第2話 魔法

 メルはリストに載っていたその書物のある書庫番号を紙きれにメモして、アーデスとともに本棚の間を縫って奥へ奥へと歩いて行く。


「あなたのご主人様はどんな人だったんですか?」 


 ずっと無言で歩くのもどうかと思い、メルはおずおずと隣を歩くアーデスに話しかけた。アーデスはメルを見上げてくる。メルは死んだ人のことを聞くのはさすがにまずかったかと思い慌てて言い直す。


「あ、その。答えたくないのなら答えなくてもいいですよ」


 しかしアーデスは首を横に振った。


「いえいえ、よろしいですよ。ご主人様は、それはもう立派な魔法使いでございました。朗らかでいつもわたくしに優しくて、魔法の才能にも長けていて、あの方の使い魔である自分がとても誇らしかった。今でもあの方と暮らした日々を昨日のことのように思い出すことができます」


 アーデスは当時のことを思い出したのか、幸せそうに目を細めた。


「ああ、ご主人様のお作りになるケーキは本当に美味しかった。それに、魔法薬の素材を取りに出かけた古の森の冒険にドラゴンの巣。当時の若かりしわたくしは、ご主人様との血湧き肉躍る冒険がそれはもう大好きでした」


「いいご主人様だったんですね」


 メルは普段あまり笑う方ではなかったが、アーデスが楽しそうに話すのを聞いて思わず微笑んだ。アーデスもそんなメルに笑いかける。


「ご主人様は、いつも日記をつけておりました。しかし、ご主人様が亡くなった際、その日記はともに葬られたものとわたくしは思っておりました。その後わたくしは魔力猫マギーシャの里に戻り暮らしていたのですが、何年か経ったある日、無性にご主人様のことが思い出されて、ご主人様と暮らしていた家を訪れたのです。その家ではご主人様のご子息の家族が暮らしておりました。そのご子息が、わたくしに教えてくださったのです。日記はまだ残っていると」


「それが、あなたが今探している日記ですか?」


 メルの言葉にアーデスは頷く。


「そうです。ご子息は残念ながらどこにあるかまではわからないとおっしゃっていました。しかし、ご主人様の形見である日記がこの世のどこかにあるとわかったわたくしはご子息と別れた後、日記を探す旅に出ました。それから早十年にございます」


「十年?」


 思わぬ歳月にメルは目を丸くした。そんなに長いあいだ主人の日記を探しているとは感服する思いだ。


「手がかりは何もありませんでしたから、手当たりしだいに大陸中を探しました。そして、大陸最大の蔵書数を誇るというこの図書館を知り、ようやくたどり着いたのです。」


 アーデスは興奮を隠せない様子で言った。


「ようやく探し求めたものに出会えるかもしれないと思うと、胸が感動で打ち震えてきました」


 まだリストに載っていた書物が本当にその日記かどうかはわからない。本来なら書物のタイトルが記されているはずの場所は、文字が擦り切れていて読めなかったのだ。メルはアーデスの話を聞いて、どうかその日記であってほしいと願った。

 


 やがて、その書物が保管されている書庫まで来た。本棚には黄ばんだ古い書物が軒を連ねてある。その一冊一冊を目で追いながら、メルはようやく目当てのものを見つけた。


「ありました」


 背表紙の文字はうっすらとしか読めないほどその本は傷んでいたが、そこにエイベル・ドラモンドという名が記されていることは読めた。


 メルは本を取ると、アーデスが見やすいようにしゃがみこんで本を見せた。


「これで合っていますか?」


 本は、大まかに見積もっただけでも百年以上は経っていそうなものだった。それを考慮すると、子息から教えてもらってから探して十年という言葉は計算が合わない気がしたが、アーデスは目を大きく見開き「間違いありません」と叫んだ。


 アーデスが後ろ足で立ち上がり前足を伸ばしてきたので、メルは日記帳をアーデスへと渡した。アーデスはそっと日記帳を床に置くと、前足で表紙をめくる。


 その時、開いた日記帳から魔力の奔流とも言えるような強烈な光が発せられた。思わずメルとアーデスは目を閉じる。そして次に目を開けた時、一人と一匹は見知らぬ草原に立ち尽くしていた。


「一体どうなって?」


 仰天するメルとは違い、アーデスは落ち着きはらっている。


「この感じは、ご主人様の魔力です。間違いありません。」


「じゃあつまり、これは魔法?」


 メルはあんぐりと口を開けて周囲を眺めた。


 頭上には抜けるような青空が広がり、足元の草原には可愛らしい小さな花々があちこちで咲き乱れている。姿は見えぬが小鳥たちの鳴き声も聞こえ、現実と何ら遜色ない。これが魔法で作り出されたものとは到底思えなかったが、そうでなければ突然こんな場所に来たことの説明がつかない。ならばこれは魔法なのだろうと、メルは自分に言い聞かせた。


「これは、ひょっとして」


 アーデスが声をあげて突然駆け出した。メルも慌ててそのあとを追う。いくら平和そのものの草原とはいえ、魔法で作られた、しかも見知らぬ所に一人はさすがに不安だ。


 メルが肩で息をしながらアーデスの後を追うことしばし。ようやくアーデスは立ち止まった。


 立ち止まったアーデスは耳をピンと立てて何かを見ている。下を向いて呼吸を整えていたメルも、顔を上げてアーデスの視線の先を見た。


 そこにはこじんまりとした木造の家があった。まるで絵本の中から抜け出してきたような家だ。切妻屋根からは煙突がにょきりと生えているし、家全体を包みこむようにして蔦の葉が絡みついている。その蔦の間からは黄色い花が覗いていて、この愛らしい小さな家をさらに良いものに際立たせていた。さらに家の前はちょっとした庭になっており、色とりどりの花が植えられている。家の窓辺にも庭から採ったらしき花を生けた花瓶が置いてあるのが見える。


「素敵な家」


 自然とメルの口から心の声が漏れる。それを聞いていたアーデスは、


「ええ、そうでしょうとも」とつぶやいた。


「これは、この家は、わたくしがご主人様と暮らしていた家ですもの」

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