最終章 この世界のカナタまで

 正午ごろ。色式士協会とあげは会の二組織は、正式に声明を出した。集会は別々に行われたが、混乱を避けるためである。最終的な目標は、共同集会だ。

 カナタのことは伏せられていたが、光の粒の回収も募ることになった。回収した量により報酬も支払われることとなった。鬼退治の必要が無くなってしまった今、しばらくの間は色式士の主な仕事の一部となった。

 集会の行われた日。季野吉之きのよしゆきとシノグは、仙道京太郎せんどうきょうたろうの家で休んでいた。昨日からの疲労は酷く、布団に入るなり意識を失うかのように眠りについた。

 カナタの身体は、目覚めるまでどれほどの時間を有するかはわからないが、仙道家で預かってもらうことになったので、シノグと吉之は安心したのだろう。それから三日間、目を覚まさなかった。これには京太郎もその妻も心配してしまったが、三日目に二人とも目覚めたときは感激した。


「では、それでいいのだね」


 京太郎が書類を手に、シノグを見ていた。


「はい。僕は、学校に残って教師をしつつカナタが目覚めるのを待ちます」

「私の提案を、無理に呑む必要はないのだが」

「いいえ。よく考えて出した答えです。僕がそうしたいのです。カナタが目覚めたときに、そばにいてやりたい」

「わかった。では早速、手続きしよう」


 京太郎がそう言ってから、次にシノグの隣にいた吉之のほうを見る。吉之は京太郎の視線に気づくと、肩をすくめた。


「俺は、再入学しない」

「わかっている。どうするつもりだ?」

「旅に出るよ。カナタの力を集める旅。手はいくらあってもいいはずだろ」

「吉之くんは、カナタのそばにいなくても良いのか?」

「俺まで一緒にいたら、カナタが目覚めたときにシノグが素直に泣けないだろ」


 図星だったのか、吉之の言葉にシノグは文句も何も言わなかった。


「そうか。ならばこれを持って行ってくれ」


 京太郎がそう言って吉之にカナタの日記を渡した。日記はカナタの身体と同じぐらい透明になっていて吉之とそれを見ていたシノグが目を丸くした。


「これって……」

「恐らくだが、この日記は意図せずカナタの身体と繋がっていたのだろう」


 京太郎の言葉に、シノグが思い出したかのように言う。


「その日記は、カナタが幼いころに先生から渡されたものです。カナタの存在の証となるようにと、先生は言っていました。日記が姿を取り戻したら、離れたところからでもカナタが目覚めたことがわかるということですね」


 京太郎が頷く。


「ああ。まったくあいつは、どこまで考えていたんだか。こんな形で意味を成すとはな」

「そうですね」


 困ったように、シノグが笑った。


「わかった。ありがとう。あんたには色々世話になったな」


 そう言ってから、吉之が日記を懐にしまった。


「いや。私は何もしていないよ。――何もできなかったよ」


 謙遜するように京太郎が言う。


「充分してくれただろ。感謝している」


 吉之の言葉に、京太郎は笑った。それはとても優しい笑みだった。


「そう言ってもらえると、嬉しいよ」


 翌日、さよならも言わずに吉之は旅立った。彼らしい、と。シノグは言って少しだけ淋しそうに笑っていた。



    *



 地上都市彩で月白色の箱船が出現したことと、光の雨が降ったこと。それから鬼が消えたことは、すぐに地下都市メイへと情報が流れた。安全になったと思われる彩に、貴族たちの間では移住を考える者さえいた。だが実際、地下生活に慣れているためか貴族たちは誰も本気で移住しようとはしなかった。メイが豊かな街であることは、変わりなかったからだ。

 ただ帰りたいと願う者たちがいることも、事実だ。


「地上へ行ってみたい……ですか」

「うん。弦の故郷なんでしょ」


 愛くるしい笑顔を向けながらそう言ったコロネを見て、伏木弦ふしきげんが頭を抱えていた。彼女は暢気にテーブルで紅茶を飲んでいる。


「そうですけど。そんなことをしたら、旦那様に怒られてしまいます」

「もー。おじい様の事は気にしないの」

「ですが、今度こそ捨てられてしまうかもしれません」

「いつまでそんなこと言っているの。弦。いーい? 弦は強くて凄い人だってこと、おじい様も認めているんだから大丈夫なの」


 コロネの言葉に、弦が困ったように笑う。

 確かに彼女の言う通り、弦は闘技場での一件で色式の実力を改めて認められ、引き続きエンガ氏の屋敷に務めることを許されている。


「いいですか、コロネお嬢様。何を聞いたか知りませんが、地上はまだまだ危険でいっぱいです。ですから――」

「わかってるよそんなこと。でも、いざとなったら弦が守ってくれるでしょ」

「それは、もちろんです」

「なら、いいじゃない。はい。約束しよ。約束」


 屈託のない笑顔を見せられて、弦はつい「わかりました」と言いそうになる。けれど本当にもう少し彼女が大きくなった時には、その約束を叶えてあげてもいいかもしれないと、弦は思っている。



    *



 あれから数年が経った。

 窓の外では白い花が咲き乱れている。


「シノグ先生」


 ひとりの少女が授業を終えたシノグの元へ駆け寄ってくる。


「君にそう呼ばれるのは、まだ慣れないですね」

「えへへ」


 少女の愛らしい笑顔に、シノグもつられて笑顔になる。


「まだ連絡ないの?」

「もうとっくに知っているはずなんですけど。どこで何をしているんでしょうね」


 困ったようにシノグは言った。


「そのうち帰ってくるよ」

「そうだと、良いんですがね」


 シノグが硝子窓を開ける。外から温かい風が入ってきて、色式士養成学校の校舎内を吹き抜けていった。 

 風に髪の毛をなびかせた少女の姿は、シノグの目には数年前より大人びて見えた。シノグは早く帰ってこないと後悔するぞと思いながら、大切な家族の帰りを気長に待つことに決めている。



     *



 ぼろぼろの外套を羽織った青年は、日記を片手に持ったまま丘の上に立っている。

 空の上の見慣れた箱船は、今日もゼロの塔の上でぷかぷか浮いている。

 青年の見つめるその先は、彼の帰るべき場所である。


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この世界の彼方まで 黒宮涼 @kr_andante

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