プログラミング言語の話をしてもイイですか?
東山キャンパス総合C棟の
ノートパソコンを開いて四人掛けのミーティングテーブルに座る下吹越エリカ。その隣の椅子を引き、南雲仙太郎は「よいしょ」と腰掛けた。
四人掛けのテーブルなので斜向いや、正面に座るという選択肢もあるのだが、下吹越エリカの隣に座る南雲仙太郎に躊躇は無い。下吹越エリカにもそれを咎めるような様子は見えなかった。
南雲はエリカのパソコンの画面に開かれたブラウザとエディタを覗き込む。
「下吹越さん、
「えっと……、一通り出来るようになったかはわからないんですが、二年生の時にC言語でやった課題? みたいなのは、一通り
エリカはそう言うとカバンの中から、蛇の絵が書かれたテキストと、オレンジ色のレファレンスブックを取り出した。共にA5サイズの装丁だが、分厚さは親指の長さくらいある本だ。
「さすが下吹越さん、仕事が早い、仕事が早い」
南雲仙太郎は嬉しそうに手を叩いた。
「あ……ありがとうございます」
ちょっと嬉しくなりながら、首を前に出しお礼を言う。
「簡単だったでしょ?」
「あ……はい。二年生のときの演習に比べれば……。C言語でみんなが苦しんでいたポインタとかが、全然出てこなくて、みんなで苦労していたアレは何だったんだろうなぁ〜? って思いました」
本当に
いろいろインターネットで調べていたら、最近は、ロボットや人工知能の研究なんかでも
「まぁ、C言語のレベルで触るから理解できる計算機科学の妙味もあるからなぁ〜」
「でも、総合人間科学部の学生って、ほとんどエンジニアになるわけでも、理系の研究者になるわけでも無いですよね?」
「そう。まっ、おっしゃる通りなんだよね〜。総合人間科学部でプログラミング演習やるにしても、C言語じゃなくてもいいんじゃないかって議論は、教授会でも時々あるんだよ」
「あ、そうなんですか? じゃあ、近いうちにプログラミング演習の授業が
エリカはそれは妙案だと思う。二年生のプログラミング演習のことを嫌いな学生は総合人間科学部には大変多い。でも、プログラミング言語が
「……うーん、『近いうち』には難しいだろうなぁ」
「なんでです? 絶対に、学生たちにとってはこっちのほうが勉強になると思うし、楽しいと思いますよ」
エリカの素朴な疑問に、南雲先生が腕を組む。
「まぁ、カリキュラムを変更するのは四年に一回くらいだってこととね、あと、カリキュラム全体が二年生のプログラミング演習でC言語をやることが前提になっちゃっているから、それ以降の他の科目の内容に全部影響を与えちゃう可能性があるんだ。他の授業担当の教授とか講師さん全員の合意を取らないといけないからなぁ〜。
「……合意が取れないんですか? こんな便利なんだから、他の科目も
正直なところ、総合人間科学部ではプログラミング言語を使うような授業はほとんどない。もしかしたら、他のゼミや、自分の登録しなかった実験・演習科目でC言語を使っている授業があったのかもしれないが。
「便利だって言っても、それを知ってるのは『
「……あー、なるほど」
エリカは学部の年配の教授陣を頭に思い浮かべていた。確かに、先生方がそういうプログラミング言語の最近の事情なんて知っているとは思えなかった。
「下吹越さん。変革に向けた合意形成っていうのはね、そもそもそのシステムの構成員に、その合意の基盤となる共通知識とか共通認識を形成するのが最初のステップなんだ。そこを実施するのにも多大な
「……そういうもんなんですね〜」
社会システム研究者らしい南雲仙太郎の解説に、下吹越エリカは感心して頷いた。自分は、南雲教授が言っていることは半分くらいしか理解できていない気もするが、なんとなくのニュアンスは分かったと思う。
「ちなみに余談だけど、
そういうと、南雲先生は遠い目をして、天井を見上げた。あまりに具体的な説明に、エリカは「きっと似たような話が実際にあったんだろうなぁ」と拝察した。エリカは大学教育の裏舞台の闇を少しだけ覗いた気がした。
そして、この話題はそっと脇に置くことにした。
「で、先生っ! それより、私の卒論のプログラムですよっ!」
閑話休題とばかりに下吹越エリカは机の端をバンバンと叩いた。
「あ、そうだった。どれどれ? 今、どんな感じなの?」
南雲教授は下吹越エリカのノートパソコンの画面を覗き込んだ。
南雲の身体が下吹越エリカの身体に少し寄る。その勢いで、南雲仙太郎の左腕が、エリカの右腕に押し当てられた。その距離感と皮膚感覚にエリカはドキリとする。
身体の接触が意識される。
エリカが画面から視線を右方に移すと、息が触れ合いそうな至近距離には未恋川騎士の顔があった。瞳に童心のような好奇心の煌めきを宿した、未恋川騎士の顔があった。
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