諸悪の根源でイイですか?

 そう、それは紛れもなく「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」第四巻のプロットだった。


「この前、第三巻が出たばかりなのに、もう第四巻なんですねー」

 感心してエリカが言うと、業界のプロ、矢萩洋子が微笑みながらも首を振って応じた。「もう」というのが違うらしい。


「下吹越さん、ライトノベルはエンターテインメントコンテンツだからね、読者が続きを読みたいと思っている間に次を出すことが大切なのよ。忘れ去られちゃう前にね。だから、テンポよく出す場合は、発売した三ヶ月後に次の巻を出すなんていうことも全然あるのよ」

「そ……そうなんですか」

「そうらしい」

 驚くエリカに、何故か感心するように南雲教授も追従する。その、南雲を矢萩洋子は少し困ったような目で見てから、軽く溜息をついて、続けた。


「本当の事を言うとね、編集部としては『聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス』もそのくらいのペースに上げて行きたいくらいなんですけどね。三巻の売れ行きも好調だし、……地上波でのアニメ化はいろんな意味で難しくても、いろいろとメディアミックスもさせて行きたいって声もあるので」

「凄い! メディアミックス! えっと……、先生、やっぱり三ヶ月に一冊とかは難しいんですか?」

 と、エリカは驚きながらも南雲に振る。南雲はそんなエリカをジト目で見て溜息をついた。


「絶対無理だろ〜。僕が卒論一切見なくて良くて、講義しなくて良くて、学会発表も、学会運営も、大学行政もやらなくて良いんなら出来るかもしれないけど……」

 まぁ、それはそうだ。あくまで南雲仙太郎は兼業作家。本業自体も極めて多忙で、それ自体の仕事としても多くの執筆を抱える大学教授である。作家活動には今日のような休日を充てるくらいしか出来ないのだ。その条件では、そこまでハイペースな出版は難しいのだろう。


「まぁ、編集部も分かってますから、大体六ヶ月に一巻くらいのペースで出そうって話になっていて……。なので、今くらいがプロットを詰める最終期限くらいなの。それで、今日、二人でミーティングってこと」

 矢萩の良識ある社会人らしい順序だった説明に、「へー」とエリカが感心すると、「そーゆーこと」と南雲が添えた。


「じゃあ、次の発売予定日は大体……」

「目標としては四月下旬かな?……そうですよね、?」

 そういって矢萩が詰めよると、南雲仙太郎はコーヒーを一口啜ってから「ハイッ」と首を引っ込めた。やっぱり、いくら南雲先生が大学教授であるとは言えども、作家未恋川騎士としての編集者との関係はこんな感じのようだ。


 エリカがモンブランを食べている間に、南雲もチョコレートケーキを口にする。チョコレートケーキを食べ切った後に、コーヒーを飲むと、南雲はナプキンで口を拭いて、「ちょっとゴメン、お手洗いに行ってくる」と手元のスマートフォンを手に取って離席した。「はーい」「はい」とエリカと矢萩は承諾した。

 

 喫茶店「アフタヌーン・ティータイム」には、およそ十歳ほど年の離れた初対面の若い女性二人が取り残された。エリカは、当初の目的通りモンブランをスプーンで掬うと美味しそうに一口づつ口に運ぶ。思わぬランデブーが有ったが、そもそも喫茶店に立ち寄った理由は、卒業研究で根を詰めすぎてきた自分への甘いご褒美だ。疲れている休日のケーキと紅茶は絶対的正義なのである。


 エリカがモンブランを美味しそうに食べる。そんな姿を矢萩洋子は右肘をついて眺めている。

「下吹越さん……エリカさんって呼んでもいいかしら?」

 スプーンを口に突っ込んだまま、エリカはコクコクと頷く。

「ありがとう。……エリカさんって本当に可愛いわね」

 いきなりの年上女性からの「可愛い」発言に、エリカは少しドギマギする。


「ど……どういうことですか?」

「あ……、ゴメンゴメン、そんなに他意は無くって、何となくそう思っちゃうの」

「……はぁ。……どうもありがとうございます」

 なんと答えていいのやら困る。


「あと、なんていうか、南雲先生といる時、本当に自然よね。なんていうか、気の置けない友達か、師弟か……、なんかそんな感じがする」

 ちょっと羨ましそうに矢萩洋子は言った。


「でも、矢萩さんも……えっと、洋子さんの方がいいですか? 呼び方」

「どっちでもいいわよ」

「えっと、洋子さんも、先生と凄くカジュアルに笑い合って楽しそうでしたよ。あんな風に南雲先生が話しておられるの大学の中じゃあまり見ないので……」

 エリカがそういうと、矢萩洋子はエリカに「ありがと」と返した。


「ホントのこと言うとね。私、今日あなたに会うまで、あなたにちょっとだけ嫉妬してたかもしれないのよ。ううん、きっとそう」

 矢萩洋子が思わぬ単語を口にしたので、下吹越エリカは驚いて目を開いた。

「……嫉妬?」


「そう、嫉妬。だって、最近、打ち合わせの時でも、未恋川先生、あなたの話ばっかりするんですもの。『学生バレした〜』から始まって、私が聞いても居ないのに、あなたに話したことの内容だとか、果てには私には分からないあなたの卒業論文の話まで楽しそうに話すのよ」 

「……なんかスミマセン」

 下吹越エリカが申し訳なさそうに言うと、「あ、ごめんごめん、エリカさんのせいじゃないのにね」と矢萩洋子は曖昧に笑った。


「でも、それで、あなたの、……『上方カリエ』さんのエッセイを読んでいたら、なんだか羨ましくなっちゃって。たぶん、嫉妬しちゃった」

 そういうと、矢萩洋子は白いタートルネックの上で、少しだけ寂しそうに、でも柔らかい笑顔を作った。

 

 矢萩洋子にとって、下吹越エリカは本当に突然現れた存在だった。

 ほんの三ヶ月前まで、未恋川騎士先生から、そんな女の子の名前が出てくることなんて無かった。


 DT文庫主催の小説大賞で審査員特別賞を受けた未恋川騎士というペンネームのWEB作家に、初めて担当として会ったのは三年前だ。その時に初めて未恋川騎士の正体が大学教授だという事実を知った。本当に驚いた。自分より十歳ほど年上のこの男性の無邪気さや、考え方、努力を惜しまない姿勢、また、少年のような真っ直ぐな感性に何とも言えない魅力を感じると共に、是非、一緒に成功したいと、矢萩洋子は強く願ったのだった。

 それから受賞作「アルファ・ノクターン」を商業出版に合う形になるまで改稿を重ね、出版に導くことが出来た。そして、それからは色々あったものの「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」の成功を受けて、DT文庫を支える人気作家の一人になるまで一緒に到達することが出来た。矢萩洋子にとって、未恋川騎士は特別な作家だった。


 また、「えっちい要素」の多い作品、つまり、「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」を出版し始めたことを切っ掛けに、南雲仙太郎はペンネームバレを避けるよう努めるようになった。それ以降、部の一部を除いては、南雲仙太郎を未恋川騎士だと知って会うのは自分だけに許された特権のようなものだった。

 ただ、仕事で会っているだけなのだが、それでも、自分だけが、その秘密を南雲仙太郎と共有しているのだ、という意識は、矢萩洋子に何か特別な感覚を与えていた。


 矢萩洋子にとって、下吹越エリカという存在は、その三年間の時間をかけて守られてきた「秘密の関係」に突然割り込んできた存在だったのだ。嫉妬の対象となってもおかしくはないだろう。


(でもま……、この子も被害者みたいなものだからね)

 矢萩洋子は、目の前でモンブランを美味しそうに食べている女子大生を見て、なんだか憑き物が取れるような思いがした。


「あの〜」

 モンブランを一通り食べ終えた、下吹越エリカはナプキンで口許を拭くと、おずおずと切り出した。矢萩は「ん? なぁに?」とエリカを促す。


「以前から、担当の編集者さんにお会いしたら一つだけ聞かなくちゃいけないと思っていたことがあるんですけど……」

 少し、言い難そうにしながら、下吹越エリカは両膝の上に手を揃えた。矢萩洋子はコクリと頷いて、エリカの質問を待つ。


「南雲作品……、いえ、未恋川作品に『えっちぃ要素』はやっぱり必要だったんでしょうか!?」


 ――未恋川先生。もうちょっと、もうちょっとだけ、えっちぃ要素とかいれません?


 そう言ったのは担当女性編集者だと、南雲先生は言っていた。

 エリカはそんな女性編集者のことを「南雲先生をエロラノベ作家にした諸悪の根源」と決めつけてきていた。

 もちろん、未恋川作品「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」を初めて読んだ時に比べると、今となっては、そこに至る文脈や、商業的理由などを知っているので、その必要性というか、意義は理解しているつもりだ。

 南雲先生の「あれはエロラノベではない!王道ファンタジー小説だ!」という主張には未だに首肯しかねるが、その考え方自体にも一定の理解は示している。

 でも、やっぱり、一度、自分が「諸悪の根源」と決めつけた女性、私の教授をエロラノベ作家にしてしまった女性に会うことがあれば、問いかけたい、問いかけなければならないと思い続けていたのだ。


 エリカは挑むような双眸で、このプロの女性ラノベ編集者を見つめた。矢萩洋子は正面からそのエリカの情熱を受け止める。

 ただ、矢萩洋子の瞳は、エリカの瞳に比べると少しだけ寂しげだった。

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