図書館司書メル・アボットと喋る猫

藤咲芽亜

第1話 喋る猫

 リヴレ王国王立図書館に勤務する図書館司書メル・アボット(十九歳)は、その日もいつもと変わらない日常を送っていた。


 まず早朝に職員入り口から図書館に入り、事務的な仕事を済ませてから書庫へこもって新たに書庫入りする書物を分類する。次に発注したばかりの書物を受け取り、それを新刊コーナーに並べる。図書館の開館と共になだれ込む来館者の相手をしながら書物に積もった埃を掃除する。そうした作業が午前まで続き、午後からは本の貸し出しを行う受付係に回される。


 そして現在、ちょっと珍しい銀色の髪を背中に流し、無表情で受付に座っていメルは、受付係にはあるまじき人を寄せ付けないような雰囲気を纏っていた。彼女自身、何度も館長に自分は受付係には向かないから午後からも裏方の仕事に回してもらいたいと再三言っているのだが、どういうわけか館長は首を縦に振ってくれないのだ。館長曰く「苦手なことから逃げてはダメよ。」らしい。


 しかし受付に座っていても、皆メルの話しかけづらい雰囲気におののいていつもメルの隣に座っているもう一人の受付係へ声をかけるのだ。だからメルは特にやることがない。しかし、今はその受付係が来館者を案内するのに席を空けているため、メルは一人で受付に座っていた。


 メルがぼんやりと虚空を眺めていると、「すみません」という上品な男性の声が聞こえてきた。ハッとしてメルは辺りを見渡したが、メルに話しかけてきているような人はどこにも見当たらない。すると、「下です。下」と声が言ったので、メルは立ち上がって身を乗り出し、受付のデスクの真下をのぞきこんだ。するとそこには、灰色の美しい毛並みをした猫がいた。


「あ、どうもです」


 猫はメルと目があうと行儀よく会釈した。メルがぽかんとしていると、猫は「ちょっと失礼。」と言ってからぴょんと軽やかに跳躍してデスクの上に着地する。


「喋る猫を見るのは初めてですか?」


 猫の言葉にメルはこくりと頷く。すると猫は尻尾を優雅に振りながら


「まあ、そうでしょうな。」とつぶやいた。


「昨今じゃあ魔力を持つ猫も少なくなりましたし。」


「魔力?じゃああなたは魔力猫マギーシャなの?」


 メルはようやく口を聞くことができた。


 マギーシャとは、人間族を始めとしてこの世界に数多くある種族の一つである。彼らの見た目は猫そのものだが、人語を解し魔法を操るところが普通の猫とは異なり、さらにその寿命は人よりもはるかに長い。そのためか、使い魔として魔法使いに重宝されることもある。昔は人里でも多く目にすることができたらしいが、今では大変珍しい種族である。


「えっと、それで何の用ですか?」


 メルの不躾な言葉遣いに特に嫌なそぶりを見せることなく、猫は口を開いた。


「ああ、実はある本を探しておりまして。おっと、そういえばまだ名乗っておりませんでしたね。」


 そこで一旦言葉を切り、猫は改まった様子で深々とお辞儀した。


「わたくし、名をアーデスと申します」


「あ、はい。私はメル・アボットです」


 礼儀正しいアーデスにつられて思わずメルも自己紹介もそこそこに頭を下げる。


「それで、どんな本をお探しなんですか?」


 メルに尋ねられ、アーデスは懐かしそうに目を細めた。


「わたくしのご主人様の残した本でございます。いえ、元ご主人と申しますか。もうとっくに亡くなっておりますので」


「そう、ですか。そのご主人のお名前は?」


「エイベル・ドラモンドと言います」


 メルはその名を舌先で転がした。おそらく魔法使いの名だということは予想できる。マギーシャがご主人様と言って仕えるのは魔法使い以外にはありえないからだ。


「確か、魔法使いが記した魔道書の類なら書庫に分類してあるはずです」


 そう言って立ち上がりかけたメルに、アーデスは「いえいえ違うんです」と慌てて言った。


「確かにご主人様は魔法使いでしたが、わたくしが探しているのは魔道書ではございません。日記にございます。」


「日記?」


「はい。ご主人様が日々の出来事を記した日記にございます。もしかしたら、大陸最大の蔵書数を誇るここリヴレ王国の王立図書館にあるのではと思い、尋ねて参ったのです。」


 著名な人物が残した日記ならこの図書館に保管されている。ならばそこにあるのではないかとメルは検討をつけた。


 タイミングよくそこへ戻ってきたもう一人の受付係に受付の仕事を任せ、メルはアーデスを連れてその書庫へと向かった。


 日記が保管された書庫へはすぐに辿り着けた。


 メルは「A」で始まる著者名の置かれた箇所を指でなぞりながら探した。しかし、そこにエイベル・ドラモンドの名はなかった。


「ありませんね。仕方ありません。蔵書リストの中から探しましょう」


 そう言ってメルはアーデスにそこで待ってもらい、事務室からこの図書館に収蔵されているほぼ全ての書物が記録された、恐ろしく分厚い蔵書リストを数冊荷台に乗せて運んできた。重すぎてとてもではないが抱えて運べないのだ。


「こんなにあるのですか」


 ゴマのようなサイズで書かれた文字が並ぶリストを眺めながら、アーデスは目を丸くする。メルは「はい。でも、ここに記載されていない本もあります」と頷いた。


「この図書館は、私たち図書館司書でも把握しきれないほどの書物を収蔵しています。奥の書庫は図書迷宮ビブリオラビリンスと呼ばれ、果てしなく書庫が連なっており、あまりにも奥へ入ってしまうと迷って帰ってこれなくなるという与太話まで生まれるほどです。」


「ほう」


 アーデスは感心しきった様子で鼻を鳴らした。


 メルはアーデスとともにリストを片端から調べた。そうして「あ」とメルが声をあげた時には、書庫に差し込む光はすっかり夕暮れの色を帯びていた。


「見つかりましたか?」


 アーデスがずっとリストを眺めていたせいでしょぼしょぼする目をパチパチとさせながら尋ねる。メルは「はい」と頷いた。


「あなたの探している日記かどうかはわかりませんが、エイベル・ドラモンドという人が記した書物はここにあります。」

 

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