みかんを食べてもイイですか?

 鹿児島の実家でエリカは弟のマコトと、こたつ布団に身体を埋めて倒れていた。こたつが下半身を温める中、布団が身体を柔らかく包み、畳は圧倒的な万有引力で身体を下方向に引き寄せる。その圧倒的な力の前に、エリカは抵抗する術を失い、スマートフォンでWEBページをブラウジングなどしていた。


「大晦日だから、家の掃除でも手伝ったら? 姉ちゃん?」

 丁度、十畳の和室で、エリカと九十度、直角方向を向いて、これまた倒れ込んでいるのは弟のマコトだ。時計の針で言えば、エリカが十二時で、マコトが九時といったところだろうか。


「うん。まぁ、お母さんが言ってきたらね〜。私も四年間、この家に住んでないから、自分の部屋も使って無いし、片付けるとこ分かんないから。マコトこそ、まだ、家を出て二年経ってないでしょ? 手伝えることあるんじゃない?」

「え〜。まぁ、右に同じで。お母さんが言ってきたらやるよ」

 マコトは近所の本屋で暇つぶしに買ってきたゲーム雑誌を畳の上に開いたまま、そう返した。マコトは今どきの男子大学生だ。暇さえあれば、ゲームをやっている。


「はい、みかん」

 気付くと母がこたつの脇に立っていた。母はみかんの盛られたカゴとお皿を机の上に置くと「皮とかスジはお皿の上に置いといて」と添えた。


「あ、ありがとう」

 エリカは畳に寝転がった状態から起き上がり、母の顔を見上げて御礼を言う。一人暮らしを長くやっていると、家で誰かが自分のために何かしてくれるということがほとんど無くなる。だから、子供の頃から慣れたこういう母の気遣いにも、改めてそのありがたさを感じるのだった。母は少し気恥ずかしそうに「どういたしまして」と返した。なんだか、少しだけエリカも気恥ずかしくなった。


 マコトもむくりと起き出してくる。みかんが畳の万有引力に打ち勝った瞬間だ。

「こたつでみかんって、本当に鉄板だよなぁ〜。なんでなんだろう?」

 マコトが盛られた果実の山から一番大振りのみかんを取り上げる。


「お正月の鏡餅の上にも載せるからね。もしかしたら、神事的な意味もあるのかもね」

 エリカがそう言うと、マコトがニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。

「姉ちゃん、鏡餅の上のアレはだいだいだから『みかん』じゃ無いんだぜ」

 嫌らしいほどの弟のドヤ顔に、エリカは溜息をつく。


「マコト……。知ってるアピールはいいんだけどね。だいだいっていうのはミカン科ミカン属に含まれるから、別に、広い意味でみかんって呼んでも間違いじゃないのよ……」

「……え? そうなの?」

 マコトは助け舟を求めるような視線を母に送った。母は楽しそうに「マコトは、なかなかお姉ちゃんには敵わないわねぇ〜」と笑って台所へと戻って行った。

 マコトは「かしこいアピール」に失敗して「チェッ」と舌打ちすると、こたつの上にゲーム雑誌を広げて続きを読み始めた。


 みかんは甘くて酸っぱかった。こたつに入ってダラダラしていると、甘いものが欲しくなるし、また、冬の健康のためにもビタミンCなどの栄養を身体が欲する。こたつにみかんが冬の風物詩なのは納得できるなぁ、とエリカは思った。


 スマートフォンをこたつの上において「なりうぇぶ」のページを開く。ユーザ認証を求めてきたので、いつも通り「上方カリエ」のアカウントでログインする。


(あ……)

 ユーザ画面に赤い文字列で他のユーザからコメントが届いていた。以前もメッセージをくれた「ぼよよよ~ん」というペンネームのユーザさんからだった。


 ――いつもエッセイ楽しく読んでおります! 冬休みに入り、まとめて読ませていただきました。二週間ほど更新が止まっておられますが、師走でカリエ先生も忙しいのかな? また、続き楽しみにしております。では、良いお年を〜。


 「ぼよよよ〜ん」さんの優しいコメントに、エリカはちょっと嬉しくなった。そういえば、初めて感想をつけてくれたのも「ぼよよよ〜ん」さんだったな、と思い出す。


 あの日以来、上方カリエのエッセイは、ぱったりと止まってしまっていた。もともと、九月頃から始まった、南雲先生とのコントのような日々を脚色しながら綴ったようなエッセイなのだ。「現実は小説より奇なり」を売りにしたエッセイだから、現実の南雲先生との面白い出来事が止まってしまったら更新することなんて出来ない。


 エリカはスマートフォンで「ぼよよよ〜ん」さんに、コメントの御礼と年明けしばらくまでは更新が難しそうだという趣旨のメッセージを返した。理由はとりあえず、「忙しいから」としておいた。


(忙しいからかぁ……)


 エリカは再び畳の上にゴロンと転がって天井を見上げた。ここ二日、三日は何をするという訳でもなく無為に時間を過ごしている。冬の寒さのせいもあるし、冬休みで気が抜けたこともある。実家の安心感もあるし、こたつの魔力のせいもあるが、何だかとにかくやる気が起きなかった。


 「忙しい」という言葉は便利な言い訳だ。


「姉ちゃんは、お正月、どうすんの?」

「あんた、なんでそんなにお姉ちゃんの予定気にするのよ?」

「ん、ま、別に」

 本当に何も考えずにただ聞いたのだろう。マコトはエリカの質問返しに、むしろそんな理由を聞かれることが疑問だ、と言わんばかりに首を傾げた。

 とはいえ、お正月までダラダラし続けるのは良くない。エリカは、カレンダーアプリで予定を確認した。鹿児島での予定はそんなに入っていないが、一つだけ重要な予定が入っていた。


「三日の晩は高校の同窓会かな〜? ま、あとはいつも通りじゃないの? 元日は家族で初詣だし、二日は親戚来るんでしょ」

 マコトは後半の部分に対してコクコクと頷く。一日と二日は家族や親族で毎年パターン化しているお墓参りとか、初詣とか、親族の新年の挨拶などがある。


「あ〜、高校の同窓会って純子じゅんこちゃんとか?」

 上村かみむら純子じゅんこは下吹越エリカの同級生だ。中学の時から同じ学校で、ずっと仲が良かった。彼女も大学進学で、初めの内はエリカと同じく関東の大学へ出ていくことも考えていたが、結局、地元の国立大学に進学した。将来は高校の先生になりたいらしい。


「うん、そうよ」

「いいよなぁ、姉ちゃんの代は、美人な女子も多かったし、担任の先生の当たりも良かったし、大学合格実績も良かったし」


 確かにエリカの代は優秀だとよく言われていた。ちなみに、弟のマコトの代はその真逆で「谷底の世代」などと言われていた。女子の可愛さは知らないが。


 マコトが小学生のときから、純子は家によく遊びに来ていたので、マコトを入れて遊ぶこともあった。マコトは昔から、何故かエリカの友達と一緒に遊びたがるところがある。今、柊ケイコに熱を上げているのも、その延長線かもしれない。


(そういえば、マコトはケイコと南雲先生のこと、全然知らないんだよね……)


 マコトの方を見ると、マコトは左肘をついてゲーム雑誌を読んでいた。ちょっと弟のことを不憫に想う。

 ただ、そこまで考えたところで、エリカは思考を止めた。鹿児島にいる間は、柊ケイコと南雲先生のことは出来るだけ考えたくない。大学に戻ったら嫌でもまた、顔を合わせないといけないのだ。実家にいる間は考えないようにしよう。


 大晦日は、そんなこんなで家族で過ごした。夜は紅白歌合戦を見ながら、おせち料理を重箱に積めた。流石にエリカもおせち料理を作る作業は手伝った。それをお母さん一人に押し付けては下吹越家長女の名がすたるのだ。

 久しぶりにお母さんと立つ台所は、なんだか自分のもう一つの居場所のような心地がした。


 そんなこんなで、夜も更けて行き、除夜の鐘の音とともに、色々あった一年は「良いお年を」と終わっていった。


 

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