銀竜の翼にて・1


 ウーレン皇女・ジェスカは苛立っていた。

 謁見の間の玉座に、エーデム王・ファウルの代わりに座り、兵が赤子を連れてくるのを待っていた。回せるだけの兵を赤子探しに繰り出した。

 王妃・セーナの首を見た時、彼女は少し笑みを浮かべ、手を叩いて喜んだ。が、待てど暮らせど赤子は来ず、王から流れる血の赤ばかりが床に広がるだけだった。

 彼女はキリキリと歯ぎしりをして立ち上がり、壁に張り付けられたエーデム王の胸の槍を引き抜いた。が、それは、優しい行いではなく、単に亡骸を床に落として首を切り落とすためだった。


 一見、今回の夜襲は大成功に見える。だか、目的は、まだ達していない。

 奪いたかったのは、エーデムの地ではない。エーデムの血なのだ。

 ウーレンの傀儡となる王族を獲ること、そして、逆らう王族を皆殺しにすること。

 だが、わざわざ遠方から皇女自ら訪れたというのに、ファウル王はせっかくの申し出をあっけなく断った。

 彼は、ウーレンの壮大な夢を笑顔で流し、今の平和さえあれば何もいらないと言った。

 だから、死を贈り物として授けてあげたのだ。

 平和も奪い去ってあげたのだ。

「愚かな王よ。平和でボケてしまったようだな。わらわの願いさえ叶えてくれれば、首だけにならずに済んだものを」


 人間に魔族と呼ばれている種族には、それぞれに特徴がある。

 元来、ウーレン族は、ウーレン・レッドと呼ばれる真っ赤な燃えるような髪と燃える目、ややとんがった耳の先に飾り毛と呼ばれる赤い産毛を持つのである。しかし、他の魔族と同様、古代の血が薄れるにつれて、王族でさえこの特徴を持つ者がまれとなった。

 まさにウーレンそのものの姿である皇女に比べ、皇女の横で控えている初老の男には、その特徴はなかった。皇女の片腕である宰相のモアである。

「モアよ、あの男の説得はうまくいっているのだろうな? 王が平和ボケの役立たずなら、もう頼りは……」

 皇女の言葉が終わるか終わらないかのうちに、一人の兵士が駆け込んできた。

「申し上げます! ただ今、獄中にて、アル・セルディン公が自害しました!」

「なんだって?」

 ウーレンの皇女と宰相は、同時に声をあげた。

 何一つ抜かりのない計画のはずだった。だが、これだけは、全く想像のつかない出来事だったのだ。


 


 イズー城の地下牢に、前エーデム王の弟にしてファウル王の叔父にあたるアル・セルディンを閉じ込めていた。だが、その男は、もう息をしていなかった。

 エーデム王族らしい美しい銀髪を血で濡らし、美しく滑らかに湾曲する銀の角に、もう輝きはなかった。

 王の死を前にして呆然自失の男は、逃げる気力もなく、素直に独房に押し込められた。念のため、しばらくは見張りを立てていたが、不要に思え、赤子探しに駆り出した、そのわずかな隙だった。


 皇女が地下に降りてきた時、薄暗くも湿った空気に血の匂いが混じっていた。皇女は顔をしかめた。

「おお、なんとむごいことよ」

 全身血まみれである。壁のあちらこちらにも、血が飛んでいる。

 セルディンは、小さなナイフで胸や首を何度も刺したようだが、なかなか致命傷にはならなかったのだろう。相当苦しんで死んだようだ。発見された時は、まだ微かに息があったという。 

「わらわの手にかかれば、心の臓を一突き、もっと簡単に命を落とせたというに。このように醜く、汚い死に方をせずとも済んだものを」

 そういうと、皇女は忌々しそうに亡骸なきがらを蹴り上げた。

「この男の持ち物を確認したものは誰ぞ! ナイフを見落とすとは何事ぞ!」

 地下の重たい石の壁に、声は反響し、轟くようだった。勇猛果敢な兵士ですら、身を引いて縮こまり、誰も声をあげなかった。

 怒鳴り散らす皇女の側で、モアが指をさした。その先に、換気のための穴がある。鉄柵が外れていた。

 誰かがここを通って、彼を殺したのか?

 いや、それはないだろう。人が通るには狭すぎる。子供がかろうじて通れるかどうかだ。

 それに……。

 有角のエーデム魔族は、エーデムリングの力で常に守られている。刃物の力で殺せるものはいない。

 ゆえに、ウーレンは陰謀を企て、抜かりない計画を立て、この夜に及んだのだ。

「ここにナイフを隠しておいたのでしょう。セルディン公は賢い男でしたから、このような日が来ることを予見していたのかも知れませんな。いずれにしても……もったいない者を死なせてしまった」

 モアは亡き者の人柄を偲んだが、皇女は別の意味で彼の死を悼んだ。蹴るだけではもの足りず、何度も何度も靴の踵で踏みつけた。

「なぜだ? なぜ、自ら死を選ぶ? ウーレンの傀儡になることが、そこまで嫌か!」

 エーデム王族は血を見るのが嫌いだ。

 殺戮を嫌い、獣も鳥も殺せはしない。ましてや人など殺すなんてありえない。

 自分で自分を殺すなんて、どう考えてもありえない。

 そもそも、赤い色が嫌いなのだ。

 真っ赤な髪を持ち、真っ赤な目を持つウーレン族は、その容姿だけで嫌うに十分。エーデム族にとって、血で血を洗うような生き方しかできないウーレン族は、おぞましくも近寄らせたくもない種族なのだ。

 エーデム族自らは、手を汚すことなく、魔の力にて得た平和な日々にのさばって生きている。

 ウーレン皇女・ジェスカは、ファウル王が最後に見せた拒絶の笑顔が大嫌いだった。そして、セルディン公のたどたどしい死様も許し難かった。

 血で手を汚すくらいなら、自ら命すら断つと言うのか?

「勝手に死ぬな!」

 靴の下で、骨の砕ける音がした。



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