5
シノグと吉之がゼロの塔から落ちて色式で造った氷の鳥の背に乗ってから、一体どれだけの距離をゆっくりと下降したのかはわからない。上空から地上の様子を見るに、ときわ大森林にいたであろう鬼たちの姿がなくなっていた。シノグは神が鬼を消滅させていたことを思い出していた。もしかしたらそれと同じで、この光の雨が鬼を消してくれたのかもしれない。
あるべき姿に戻った。とでも言うべきなのだろう。だがシノグも吉之も納得がいかなかった。それはすべてひとりの少女の犠牲の上に成り立つものだからだ。
ときわ大森林の上空を超えて、失われた土地の地面に氷の鳥は着地する。シノグと、カナタを背負う吉之は鳥から降りた。役目を終えた鳥はその身体を溶かすように消えていった。
「身体は大丈夫なのか」
吉之の質問に、シノグは答える。
「まぁ、平気ではないですね。ですが不思議とまだ動けます。この光の影響でしょうか」
シノグは言いながら、両掌ですくうように光の粒を受け止める。零さないようにしながらそれをそっとカナタの背中から身体に返した。カナタの透明度が少し戻ったように思えた。そうして地道にカナタの身体を取り戻していくしか彼女を助ける方法はないようだった。
失われた土地は、カナタの力のおかげですっかり色を取り戻していた。しかし吸収せずに道端に転がっている光の粒がある。赤や青の粒が、道を埋め尽くしていた。カラフルな絨毯のようにも思えた。
シノグと吉之は学校へ戻る道すがら、それを拾い集めてカナタの身体に返していった。二人だけではとても回収しきれないのはわかっている。けれど少しでも多く自分たちで取り戻したかった。それは罪悪感からだったのか、後悔からだったのか。そんなものはもうどうでもよかった。
そうしてしばらく歩いて失われた土地を抜けると、シノグの視線の先に見覚えのある人物がいることに気づいた。
「あれ? 仙道理事長」
学校の建物はまだ小さく見えるぐらい距離はあるはずなのに、どうしてか彼が立っていた。そこは開けた場所で、近くに墓地があった。
「待て。もうひとり誰か」
シノグが京太郎に話しかけようと一歩踏み出すと、吉之に止められた。
よく見ると、確かに仙道京太郎ともうひとりシノグの知らない人物がいた。二人は墓地に入っていった。
シノグと吉之が朝伎の街に戻ってきた時、夜明けを迎えてしまっていた。街はやけに静かで、明朝に色式士協会とあげは会の抗争が始まると聞いていたのに、そんなものはまるでなかったかのように街は平和なものだった。
「下田」
吉之がぽつりとその人物の名前を呟く。どうやら京太郎と共にいたのはあげは会の頭である下田啓生その人らしかった。
「追いかけましょう。嫌な予感がします」
シノグは吉之に提案する。
「いや、大丈夫だろう。そんな雰囲気でもなかった。ここで待とう。どちらにしろこちらには話があるんだから。それに、場所が場所だ」
「あ……。もしかして」
吉之の言葉にシノグもあることに気づき、啓生と京太郎が歩いていった方向を見つめた。
ヒイラギ先生の墓は、地下都市メイにある。メイでは、死体は粒子まで分解されるので骨も残らない。二人ともおそらくそのことを知っているはずだった。それでも二人で地上都市彩の墓地に用があるとすれば、先生のことしかシノグには考えられなかった。
「中身のない墓を、つくるんだろうな」
吉之が呟くように言った。
「何の意味もないでしょうに」
「気持ちの問題なのかもしれないな。あの二人にとって、速水柊がどんな存在だったのか俺たちにはわからない。二人を繋ぎとめるものだったのかもしれないし、そうでなかったのかもしれないし」
吉之がカナタを背負い直す。シノグは、カナタのほうを見た。シノグと吉之を繋ぎとめる彼女は、まだ意識を取り戻さないでいる。
「結局、あげは会と色式士協会は今後どうなるのでしょうか」
「さぁな。あの二人次第というところだな」
ふとシノグは空を見上げる。気づけば光の雨は止み、神を乗せた箱船は今もそこに鎮座していた。逃げも隠れもしないとそう言っているように感じられた。
神たちはカナタを追いかけて来るのかと思えばそうでもないらしく、シノグと吉之は不安に思っていた。それでもどこかからずっと視られているような気がしていた。
この街の静けさは、あの得体のしれない箱船が原因だろう。何が起こっているかわからず、委縮してしまったのだ。それで戦意を喪失してしまったのならば、僥倖である。
そんなに長い時間には考えられなかったが、京太郎と啓生はゆっくりと墓地から出てきた。二人の表情は、暗くも明るくもなかった。
「君たちは」
先にシノグと吉之の姿に気づいたのは、意外にも啓生のほうだった。啓生は京太郎よりも背が低く、細身の中年男性だった。その隣に立っていた京太郎が、一拍遅れてシノグたちを確認して、驚いたのか目を丸くした。
「一体どうなったのだ。何が起こっている。彼女は――」
「落ち着いてください。仙道理事長。何があったのか説明はします。ですがまず、あなたたち二人がどうしてここにいるのか、聞かせて頂いてもよろしいですか」
シノグは冷静に、そう質問した。
京太郎は啓生と眼を合わせた。啓生が肩をすくめたのを見ると、京太郎は問題ないと認識したのか理由を話し始めた。
「多分、君たちも察していると思うが。私たちはここに、柊の墓参りに来た。墓と言ってもただの石ころだがな。花を沿えて祈ったよ。それと、報告をした」
「色式士協会とあげは会は今後一切、争わない。それぞれの場所を統治する。必要があれば協力すると、な。まぁそんなところだ。あの船のおかげで全部おかしくなったからな。これで手を打つしかなかった。全部、柊の掌の上ってことだ。色が戻って鬼もいなくなったら、今までのやり方が通らない。色の力が必要のない時代になるって話だ」
補足するように啓生が言った。
「そんなふうに、柊の事を悪く言うのは良くない。柊が私たちのためにどれだけのことをしてくれたか」
「あー。はいはい。わかってるよ」
「わかっていないだろう。大体、君は」
「うるさいなぁ。説教とか止めてくれよ。ただでさえ今後の事で頭を抱えてんのに」
「まったく」
京太郎がため息をついた。
こうして見ると京太郎と啓生は思っていたよりも、関係性が悪くはない様子だった。
「それで。今度は、君たちの番だ。ゼロの塔で何があったのか。すべてを話してくれるね?」
突然、矛先がこちらに向いたのでシノグは頷いた。
吉之と、彼に背負われたカナタの方を見る。
「勿論。僕たちが見たすべてをお話ししましょう」
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