初めましてでイイですか?

 それは、確かに南雲仙太郎だった。

 休日でいつものスマートカジュアルの服装ではないので、すぐには気付けなかったが、間違いない。プライベートな時間の南雲教授だ。

 いつもの教授室で話す時の楽しげな笑顔以上の屈託のない笑顔を、南雲仙太郎はその白いタートルネックセーターの女性に向けていた。


(誰だろう……?)


 下吹越エリカは相手の女性が誰なのか気になった。奥さんにしては、年齢が若いし、そういう雰囲気でもない。他の大学の研究者や先生などの仕事相手というには、雰囲気が砕けすぎている気がする。大学時代や高校時代などの昔の友人というには、やっぱり年齢が離れすぎていると思う。それでも二人はとても打ち解けた様子だった。


(……ちょっと気になる)


 エリカはつい首を傾げながら、そんなことを考えてぼうっと立ち止まってしまった。顔を上げた南雲仙太郎は白いタートルネックの女性を見ていたが、視界の端に映るエリカに気付くと、「あっ」と目と口を開き、エリカに嬉しそうに手を振ってきた。偶然の遭遇を喜ぶ少年のように。


(あ……、気付かれてしまった)

 

 エリカはちょっぴり「しまった」と思う。なんだか、単純にこの店で一人でお茶をするのが難しくなってしまった。別のテーブルに座っても何だか気になって、落ち着かなさそうだし、いきなり同席を申し出るのもおかしいだろう。

 別の店に行かないといけないかなぁ、とエリカが考えていると、店の中の南雲先生が右手先をクイクイと曲げてエリカに手招きを始めた。唇も「おいでおいで」というように動いている。


(え?……マジで?)


 同席すべしということだろうか。教授と見知らぬ女性とのツーショットに割り込むほど空気の読めない女子大生ではないし、混じっても何を喋っていいのか分からない。そもそも、なぜ呼ばれているのだろう?


 エリカが困惑している間に、南雲先生はその白いタートルネックの女性に何やら二、三言説明したようだった。女性は「あ〜」と頷くと、エリカの方に興味深そうな視線を送り、小さく頭を下げて会釈すると、その女性も右手を教授と同じように動かして、「おいでおいで」のサインを送ってきた。


(んーっ?)


 何故自分が呼ばれているのかまったく分からなかった。でも、何だかその白いタートルネックの大人の女性の方もエリカのことを知っているか、関心を持っているようだった。エリカは観念して二人に「せめて挨拶だけでもしていこう」と喫茶店のメニュー看板の横を通り、店内に入った。


 店内では休日の南雲教授と白いタートルネックの女性が共に手を振ってきてくれた。エリカは、ペコリと小さく会釈をする。南雲が店員さんに声を掛けて、椅子を増やしてもらうようにとお願いをすると、すぐに店員さんは隣のテーブルの椅子を一つ寄越してくれた。円形のテーブルで、比較的広さもあったので二人掛け席が、三人掛け席に変身する。


「やぁ! 下吹越さん、偶然だね。買い物?」

 南雲仙太郎先生の機嫌は良さそうだ。


 エリカも隣の女性のことが気にはなるが、いきなりズケズケと「あなたは誰ですか?」「この女性は誰ですか?」などと聞くわけにもいかない。エリカは、ちょっと居心地の悪さを感じながらも、いつも通りの受け答えに努める。


「あっ、はい。お休みなので、ちょっと買い物にでも来ようかなって。ここのところ卒論の調査とかで、引きこもりっぱなしだったので。気分転換も兼ねて」

「あ〜、本当に最近頑張ってるもんねぇ。一歩づつ進んでて、このまま本当に行けちゃいそうだよね、卒論。すごいすごい」

「……あ、ありがとうございます」

 褒めてもらえるのは単純に嬉しいが、「本当に行けちゃいそう」というのがどういう意味かは少しだけ引掛かった。卒業論文なので「行けちゃわ」ないと大変困るわけであり、行けない可能性があるのは極めて不味いのだが。


「下吹越さん、今日は一人なの? 友達とか一緒じゃない? もし、友達とか一緒なんだったら、あんまり引き止めても友達に悪いし」

「あ、大丈夫です。本当は柊ケイコと一緒に来る予定だったんですけど、彼女の予定がつかなくなって。でも、外出する予定にしていたので、家で腐っていても良くないので、思い切って一人で来ちゃいました」


 エリカは敢えて「友達と」と言わずに「柊ケイコと」とフルネームで言ってみた。一ヶ月程前にケイコと夜に電話で話してから、柊ケイコの「南雲先生攻略作戦」が進行しているのかどうなのかケイコからも報告を聞いていない。ただ、南雲先生がもう柊ケイコの顔と名前を一致させているのは間違いないと思う。


「あっ、柊さんか〜。うん、知ってるよ。そっか、それは残念。二人は仲良いんだよね?」

「はい。研究室は違いますが、一回生のときからの友人です。一番、仲良いくらいですよ〜」

 エリカは柊ケイコと南雲教授の間で何が起こっているのか、もし、本当に何かが進展していたらどうしようと、心の中でドキドキしながらも返した。


「そっかー。彼女も面白い子だよねぇ」

 そういって、南雲教授は楽しそうに微笑んだ。「面白い子」というのは全く他意の無いコメントとも取れるし、意味深な言葉と取ることも出来る。エリカは曖昧に「そうですね」と答えるしか無かった。


 そのやり取りを眺めていた白いタートルネックの女性が、ティーカップを口許に運び、一口飲むとソーサーの上に戻した。


「思ってたよりも、普通の教授と学生さんの掛け合いなんですねー」

 エリカは白いタートルネックの女性の方を見る。視線が合った。どこかその黒い瞳を通して、自分の考えが読み取られてしまいそうな気がする。目は笑っているが、どこか挑まれているような、そんな視線だった。


「……思ってたよりも?」

 エリカは少し当惑して、尋ねる。

「ええ、南雲先生、……いえ、未恋川騎士先生から、下吹越エリカさんのお話は聞いていましたから、どんな女の子なんだろう、ってずっと興味を持っていて……」

 女性はにこやかに添えた。


(南雲先生が、未恋川騎士だって知っている……?)

 

 エリカの背筋が凍った。


 南雲先生が未恋川騎士であることは、大学でも自分以外は誰も知らない。また、南雲先生は家族バレを避けているので奥さんやお子さんさえも知らないはずである。それなのにこの女性はそれを知っている。

 自分自身の秘密さえもが関わり出した「エロラノベ同盟」の秘密を、自分の知らないこの女性が知っているのである。この女性は誰なんだろう? とエリカの心を焦りを伴った問いかけが支配する。


「あ……、紹介がまだだったね」


 下吹越エリカが少し混乱していることに気づいたのか、南雲仙太郎はポンッと一つ手を打った。左手でその女性の方を指し示しながら、下吹越エリカに紹介した。


「こちら、矢萩やはぎ洋子ようこさん。DT文庫編集部、僕の担当の編集さんです」


(担当編集さん!?)


 矢萩洋子はおずおずと頭を下げて、エリカに改めて挨拶をした。


「初めまして下吹越エリカさん。未恋川騎士先生の担当をしています、矢萩洋子です。よろしくね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る