第22話 村の若い女性が暗いようで
ランプ工房を出た後、僕はどこに行くか迷っていた。
燻製肉パーティーが盛況で時間を食ってしまった。それで、畑に行くのも微妙な時間になってしまった。
村の中を散策しても良いのだけど……
「ボグダンじゃねぇか、今暇か?」
そう声を掛けてきたのは昨日治療を施したマリウスだった。
治療したはずなんだけど顔に殴られた跡があるような……?
「ああ、これか? ダマリスにやられちまってな……そのことで暇なら付き合って欲しいんだが」
術後の調子も聞きたいし付き合ってみよう。たぶんそのダマリスにもいずれ会わないといけないだろうし。
「時間はあるから大丈夫だよ」
「それなら、ダマリスのところに行こう」
そう言ってマリウスは歩き出したので、とりあえず案内してもらうことにした。
「傷を治してから調子はどう?」
「全然問題ないぜ! 顔だけじゃなく身体中調子が良くてよぉ、一暴れしたいぐらいだぜ!」
テンション高く報告してくれるマリウス。
他の悪かったところまで治してくれてたりするのかも……単純に不自由な部分が無くなったから、気分が晴れただけって可能性もあるけど。
いずれにしても、問題が起きて無くて良かった。
「で、その事をダマリスに話したんだけどよ、滅茶苦茶怒られて、このざまよ」
少し気分を落としながらマリウスは殴られた跡を指す。
ダマリスに話した……だと?
「他の人に喋ったのか?」
「大丈夫だって、約束通りダマリス以外には言ってねぇよ」
ダマリスに話すことは約束内みたいな言い方……ああ、『他の人』の差すものが違ったのか……もっと明確に言っておけば良かったか。
これでマリウスを責めるわけにはいかないな。
そうなると、他にも齟齬があるような……?
「お前が治療してくれるってダマリスに言ったんだけどよぉ、あいつが乗り気じゃねぇんだ……」
やっぱり思い違いがある。
僕は昨日の会話をなるべく詳細に思い浮かべた。
確かに会話が成立していたように思えるけど……治療対象が明確でなかった。
マリウスは元からダマリスを治して欲しいと言っていたのか……それを僕が勘違いしてマリウスの傷を治す依頼だと受け取ったのか。
契約書って大事だな……
どちらにしてもダマリスは治療する予定だから、まあ良いか。
モヤモヤと考えている内に、マリウスが村外れに建てられた家の前で立ち止まった。
「ダマリス、いるかー?」
マリウスはノックも無しに勝手に扉を開けて入っていく。
勝手知ったるというやつだ。マリウスとダマリスは本当に仲が良いようだ。
家主の返事は聞こえてこないけど、ここで待っていても仕方がないので僕も入ることにする。
躊躇うことなくマリウスは進み、奥の部屋──恐らく寝室へと、これまたノックもせずに足を踏み入れていく。
女の子の寝室に勝手に入るとかやり過ぎじゃないのかな……
「あんたなんか知らない! 帰れ!!」
中から女の子の声が刺さるように飛んできた。
それでも気にせずマリウスは部屋の中へドカドカと入っていく。
ホントに遠慮が無い。確かに殴られても仕方がないような。
「ボグダンを連れてきたぞ。昨日言ったことが嘘じゃないって教えてやるよ」
そのマリウスの言葉に、ベッドから影が勢い良く起き上がった。
「ボ、ボグダン!! 来るな!! 近寄るな!! 死ね!!」
前二つの単語と最後の単語に全く繋がりが無いんだけど……たぶん彼女の本心なんだろう。
直接死ねって言われると刺さる物があるね……
女の子は叫びながら壁際に背中を擦り付けるように後退していく。
物凄い怯えられようで……
「なあダマリス、信じてくれよ。今のボグダンは昔のボグダンとは違うんだって」
「ウルサイ! 知らない! 帰れ、裏切り者!!」
取り付く島もないとはこのことか、とセオリー通りに思ってしまうほどに拒否されている。
お手上げとばかりにマリウスが肩をすくめて僕の方を振り返る。
助けを求めているようだけど……僕にどうしろと?
信頼と実績のミレルさんぐらい連れてこないとどうしようもない気がするんだけど……
「マリウス、ごめんだけど、本人が拒否していて顔も見られない状態では治療も出来ないよ」
僕も同じように肩をすくめて答える。
顔は見られていないけど、身体のラインを見る限りは美人さんな体型なんだけどな……エロい目で見てるわけじゃ無いよ?
「魔法で何とかならないのかよ?」
「適当に治すわけにもいかないと思うんだけど?」
マリウスが渋面を作ってぐぬぬと唸る。
「おい、ダマリス! いい加減にしろ! チャンスだと思わねえのか!」
マリウスが駄々をこねる子供を叱りつけるように再びダマリスへと近付く。
「来るな!!」
叫びと共にダマリスの腕が振るわれ、マリウスの頬をかすめる。
「いってぇ……」
マリウスの頬に3本の赤い筋が引かれている。まるで猫か何かに引っかかれたみたいだ。
「なかなか災難だね……」
僕はマリウスの頬に軽く手をかざして
手をかざす必要なんてないんだけど、まあ、患者への意思表示というヤツだね。
マリウスの頬の引っかき傷はそれだけですぐに治ってしまった。ついでに殴られた跡──内出血も消えた。
内出血は
「おお! すげぇな、魔法ってヤツは!」
その声にビクリと反応したダマリスが、長い髪の毛の隙間からこちらの様子を窺ってくる。
昏い瞳──何かを諦めてしまったように昏い瞳だ。
僕の視線と合うとまたすぐに俯いてしまった……何となく僕の中に焦燥感を感じる。
これはヤバい……気がする。
「マリウス、ダマリスはちゃんと食事はしているのかな?」
「あ、ああ。オレが食い物を持ってきている」
マリウスがすぐに答えてくれたけど、それは少し僕の質問の答えからズレている。
ちゃんと
「この身体を見る限りは大丈夫なんじゃないか?」
確かに痩せてるわけでもないから食べてはいるみたい。
水分補給がしっかりされているなら良いんだけど。
「とりあえず、手をつけられる状態じゃないから僕は帰るね」
「しゃあねぇか……」
僕は部屋を出て玄関に向かう途中、ダイニングで一度足を止める。
「どうかしたか?」
「とりあえず、これを渡しておくよ」
さっきランプ工房で作った燻製肉をマリウスに手渡す。
「美味そうだな……」
「美味しいものなら食べるかも知れないしね。それと……水はあるかな?」
「裏に汲んできてあるぞ」
どこの家でも同じなのか、キッチンの勝手口から出たところの近くに甕が置いてあった。
少しここは川から遠いから水を汲んでくるのも大変そうだ……どうやらマリウスは、かなり甲斐甲斐しくダマリスの世話をしているみたいだけど? いや、余計な勘ぐりは止そう。
今はダマリスが心配だ。
僕は近くにあったバケツに水を移し、それをダイニングに持っていく。
「何をするんだ?」
「飲み水からも栄養が取れるように、身体が吸収しやすくて多少エネルギーにもなる水を作っておこうと思ってね」
経口補水液やスポーツドリンクみたいなものだね。
便利な魔法が有ったから、夏場には重宝するだろうと思って覚えておいたものだ。
バケツの水に対して魔法を掛けると、少し白く濁って甘い香りが漂ってきた。
コップに一杯掬ってマリウスに渡す。
「飲んでみて」
「これをか? 濁ってしまったぞ?」
白っぽく濁らしてあるのは美味しそうに見せるためと聞いたことがあったんだけど、マリウスには不評なようだ。
「大丈夫。良い匂いでしょ? 美味しいよ」
そう言いながら僕も一杯飲んでみる。
魔法で作ったものを初めて飲んだけど、製薬会社が作っている有名な清涼飲料水の薄い方に近い味だった。
後で栄養調整食品の方も試作してみよう。
「おお! 美味い! なんていうか、身体に染み込んでくるっていう飲み味だな!」
こういう飲み物はそう思ってもらえることが大事だからね。
このままだと虫が来そうだから蓋もしておこう。
「そんなに保たないと思うから、二日ぐらい経ったら捨てるようにして。言ってくれればまた作りに来るから」
「え……勿体ねぇな……」
小さな声で言っても聞こえてるよ。
「彼女が飲まないようなら、期限内にマリウスが飲んでくれたら良いから」
「おぅ、分かった」
マリウスがイケメン顔で嬉しそうに頷く。分かりやすいヤツめ。
しかし、傷痕が無いだけでこんなに明るく見えるし、素直に見えるようになるんだ……顔の印象で怖いぐらいに変わるな。
「じゃあ、僕は帰るから」
「おう! ありがとうな! 必ずオレがダマリスを説得するから、その時はよろしく頼むぞ」
手を振って答えながら僕はダマリスの家を後にした。
これだけしておけば大丈夫かな。
彼女の中で僕の印象が変わってくれれば、治療を受けてくれると思う。
◇◇
ダマリス家から帰り道を早足で歩いていると、街道の方に見知った三つ編みを見つけた。
傾き始めた日の光を浴びて透き通っているように見える綺麗な髪が、川からの風を受けて靡いている。
僕は少しその姿を眺めた後、後ろから声を掛けた。
「ミレル!」
「きゃっ!!」
ミレルはなぜか跳び上がるほどに驚いて、勢い良くこちらを振り返った。
「ボ、ボーグか……良かった」
何だかとても安心した表情でミレルは僕の傍へ駆け寄ってくる。
そのまま腕でも組みそうな勢いだ。
もちろんそれは僕の妄想で、実際にそんなことは起こらなかったけど。
「ごめん、驚かせるつもりは無かったんだけど……」
「あ、あの……ちょっと考え事をしてたから」
そう言ってミレルは口篭もってしまった。
まだ少し顔が青いような気がするけど、とりあえず落ち着いていそうだから大丈夫かな。
ミレルは修道院から家に帰るところだったようなので、一緒に家に帰ることにした。
転生初日に一緒に歩いたときはミレルから刺さるような殺意が降り注いでいたけど、今は何だか温かい気持ちが感じられる。
ミレルは今、僕のことをどう思っているんだろう?
かなり印象は変わってきたと思う。
役に立つようなことも色々している。
接し方からすると少しは恨みが薄まってくれたのかなと思う。あれ以来殺そうとしてきてないし。
簡単に恨みという強い思いが消えるとは思わないけど、いつか赦してくれると良いな。
そうしたら、僕たちの関係はどうなるんだろう?
赦してくれたとしても決して一緒に居たい相手では無いだろうし、僕は旅にでも出るのが良いかな。
数日しか見ていないけどミレルは良い子だ。
なので幸せになって欲しいから、『こいつ』に受けた不幸を思い出すようなら、僕はいない方が良い。
でも、僕としては赦してもらって和解できて、すぐにお別れするのも寂しいかな。
……これは考えても仕方ないことだ。
やるべき事をやってから、彼女の選ぶ道を何よりも尊重しよう。
「あ、ビアンカだわ」
そんなことを僕が考えている間に、ミレルは何かを見つけたらしい。
ミレルの視線を追いかけてみると、女性が一人橋の上に立っていて、北の方をぼんやり眺めていた。
夕日で影になった横顔を見る限り、何やら思い悩んでいる様子で表情はどこか冴えない。
橋の上でそんな表情をされると……少し心配してしまう。
今日は不安にさせられる女性に良く会うな。
「あれはまた……ダビドを見送った後ね」
ミレルが溜息交じりに呟いた。
ダビドっていうと『こいつ』の親友だと言ってた衛士だったはず。そう、確か、悪いことの出来なさそうな男だ。
それを見送る? 彼は独り身っぽいことを言ってたから、彼女じゃ無いんだよね……でもビアンカは思い悩んだ顔をして橋の上から北を見ている……
「ビアンカはダビドのことを好きなのかな?」
「……そうよ」
ミレルは肯定したけど、どこか声が重い。
好きで結婚できるなら喜ばしいことだと最初に聞いたと思ったんだけど──
「ダビドがビアンカのことを好きではないとか?」
「いいえ、それ以前の話よ。ビアンカは伝えてないから、あんな風に眺めているのよ」
片想いなのか。甘酸っぱいな-
何か理由があるのかな?
言ってる間に僕たちは橋の上に差し掛かった。
「ビアンカ、また眺めてるの?」
ミレルがそう声を掛けると、ビアンカはようやくこちらに気が付いた。
「なんだミレルか……うぁっ! ボグダンまで居る!」
僕の方を見て大袈裟に身を引くビアンカ。
少しきつめの快活そうな鳶色の目に、長い金髪をゆるふわに編んだ髪型。先ほどまでの憂いはなりを潜め、その目に似合う挑戦的な視線を僕に注いできている。
少しだけ鼻が曲がっているような気がするんだけど……
「ミレル、話には聞いてたけど、あなたホントにこんなのと一緒に居るの?」
ビアンカは本人を前に歯に衣を着せぬ物言いだ。
その質問に、ミレルは視線を逸らし川を眺めながら答える。
「べ、別に良いじゃない……」
夕日に照らされたミレルの顔は、赤く染まって照れているようにも見えた……のは僕の妄想だと思う。
「えっ!? マジで?? あり得ないわ! だってボグダンよ?!」
対してビアンカは異様に驚いてミレルと僕を交互に見ている。
ミレルの反応と良いビアンカの喋り方と良い、この二人は仲が良いのかな? 帰ったらミレルに聞いておこう。
「人のことは良いのよ。ビアンカこそ、まだダビドに言ってないんでしょ?」
「……言えるわけ無いじゃない……」
ビアンカの顔に先ほど見た憂い顔が帰ってくる。
僕の方をチラリと見たのは気のせいかな?
「でも、ダビドはあのことを知らないんでしょ? ビアンカがダビドに気がある事なんて
そんなに知れ渡ってるって……橋の上から眺めてたら目立つもんね。
会話しながらミレルもチラリとこちらを見たような気がする。
「わ、わたしだって、言っても良いかなって思ってるのよ。でもやっぱり、どうしても気になってしまうのよ……」
左の二の腕を擦りながらビアンカが首を左右に振る。何か二の腕に怪我でもあるのかな?
ビアンカには言い出したくても言えない理由がそこにあるようで、僕は何とも言えないイヤな予感を覚える。
ミレルが痛ましそうな表情でビアンカを見た後、僕の方へと視線を向ける。
とても何か言いたそうだけど、堪えているという感じだ。
えーっと、つまり──
「僕が原因って事?」
ミレルに近付いて小さな声で聞いてみた。
ミレルがコクリと頷いて、訴え掛けてくるような瞳で僕を射貫く。
やっぱりか……ミレルは昨日僕の治療魔法を見ているから、治せと言いたいのだろう。
ミレルさん分かってますよ。そんなに睨まなくても『こいつ』の罪は償います。
僕はミレルに頷き返しビアンカを見ると、彼女はこちらを疑わしげな視線で見ていた。
目の前で内緒話してるんだし怪しいよね。
とは言えここでするわけにもいかないし。
どう切り出したものかな……
「ビアンカ、晩御飯を食べ終わった頃にボグダンの家まで来て」
悩む内にミレルが先に要求を告げてしまった。
僕の思っていることとだいたい同じだからここはミレルに任せよう。どう考えてもミレルの方が向いてるし。
「いきなり何よ……あなたたちが仲いいところなんて見たくないわよ?」
いや、ビアンカさん、僕とミレルの仲は良くないです。秘密は共有したような気がするけど。協力体制にあるって感じかと……
「そ、そうじゃないわよ。ただ、あなたの悩みを解決できるかもしれないって」
ミレルは案の定慌てて否定しつつ、ビアンカに来てもらう目的を話した。
ビアンカが目を細めて疑いの眼差しをミレルに向けながら首を傾げている。
「その方法をここで言ったら良いんじゃ無いの?」
ビアンカの糾弾にミレルは口篭もる。
ミレルの立場から考えると言っても良いような気がするのに。
僕がマリウスに治療魔法のことを広めないように言ったことをミレルは聞いていた。だから、外では喋らないで居てくれているのか……自分の立場が悪くなりそうなのに、ミレルはホントに良い子だね。ありがたいな。何かしっかりお返ししないといけないね。僕に出来ることなら何でもしよう。
少しの間、二人は沈黙したまま視線を交錯させる。
「ミレルがそうなった理由が何かあるってことね……」
ビアンカは小さな声で呟いて首を縦に振った。
「わたしは親友を信じるわ」
「ありがとう」
ミレルがビアンカに抱き付いて喜ぶ。
親友との間に溝が生まれなくて良かった。
後は僕が治療して、彼女の気持ちが前を向いてくれれば。
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