1-020 お屋敷の異変


 お酒に少し酔った気持ちの良い気分と、もう少し堪能したいという気持ちが混ざった状態で、わたしはゆっくりと屋敷へ戻ってきた。

 今までにない充実したお休みを過ごし、帰りたくない思いが歩みを遅くしたかもしれない。

 それとも、もしかしたら何か予感があったのかもしれない……


「ただいま戻りました」


 屋敷の裏口を開けて声を掛けるものの、近くに人がいないのか、誰からも返事がなかった。

 それぞれに忙しく仕事をしているのだから、こんなときもある。

 そう思って中へ入っていくと、少しずつ違和感を感じ始めた。

 いや、酔っているので少し気付くのが遅くなったのだと思う。

 だって、こんなに静かなわけがないのに。

 だって、門からここまで誰にも会わないなんてあるわけないのに。


 そして、わたしがそれに気付いたときには遅かった。

 強い衝撃が頭を襲ったと思ったら、わたしはそのまま気を失ってしまった……



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 また、ネブンに呼び出された。

 午前中に呼び出されたのに、夜にも呼ぶなんて、懲りない人だと思う。

 そう、今日は2回目。

 しかも、いつもと違って食堂に呼び出された。

 呼びに来たのもコリーナさんじゃなかった。


 あれ?

 なんで、2回目?

 1日寝てるんじゃなかったっけ?


 何かを忘れている気がしてイヤな予感を覚えながら、断ることが出来ないわたしは、ゆっくりと食堂へと入った。

 食堂は暗く灯りもついていない。

 手元のランプだけでは、中を見通すことは出来なかった。

 でも、異様なことはすぐに分かった。


 嫌な臭いがする……

 血の臭いだ……


 そして、そこかしこから聞こえてくるうめき声。


 な、何が起こっているの?


「よぉ……来たか……」


 ネブンの声が聞こえる。

 いつもの怒りが混じった不快な声ではなく、妙に落ち着いてゆっくりとした不気味な声だった。


「お前は……あいつの仲間だよな……?」


 ネブンの姿を探して歩くと、足が何かにぶつかった。


「ひっ!」


 人だった。

 床に寝転んだ、傷だらけの人だった。

 少し前までのわたしと同じように、服を剥かれて色んなところを殴られている。

 何かに刺されたような傷も見えた。

 周りを照らしてみると、男も女も関係なく、何人も倒れている。


 ネブンの仕業だ……それしかない!

 これは、やばい!

 ここまで無差別にやるヤツじゃなかった。

 使用人を半殺しにするほど痛めつけると言うことは……


 よそ見をしながらふらふらと歩いていたから、前に立った人物に気付くのが遅れた。

 ドンっとぶつかったときには、もう頭を鷲掴みにされていた。


「なあ? そうだよなぁ?」


 ネブンがわたしの顔を覗き込みながら問うてくる。

 感情の見えない目。

 質問の意味が分からない。

 あいつって誰?


「お前はオレのことを嫌いだもんなっ!」


 ガツンという音とそれに見合った衝撃と共に、頭に猛烈な痛みが走った!

 痛い!!

 言葉の途中で、床にたたきつけられたんだ。


 いやだ!

 いやだ!

 痛いのはいやだ!


 わたしは首輪に意識を集中した。

 これですぐに眠るはず……


 もう一度、ネブンはわたしの頭を持ち上げ、顔を寄せてきた。


「どうしたぁ? 何を考えてるんだぁ?」


 わたしは目をキツく瞑り、ネブンが早く眠ることを祈った。


 するとすぐにネブンが顔を離した。

 薄らと片目だけを開けて様子を窺う。


 笑っている。

 ネブンが笑っている。


 そしてネブンは、わたしを床に放り投げた。


 反射的に頭は腕で庇った。

 腕が痛い!


 少し床を転がって、背中が椅子の脚に当たって止まった。

 背中が痛い!!


 でも、手を離したということは、これでネブンが寝たはず。


 涙でにじむ視界に、ネブンを見付ける。

 ネブンは意に介した風もなく、わたしへゆっくりと近付いてくる。

 そして、ネブンの足が振り上げられた。


「ぁっ!!」


 痛い痛い痛い!

 息が出来ない!


 なんで効かないの!

 なんでネブンは眠らないの!!


 このままだと、殺される!!

 使用人に容赦しなかったんだ、わたしに容赦するはずがない!


 わたしはもう一度、首輪へ意識を集中させた。

 嘘のように痛みが引いていく。

 魔法は使えてる、良かった……


「ん? お前……何かしたな?」


 気付かれた!

 安心したことで、表情を緩めてしまったからだ。


「あいつが! あいつから魔法を使うように言われたんだな!!」


 血走った目を宙に向け、口の端から泡を飛ばしながら、ネブンが叫んでいる。

 怒り方がまともじゃない。


 『あいつ』って誰?!

 これはわたしの身を守るために、ボグダンさんが渡してくれた物。


 狂った目でわたしを見下ろしたネブンは、わたしの首輪を掴んで、そのまま持ち上げた。


 力が強い……こんなに強くなかったはずなのに!

 苦しい!

 誰か助けて!

 このままだと悪魔に殺される!


 そして、わたしの意識は遠のいていった。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 日もすっかり落ちて食事も終えたので、わたしはいつも通り領主様のお屋敷へと向かった。

 格好もいつも通り、真っ黒のドレスに魔石のネックレス。

 お屋敷は山の上なので少し距離があるけれど、力の強くなる魔法を使うと身体を速く動かせるようになって、すぐに着くことが出来る。

 魔法が便利すぎて、あまり使っているとなんだか不安になってくるわ。

 頼りすぎてしまうような気がして……


 お屋敷に着いたら魔法を解除して、扉のノッカーを叩く。

 そういえば門兵さんがいなかったけど、休憩中なのかな?

 扉の前で、しばらく待ってみても返事がない。


 どうしたのかしら?

 今日は何か特別な日だったかな?

 お屋敷の人がみんな集まるような日……収穫祭ぐらいしか思いつかないわ……


 わたしは少し迷った。

 でも、何も言わずに帰るのは失礼よね?


 だから、扉に手を掛けた。


 あれ?


 手を少し当てただけで扉が開いてしまった。

 ちゃんと締まってなかったみたい。

 不用心ね。

 鍵を掛けないんだったら、開いてても一緒かな?


 中を覗いても近くには誰も居ない。

 それだけでなく、やけに暗い。


 こんな時は、明るさを調整する魔法よ。

 ボーグからもらったネックレスに念じると、昼間かと思うほどに、周りが明るく見えるようになった。

 これもあまり使っていると、昼なのか夜なのか分からなくなりそうね。


 とりあえず、ネブン様の部屋へ向かおうと屋敷の中を歩き始めたけど……ネブン様の部屋に着いても誰も居なかった。

 こんな広いお屋敷で、案内してくれる人も居ないのに、どこを探せば良いのかな……

 不安に思いながら、誰か話の出来る人を探して歩き始めた。

 領主様の使用人はたくさんいるのだから、誰か一人ぐらい出会うだろうと思って。


 なのに、しばらく歩いても誰にも出会わない。


 更に疑問を深くしながら、お屋敷の中をくまなく見て回ることにした。

 段々迷いはじめて、今自分がどこに居るのか良く分からなくなってきた頃、食堂らしき場所を通りがかったときに、中からガタガタと物音が聞こえた。

 続けてネブン様の叫び声も。


 すぐにわたしは食堂へと飛び込んだ。


 すると、そこには異様な景色が広がっていた。

 怪我をした人達がそこら中に倒れていて、小さく呻き声が聞こえる。

 真ん中にある大きなテーブルには、入った近くにだけ料理が置かれていた。

 食べかけの料理はすっかり冷めているみたい。

 テーブルの中央付近には、未調理の野菜や果物が飾り付けられていて、まだこれから料理が振る舞われるかのようだった。


 そして、食べかけの料理がある席近くには、領主様も倒れていた。

 領主夫人の姿は見えない。


 何があったの?

 悪い物でも食べたの?

 ……怪我をしているんだから、そうではないわよね。


 その時、食堂の反対側から、柔らかい物が床に落ちる音が聞こえた。

 そちらに視線を向けると、ネブン様が片手で少女を吊り上げ、反対の手で服を剥いでいる姿が見えた。


「何をしているの!?」


 わたしの声に気が付いたネブン様は、ゆっくりとこちらを振り向いた。


「来たか」


 薄らと笑いを浮かべて、邪魔な物を捨てるように、吊り上げていた少女を床に放り投げた。

 ドサリと音がして、少女は床に横たわった。


 酷い扱い……人を物のように扱って……

 ネブン様のこんな振る舞いを、わたしは見たことが無かったけれど、確かにボーグが言っていたように『あいつ』のような性格だわ。


 そう実感した時に、わたしの中で何か引っ掛かった。


 『あいつ』のような人間を、ボーグのようにしたい?

 みんながそれを望んでいる……?


 これは、どこかで感じたような感覚……

 もう少しで分かりそうなんだけど……


「お前達がオレを魔法で操っていたのだろう!!」


 ネブン様の激昂に任せた叫び声が、思ったより小さくわたしの耳に届いた。


 わたしが魔法で?

 わたしは、自分へ魔法を使った覚えがあるけど……後は守るための魔法が勝手に使われていただけで……


「ボーグは、わたしを守るための魔法は幾つも掛けてくれているけど、あなたに魔法を掛けていないと思うの」


「ふざけるな!! お前が一番怪しいだろう!!」


 何だかすれ違いを感じる答えね。

 ネブン様は、魔法を誰が使ったかは分かっていないということ?


 そういえば、ネブン様へボーグの素晴らしさを話しに来たとき、表情の変化がおかしいと何度も思った気がする……

 そしてその時、コリーナさんが合図をわたしに送ってきていたことも。

 ああ、そうか。

 コリーナさんが魔法を使ってたんだ……

 わたしの安全のために。

 ということは、やっぱりボーグが頼んだのよね?


「答えろ!!」


 表情からは厳しそうに見えるネブン様の叱責が、柔らかな音量でわたしの耳に届いた。


 コリーナさんはきっと、こんな振る舞いをするネブン様を知ってる上で、ネブン様に魔法を掛けていた。

 きっと、バレたら非道い目に遭うことを承知していたのだと思う。

 そんな危険と隣り合わせで、わたしを守ってくれていた人を、わたしは差し出すことなんて出来ないわ。


「わたしじゃないわ……それよりどうしてこんなことをしたの?」


 屋敷の使用人だけでなく親である領主様まで……


「誰がやったか知るために決まっているだろう!! オレをこんな目に遭わせたヤツを、オレは許さない!!」


 ネブン様は正気を失った目でわたしを睨んでくる。


「犯人を見付けてどうするの?」


「殺す!!」


 分かりやすい答えだけど……


「その人を殺して、あなたは何が手に入るの?」


 コリーナさんを殺しても、失うだけじゃないの……


「煩い!! オレが気に入らないヤツは全員殺す!! お前もあいつもだ!!」


 何が楽しいのか、ネブン様は天井を向いて笑いながら続ける。


「そうだ! オヤジも家令も! この村も気に入らないから、燃やしてやるぞ!! まずは見せしめとしてお前からだ! あいつの前でお前を嬲って犯して殺してやる!! そのあとあいつも殺してやる!!」


 本当に楽しそうに、わたしを指差して宣言している。


 自分の欲望のままに、この村を燃やす……?

 しかもボーグも殺すって言ってるのよね……?

 わたしの大切なものを奪うというの……?


 また、わたしは既視感を感じた。

 何かが引っ掛かる……


 ボーグが言うように、ネブン様が『あいつ』となら……どうしたら良いのか、わたしはその答えを知っている!


 ああ、そういうこと……だから、既視感を感じていたのね。

 わたしにしか出来ないことなのかどうかは分からないけど、みんなが望んでいるなら、やっぱりわたしがすることなんだと思う。

 あの時と同じように。


 わたしは周りを見回し、テーブルの上に目的のものを見つけた。


 よし。

 やってみよう!

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