同盟の加盟人数が増えてもイイですか?

 女性の名前は矢萩洋子。

 未恋川騎士をデビューに導いたDT文庫の女性編集者である。

 エリカの思っていたイメージとは随分と違った。未恋川騎士を発掘し、育て、その後のエロラノベ作家という転身にまで導いていったというのだから、もう少し、年季の入った女性を勝手にイメージしていた。矢萩洋子と名乗った女性は、南雲教授よりも随分と若い。よ


「あなたの話は、未恋川先生……南雲先生って言ったほうがいいのかしら? から、いろいろ聞いていたのよ」

 と矢萩洋子は言う。


「そ……そうなんですか?」

 そう言ってエリカは少し、困惑しながらも、どういうことなのか説明を求めるような視線を南雲教授に向けた。南雲は「いやいや」と手を振りながら、変な誤解が生じないように説明を足した。


「まぁ、下吹越さんは唯一僕がペンネームバレしちゃった学生だからね〜。一応、それまでは矢萩さんの所で未恋川騎士の個人情報が流出しないように止めておいてもらっていたから、一応、こっちで漏れちゃったものに関しては情報共有しておかないとね。……と、まぁ、基本的にはそういうわけだよ」


 なるほどとエリカは手を打つ。確かに「エロラノベ同盟」を結んで、未恋川騎士のことは二人っきりの秘密だと思っていたが、そもそも、現実的に商業出版作品を世に出すに当たり、南雲仙太郎が未恋川騎士であることを知っている人間が他に居ないわけがない。そもそも、編集部の人は知っていて当たり前なのだ。そして、エリカは「編集部以外で」未恋川騎士の正体を知っている数少ない人間の一人だということになるのだろう。


「なるほど。必要最小限の情報共有ってことですね」

「……そ、そうなるかな」

 エリカが確認のために聞くと、南雲教授はポリポリと頬を掻き。視線を泳がせた。


 それを見て、矢萩洋子は愉快そうにクスクスと笑う。

「やっぱり、思ってた通りね。下吹越さん、面白いわ〜」

「え?」

「いや、南雲先生が学生さんに追い詰められるシーンなんて、まだ見たこと無かったし。それに、何だか、南雲先生モードと未恋川先生モードの扱い方の違いを熟知してる感じがするもの」

「そ……そんなことないですよ〜」

 褒められているのか、からかわれているのか分からずに下吹越エリカは照れて両手を胸の前で振って否定する。


 ちょうど店員さんが近くを通りかかったので、エリカはモンブランとイングリッシュブレックファーストの紅茶を注文した。


「昼下がりなのにイングリッシュブレックファーストなのね」

「あっ、ハイ。好きなんで。あとやっぱりミルクティーにした時に馴染むので」

 メニューを閉じると、エリカはテーブル脇のメニュースタンドに立てかけた。


「本当は南雲先生、あなたのこと色々喋ってたのよ。その内容も面白かったし、私も随分と興味を持っちゃった」

「え? いろいろって?」

「学生バレした時の話から、南雲先生が未恋川騎士になっていく経緯を教えたって話から、あと、あれね、突然、大きなお魚……、えっと……秋太郎って言うんだっけ?の切り身をもらったって話?」

 最後の一つは、母のせいで、自分のせいではないので、許して欲しいとエリカは思う。それにしても、何から何まで南雲先生はこの女性編集者に話してしまっているのではないか。必要最小限からは程遠い。


「先生……、人のプライベートを話しすぎですよ〜」

 ちょっと口を尖らせてエリカが南雲仙太郎を非難すると、南雲は「ごめんごめん」と自分の頭に手をやった。


「あら〜、でも、下吹越さんも、人のこと言えないわよ〜」

「え? どういうことですか?」

「あなたも、結構、赤裸々に先生のプライベートを話しちゃってるわけだし」

「え……私はそんな話、他の人にしてませんよ。第一、矢萩さんにお会いするのだって、今日が初めてですし……」

 なんの事だろうと、不可思議に思いながら返すエリカの顔に、矢萩は悪戯っぽい微笑みを返す。

「そんなことないわよ〜、……『上方カリエ』先生?」


(あっ……)


 矢萩洋子は「なりうぇぶ」上の下吹越エリカのアカウントを知っているのだ、そして、多分、あのエッセイを読んでしまっているのだ。

「先生、……言っちゃったんですか?」

 そう聞くと、南雲先生はフルフルと首を横に振った。

「言ってないよ、言ってない。直接的にはね。だから、言ったでしょ、ちょっとガードが無防備すぎるって」

「あっ……、じゃあ……」

 エリカが、目を遣ると、矢萩洋子は「そうっ」と愉快そうに頷いた。


「そ。個人同定しちゃいました〜。一応、担当編集者として、未恋川先生のツイートや『なりうぇぶ』での行動は、モニタリングしておりますので〜。で、最近、ちょっと先生と繋がっている『上方カリエ』ってアカウントを発見して、エッセイも見たりしていたら『あれ? これ下吹越エリカさんなんじゃない?』って。で、ちょっと未恋川先生に問い詰めたら、苦笑いしながら認めてくれたってわけ」

 エリカが南雲教授の方を見ると、南雲教授もウンウンと話を大筋で認めていた。


 「あー、やっちゃった」感である。南雲先生に注意はされていたが、エリカもどこかで「南雲先生だから分かったことだろう」と高を括っていた。

 こうも他人にバレる可能性があるということならば「エロラノベ同盟」のために、上方カリエのエッセイを消すか、アカウントについても残念だけど閉鎖した方がいいかもしれない。エッセイについては、最近では、ブックマークも数十件ついて、ちょっと楽しくなってきたところだったけど。


「そうですか……。『上方カリエ』もここまでですかね〜。やっぱり消した方がいいですよね……エッセイも」

 溜息がちにエリカが言うと、矢萩洋子はキョトンとした顔で「え、なんで?」とさも意外そうに言った。「あれ? そういうことじゃないの?」とエリカは少し驚いて白いタートルネックの女性を見る。


「もったいないじゃない。『上方カリエ』。面白いわよ、あのエッセイ。私もあのエッセイはブックマークして時々読んでいるのよ。現実の話なのに、ホントにコミカルで。初めて書いているとは思えないくらい面白いわよ」

「あ……、ありがとう、ございます」

 思い寄らないプロの編集者からのお褒めの言葉に、エリカは耳の先まで真っ赤になってしまった。その様子を見つつ、また、ちょっとエッセイの内容を思い出したのだろうか、矢萩洋子はクククッと笑う。


「でも、本当に題材が面白いわよね。多分、現実を正直に、日記みたいに書いているだけなんでしょうけど、上方カリエさんのエッセイは、その現実が面白いものだから、なんだか笑えてくるのよね。また、下吹越さん、真面目だから。なんか、それがまた、なんだかちょっとギャップで」

 褒められているのだろうか、からかわれているのだろうか。エリカは複雑な気持ちだった。でも、矢萩洋子に悪意は無いっぽい。


「なんていうか、まさに、現実は小説ラノベより奇なりね」


 そんな話をしている間に、店員さんがモンブランとイングリッシュブレックファーストを持ってきてくれた。南雲先生のお皿のチョコレートケーキは半分ほど残っているが、矢萩洋子のケーキは既に綺麗に無くなっていた。ちょっと後からの参加なので、遠慮せずに食べてしまおうと、エリカは「いただきます」と手を合わせた。


「それで、私が来るまではどんな話をされていたんですか? 凄い楽しそうでしたけど? 何でしたら、私に気を使わずに、お二人のお話を進めていただいても全然構いませんし、お気になさらず……」

 モンブランをパクリと口にすると、下吹越エリカは南雲と矢萩に「どうぞどうぞ」と水を向けた。


「あ〜、気にしなくていいよ。ブレインストーミング的にプロットの打ち合わせしてただけだから」

 そう言って、南雲仙太郎は机の上に広げられた書類を人差し指でトントンと叩いて見せた。

「プロット?」

 エリカがその書類を覗き込むと、いろんな文やキャラクター名が書かれては、それらが矢印で結ばれたり、その横に、ビックリマークや、星マークが付けられて、それぞれの横にパッと見ただけではよく分からないメモが記されていた。

 キャラクターの名前には、ハヤト、カナデ、ナターシャ、などの何処かで見た名前が並んでいた。


「――あ!」

 これはもしかすると、と下吹越エリカは顔を上げて未恋川騎士の顔を見る


「そう、『聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス』第四巻のプロットさ!」


 四十路の人気ラノベ作家は、悪戯っぽい微笑を、その顔に浮かべた。

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