第十二章 師走の寒風
突然会いに行ってもイイですか?
冬が本格的な寒さを連れてきている。十二月も半ばを過ぎ、日が落ちるのがとにかく早くなってきた。風は冷たく、コートの隙間からも、忍び込んでこようとしてくる。
大学のキャンパスへの坂道を歩く下吹越エリカはクリーム色のチェスターコートの襟を引き寄せながら肩を縮める。今日の風は随分と冷たい。先週思い切って買ったイヤーマフラーが耳を温めてくれているが、これがなければ随分と耳も
今は昼の二時半ごろで、まだ太陽は明るい。それでも、あからさまな寒波の到来を
その手にはノートパソコンの入ったピンクのキャリングケースを持っている。慣れるまでは、この重いノートパソコンを大学まで持ってくるのも大変だった。ようやく慣れて抵抗はなくなって来たが、それでも、やっぱり重いのは重い。
だから、「次、新しいノートパソコンを買う時は絶対に軽くて薄い奴にしよう」と下吹越エリカは心に誓っているのだった。
風は冷たいが、日差しは明るい。今日の下吹越エリカの気分はどちらかというとその日差しの方に近かった。
とにかく卒業論文の準備が好調なのである。南雲教授に話したいことが沢山ある。
先月のゼミで研究テーマが決まって以来、この一ヶ月間ちょっとの間で、急ピッチでプログラミングの勉強と実装を進めてきた。プログラミングというものはやり始めてみると楽しい面もあるのだが、その一方で、バグやエラーが出てくるとそれを無くすために、長い時間をかけた格闘を繰り返さないといけない。これが中々終わらずに、気付くと夜中になってしまうこともザラだった。
女の子にとって健康と美容は大切なので、夜更かしや徹夜は出来るだけ避けたい。それでも、ついつい頑張ってしまって、先週だけでも二度ほど朝日を拝んでしまっていた。
そんな努力も実ってか、ついに昨夜、エリカは
それだけのことと言えばそれだけのことなのだが、そもそも、基本的にプログラミング初心者の下吹越エリカにとって、実際にこれを一ヶ月ちょっとで実現することは、想像を絶するチャレンジだった。それが昨日の夜、ついに完成をみたのだ。
試しに、プログラムにユーザ名「karie_kamikata」(上方カリエ)を入力してみた。すると、「knight_of_mirengawa」(未恋川騎士)を含めた十名ほどのユーザ名のリストが取得されて、画面に表示された。その一つ一つのユーザ名を確認し、それが自分で「なりうぇぶ」にログインした時に見られるフォローリストと完全に一致していることを確認できた時には、思わずガッツポーズで
「やったーっ!」
と一人、自宅の机の上に乗せたパソコンの前で跳ね上がってしまった。
それでは止まらずに、夜遅かったが、ベランダに飛び出して、寒い夜風のなかで
「やったよ〜っ!」
と、声を上げてしまった。思いのほか、寒かったので、すぐに部屋に戻った。
プログラミングでこんなことをやるなんて、全く未知の世界だった。だからこそ、こういう明確なゴールを一つでも達成出来たことは本当に嬉しかったのだ。
(はやく、南雲先生に見てもらいたいな〜っ!)
そうは思ったが、出来上がったのが夜中の三時過ぎということもあり、その後は、大人しくお風呂に入って寝た。夜遅かったので、朝は遅めまで寝て、家の近くでブランチを食べてから、大学へと向かった。プログラミングの話だけではなくて、読んでいた書籍や論文に関しても、ちょうど幾つか面白そうな話もあり、それも併せて、南雲先生に話したいと思っていたのだ。
ふと思い立って、コンビニに立ち寄った。そのコンビニで、最近、美味しいとちょっと評判のシュークリームを二つ買った。自分から自分へのプログラムの完成祝いだ。
(先生にも一個あげよう〜)
生徒から先生への差し入れなんて、なんて良い学生だろう。教授室でのティータイムを思い浮かべる。今日は寒いからきっと紅茶も美味しいことだろう。
今日は火曜日で、ゼミはない。特にアポイントメントを取っている訳ではなかった。ただ「エロラノベ同盟」のお陰で、一応、エリカはいつ教授室をノックしても良いことになっている。突然訪問しても、少しくらいの時間なら、先生も相手をしてくれるはずである。
もし、先生が忙しかったら、教授室の中で、作業や読書の続きをさせてもらって待っていれば良い。いつものことだ。
キャンパス入り口からの坂道を登りきり、寒波の中、総合C棟の玄関口に小走りで駆け込んだ。自動扉が閉まり、息を吐く。総合C棟の中は暖房が効いていて温かい。チェスターコートの左肩にはトートバッグ、左手にはピンクのキャリングケースとシュークリームが二個入ったコンビニ袋をぶら下げている。
少しだけ走ったので、ちょっと息が上がった。大きく息を吐き、右手で両耳に掛けていたイヤーマフラーを外した。
目の前には南雲教授室のある二階へと続く階段がある。左手のノートパソコンの中に入っているプログラムのことを考える。それを南雲先生に見せた時に、先生がしてくれるであろうリアクションを想像して、エリカは口元に笑みを浮かべた。
階段を登り、廊下を左に行くと、十部屋ほど過ぎたところに南雲先生の部屋がある。エリカは迷うことなく、鼻歌まじりに扉の前まで来て、それをノックしようと中指を曲げて右手を上げた。
そこで、ふと気づいた。緑色に塗装された扉には「来客中」を表すマグネット製の札が掛けられていたのだ。
(あ……、『来客中』なんだ……)
エリカは扉口に開けられた小さなガラス窓から中をそっと覗いてみる。確かに、いつもの四人掛けのテーブルに南雲教授が座っている。向かい側に誰か座っているようだが、それは誰なのか、よく見えない。
エリカが教授室を突然訪問した際に、南雲教授が来客対応中であることは初めてではない。以前にも何度かあった。
そういう時には四階のゼミ室で時間を潰してからタイミングを見計らってもう一度来るか、教授室の十メートル程先にある廊下の休憩ベンチに座ってお客さんが帰られるのを待つかだ。
(しばらく、待ってみるか)
エリカが扉から離れ、休憩ベンチに向かおうかと上半身を扉から離した時に、部屋の中から微かに話し声が漏れ聞こえてきた。
『……さん、…………じゃないかなぁ』
『でも、先生……………………ですよね?』
南雲仙太郎と、もう一つの声は、若い女性の声だった。
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