データベースにアクセスしてもイイですか?

 至近距離の大人の顔、無邪気な子供のようなその顔に、下吹越エリカはしばらく見入ってしまう。未恋川騎士であり、南雲仙太郎である顔だ。


「どうしたの?」

 南雲仙太郎は下吹越エリカの方に顔を上げる。


「あ……、なんでも、なんでもないです!」

 すこし挙動不審になりながら、下吹越エリカは両手を胸の前で小さく振った。

「そう?……じゃあ良いんだけど?」

 不思議そうな顔をしながら、南雲教授は身体を起こした。


 この前のゼミで下吹越エリカの卒業論文のテーマが暫定的ではあるが決まった。『小説投稿サイトにおけるソーシャル・ネットワークのネットワーク分析とインセンティブ・メカニズムがそれに与える影響の解析』である。

 なかなか長い暫定タイトルで、意味が取りにくいかもしれないが、早い話が「なりうぇぶ」の中で、ユーザ間のフォロー関係や、お気に入り関係、相互の感想のつけあいなどのSNS的なコミュニケーションを分析しようというものだ。それらのデータを取得して、ネットワーク科学の理論が教えるところの手法に基づいて分析しようというのが前半部分である。


 後半の『インセンティブ・メカニズムがそれに与える影響の解析』は「なりうぇぶ」のポイントシステムに関わる。「なりうぇぶ」では作品に対してユーザが相互にポイントを付けることが出来て、これに基づいて作品のランキングが表示される仕組みがある。日々のツイッターを見ていても、この「ポイント欲しさ」に影響を受けたソーシャル・ネットワーク上のコミュニケーション行動が頻発していた。


 下吹越エリカが観察していた期間でも、各ユーザの「ポイント欲しさ」に付け込んだ事件が生じていた。あるユーザがツイッターのダイレクトメッセージで「君の作品は素晴らしい『なりうぇぶ』NO1だ。ポイントを入れたので自分の作品も応援して欲しい」といった趣旨のメッセージを多くのなりうぇぶユーザに送りつけては、フォロワーとポイントを稼いでいたという事件だ。その真相が公になって、一部のなりうぇぶユーザの間でお祭り騒ぎになっていた。冷静になれば、怪しいということがよく分かるが、みんな自分の作品が褒められると嬉しいし、ポイントも欲しい。多くの無垢イノセントなユーザが実際に巻き込まれた。結局、そのユーザのアカウントはなりうぇぶ運営側によって凍結されたのだが、この事件は多くのユーザに教訓と精神的な爪痕を残したのだった。


 この事件は極端な例ではあるが、「なりうぇぶ」上のフォロー関係、お気に入り登録ブックマークといったコミュニケーション行動が、ポイントシステムというメカニズムに強く影響を受けているのは明らかだ。「何万人、何十万人というユーザが、こういうメカニズムの上で、歪められバイアスされたコミュニケーション行動を取らされているのではないか?」というのが南雲教授の提示した問題提起であり仮説であった。

 下吹越エリカはその後、先行研究調査でインターネットの文献検索サイトなどを使って類似研究が無いか調べてみたが、少なくとも国内には類似の研究はほとんどどなかった。そこに南雲教授の研究テーマ設定の妙手を見た気がした。


 さて、いずれにせよ、そのような研究を行うためには、実際の「なりうぇぶ」上でのフォロー関係やお気に入り関係に関わるデータを取得しなければならない。


「それって『なりうぇぶ』の運営会社にお願いとかするんですか?」

「そんな訳ないだろ〜。APIエーピーアイがあればそれで取得するし、なければクロールしてHTML解析だな」

 ゼミで尋ねたエリカの素朴な質問に、南雲教授は事も無げに答えていた。


 APIというのは一部のWEBサイトで公開されているデータベースへのアクセス方法だ。普通のWEBサイトへのアクセス方法とは異なる特定のやり方でプログラムからWEBサイトへアクセスすると、APIの機能が許す範囲で、そのWEBサイトのデータベースから情報を取得することが出来るのだ。

 幸いなことに「なりうぇぶ」は「なりうぇぶAPI」と呼ばれるAPIを提供していた。それを使うことである程度の事は出来そうだった。


「ラッキーだったね、『なりうぇぶ』にAPIがあって。これで、必要なコーディングの時間とか、取得時間は一気に短くなるよ。しかもRESTレストだし、初心者にはやりやすいんじゃないかな?」

RESTレスト? 休憩とかですか?」

「あ、いや、……んー。ま、気にしなくていいや、こっちの話」

 南雲教授は、時々、いや、頻繁にエリカの分からない言葉を使う。本当のことを言えば、教授の話す全部の言葉の意味を知りたいのだが、それをやりだすと本当に「キリがない」ことを既に身に沁みて知っているので、南雲教授が説明しないと判断した言葉については、エリカも基本的には更に尋ねたりはしないことにしていた。


 今日、教授室を訪問したのは、まさに、その「なりうぇぶAPI」の利用に関しての相談だった。ここばかりは、プログラミング初心者の下吹越エリカには、色々調べてみても意味がよく分からなかった。

 この「なりうぇぶAPI」を使えば、例えばユーザ「未恋川騎士」が誰をフォローしているか、誰にフォローされているか、というような情報を取ることが出来るらしかった。お気に入りに登録している作品のリストも公開されている情報に関しては取得することが出来るらしい。なので、これを使いこなせれば、今回の卒業論文に必要なデータは取得することが出来るように思われる。


「まぁ、確かにこのあたりのインターネットに繋いだプログラミングのやり方とかAPIの扱い方みたいなものは、プログラミング演習でやるような課題とは随分と感覚が違うからなぁ。壁にぶつかっても仕方ないと思うよ」

 そう南雲先生に言われて、下吹越エリカは少しホッとした。


「えっとね、『なりうぇぶAPI』のチュートリアルみたいなサイトあるでしょ?」

「……これですか?」

 下吹越エリカはブックマークしていたWEBページを開く。「なりうぇぶAPIチュートリアル」とタイトルに書かれたページには、色々と良く分からない専門用語と共に「なりうぇぶAPI」の使い方が解説されていた。解説されてはいるのだが、それはPythonパイソンのプログラムの作り方についてのものではなかった。

 下吹越エリカは「それで結局のところ、自分の場合ではどうしたらいいのか?」さっぱり分からずしまっていたのだ。


 どうしようもなくなって、一色先輩に聞いていたのだが「私も、この辺はあんまり得意じゃなくて……」と助けを得ることができず、柊ケイコの警告を気にしながらも「まぁ、週に一回くらいなら大丈夫かな」と、南雲教授室を訪問たのだ。


「まずは、Pythonパイソンのプログラムを作るってところから離れて、このチュートリアルの教えてくれるところに素直に追うんだよ。そのあとで、それをPythonパイソンから出来るようにするっていうのが流れかな?」

「えっと、……すみません、具体的には何をしたらいいんでしょう?」

「そうだなぁ、例えば、ここに書いてあるURLあるでしょ?……そうそう、フォロワーリストの取得の項目」

「あっ、ハイ」

 南雲教授が指差すブラウザ上にはWEBサイトのURLのようなものが書かれていた。「URLってただのリンクじゃないの? プログラミングと関係ないんじゃないの?」とエリカは不思議に思う。


「これを弄ってみよう。とりあえず、これをコピペして、ブラウザのアドレスバーに入れてみて」

「……ちょっと、待ってくださいね」

 エリカはトラックパッドを操作して、指差されたURLをコピーし、アドレスバーに貼り付けた。

「はい」

「オッケー、オッケー。そのURLにユーザIDのパラメータあるでしょ?」

 指差された先のURLの一部には「?userid=nariweb_testuser」という文字列があった。たぶん、これが、南雲教授の言っているユーザIDのパラメータを表しているのだろう。


「えっと、ユーザIDっていうのは、この『nariweb_testuser』っていうのですか?」

「あ、そうそう。たぶん、その『nariweb_testuser』っていう名前は運営サイドのテストユーザIDだよね? なりうぇぶのテストユーザってことかな? で、だから、そこに、例えば僕のユーザIDを入れてみる」

 そういって、腕を伸ばすと、南雲教授は躊躇なく自分の「なりうぇぶ」でのユーザ名を打ち込んだ。そのキータッチは物凄く速く、そして軽やかだった。


 ――knight_of_mirengawa


 そして、南雲仙太郎はエンターキーをコンッと押す。


 すると画面が遷移して、真っ白な背景に、なにやら良く分からないアルファベットの文字列の並びが大量に表示された。それは何処かのWEBサイトというよりも、何かのデータをそのまま表示しているようなページだった。見慣れない画面に、エリカはそれが何なのかさっぱり分からない、という顔をする。


「これが僕のアカウント、未恋川騎士のアカウントをフォローしているユーザの一覧なんだ」

「へぇ〜……」

 そのアルファベットの並びは、未恋川騎士がフォローされているユーザの一覧表を表しているらしかった。いつもWEBサイトで見ているフォロワーの一覧が、こんな形で取得されるのかと、エリカは新鮮な気持ちでその味も素っ気もない白黒のページを眺めていた。

 でも一方で、これは本当にちゃんとWEBサイトで表示されるユーザリストと同じなんだろうか? と、そんな疑問が頭をもたげる。

 その疑問の先手を打つように、南雲仙太郎はコントロールキーとFボタンを押して、ブラウザのページ内検索を立ち上げると、何かの検索を始めた。


「ちゃんとフォロワーリストが全部とれてるか、疑問に思っているかもしれないけど。……例えばこうやって、ユーザ名を検索すると……」

 そう言って、南雲教授は、軽やかにブラインドタッチでアルファベット列を入力していく。


 ――karie_kamikata


 エンターキーを押すと、一件の検索ヒットが表示され、該当箇所が、黄色くハイライトされた。そこには間違いなく「karie_kamikata」つまり、下吹越エリカのユーザ名である「上方カリエ」のユーザIDが黄色くハイライトされていた。


「ほらね。僕をフォローしてくれている君のユーザIDもちゃんと入ってるでしょ?」

 南雲仙太郎はにこやかに笑った。


 しかし、その教授の無邪気な行動に、エリカは驚き硬直してしまうのだった。


「……先生、……なんで私のユーザID知ってるんですか?」


 エリカはこれまで一度も、自分の「なりうぇぶ」のユーザIDを南雲に伝えたことは無かったのである。

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