エロラノベの定義を聞いてもイイですか?

 ――『聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス』はエロラノベではない。あれは、異世界転移系の王道ファンタジー小説だ!


 自信に満ちた南雲仙太郎の立論に、下吹越エリカは思いがけず息を飲んだ。


(あれが、エロラノベじゃないというの? あれが……、エロラノベじゃ無いっていうの?)


 下吹越エリカは頭の中で「聖☆妹伝説 アポカリプス」のイラストや内容を思い出していた。

 一巻の表紙を開いた途端に目に入ってくる胸を揉まれるエルフの少女のカラーイラスト。登場シーンの度に、ほぼ毎回、全裸にされる妹のカエデ。主人公に唇をせがんではディープキスを繰り返す女魔法使い。どう考えたって男の子のエッチな興味を引くことに全力をかけているライトノベルではないか?


「先生……。でも、王道ファンタジー小説って言う割には女の子が裸のシーンとか、胸を揉むシーンとかが多すぎる気がするんですが……」

 エリカは、おずおずと遠慮がちに反論に入る。


「まぁ……、君にもいろいろ言いたいことはあるかもしれないが、実際に内容をちゃんと読んでもらえば分かるさ。表紙と挿絵からは、その、『えっちぃシーン』が多そうに見えるから、そんな風に思われがちだけどね。ストーリーはちゃんと王道ファンタジー小説なんだ」

 南雲仙太郎の熱を持った瞳が、無垢なうら若き女性の双眸を捉えた。

 「読んでみればわかるさ」とその真剣な眼差しが語っていた。


「……えっと、私、『聖☆妹伝説 アポカリプス』の一巻と、二巻、両方とも買って読んだんですけど……」

 下吹越エリカは実は既に二巻目も買って読んでいた。

 突然の「私は読者です」宣言に、弾かれたように南雲教授の表情が変わる。

「……えっ? 買ってくれたの? 読んでくれたの? ありがとう! どうだった?」

 本当に作家という生き物は読者が大好きなのだ。

 そしていつも、その感想が気になってしまう。これはあらゆる作家の悲しい性質サガである。


「えーっと、うーん、一言では言い表せないので難しいです。そもそも私、ライトノベルって読むのほとんど初めてだったので……」

「そっかぁ……。でも、下吹越くんは『聖☆妹伝説』のイラストを見たり、あらすじを読んだだけじゃなくて、中身をちゃんと読んでくれた上で、あの本の事を『エロラノベだっ!』て言ってたわけだ?」

「はい」

 南雲教授はちょっと難しそうな顔をして「うーん」と腕を組んで俯いた。しばらくして顔を上げると下吹越エリカに素朴な質問を投げかけた。


「一巻のストーリーってどうだった? ラストシーンとか?」


 南雲の問い掛けにエリカは「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」の第一巻のストーリーを、そして、頭の中のヴィジュアルイメージを追った。


 最後のクライマックスは妹のカナデを救うために魔族に従う魔竜ドラゴンと戦うシーンだ。ファンタジーとしては物凄くスタンダードなクライマックスだが、その王道な展開でも、展開や描写に鬼気迫るものがあり、正直なところ、ちょっと感動した。


「……ちょっと感動しました」

 負けを認めるわけではないが、正直に感想を述べた。

 エリカが視線をあげて南雲教授の表情を伺うと、南雲は「あ……ありがとう」と顔を赤らめていた。


(……自分で聞いといて、照れるんかいっ!)

 エリカは思わず、心のなかでツッコむ。


「でも、ラストシーンが感動したからって、あのお話がエロラノベじゃないってことにはならないと思います。王道ファンタジーのエロラノベだってあっていいじゃないですか!」

 なおも下吹越エリカは食い下がる。エリカとしては何も難癖をつけているつもりはない。きわめて常識的な見地から食い下がっているつもりだ。


「もちろんそうだ。『王道ファンタジーのエロラノベだってあっていい』。確かに、そこは重要な論点だ。それを否定するような議論立てを、僕も無意識にしていたかもしれないな……。そこは認めよう」

 エリカの反論の中に含まれる論理的整合性と、自らの立論の中に含まれていた暗黙的な誤謬に対する指摘を引き受けて、南雲は冷静に受け答える。この辺りは流石、真理の追求を究極目的とするプロの学者である。


「……だったら……」

 小さく口を尖らせる下吹越エリカを、南雲仙太郎は右手を前に出し、厳かに制した。


「しかし、それでも、『聖☆妹伝説 アポカリプス』がエロラノベだということには、ならないのだよ」

「……どうして?」

 下吹越エリカが唇の微かな隙間から疑問符のつぶやきを漏らすと、南雲仙太郎は確信に満ちた眼差しで、エリカの瞳を見つめ返し、その問いに答え始めた。


「その理由は、『聖☆妹伝説 アポカリプス』では、その物語を通して、主人公が彼を取り巻く女の子達に、たった一度も……」


 そこで、一度、躊躇うように南雲仙太郎は言葉を止めた。

 下吹越エリカは息を呑んで、南雲教授の、いや、未恋川騎士先生の次の一言を待った。

 

 一瞬の沈黙を越えて南雲仙太郎は宣告した。


「たった一度も、挿入そうにゅうしていないからだっ……!」


 ――つくつくぼーし、つくつくぼーし……


 建物の外では季節外れの蝉が哀愁漂う鳴き声を立てている。


 南雲仙太郎の双眸は歓喜とも言える確信に満ちていた。

 一方、その目の前では、下吹越エリカが、鳩が豆鉄砲を食ったような表情でぽつねんと座っていた。


(この人は、一体、何を言っているんだろう?)

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