魔法の靴のミユロアとヌルヌルダンジョン

ぽてゆき

魔法の靴のミユロアとヌルヌルダンジョン

 剣と魔法……そして、人と魔物が住む世界リュセルガルド。

 その世界のはしっこにある村フリユサ。

 さらに、そのフリユサ村の端っこに立っているオレンジ色の屋根の家。

 小さな小さなその家に、小さな少女ミユロアと小さな男の子シセロアが住んでいました。

 

 2人は姉弟きょうだい

 でも母親のネネロアは2人がまだ小さい時に亡くなってしまいました。

 そして、2人を男手1つで育ててきた父ガラロアは、一月前に家を出て行ったきり帰ってきません。

 

 フリユサ村は、周囲を大きな山で囲まれています。

 そのため、村から外に出ることも、外から村に入ることも、とっても大変。

 山を越えずに外に出るための唯一の方法は、村の西にある<西のダンジョン>を抜けること。

 しかし、西のダンジョンには時として危険な魔物が出没することがあり、子供はおろか、大人ですら簡単に通り抜けることはできないのです。

 

 なので、村の食料は小さな畑で取れる野菜と果物だけ。

 幸か不幸か、村の住民がとても少なかったので、それでも何とかギリギリ生活していくことはできました。

 でも、お年寄りが大半を占める他の村人たちと違い、育ち盛りのミユロアとシセロアは常にお腹をグーグーと言わせていました。

 それを見かねた父ガラロアが、


「よし、オレが何とかしてやる! ちょうど<ユルゼアの森>で<ネネスフィア>を持った魔物が出没してるって噂だ。ささっと取ってきてやるから待ってろよ、ミユ! シセ!」


 と、気合十分で家を飛び出したのがちょうど今から1ヶ月前。

 ネネスフィアは非常に高価な宝石で、それ一つあればこの村の住人全員が5年は何不自由なく暮らしていけるほどの価値があります。

 そして、ユルゼアの森があるのはもちろん山の向こう側。

 当然、ガラロアが向かったのは西のダンジョン。

 そこで魔物に襲われてしまったのか、それともダンジョンを抜けた先で何か良くないことが起きたのか、とにかくいまだにガラロアは帰ってきませんでした。


「ボク、パパのこと探してくる!」


 そう言って、シセロアが家を飛び出したのが今から1週間前。

 姉のミユロアはもちろん止めました。

 しかし、シセロアは、


「だいじょーぶだよ! ちゃんとパパを見つけて戻ってくるから! 男の子だもん。ボクがおねーちゃんのこと守らなきゃ!」


 と言って、西のダンジョンへと走り去ってしまったのです。

 もちろん、ミユロアはすぐにその後を追いかけました。

 そして、西のダンジョンの入口に着いた時のこと。


「う……ううう……」


 フラフラ状態のシセロアが、ダンジョンの中から出てきました。

 ミユロアは、そんな弟を両手で抱えて、真っ直ぐ自分の家に向かって走りました。

 シセロアは両腕と膝を怪我していましたが、幸い命に別状は無さそうでした。

 しかし、ベッドの上で寝たきり、いつまで経っても目を覚ますことはありませんでした。


 その間、村の人たちは、一体シセロアの身に何が起きたのかを調べるために、何度か西のダンジョンに入ろうとしました。

 しかし、その度におぞましい声がダンジョンの中から響いてきたと言います。

 それでも、何人かの村人は怖さを振り払いながら、ダンジョンの中へと入って行きました。

 ですが、みなすぐにダンジョンから出てきてしまい、揃って両腕と膝を怪我していました。

 そして、なぜかみんな、靴の裏がヌルヌルになっていたのです。

 

「もはや、あそこは<西のダンジョン>ではない! ヌルヌル! <ヌルヌルダンジョン>じゃ!」


 と、村の長老が命名すると同時に、安全のためしばらくの間、村人がダンジョンに入ることを禁止してしまいました。



* * *



 そして、現在。

 シセロアがヌルヌルダンジョンから帰ってきてからちょうど1週間後。


「おーい! 起きてよシセ! ほら、ほーら!!」


 ミユロアがいくら大声で叫んでも、ぐいぐいと体を揺らしてみても、弟のシセロアが目を覚ましそうな気配は一切ありません。

 

「もう……どうしたらいいの……? パパ……ママ……」


 お姉ちゃんと言っても、まだまだ小さな女の子。

 ミユロアは、目から涙がこぼれないように、天井に向かって顔を上げました。

 ……と、その時。


「あれ……?」


 古いタンスの上に、白とオレンジのしましま模様が可愛らしい箱を見つけました。

 ミユロアは、ブランケットを弟の肩までかぶせてあげてから、すくっと立ち上がり、背伸びしてタンスの上の箱を取って小さなテーブルの上に置きました。

 

「あっ、これ! <ママから貰ったもの入れ>だ!」


 ミユロアの頭に思い浮かんだのは、母ネネロアの笑顔でした。

 箱の中には、母から貰った手作りの花飾りや、素敵な言葉が書かれた手紙、そして……


「くつ! まほうのくつ!! そうだ、これさえあれば……!」


 ミユロアは、丸みを帯びた黄色い靴を手に取ると、床に置いて履いてみました。

 母ネネロアは、結婚するまで魔法使いの仕事をしていたのです。

 結婚をして仕事をやめてからは、徐々に魔法の力は弱まってしまいましたが、それでも料理をするときや掃除するときなど、たまに魔法を使うことがあり、それを見たミユロアとシセロアは「すげー!!」と口を揃えて言いました。


 そんなネネロアの魔法の力がこもっているのがこの魔法の靴。

 わんぱくで、いつも外を走り回っていたミユロアは、どこかで転んだキズを必ず付けて帰って来ました。

 それを見かねた母ネネロアは、娘のために靴を作り、完全に消えかかっていた最後の魔法をかけて出来たのが、この靴。

 それを履くと、不思議な力に守られて、どんなに激しく走り回っても決して転ぶことはありませんでした。

 

「シセ、ちょっと行ってくる! すぐ帰って来るから!」


 目をつぶったままの弟に声をかけると、ミユロアは勢いよく家から外に飛び出しました。

 実は、シセロアが倒れてしまったあの日から、ミユロアは何度かヌルヌルダンジョンに行こうとしたことがありました。

 しかし、すぐに村の誰かに見つかり、「村長の話聞いてなかったの? 危ないから絶対に行っちゃダメ!」と言われて引き返されていたのです。

 

「でも……この靴さえあれば……!」


 ミユロアは、足下の黄色い靴を見下ろすと、右足のかかとで左足のつま先をコツンと叩いてみました。

 そして、わざと農作業をしている村の人の前を通って、村の西側──つまり、ヌルヌルダンジョン方面に向かって外に出ようとしました。

 今までなら、この辺りで「ちょっと待ちなさい!」と止められる所なのですが……まったくその気配はナシ。

 農作業をしている人は、まったくミユロアの気配に気付くこと無く、黙々と作業を続けています。

 

「やった!」


 思わずガッツポーズのミユロアは、その場でタタッタタッタ、とステップを踏んでみました。

 実は、これは父ガラロアお得意のステップ。

 機嫌の良いときや仕事の前なんかはいつもタタッタタッタとステップを踏んでいました。

 ダンジョンの向こうへと旅立ったあの日も……。

 それでも、父のステップに勇気づけられたミユロアは、急いでヌルヌルダンジョン目指して走って行きました。



* * *



 オオォォォン……オオオォォォン……。


 ヌルヌルダンジョンの入口に到着したミユロアの耳に、おぞましいうなり声が届いてきました。

 もちろん、その声がするのはダンジョンの中から。

 一瞬、ゾクッとしたミユロアでしたが、今も苦しみの中で眠り続けている弟の姿を思い出し、タタッタタッタとステップを踏みながらダンジョンの中へと入って行きました。



* * *



「うわっ……、ほんとにヌルッヌル!」


 ダンジョンに入ってすぐ辺りの地面は普通の土だったのに、少し進んだ辺りから徐々に地面がジメッとし始めて、もっと進んで行くと完全にヌルヌルの床が姿を現しました。

 見るからに、足を踏み入れた瞬間つるっとひっくり返りそうなツルッと感。

 ここに入ったみんながみんな、両腕と足をケガして帰って来る理由がイヤでも分かってしまいます。

 それでも、ミユロアの足は前に進み続けました。

 

「大丈夫、だって……ママが守ってくれるんだもん!」


 ミユロアは胸をドキドキさせながら、小さな足をヌルヌルの床に踏み入れました。

 一歩……二歩……。

 三歩……四歩……間違いなく、ヌルヌルの上を歩いているのに、まるでザラザラの砂の上を歩いてるような安定感!

 それは間違いなく、母の作った黄色い靴に込められた魔法と愛情のおかげです。

 

「やった!」


 ミユロアは上機嫌にタタッタタッタとステップまで踏みながら、ダンジョンを奥へ奥へと進んでいきました。


 すると、地面を薄く覆っていたヌルヌルは、奥に進めば進むほど量が増えていき、その水位はいつの間にかミユロアの足首あたりまで来ていました。

 

「普通に歩けるけど……なんか気持ち悪い~」


 と、ミユロアが顔をしかめたその時。


 オオオオォォォォォン!!!!


 今までとは比べようもないほど、大音量のうなり声が聞こえました。

 それもそのはず。

 その声の主は、もう目の前に居たのです。


「うわっ!!! ド、ドラゴン!?」


 ミユロアは思わずそう叫んでしまいました。

 そりゃ、目の前にでっかい紫色のドラゴンが姿を現したら、誰でもそう叫んでしまうというものです。

 しかし、そのドラゴンはどこか様子がおかしいようでした。


「……挟まってるの??」


 ミユロアは、でっかいドラゴンが、狭いダンジョンの通路に挟まって動けなくなっているように見えました。


 オオォォォン……。


 まるで「うん」と答えるかのように、ドラゴンはうなり声を上げました。

 そして、その目には……


「うそっ? 泣いてるの??」


 ミユロアの顔は、驚きから悲しみに変わっていきました。

 よく見ると、ドラゴンの目からは大粒の涙がポタポタと流れ続けていました。

 その涙はダンジョンの床に落ちて、少しずつ貯まっていきます。

 

「えっ……? ヌルヌルの正体ってもしかして……涙!?」


 ミユロアは目と口を大きく開きながら叫びました。

 確かに、ドラゴンの目からこぼれ落ちる涙は、明らかにヌルッとしています。

 すると、ドラゴンはダンジョンに挟まったままの状態で、大きな体をグリグリとねじって、少しずつ体を左に回転させていきました。

 その衝撃でダンジョンが揺れ、天井からは砂がポロポロとこぼれてきます。

 そういう攻撃なんじゃないか……と思ったミユロアの胸のドキドキはどんどん早くなっていきます。

 でも、なぜかその行動から目を離すことができず、ずっとその場で立ち尽くしていました。

 やがて、ドラゴンの体が真横ぐらいまで回転すると、左手(左前脚?)が見えてきました。

 そして、その手には、ベージュ色に輝く大きな宝石が握られていました。


「えっ? それってもしかして……ネネスフィア!?」


 ミユロアは、その宝石を見るなり興奮気味に叫びました。

 父ガラロアが、子供たちのために命を賭けて手に入れようとした宝石ネネスフィア。

 その名が母の名前に似ているということで、興味津々だったミユロアはそれがどんなものなのかを、ガラロアの口から聞いていました。

 いま、目の前に居るドラゴンが、父から聞いた説明通りの宝石を握りしめているという事実。

 しかも、それはとんでもない大きさです。

 ミユロアにはまだ、それがどれだけの価値があるのかは分かりません。

 しかし、その宝石こそ父親が旅に出た理由であり、それをドラゴンが持っているということに対して、ちっちゃな頭をフル回転させました。

 そして……


「もしかして……パパを倒してネネスフィアを取ったんでしょ? そうだ、絶対そうだ! バカバカバカ! パパを返して!!」

 

 ミユロアは、紫色のドラゴンに駆け寄ると、両手でその体をペチペチと叩きました。

 ダンジョンの通路に挟まっている状態とは言え、ドラゴンはとても強く、とても危険な魔物です。

 しかし、ドラゴンは「オオォォン、オオォォン……!」とうなり声をあげるだけ。

 ミユロアは思いつく限りの言葉とペチペチでドラゴンを攻め続けます。


 すると、また天井から砂がポロポロとこぼれ落ちてきました。

 

「うわっ……!」


 ミユロアは、驚きの声をあげました。

 よく見ると、ドラゴンがまた自分の体をグリグリとねじり始めたからです。

 もしかして、こうやってねじりながら、少しずつ自分の方に進んでこようとしてるんじゃないか……と思って、段々怖くなってきました。

 でも、ミユロアは逃げませんでした。

 もしかしたら、ドラゴンは父の敵かも知れない。

 それに、このダンジョンのヌルヌルがドラゴンの涙なのだとしたら、弟がケガをしたのもドラゴンのせいであり、このまま尻尾を巻いて逃げることなんてできやしない……と、思ったからです。

 

「こ、怖くなんかないんだから! ちっとも怖くなんかないんだから!!」


 ミユロアは、力の限り声を振り絞り、両手を振ってペチペチし続けました。

 すると……


 オオオオオオォォォォォォン!!!!!


 ドラゴンが、今までで一番大きなうなり声をあげました。

 そして、ドラゴンの体がダンジョンの通路からスポッと抜けました。

 

「えっ……!?」


 声を出して驚くミユロア。

 絶体絶命のピンチ……では、ありません。

 ドラゴンの体は、通路のに向かってスポッと抜けたのです。

 そして、


 コロン……コロンコロンコロン……


 と、ダンジョン内に鋭い音が鳴り響きました。

 綺麗な楕円形のネネスフィアが転がる音。

 ドラゴンの手から落ちたネネスフィアがダンジョンの床を転がり、ちょうどミユロアの足下でピタッと止まりました。

 それはまるで、ドラゴンがわざとミユロアに向けて転がしたかのようでした。


「これ……くれるの?」


 ミユロアは、両手でネネスフィアを拾って抱えながら、ドラゴンに向かって言いました。


 オオォン。


 ドラゴンの口から出たのは、さっきまでのうなり声とはまるで違う、とても優しい囁き。

 ミユロアの心には、それが「うん」と答えたように聞こえました。

 

「……ありがとう! もしかして、これを持ってきてくれるためにここに来て、そんで挟まっちゃってたの?」


 ミユロアの問いかけに対し、ドラゴンは、


 オ、オオォン……。


 と、どことなく恥ずかしそうに答えました。


「ふふっ、おっちょこちょいだね! ドラゴンなのに変なの!」


 ミユロアは、思わず笑ってしまいました。

 それを見たドラゴンの目から、また涙がこぼれ落ちました。

 

「えっ? どうしたの? 大丈夫??」


 と、驚くミユロア。

 その言葉を聞くと、ドラゴンの目からはさらに多くの涙が流れてきました。

 その涙は、床を伝ってミユロアの足下まで届きました。

 しかし、不思議なことに、その涙は全然ヌルヌルじゃありません。

 見た目も綺麗に輝いていて、ちょっと頑張れば飲めそうなほどでした。

 でも、このまま涙が増え続けると、小さなミユロアの体は溺れてしまう危険があります。

 すると、また天井から砂がポロポロとこぼれ落ちてきました。

 

「ドラゴンさん……行っちゃうの?」


 そうです。

 まるで、自分の涙のせいでミユロアが溺れてしまうのを避けるように、ドラゴンは後ろ向きにジリジリとダンジョンの奥の方へ後ずさりしているのです。

 なぜか、そんなドラゴンのことが心配になったミユロアは、ダンジョンの奥に向かって歩いて行こうとしました。

 しかし、


 オオォォォォン!!!


 来るな、と言わんばかりに、ドラゴンが大きな雄叫びを上げました。

 

「なんで!? なんで、行っちゃうの!? これ、くれたお礼とかしたいのに! それに……それに、パパは? パパはどこに居るの? ねえ、知ってるんでしょ、ドラゴンさん!!」


 早口でまくし立てるミユロア。

 しかし、ドラゴンはじっと黙ったまま、ただただ遠ざかっていくだけ。

 

「なんで……なんで……」


 ついに、ミユロアの目からも涙がこぼれ、床を満たしているドラゴンの涙の上にポトリと落ちました。

 やがて、ミユロアの居る場所から、ドラゴンの姿は完全に見えなくなりました。

 

「……もう、ドラゴンさんのバカ!!」


 と、ミユロアの感情が爆発したその時。


 ……タタッタタッタ。


 奥の方から、何やら音が聞こえてきました。


 ……タタッタタッタ。


 それは、ミユロアにとって聞き覚えのある音。


 タタッタタッタ。

 タタッタタッタ。

 タタッタタッタ……。


 そして、音はしなくなりました。

 なぜ、いまが聞こえたのか……。

 ミユロアは、とにかくダンジョンの奥に走って行って確かめたい気持ちで一杯でした。

 でも、向こうに行けば行くほど涙は深くなり、これ以上前に進むことはできそうにありません。


「…………」


 仕方無く、ミユロアは村の方に戻る事にしました。

 でも、このネネスフィアさえあれば、きっと弟のシセロアのケガも良くなるし、村の人たちの生活も少しは楽になるはずです。

 そのためには、この涙が引いてから、ダンジョンを抜けて外の町に売りに行く必要があります。

 その時は絶対、自分も付いて行くから、とミユロアは小さな心に決意を抱いていました。

 そして、もう少し成長したら、さっきステップの音が聞こえたこと、それに、ドラゴンがミユロアに出会った後に流した涙が、ヌルヌルではなくサラサラだったことの意味が分かることでしょう……。



(了)

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