真夜中に親友とお電話してもイイですか?

 その日の晩、エリカはスマートフォンを片手に家のベッドに座っていた。膝の上に載せたクッションを抱きしめながら、馴染みの声を電話の向こう側に聞いていた。


『――え〜っ、マジで? 結構キツそうじゃない? それ?』

 電話の向こうは親友の柊ケイコだ。


「そうなの。これまでは関連書籍の読書ラッシュと勉強ラッシュって感じだったんだけど、ここに来てプログラミングまで出てくるとか予想外だよぉ〜」

 柊ケイコとは同じ学部、同じ学科で、大学の四年間ずっと一緒に仲良くやってきた。二人はサークル活動などに関しては別々だったのだが、授業で一緒になる中で不思議と気が合い、お昼には時々お茶したり、夜にはこんなふうに長電話をしたりする。


『それにしても、なんか、よくわかんないけど、なんでそんなサイト……えっと「小説家になりたくてWEBうぇぶっ!」だっけ? そんなサイトを題材にすることになったの? SNSなら、ツイッターとかフェイスブックとかLINEとじゃないの? 普通?』

 勉強のことになると、その内容にはいつも俄然スルーな柊ケイコだが、ちょっと食いつく。SNSという身近な話題だからだろうか。そして、ちょっと勘がいい。


「あ、うん。そうなんだけどね。やっぱり、ツイッターとかフェイスブックの研究はこれまでにプロの研究者が一杯やっていて、もう私達みたいな卒業研究生が踏み込めるような課題は少ないんだって」

 嘘ではない。脳内でエロラノベ同盟的な意味での警戒ワーニングを響かせながら問題の無い言葉を選んでエリカは答えた。嘘ではないが、本当の全てでもない。本当のことは言えない。


『ふ〜ん、そうなんだ〜。でも、WEB小説の投稿サイトって、なんか、マニアックじゃない? よく知らないけど、オタクの巣窟って感じ。そういうのって研究して意味あるんだ〜?』

 相変わらず容赦の無い突っ込みである。その一方で、本人には悪意がまっく無いと聞いていて分かる辺りがまた凄い。「ある意味で、ケイコの才能だなぁ」といつも思う。


「あ、うん。なんだか、私もよく分からないんだけど、『なりうぇぶ』含めてWEB小説投稿サイトって、今、凄いらしの。日本のカルチャーに与えている影響が計り知れないんだって!」

 再び、嘘ではない。ちなみに、鴨井ヨシヒトの受け売りだ。


『マジで〜? でも、どうせ、アニメとかマンガとかゲームとかばっかりのオタク文化だけの話なんでしょ?』

 相変わらず、屈託なく、オタク文化に鉄串をぶっ刺す柊ケイコである。


「ううん。それが違うんだって。映画化とかされてる作品もあって、実は私達も知ってるような作品がWEB小説発だってことも結構あるんだって〜」

『え〜、ホント? どんなやつ?』

「えっと、例えば、ケイコもこの前見たって言ってた『君の膵臓すいぞうを食べたい』ってあるじゃない? あれも、元々はWEB小説だったんだって」

『え、マジで? 「君の肝臓かんぞうを食べたい」も、そういう投稿サイトのやつだったの?』

「えっと『君の膵臓を食べたい』ね」

『うん』

「そう」


 柊ケイコは元カレと『君の膵臓を食べたい』を観てきたといつか言っていた。それが、一つ前のカレなのか、二つ前のカレなのか、下吹越エリカはよく覚えていないが、ケイコは二人で観てとても感動したと言っていた。映画館で原作の小説まで衝動買いしてしまったと。


「だったら凄いじゃんッ! 北村匠海くん、超カッコよかった」

「あ、……う、うん」

 ケイコが言ったのは主役の俳優の名前だ。ケイコが俳優を気に入ったかどうかは、「なりうぇぶ」の価値には何の関係も無いはずであるが。自分の好きになった映画がWEB小説発だと知り、一瞬で肯定側に回った柊ケイコのフットワークの軽さに、下吹越エリカは苦笑いを浮かべた。


『へー、そっかぁ、キミスイに繋がっていることが、エリカの卒論のテーマになるんだ。そう考えると、なんかイイよね〜』

「そう……、そうだねー」


 実際のところ「君の膵臓を食べたい」とエリカの卒業論文のテーマとの間には大きな隔たりがあるのだが、まぁ、ある意味では繋がっていなくはないので、エリカはわざわざ否定はしないことにした。


(フルネームで呼ぶ時はいつも『君の肝臓を食べたい』って間違えるのに、略称で呼ぶ時はキミスイって間違いなく呼ぶんだ……。まぁ、キミカンは無いしな〜)


 と、同時に、しょうもない事実にエリカは感心する。いずれにせよ、エロラノベ同盟の防衛ラインは、本日も大きな被害なく守りきれたようであった。


『そっかー、でも、これからプログラミングの勉強って大変だね〜』

 柊ケイコは本当に心配そうな声を掛けてきてくれる。いろいろと歯に衣着せぬ物言いが目立つケイコだが、基本的には友達思いのいい子なのだ。


「そうなの。先生や先輩は『思っているほどは難しくないよ』って言うんだけどね」

『その「思っているほどは」って微妙な表現よね。そもそも、先生や先輩にエリカが何を思っているかなんて分かるわけ無いし〜。めっちゃムズいのかもよ〜!』

 ちょっと心配気味なエリカの声に、ケイコはあっけらかんとした声で現実主義リアリズム的な突っ込みを入れる。柊ケイコのこういう身も蓋もない思考パターンは一体どこから出て来るのだろうかと、時々、エリカは感心してしまう。


「そうよね。……でも、先生だけじゃなくて、先輩も言ってたし、多分、大丈夫なんだと思う」

「うん。エリカが大丈夫だったらいいんだけどね。まぁ、エリカだし、大丈夫かな〜。私はプログラミングとか超苦手。あの、二回生の時にあったじゃん? プログラミング演習? あれ、もう悪夢だったわ」


 下吹越エリカや柊ケイコが所属する上叡大学総合人間科学部では、二回生の時にプログラミング演習という大変人気の無い科目がある。C言語を使って基本的なプログラミングの文法やアルゴリズムの勉強と演習をするのだ。なんだか、コンソール画面とかいう文字だけしか出てこない入出力画面の上で、関数を作ったり、文字列を並び替えたり、ひたすら地味なことをやるのだ。

 エリカなどはそれでも真面目に取り組んでいたし、そこそこいい成績を取っていた。しかし、柊ケイコなどは早々に諦めて単位だけとるために男子の友人をかどわかしてソースコードを調達するなど、かなり、ヤバイことをやっていた記憶がある。


『C言語使うの? プログラミング演習でやった?』

「ううん。なんだか、パイソンPython?っていうの? 先輩曰く、C言語の百倍くらい簡単なプログラミング言語があるんだって。それ使ったら、随分簡単に出来るかもって言ってた」

『へー、そうなんだ。だったら、なんで、そのパイソンっていうので、プログラミング演習やらないんだろうね〜』

 言われてみればその通りだ。さすが、柊ケイコである。

「あ、ほんとだ。そうだよねー」

『ねー』


 今度、南雲先生に聞いてみようと、下吹越エリカは思うのだった。


『プログラミングは大変そうだけど、エリカは南雲先生と仲良いから、また、教えてもらっちゃえばいいよね』

「あ、……うん。先輩がね、すごく、優しい大学院生の先輩がいて、一色先輩って言うんだけど、その先輩にも教えてもらえそうだから、基本的には先輩にも教えてもらうつもり」

『いいなー、優しい先輩っ。でも、私がエリカの立場に居れたら、先輩なんてスルーして、これをチャンスにどんどん南雲先生に聞いちゃうな〜』

 柊ケイコの電話越しの声が少しあでやかに変色した。


「え、でも先生だって忙しいから、そんなに頻繁に教授室に伺うっていうのも……」

『えー、大丈夫だよぉ〜。恋と愛の情熱は何事にも優先されるんだよ〜?』

 エリカが躊躇い気味な返答に、柊ケイコは電話越しに持論を展開した。ただし、そのケイコの言葉にエリカは引っかかる。


「恋と愛って……?」

『え? 南雲先生のこと』

 事もなげに、電話越しに柊ケイコはサラリと言う。


「ケイコ……、南雲先生のこと『狙っちゃおうかな』とか言ってたの、冗談じゃなかったの?」

 エリカは九月末のカフェでの会話を思い出す。あの時、ケイコは「本気で狙っちゃおうかな〜って、思っていた時期があった」とか言っていた。でも、今は、そうでは無いと言っていた気がする。でも、エリカが「不倫は大丈夫じゃない」と言ったら「関係なくない?」とか言っていた気もする。


『やだなぁ、エリカ。私は冗談だなんて、一言も言ってないよ』

「じゃあ……」

『うん、結構、最近、本気になっちゃおっかな〜、なんて思ってたりして〜』


 エリカは、スマートフォン越しに突然なされたケイコのテヘペロ不倫宣言に、クラリと来た。

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