誰も悪くないってことでイイですか?

「未恋川作品に『えっちぃ要素』はやっぱり必要だったんでしょうか!?」

 エリカは担当編集の矢萩洋子に真っ直ぐに質問をぶつける。


 ずっと心に引っかかっていたことだった。

 私の教授がエロラノベ作家であることを知ったのが九月上旬。南雲教授は何故、エロラノベ作家「未恋川騎士」になったのか? その疑問は、ずっと下吹越エリカの中に燻り続けていた。

 経緯については、秋に餃子の大将軍で夕食を一緒した時に、南雲先生から一通り教えて貰った。WEB小説を「なりうぇぶ」で書き出した経緯、「アルファ・ノクターン」でデビューした経緯、その売れ行きに十分満足できずエッセンスとしての「えっちぃ要素」の投入に至った経緯。

 「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」は確かに商業的には成功しているだろう。しかし、その結果、南雲先生がペンネームバレ出来ない状況に至っていることも確かだ。また、エリカの感性で言うならば、今の「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」には「アルファ・ノクターン」にあった未恋川騎士らしさが無い。「聖☆妹伝説」はそれはそれで良いエンターテインメント作品であることは、もう認めるのだが、そうじゃない道筋も有ったんじゃ無いかと思うのだ。


 矢萩洋子は質問を受け止めて、フゥっと一つ溜息をついた。

「良い質問ね。……もう、結論から言っちゃっていいかしら」

「……はい」

 エリカはコクリと頷く。矢萩洋子は何かを考えるように、ソーサーの上でティーカップの取っ手を持ち、その方向を少しずらすと、口を開いた。


「結論から言えば『必要』では無かったわ……」

 矢萩の答えはシンプルなものだった。「あ、やっぱり……」とエリカは心の中で呟く。以前、先生から話を聞いた時は、女性編集者が必要性を主張したということだと理解していた。でも、今日話してみて、やっぱり、違うんじゃないかな? と思うようになっていた。


「でもね、エリカさん。あなたが『アルファ・ノクターン』派なのも何となく分かるし、あそこに未恋川騎士の良さの一つが詰まっているのも担当編集者としては百も承知よ。私も大好きよ」

 そう言って、もう一度ソーサーの上のティーカップを弄ると、矢萩は続けた。


「でもね。そうやって、作家の可能性を縛ることは、長い目で見ると良くないことだと思うの。未恋川騎士はまだ、二作品目。これからまだまだ幅を広げる作家だと私は思っているわ。作家本人が、自らの表現の幅を広げようとしている時に、編集がとやかく言って、それを抑制することは、誰のためにもならないんじゃないかって思うの」

 矢萩洋子自身もいろいろと思うところがあるのだろう。後半は、どこか自分に言い聞かせるような口調になっていた。

 

 プロの編集者の言葉を、自分より十歳近く年上の社会人の話を、エリカは真摯に聞いた。矢萩洋子の中には、自分には無い、自分にはまだ足りない、未恋川騎士に対する信頼と、期待のようなものがある。自分が見ているものよりも、読んでいるものよりも、この人は遠くを見、深きを読んでいるんだろうなぁ、とエリカは感じた。


 でも、そこに関しては十分に納得した上で、一言だけ抵抗をしてみることにした。


「ありがとうございます。よくわかります。……でも、最後に一つだけ」

 そう言って、エリカが右手の人差し指を立てると、「なにかしら」と矢萩は目を上げた。


「やっぱり、『聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス』は、ちょ〜っとエッチすぎますよねぇ……?」

 エリカが苦笑いを浮かべると、矢萩洋子も同じ苦笑いを浮かべた。

「ん〜、そこはねぇ〜。未恋川先生って突っ走っちゃうタイプだから……。私も歯止めをかけられなくて」


「あ、やっぱり、歯止めはかけようとされたんですね?」

「一応、かけようと努力はしたわよ。う〜ん、でも最終的には好きに書いて貰ったんだけどね。そこは作家の権利だし。ほんと、あの『えっちぃ』進化をしすぎた作風のせいで、折角いいヒットになったのに、コミカライズも、アニメ化にもすっごい制限が付いちゃって、編集部的にも困っちゃってるのよ。地上波とかかなり厳しいし。一体、何進化したら『アルファ・ノクターン』の作家がああもエロラノベっぽい作風に変化できるのやら」

 はぁ〜、と矢萩洋子は左肘をついて溜息をついた。


「でもね。『聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス』書いてる時の未恋川先生は本当に楽しそうなの。あと、それから、読者の反響もやっぱり凄く良くてね。もう、完全にエンタメだからね。やっぱり、そこにはそこで正義はあるんじゃないかなーって思うのよね」


 矢萩洋子はそう言って笑った。「ま、大人の事情も色々あるし、綺麗事だけじゃ無いんだけどねっ!」と少し苦笑いする矢萩洋子の顔を、下吹越エリカは気づけば少しばかりの尊敬の念を持って眺めていた。知らない時は「諸悪の根源」とまで決めつけていた女性編集者の顔を。


「ありがとうございます!」

 下吹越エリカはペコリと頭を下げた。「いーの、いーの」と矢萩洋子は両手を振る。


「ま〜、南雲先生も、いろいろ抱えている人だからね〜。踏み込んじゃうといろいろ気になっちゃうよね」

 そういうや矢萩洋子に、エリカは「ですね〜」と笑って応えた。なんだか、同じ悩みを抱えるお姉さんを得たような気分だった。


「でも、エリカさんも先生のこと色々と気になるんでしょうけど。必要以上に入れ込んじゃだめよ。間違っても異性として好きになっちゃったりしちゃ……。……先生も妻子ある人なんだから」

 右手でティーカップを口許に運び、離したばかりの唇から、矢萩洋子が警告めいた言葉を漏らす。エリカは何の冗談かと思ったが、話している矢萩洋子の瞳は真剣そのものだった。


「え〜、なんですか、それ? 大丈夫ですよ〜。私はいちゼミ生なんですから。それ以上でも、それ以下でも無いんですって」

「本当かなぁ……。だって、先生を追いかけて『なりうぇぶ』にまで入ってきちゃうし、頻繁に先生の部屋にも行ってるって言うし……、今日だって、私にさっき挑むみたいに質問してきたのだって、先生のためだったんでしょ? お姉さんはチョット心配」

 矢萩洋子の口から出る、一つ一つの客観的事実は、確かにそうやって聞くと、何やらエリカが南雲仙太郎に特別な想いを持っている状況証拠のようにも見えてくる。でも、そんなことは無い。自分の気持ちは自分がいちばんよく分かっているつもりだ。

 卒業論文の追い込みと「エロラノベ同盟」の契約が合わさって、そういう風に見える状況証拠の類が生まれてしまっているだけなのだ。

 妻子ある二十歳も年上の教授を自分が恋愛対象に捉えるなんてありえない。自分はそういう面では、ごく普通の女子大生なのである。柊ケイコのような「ものすごい」女子大生とは全然違うのだ。エリカはそう頭の中で再確認した。


(ケイコにせよ、洋子さんにせよ、ホント、心配症だなぁ……)

 エリカはそんな風に思うのだった。正直、南雲先生のことは尊敬しているし、未恋川先生のことも最近は面白いし凄い作家だと思っている。でも、それは先生としての尊敬であって、お付き合いする可能性のある異性だとか、そういう視点では全くない。

 多分、普通の先生とちょっと熱心なゼミ生という程度の関係であるということは、周りから見れば分かると思う。何故、柊ケイコと矢萩洋子の二人が、同じような心配をしてくるのかも、エリカには正直なところ不思議だった。


「お待たせ〜」


 少し長かったお手洗いから帰ってきた。南雲教授はスマートフォンをテーブルの上に置いて、席についた。少し残ったコーヒーを手にとって飲んでしまおうかとしたところで、女性二人の視線が不自然に自分へと注がれていることに気づいて、「ん?」と二人の顔を見比べた。


「どうしたの?」

「な……なんでもないです」

 下吹越エリカは、さっきの矢萩洋子の言葉で、変に意識してしまって、視線を逸した。南雲は本当に不思議そうな顔で首を傾げる。


「先生、また、トイレでメールとかツイッターとかチェックしてたでしょ?」

「あ、バレた?」

 お見通しとばかり突っ込む矢萩洋子に、南雲仙太郎は悪戯っぽく笑って返した。


 結局、その後は、第四巻のプロットの話をもう少しだけして、二十分ほどで解散になった。食事代は「DT編集部から落ちるから大丈夫よ」と矢萩洋子に言われて支払って貰えることになった。

 「そんな、悪いです」と言うと、南雲先生に「もらっとけ、もらっとけ」と言われたので、エリカは甘えることにした。自分のご褒美に食べたモンブランとイングリッシュブレックファーストの代金が浮いて思わぬ幸運である。


 結局二人とは喫茶店の前で別れた。エリカもまだ、少しだけ立ち寄りたいお店があったし、二人は駅の方へと向かうと言っていた。


 最後に、矢萩洋子がエリカの耳元で

「あの、エッセイ、本当に面白いから、あのまま続けて書くといいわよ。上方カリエ先生っ!」

 と囁いた。エリカは何だか嬉しいやら、恥ずかしいやらで、赤くなりながらも「がんばります」と、頷くのだった。


 矢萩洋子は白いウールコートを肩から羽織って「じゃあね! また、近いうちに」と手を振り、南雲仙太郎と共に去っていった。

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