1-021 同じ条件を揃えないと、同じ結果は得られないようで
僕は机に置いた幻想時計で、時間を確認した。
幻想時計の上では、神々しい感じがする羊が、宙を駆け回っている。
その中央に時間を示す数字が並んでいて、そろそろ村人達が眠りにつく時間を示していた。
とっくに帰って来ても良いのに……
今日は順番から言うと、ネブンが寝ている日だ。
そういう日だと、ミレルはネブンの部屋まで行って、寝てるのを確認したらすぐに帰ってくる。
いつもなら、30分も経たずに帰ってくるはずなのに──ミレルが出掛けてから1時間は経っている。
考えすぎかも知れないけど心配だ。
僕はすぐに領主の屋敷へと出掛けた。
魔法で筋力強化して、星明かりしかない夜道をひた走りながら、考えを巡らせる。
ここ数日、色んな人のところに手土産を持って訪れ、人の性格を変える方法を聞いて回った。
結論から言うと、簡単には出来ないという、当然の答えだった。
キシラは、美味しいものを食べれば仲良くなれるケ、って楽観的なアイデアだった。
分からないでもないけど、それで仲良くなるなら対立している相手では無いかな。
エルフの『いずれ』って何年だろうね……
でもこの考え方は、スポーツ漫画で良く見るパターンだから、一般的とも言えるかな。
シシイは、殴ったら分かる、って予想通りの答えだったし。
単純で最も分かりやすい、バトル漫画脳だね。
念のため、ネブンの侍従達の話を聞いたり、領主の家令や侍従達にも聞いてみたけど、被害者達だからか反応はいまいちだった。
あれは死なないと変わらない、と。
魔法の方は、人の脳や精神に直接作用する系統もあるものの、『
『
他の魔法にしても、回復や防御は簡単に使えるけど、整形魔法も望んでいない方向に変えることは出来ないようだった。
攻撃魔法も無いわけではないのに、なんだかチグハグ感を感じるけど……とにかく、精神に作用する魔法は、特に安全への配慮が顕著に思えた。
魔法という専門技術を使える人も少ないわけだし、気付かないうちに、誰かの都合が良いような考え方に
正しいことかも知れない。
本人の意思の元、専門家の判断で、生命に危険が及ばない範囲でしか使えない。
なんとなく処方箋みたいな魔法だ……
「不眠症ですね、『
ありそう……
魔石に本人認証を付けて、効果強度を制限して、期間まで限定したら、睡眠導入剤より安全に使えそうだ。
他者へ譲渡しても使えないから闇売買される心配も無いし、効果の強さも決まっているから
本当に僕の知ってる現実の延長線上にある魔法だ。
魔法を病気に対する処方と考えてみれば、ネブンの偏執的な思考は、パーソナリティ障害と言える気もしてくる。
心療内科系は分類が色々あって、診断が難しいので苦手だけど……たぶん自己愛性の障害だよね。
今はネブンがそのままだと、通常の生活が困難だから、一旦落ち着かせるために安定剤を処方した状態、とも言えるわけか。
薬物投与によって、気持ちを落ち着かせて正常な判断をさせるのは、一時的にしか効果がないんだよね。
こういう場合は定期的に検診して、本人と対応策を考えていかないとダメなんだけど……治したいという本人の意思が必要なので、彼の場合は治療が難しそうだな……現状で良いと思ってそうだし。
パーソナリティ障害だったとしたら、これって薬が切れると反動で悪化するタイプだよね?
イヤな予感しかしない……
早急に根本的な解決策を考えないとダメなんだけど、シシイの案が一番現実的に見えてくるフシギ……
うーん……困った。
良いアイデアが浮かばないまま、屋敷に着いてしまった。
そして、イヤな予感は的中した。
門兵が居ないし、静かすぎる。
夜遅いとは言え、門兵は必ず居るし、領主の晩御飯は時間がかかるので、いつもなら使用人達はまだ片付けをしているはずだ。
僕は急いで、開いたままの扉を潜り、エントランスを走り抜ける。
ここ数日通っていたから、屋敷の見取り図は頭の中に出来上がっている。
こんな静かな状態ということは、ネブンは部屋に居ないのだろう。
屋敷を歩き回っているか、もしくは……
まずは、人の集まりそうな場所から調べていこう。
そう思って、食堂へと足を向けた。
食堂が近付くと、すぐにネブンの叫び声とミレルの落ち着いた声が聞こえた。
よし、まだ大丈夫そうだ。
そう思って飛び込んだけど、あっさりと裏切られた。
そこに広がる惨状に、僕は息を飲んだ。
大丈夫なのはミレルだけで、他の人たちは重傷のようだった。
服を剥かれた人たちが、折り重なるように倒れてる光景は、さながら地獄絵図のようだ。
「ボーグ!?」
「来たなボグダン!!」
驚いているミレルと、怒りと喜びが入り交じった顔のネブン。
「オレは今からその女を殺す! お前の目の前で!」
この惨状から言えばやりそうだとは思うし、ネブンがそう言う人間だというのは、元から分かりきっている。
むしろなぜ、わざわざそれを今宣言したのか、
そんなこと言われたら、僕がミレルに近付けさせるわけ無いだろう?
僕は『
ミレルに近付こうとしていたネブンは、魔法に阻まれて前に進めなくなった。
「またかっ!?」
ネブンは方向を変えて進もうとするものの、少し進んですぐに止められることを繰り返し、ちゃんと魔法が円形に発動していることを、僕に教えてくれた。
これでたぶん、入ることは出来るけど出られなくなる檻が完成した。
何となく、魚を捕まえる罠を想像してしまう。
「なんだ! どういうことだ! 出られないぞ!!」
ミレルを見れば、僕に頷きを返した後、野菜が積んであるテーブル中央に向かったので、問題無さそうだ。
ネブンの疑問はどうでも良いので、先に負傷者の状態確認を優先させよう。
前回の嵐があった時に調べておいた魔法、閃術『
この魔法は名前の通り、負傷者を状態別に色分け表示してくれる。大規模な事故や災害の時に、大変お世話になりそうな魔法だ。
問答無用で、近くの人から順番に回復させていっても良いけど、その間に間に合わなくなる人が居たら嫌だからね。
僕の視界に、『
僕の知ってるトリアージは黒赤黄緑の4色分類だけど、この魔法では、緑から赤の色相変化と赤から黒の明度変化がリアルタイムに表示される。
幸いなことに、重傷者を示す赤から黒の人はいない。
最も酷い怪我でも橙色程度で、今日中に処置を施せば症状が進むことは無さそうだ。
地獄絵図のような見た目だっただけに、少し心配をしていたけど、それほど酷くなくて安心した。
そう、有り体に言えば、一旦気を抜いてしまったのだ。
まだネブンの件は片付いていないのに。
順番に治療魔法を掛けていけば問題ないと安心して、ミレルとネブンに視線を送れば──
「えいっ!」
ミレルが可愛い掛け声と共に、人の
あれ? ミレルさん、なんでその死ぬほど硬いカボチャを、筋力強化してまで力強く投げてるの?
ミレルの狙う先へ、素早く視線を送ると、そこにはネブンが居る。
なるほど、ネブンに向けて投げるのね……?
気付いたときにはもう遅く、まるで頭のアンパンを新しい物に付け替えるかのように、カボチャは見事にネブンの頭を打ち据えていた。
いや! 待とうよ!
元気百倍になるなら良いんだけど、普通に考えたら即死でしょ!
慌てて僕は『
幸い、アニメのように頭がすげ替えられるようなことにはなっていない。吹き飛ばされただけだ。
ネブンもカボチャも、反対側の『
『
キープしていた『
瞬時に治療してしまう魔法なら、即死級のダメージでも何とかなるようだ。
とりあえず命に別状はないけど……心配なので『
いつもに比べると、なぜかAR表示される情報が少ないけれど、身体に異常が無いことは分かった。
少し混乱はしているようだ……あれだけの衝撃を頭に受けたわけだし、記憶が飛んでいてもおかしくないぐらいだ。
誰彼構わず暴力を振るっていた錯乱状態に比べれば、混乱状態の方がまだ良い方だろう。
回復したらすぐに何か叫んでいるけど、ネブンの方は生きてるなら良いとして。
「あの……ミレルさん? なんであんなことをしたのでしょう……?」
僕の頭によぎるのは、転生直後の記憶。
最近は甘いあまーい新婚生活を送っていたから、ミレルは怒らせると怖い子だということを、忘れていたかもしれない。
「だって、彼がわたしの大切な物を奪うって言うから……ボーグも彼を逃げられないようにしたから、しっかり狙えってことかと思って……間違ってたかな……?」
上目遣いでそんなこと言われたら、ミレルを全肯定したくなるじゃないか!
「いや……間違ってはいないよ。うんうん、そういう感情的な行動に出るのもまた人間だよ」
「それだけじゃないのよ? わたしは経験から、この大切に育てられたカボチャをぶつければ、相手の考え方が変わるのかと思ったのよ……それが、みんなから聖女って言われるわたしに、出来ることなのかなって……」
あー……そんな風に考えてたのか。
これまでに起こった色んな現象が、因果に関係なくこんがらがって繋がっちゃってるみたいだね……
無理もないよね。
真実を知ってるのは僕だけで、みんながみんな、自分の納得できる理由付けをしてるだけだもんね。
何となく、SNSに投稿した短い呟きが、色んな解釈を付けられて拡散されていくのを思い出してしまった。
発信元は僕なんだし、説明はしていかないとダメかな。
何も答えない僕を、ミレルが不安そうに見つめていた。
そんな彼女を、優しく僕は引き寄せて頭を撫でる。
少なくとも彼女には、転生の話も含めて全て話しておこう。
隠していることが、今回みたいな勘違いの起こる原因だし、夫婦間での隠し事は無くしてしまいたい。
『こいつ』が精神的に先に死んだから、残った肉体に僕が入り込めたんだということも。
その状況から考えると、今の状態で、ネブンの精神が先に死ぬとは思えない。
条件が足りない。
「ミレルはあの時の気持ちと同じなのかな? どうしても殺したいほどの思いはあるかな?」
僕に頭を撫でられたまま、ミレルが首を左右に振る。
「わたしが止めないと、っていう思いはあの時と一緒だけど、わたし自身が彼を恨んでいるわけじゃないから……全てが一緒ではないと思う」
実に冷静な分析だ。
恐らくミレルの言う通りで、殺したい思いが少くて、義務感の方が強いのだと思う。
そしてネブンの方も、たぶん『こいつ』が体験したような恐怖を感じてはいないだろう。
特に先ほどの
つまり、人が精神的に死ぬ状況にはない。
昔聞いた話だと、肉体より先に精神が死ぬのは、自分が死んだと思い込むことによって起こるんだとか。
そして、ミレルの望む彼の性格の変化は、精神が先に死んだ上で、転生先に選ばれないといけない。
きっとその確率は、天文学的な数字になるのだろう。
「ミレルがあの時と同じ気持ちじゃないなら、同じことは起こらないよ。だから、今はその気持ちを抑えて欲しい。後で全部説明するから」
仮にも領主の息子だ。
こんな事件を起こしているとは言え、彼を殺してしまえば、その犯人を無罪で置いとくわけにもいかないだろう。
彼自身が勝手に死んだなら良いかも知れないけど。
ミレルが僕に頭を撫でられながら、更に僕の胸に頭を擦り付けてくる。
「分かった。ボーグの言うとおりにする……」
素直でよろしいです。
嫁さん可愛いです。
甘い雰囲気が漂いはじめたのを嫌がってか、ネブンが叫び声を上げた。
何となく必至で止めようとする雰囲気が伝わってくる。
いや、こんな状況でいちゃいちゃするのはどうかしてると思うよ?
うん、それは分かる。
でも、彼女が落ち着くまでぐらい良いじゃない?
そんなに必死な絶叫しなくても……ん?
ネブンの方を見ると、『
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