挿入してもイイですか?

 ――この作品がエロラノベでない理由は、登場する美少女たちに……、


「たったの一度も主人公は挿入そうにゅうしていないからだっ!」


 南雲教授は、勝ち誇った顔でそう言った。 

 だから「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」は、エロラノベではない、ということだろうか。主旨としてそういう事だろう。


「先生……。セクハラ……、じゃないですか……?」

 正直、今更ではあるが、下吹越エリカが呟くようにツッコむ。「あ、ごめん」と南雲は固まった。

 しかし、ツッコむべきはそこじゃない。いや、そこだけじゃない。


「あの、……あんまり、その、こういうことをあまり口にしたくは無いんですが……、エロラノベかどうかって、その……男性と女性が交わる、……その、……セックスシーンがあるかどうかが判定基準ってことを仰っているんでしょうか?」

 なんとか直接表現は避けようと努力したが、流れに屈して下吹越エリカはセックスという直接表現を使ってしまった。平静を装おうと努力するが、頬が恥ずかしさで少し赤くなる。

 そんなエリカの質問に、南雲仙太郎はコクリ頷く。


「でも、何かの審査基準はそうなのかもしれませんが、普通の人にとっては、それさえなければOKということにはならないんじゃないでしょうか……?」

 エリカも簡単には引き下がらない。この部屋で、世間の常識を代弁するのはどうやら自分しか居ないらしいのだ。


 南雲教授は、下吹越エリカの「セクハラじゃないですか」発言に急にドギマギし始めながらも、エリカの指摘に抵抗を示す。

「で……でも、R18かどうかは普通のラノベかエロラノベかの大きな境目では……?」

 ちなみに、大学教授にとってセクハラは生命線だ。多くの大学で、大学教授は一度、教授職に就けばそうそう首を切られることは無い。そういう意味では、現在の日本において大変守られた雇用だ。しかし、セクハラとパワハラ、アカハラといったハラスメントだけは例外だ。セクハラで大学を追われる教員は全国的に少なからずいる。そして、ほぼ漏れなく大学教授のセクハラネタは新聞紙面にも掲載され、社会生活、私生活、家庭生活にも大ダメージを受けるのだ。


 南雲仙太郎は、自分が、今、大変危ない橋を渡っているという事実を改めて認識していた。

 下吹越エリカは一つ溜息をつくと、右肘をついて手の平の上に頬を乗せる。


「それは何というか、サイトの規約とか、条例とか法律的にはそうなのかもしれないですけど、現実的には多くの読者が『エロい』と認識していたら、その時点でエロラノベなんじゃないでしょうか?」

 南雲は腕を組みながらも、エリカのその指摘に「うーん」と考え込んだ。 


「……確かに下吹越くんの言うことにも一理あるなぁ。エロラノベかどうかは受け手次第ということか。エロラノベという概念は内包ないほう的に定義づけられる概念ではなく、受容者により社会的に構成される概念であるということか……」

 どうやら教授も下吹越エリカの理屈に少し納得してくれたらしい。自分の理屈が、理屈や理論のプロとも言える大学教授に届いたことに、下吹越エリカは少し嬉しくなった。ただし、南雲が後半で口にした難しい言葉については何のことだかさっぱりわからない。

 わからないが、まぁ、それはそれとして、下吹越エリカは指摘を重ねる。


「そうですよ! 第一、なんであんなに、女の子の全裸シーンとか、おっぱいを揉むシーンとか出てくるんですか? いくら読者サービスと言っても、王道ファンタジーとしては多過ぎですよ」

「いや、あれは、主人公の魔法力マナを仲間に注入するためにだな……」

 南雲仙太郎は間髪入れず、設定から論理的に説明しようと新たな論点に機首を向けて応戦するが、

「先生。今は、お話の設定の話は置いておきましょう。その設定を作ったのも先生なんですから」

 即座に下吹越エリカの対空ミサイルで迎撃された。


「それもそうだな。下吹越……、今日はなかなかキレがいいな」

 打ち落とされた指導教員は、凹むことなく、むしろ、教え子の批判的思考力の高さを嬉しそうに褒め称えた。この辺りは、さすがに論理と真実、批判的思考を重んじる大学教授である。


「あ……ありがとうございます」

 一方で、下吹越エリカは、急に褒められて、なんだか驚いたような、嬉しいような、腹が立つような、複雑な気持ちになった。

 なんだかテンポが狂ったが、気を取り直して、下吹越エリカは説明を続ける。


「百歩譲って、女の子の胸を揉むシーンとか、全裸でキスされるシーンが、設定上必要だったとしてですよ? どうして、女の子が胸を揉まれる際に、いっつも主人公は背後から揉んでいて、読者に女の子のオッパイが丸見えになるカットになるんですか? これは、もう、必要性どうこうじゃなくて、完全にエッチなシーンを期待する男性読者のためでしょ? そこに物語上の現実的な必然性は無いじゃないですか?」


 下吹越エリカが人差し指を立てながら指摘した。まるで、自分が「聖☆妹伝説」を読み込んだ人間みたいになっていることに違和感を覚えながら。

 しかし、その指摘を聞き終えると、南雲教授は腕を組んで伏せていた顔をむくりと持ち上げた。その表情は、これまで以上に真剣そのものだった。


「それは違うぞ、下吹越くん……」

 黒縁メガネの奥の教授の双眸は、真摯な思考の煌めきを宿していた。


「何が違うんですか……?」

 あまりの真剣な眼差しに、下吹越エリカも先ほどの先生からの賛辞をも忘れ、椅子の上で後ずさりしてしまう。


「下吹越くん……こんなことを聞いていいか分からないんだが……。君は男性に前から胸を揉まれたこと、および、後ろから胸を揉まれたことはあるか?」


 完全にアウトである。


「先生……。セクハラ……」


 いわゆるジト目で、下吹越エリカは南雲仙太郎の顔を「幻滅しました」とでも言わんばかりににらみ返す。


「う……うぐっ」


 これは完全にアウトである。世界中の健全な上司や教授を始めとした健全な男性各位は絶対に真似をしないでほしい。絶対にである。ここは、南雲仙太郎が弁明するエロラノベ作家であるという立場上、致し方なく行った発言であるということで、一旦許容することにして、二人の会話を進めたい。


「まぁ、もし、もう百歩を追加で譲ったとしてですよ? そして、先生の、そのあからさまなセクハラ発言を寛大な私が不問に付すとして……ですよ?」

「……助かります」

 失言を認めて、全国ネットテレビ放送の謝罪会見で陳謝する企業の重役のように、南雲仙太郎教授は深々と頭をさげた。


「それで、私が男性に胸を揉まれた経験と、エルフのナターシャが後ろから胸を揉まれることがどう関係するんですか?」

 下吹越エリカが、そっと、「聖☆妹伝説セイント・シスター・レジェンド アポカリプス」のキャラクターの名前を会話に挿入すると、それだけで、南雲仙太郎はちょっと嬉しそうになった。そして、その、ちょっと嬉しそうになったせいで、また、勢いづいて南雲教授は熱を帯びた口調で説明を始めた。


「いいかい、下吹越くん。これは、あらゆる胸を揉むシーンにおいて重要な問いなんだ……。その問いって言うのはね……」


 そういって、一息置くと、南雲教授は右手中指の腹で黒縁メガネのブリッジを押さえ、言い切った。


「その問いは……『女のおっぱい、前から揉むか、後から揉むか』だっ!」


 きっとここに聴衆が居たならば「ほうっ」と溜息がもれることを想定していたかのような、そのくらいの「言ったった」感に満ちた、南雲仙太郎のドヤ顔が決まった。 


(『打ち上げ花火、前から見るか、横から見るか?』みたいにそれらしく言うなーっ!)


 下吹越エリカの悲痛なツッコミが彼女の脳内にだけ響いた。

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