果たして速水柊はやみひいらぎがどこまでを想定していたのか。もはや誰にもわからないだろう。

 京太郎はそう思いながら、シノグと吉之の話に耳を傾けていた。彼らは京太郎と別れた後の一部始終を淡々と語ってくれた。

 ときわ大森林での、カナタの力のこと。ゼロの塔で鬼に追われたこと。二手に別れて最上階へ到達したこと。そこで見たもの。聞いたもの。

 柊が持っていた本の内容と若干の食い違いがあるが、こう考えたら違和感はない。神々が地上にいた時代に、大災害があると予言があった。その原因となる神がカナタという少女。カナタが神で、生も死も関係ない存在なのだとしたら、本当は京太郎よりも柊よりも長く存在していることになる。

 最初の大災害は、防げなかったと考えるのが妥当だろう。一応何とかしようとしたのかもしれない。それでもカナタを存在させることそのものが、許されない結論に至ったのだろう。

 世界を救うには、彼女の存在を消滅させるしかない。しかしそれを良しとしない神がいたことが、柊とカナタを出会わせるきっかけになったのだ。

 それから十七年。柊はずっとカナタを守ってきた。そして世界を揺るがすかもしれないことをやろうとしていた。カナタと世界、両方を救えると信じていた。病気にならなければ、柊自らが成し遂げただろう。

 すべてを知って、京太郎は恐れたていたことが現実になってしまったのだと理解した。京太郎は、カナタにシノグたちと一緒に帰ってきてほしいと願っていたのに。


 ――やはり彼らを行かせるべきではなかったか。


 京太郎は、ひとり犠牲になってしまった少女の事を見る。吉之に背負われたカナタは、透明な硝子のようにその存在を危うく感じさせた。一歩間違えれば、そのまま消えてしまいそうだった。


「ふん。つまり、あの箱船に乗っているのは神たちってことか。通りで威圧を感じるわけだ。あれが現れてからみんな怯えてしまってな。強大な力ってのは肌で感じると手も足も出ないんだ。震えが止まらないよ」


 啓生がそう言って笑った。言葉と裏腹に、彼は嬉しそうだった。力のある者が好きという変わった性格をしているためだろう。京太郎は啓生のそういうところがどうも好きになれない。しかし驚いたのは、箱船が現れた後に啓生が自ら京太郎に逢いにきたことだ。

 彼のことだから、また禁止色式を使って街に侵入するだろうとは思っていたが。寝首をかかれずにすんで、本当に良かった。


「それで君たちは、これからどうするつもりだい」


 京太郎は冷静に尋ねた。

 シノグと吉之は顔を見合わせると、頷きあった。


「カナタを助けるために、色式士協会とあげは会に、ご協力願えないかと思っています」


 シノグの言葉に、京太郎は目を丸くする。


「ほう。彼女を助ける方法があると?」


 シノグは頷いた。


「はい。カナタの持っていた膨大な色の力は、おそらくゼロの塔によって地上全体にばらまかれてしまっています。それを出来るだけ多く集めて彼女の身体に返せば、彼女は消えずに済むのではないかと思うのです」

「そのために、私たちの力が必要ということかな」

「お願いします。僕たちはカナタを、どうしても失いたくないんです」


 シノグがそう言って、京太郎と啓生に向かって丁寧に頭を下げてきた。一拍遅れて吉之もカナタを背負ったまま少しだけ頭を下げた。


「俺たちの、大事な家族なんだ」


 吉之の口からそんな言葉がもれて、京太郎はふうっと息を吐いた。


「私が、断ると思っているのかね。いくらでも力を貸すよ。啓生、君はどうする」


 京太郎は言いながら、啓生のほうを見る。


「どうするって、俺には関係ないことだしな。そもそも俺はまだ。吉之。お前のことは許してないからな」


 啓生が不満そうな表情で、吉之を見ている。

 吉之が眉をひそめる。


「下田。あんたには悪いが、俺は間違ったことをしたとは思っていない。だが自由を重んじるあんたが、あいつらが何をやっているか知っていて放っておいたことについては、納得がいかない。どうしてだ」


 吉之の質問に、啓生は軽く笑う。


「簡単な話だよ。放っておいたんじゃない。あれは俺が入れ知恵したんだよ。優勝者を競売したら面白いんじゃないかって。エンガ氏にね。彼はあっさり話に乗ってくれたよ。商品の紹介料として金もくれたしね。こちらとしては大助かり。鬼退治を折半しなくてもやっていけるようになっていたんだ」

「お前、そんなことまでしていたのか。はぁ。もっと早くに気づいていれば」


 啓生の暴露に、京太郎は頭を抱えた。

 吉之と戦った渡辺正太郎わたなべしょうたろうを含め、協会からも何人か色式士を送っていたのだ。連絡が途絶えている色式士たちがどんなめに合っているのか。また落ち着いたら、地下との連絡を密にする必要がありそうだった。

 吉之のほうを見ると、意外にも冷静な様子だった。


「そうか、あんたはそういう人間だったな。力と金さえあればいい。目的のためにはどんなことだってする。滑稽だな。もういい、やっぱりあげは会には頼まない。シノグ、悪いが――」

「おいおい。何言っているんだ。勝手に撤回するな。協力しないとは一言もいっていないだろう」


 啓生が吉之の言葉を遮りながら、京太郎のほうを見てくる。


「色式士協会とあげは会は協定を結んだ。それによって俺たちあげは会は協会が困っていたら協力することになっている。つまり」

「私があげは会に協力を仰げは、あげは会の色式士も動いてくれるということだ」

「そうゆうことだ。協会がその子を救うために動くというのなら、俺たちも協力するまでだ。ま、やるかどうかは個人に任せるがな」


 不安は残るが柊のいない今、京太郎に出来ることはこの暴れ馬に足枷をつけることだった。本人もその意図をわかっているはずだ。わかった上で協力を選んだ。


「それに、お空の上で高みの見物している連中は気に入らないからな。その女の子を助けるってことは、上の連中が困ることなんだろう。ついでに揺らして落とそう」


 悪い顔をして、啓生が笑ったときだった。


「その必要はない」


 背後で、そんな声がした。振り向くと、いつの間にそこにいたのか明らかに人ではない誰かが立っていた。それは神々しい光を纏っていた。京太郎は直感的に、それが神であると理解した。思わずつばを飲み込む。


「あなたは……」


 呟くと、神は言った。


「あれからずっと見ていたが、君たちはどうしてもその子の消滅を阻止するつもりなのだな」

「自らお出ましとは。近くにいるとますます震えるな」


 啓生が武者震いしている。京太郎は違う意味で震えていた。本物の神がそこにいるのだ。身体は戦慄を覚えていた。

 京太郎は圧倒されないように拳に力を入れる。


「彼らから話を聞きました。あなたたちが、彼女の存在を消滅させる考えに至ったことは、仕方のないことのようには思います。ですが納得はすれど、賛成は出来ません。私は彼らがどれほど彼女のことを大切に思っているのか、知っているからです」

「ほう。ならば問おう。世界への責任は取れるのか。その子が存在する限り、世界の破滅は免れぬ。それがどういう形で迎えるものなのか、君たちは知らぬ」


 神の言葉に、京太郎は頷くしかなかった。


「ええ。確かに私たちが知らないことを、あなた方は知っているのでしょう。ですが、責任なんて取る必要はありません。何故なら始まりがあるものには、必ず終わりがあるから。だからそのことについては、責任など追う必要はないと思います。それに、人間はあなたが思っているほど、弱くはありません。どう終わりを迎えようとも、大切なものを守ることが出来たなら、それだけで意味があります」

「終わることを、恐れぬのか」

「勿論それは、とても恐ろしいことです。ですが、それでも私たちは必死にもがきながら生きていくことに、喜びを感じます。それが人間なのです」


 京太郎は神に真剣な眼差しを送る。

 神は京太郎、啓生、シノグ。そして吉之と順番に視線をゆっくりと移動させる。


「――そうか。では、我々は世界の終焉までお前たちを見守ろう。あの箱船から」


 神がそう言って、瞼を閉じた。神の姿が光に溶けるように消えていく。

 後には何も残らなかった。ただこれで良かったのだと、京太郎は思った。

 空の上の箱船は今もその姿を人間たちの目に映し、その存在を確固たるものとしている。それは柊の望みでもあった。何か少しでも世界を変えることが出来たのならと、彼はいつも願っていた。だからこそカナタを箱船へ返したかった。自分の命が燃え尽きる前にと計画していた。

 カナタを犠牲にしてしまうことを、柊も考えなかったわけではないと思う。思考の片隅にそれを置いていたのだ。十七年間一緒にいて、辛くないはずがない。何度も自問自答を繰り返していたのだと思う。そして己の病気を知って、最終的には諦めたのだと思う。自分がそれを見届けることが出来ないとわかったから。


「シノグくん。吉之くん。あれで良かったかな」


 京太郎は二人に尋ねる。


 吉之は「ああ」と言って頷き、シノグは京太郎に向かって丁寧に頭を下げて「ありがとうございます」と言った。


「上から見るのは変わらずか。ま、こっちの世界に手を出すつもりがないのはわかったからいいけど」


 啓生が嘆息する。


「啓生。私はこの後、家に戻って彼女を寝かせられるようにしてくるが、君はどうする」

「今後の段取りはお前に任せるよ」

「わかった。出来るだけ早く準備をしよう。忙しくなるな」

「頼んだ」


 啓生とそんなやり取りをした後、京太郎は改めてシノグと吉之に向き直る。


「では、行こうか」


 京太郎はできるだけ優しい声色で言った。シノグと吉之はほとんど同時に頷いた。

 これからは自分が彼らを導かなくてはならないなと、京太郎は思う。柊は許してくれるだろうか。きっと笑って許してくれることを願う。

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