黄昏ちゃってイイですか?
今日は何だかスッキリしない一日だった。
やっぱり、深夜遅くまで起きて、朝遅く起きるようになってしまっているのが良くないのかもしれない。なんだかモヤモヤする。生活リズムの乱れは感情の乱れに繋がるのだとよく母親も言っていた。
そんなことを考えながら、下吹越エリカは自宅のベッドの上で三角座りをしながら、スマートフォンをいじっていた。
結局、南雲先生にはプログラムが完成したことも、分析方法に関するアイデアを思いついたことも報告することが出来なかった。不完全燃焼だ。
昨夜、と言っても午前三時ごろなので日付けの上では今日だが、プログラムが出来上がった時は、南雲先生に早く話したくて仕方なかった。たったそれだけの事が、結局一日掛けて、叶えられなかったのだ。
エリカは一つ溜息をつく。
まぁ、仕方がない。アポイントメントを取っていなかったのだから、先生の予定が合わなければどうしようもないのだ。無理してでも、朝早く起きて午前中に訪問すれば良かったかな? なんてことも思うが、今更そんなことを言っても仕方がない。
先生は明後日なら大丈夫だと言っていたし、少なくとも明々後日にはゼミがある。その時には必ず伝えることが出来るはずだ。
結局、南雲先生と一緒に食べようと思って買っていった、人気のシュークリームは一色先輩と食べた。一色先輩は美味しそうに食べてくれていた。改めて考えると、一色先輩には南雲先生にも負けないくらいお世話になっているので、感謝の気持ちを表すことが出来たのは良かったと思う。
完成したプログラムについては、一色先輩に見てもらった。
「下吹越さん、凄いね! これ、本当に一ヶ月ちょっとでやったの? すごい、すごい!」
と手を叩いて褒めてくれた。嬉しかった。また、データの分析方法についても一色先輩と議論できた。とはいえ、一色先輩もまだまだ修士課程の大学院生である。南雲教授との議論のようには行かない。でも、学生同士だからこそ、色々と相談できることもある。結局、今日はゼミ室でエリカは一時間くらい一色先輩と話していた。
大学に居たのはそれだけで、その後、少し図書館に立ち寄ってから、帰路についた。実質、二時間程度しか大学で活動していないのに、東山キャンパスの門を出る頃には、太陽が西南西の方角に沈み始めていた。黄昏れ時だった。
冬の日の入りは早い。深夜遅くまで活動して、朝が遅いと、太陽の下で活動する時間は極端に短くなってしまう。太陽の光を浴びないと、人間の気分は沈みがちになると聞く。「きっとそういうことだろう」と、下吹越エリカはベッドの上で、今の自分の黄昏れた気分の原因をそう理由づけることにした。
プログラミングも一段落したんだから、ちゃんと日付が変わる前にはベッドに入るようにしようと、心に決める。
(それにしても……)
エリカは今日、教授室で自分が来るまでの間、南雲先生と二人っきりでいた柊ケイコのことを思い出す。以前のケイコは電話口で「藤村ゼミでの南雲ゼミとの共同研究課題を担当することになった」というような趣旨のことを言っていた。もしかしたら、研究相談だったのかもしれない。
でも、その一方で、ケイコはこうも言っていた。
――じゃあ、私が、南雲先生を狙ってもいいわけだ?
もし今日の、ケイコと南雲先生の「相談」がそのことだったらどうしよう。あの電話はもう一ヶ月くらい前のことだ。その時点ですら、ケイコは「昨日なんて、一緒にランチしちゃったから」と言っていた。
それから一ヶ月の間、自分の知らない間に、自分が卒業論文に一生懸命取り組んでいる間に、二人の間で何か別の物語が進行していないとも限らないのだ。
三角座りの太ももに乗せたクッションをエリカはぎゅっと抱きしめた。
両膝を抱えながら、両手でスマートフォンを持って、特に何をするでも無く、LINEのタイムラインを上に下にスクロールする。そんなことをしていると、手の中のスマートフォンが震えた。着信だ。
(こんな時間に誰だろう?)
疲れていたせいもあり、画面の発信元も確認せずに、親指の感覚で着信アイコンをスライドさせて、電話をとった。
「はい。もしもし、下吹越です」
『あ〜、エリカ? おかあさんよ〜』
鹿児島の実家からだった。何の用事だろうと思いつつも、鹿児島の実家と回線が繋がったことで、なんとなく気分が紛れる。
「どげんしたと?」
『元気? 卒業論文で根を積めすぎたりとかしとらん? ちゃんとご飯たべとる?』
実家の母親というのは、何故こうも食べ物を中心に心配するのだろうか。
でも、実際、最近は、夜遅くなったり朝が遅くなったりして、きちんと食べられてない事が多い。今朝だって、朝食を抜いて、ブランチだった。晩御飯も、気分が乗らなくて、ちゃんと自炊出来なかった。そういう意味では、母の心配は的を射たもので、いつもよりチョットだけ染みた。
「大丈夫、大丈夫。まぁ、ちょっと、卒業論文が大事な時期で、夜更かししてしまったりしてるんだけど、一旦、目処が立ったから、今日から、ちゃんと早く寝るつもり」
『そうかい、そうかい。あんたはマコトと違って、真面目だからねぇ〜。まぁ、卒業論文って、大学の最後の課題なんでしょ? 最後なんだから思いっきりやったらいいわよ』
肝っ玉母さんっぽい母の発言が、なんだか少し可笑しかった。
「ありがとう。……で、何か、特別な用事でもあるんじゃないの?」
そうエリカが母に水を向けると、母は電話越しに「そうそう」と言葉を継いだ。
『明日ね。お父さんがそっちに行くのよ。仕事でね。何か会社を代表して、大きな会議に出ないといけないとかで。それでね。何だか夜に一泊するらしいから、マコトとエリカを呼んで三人で、そのホテルで食事したいなんて言うのよ〜』
「えー。そうなの? ……いいけど。でも、どっちにしろ大晦日とお正月は私達そっちに帰るし、皆でご飯食べられるんじゃない? そんな、わざわざこっちのホテルで会食なんてしなくても……」
実家の鹿児島は遠いが、マコトもエリカも毎年、年末年始はちゃんと帰るようにしていた。もっとも、交通費を両親が出してくれているからこそ出来ることなのだが。
『そうなんだけどね〜? お父さん、なんだか、二人が暮らしているそっちで一緒に食べたいって言うのよね。 成人した子供二人とホテルのレストランでディナーを頂くなんて、まぁ、カッコつけたいだけなんだと思うわよ?』
母親にかかれば、父親の尊厳など「可愛らしい男の子の意地っ張り」と何ら変わらないようだ。とはいえ、エリカもマコトも母親が、基本的には、父親のことを尊敬して、立てていることを知っているし、逆もまた然りだ。軽口も信頼関係の上にあるからこそ、どこか安心して笑えるのだ。
「分かった、分かった。うん。今のところ、空いているから大丈夫だよ」
『じゃあ、後で、時間と場所、私からLINEであんたたちに送るから。現地集合でね』
「は〜い」
『あ、……あと、お父さんには食事の後くれぐれも、ちゃんと御礼言うのよ。もう、それがあるだけでお父さん、満面の笑みになるんだから』
「は〜い」
『じゃ、ほんならね〜』
「ほんならね〜」
そう言うと母からの電話は切れた。
急に入ってきた父親と弟とのホテルでのディナーの予定だった。
億劫なような、楽しみなような、微妙で複雑な気持ちだ。何れにせよ、寝不足のままでは、また、明日も
(とにかく、今日は早く寝よう)
と、エリカはベッドから立ち上がり、お風呂場へと向かった。
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