たいし、奥さんやお子さんを除いた中では、先生の一番の女性でありたい。そして、尊敬できる先生であって欲しいし、誰か他の女性が横から割り込んで、先生と不倫するなんてことは絶対に許せない。

 普通のドラマの中の恋愛とかだと、奥さんから奪いに行くような不倫に発展しそうな話だが、今の自分には全くそういう気持ちはない。その点だけは、ちょっと変わっている気もするが、それを除けば、これはやっぱり恋愛感情そのものなのかもしれない。


「……私、どうしたらいいんだろう?」

 エリカは困り果てて、しゅんとしてしまう。


「エリカって、昔から可愛いのに、意外と恋愛経験ないんだよね〜」

 微笑ましい存在を眺めるように、上村純子が言う。

「もう、茶化さないでよ。……私、真剣に悩んでるんだからっ」

 エリカがほっぺたをふくらませると純子は「ゴメン、ゴメン」と右手を小さく挙げて、エリカを制した。そして、真面目な顔に戻る。


「素直になればいいんだと思うよ。ただ、自分の気持ちに正直になれば」

 純子の両目がエリカの顔を真っ直ぐに見つめる。


「素直に?」

「……そう。好きなものは好き、嫌なものは嫌。先生にもケイコさんにも真っ直ぐに伝えてごらんよ。そして、ケイコさんの不倫は許せないし、でも、これからも仲良くして欲しいって。難しいかもしれないけど、やっぱり、直球しかないよ」


 そう言って、純子は大きく頷いた。

 純子とて、そんなに多くの恋愛を経験しているわけでもないはず、とエリカは思う。でも、純子の考え方はいつも真っ直ぐで、そして、様々な人間関係を乗り越えてきた実績もある。そして、その考え方は根本のところで、いつも共感出来るものだった。

 下吹越エリカは、この金管セクションリーダーの言葉を信じよう、と心に決めるのだった。いつも、この街で、私達を引っ張ってきてくれた凛々しい女の子の言葉を。


 その日は、エリカと純子は一年間の出来事や、卒業後の話など、様々な話題にジャンプしながらカフェの閉店まで話しこんだ。「やっぱり、持つべきものは純子だな〜」とエリカが言うと、純子は「そっくりそのままお返しするわよ」と言ったので、二人で少し照れながら笑いあった。


 エリカは、次の日から、気持ちを入れ替えて、実家で卒業研究の作業を再開した。上村純子に相談して、自分の気持ちがはっきりしたお陰で、頭がスッキリし、卒業研究で取り組まねばならない問題に、鹿児島の実家ではあるが、一つ一つ取り組むことが出来た。

 実家を出て四年が経ったが、自分の部屋は、高校生の受験勉強時代のままにしてあった。少し埃っぽかったが、簡単に掃除するとすぐに使えるようになった。

 大学受験勉強に使った机で、卒業論文の課題に取り組むと、何だか高校時代に戻ったような気分がした。夜遅くまで頑張っていると、母親がミルクティーとお菓子を持ってきてくれて、何だか無性に嬉しかった。


 そんなこんなで、一月のお正月の一週間は鹿児島の実家で過ごした。卒業論文の作業に集中しつつ、実家でゆったりと過ごした。そして、Uターンラッシュが落ち着いた頃に、ようやく下吹越エリカは一人暮らしのマンションへと戻ることにした。


 今、下吹越エリカはクリーム色のチェスターコートに身を包み、ピンク色のスーツケースを転がしながら、鹿児島空港の前に立っている。これから東へと飛ぶのである。

 「エロラノベ作家」未恋川騎士こと南雲仙太郎と、「魔性の女」こと恋のライバル柊ケイコが待つあの街へ。


 年末に鹿児島に戻ってきた時には闇の中にいたのだと、エリカは自分でも思う。

 でも、今は違う。未解決な問題は一杯あるけれど、エリカは自分の意思をしっかりと持つことが出来ていた。笑顔と共に、前に向かい、困難にぶつかっても、未来を切り拓いて行く覚悟があった。


 見上げた空は真っ青で、空港から飛び立ったジェット機が、空の中へと力強く上昇していくのが見えた。

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