第21話 魔法研究はさらに難しいようで


「やっぱり2が最大か……」


 僕は川原で拾ったビー玉サイズの魔石を机の上に置いた。

 この大きさならラズバン氏も使わないから、それこそ川原の石ほど手に入るんだけど、付与できる魔法のランクとレベルが低い。


 ここ数日の検証結果で、魔石に付与できる容量は大きさで決まり、その魔法の容量自体はランク×レベルで計算できることが分かってきた。


 ビー玉サイズの魔石の容量は2で、ランク1の光灯付与ライトエンチャントをレベル2まで込められることになる。

 ランク2の葉野菜用栄養水散布はやさいおいしくなあれの付与魔法はレベル1しか付与できない。

 そして僕の作りたい調理魔法具、過熱水蒸気調理ヘルシオクックはランク3の為、この大きさの魔石には付与が出来ない。

 ラズバン氏に大きな魔石を分けてもらう方法もあるにはあるけど……取り合いにはなりたくないから、どうにかしてこのサイズに付与したいのだけど……しかも出来ればレベルも高い方が良い。たぶんその方が美味しくなるから。

 統術でまとめられるから何か他にまとめる方法があるのかな……?


 考えが煮詰まってきたので、僕は背中を椅子の背もたれに預けてぐーんと伸びをする。

 凝った肩や背中が伸びて気持ちいい。


 それと同時に、パシャンと水の跳ねる音が、隣の部屋から響いてきた。


 僕は隣の部屋に意識が逸れそうになるのを必死で机に向ける。

 魔石の検証作業が終わってしまったので次の集中する物を探さないと。


「はふぅ……」


 今度は気の抜けたミレルの声が聞こえてくる。


 そんな声出されたら集中できないよ……

 仕方がない、折角ミレルが近くに居るんだから聞けることを聞いておこう。

 転生の話はしていないけど僕の魔法に関する能力は説明したから、今後どう使っていくか相談に乗ってもらおう。


 まずは、村の未来を明るくするためには知っておいた方が良いことから。


「ミレル? この村の計画って知ってる?」


「ふぅ〜……ふぇ!? 呼んだ?」


 気の抜けた可愛らしい声が返ってきた。


 リラックスしているところ聞いて悪いことをしたかな。

 でも、聞いておいて今さら無言でいるのもおかしな話だし、もう一度同じ質問をした。


「け、計画? それはわたしも知らないわ。畑の計画ぐらいなら分かるけど……そういうことは村長に聞いてみると良いと思うの」


 どこか焦った口調で答えが返ってくる。


 お父さんって変換し忘れてるよ?


「確かにそうだね」


 言われるとおりだ。村の計画は村の長に聞くべきだね。明日にでも聞きに行ってみよう。


 お父さんともそろそろ会話が成立するぐらいは、僕が変わってきていると認識してくれているだろう。そう思いたい。


 じゃあ、次に明確にしておく方が良いことは──


「村のみんなが不安に思ってることって何だと思う?」


 僕はまだこの村に来てから日が浅いから、それほど村の人たちの気持ちが分かるわけではない。

 脱穀作業を一緒にした男衆は男らしい不満や欲を言い合いながら作業をしていたけど、女性陣は繋がりが無いから分からない。


 因みに男衆は、食欲性欲が基本だった。田舎なので娯楽も無く、美味い酒とイイ女が欲しいっていうのと嫁さんの愚痴で、まるで飲み会の会話みたいだった。男はどこも変わらないなーという感想しか出てこなかった。

 美味い酒は水魔法の延長と言うことで使えなくも無いけど。3つ目は特に魔法で手の打ちようも無いし、そういうのは半分自業自得だから諦めてもらうしか無い。


「そうね……みんながみんなってわけじゃないけど、農家がほとんどだから、それらがこれからも続けていけるか漠然と不安があると思うわ。最近は日照りが続いてるから余計にね。そのまま食料の不足に繋がるから、生きていく分を確保できるかということになるし」


 なるほど、自分たちがやっていることがそのまま命に関わるわけか。サラリーマンも給料が無くなると同じだけど、食材を自分で作ってるわけじゃ無いからその不安は間接的だよね。どこかから入手すれば良いという考えで逃げることは出来るし。

 でも、ここの人たちは、文字通り食っていけるかと言う問題になるわけで、食料が減ってくればセオリーとして口減らしが始まるわけだ。それは不安だね。


「じゃあ、逆に望んでいる事って何かな?」


「うーん……そっちの方が人それぞれだから難しいわ。今言った不安がなくなってくれることは望んでいると思うけど……」


 何だかミレルの声が申し訳なさそうだ。

 何気ない会話程度に取ってもらえたら良いんだけど……


「人の望みは十人十色だよね。女性はやっぱりキレイになりたいとか思うのかな?」


 実家の医院に来る女性はみんなそれを望んでいた。だから、僕の中では女性の望みがキレイになることだと思ってしまっているところがある。

 実際どうなのかなんて彼女すらいなかった僕には分からないことだけど。

 男友達でも一人キレイになりたいって言ってたヤツがいたし、女性なら大体思うんじゃないかな?


「そうね。最終的に望まない女性はいないと思うけど。わたしもそう思ったこともあるし……」


 妙に近くから聞こえたと思って後ろを振り返る。

 いつの間にか僕の後ろにミレルが立っていた。

 服装はいつも通りだけど、濡れた髪と上気した顔がいつもより色っぽく見せる。


 僕は慌てて次の質問を探す。


「今のミレルはキレイになりたいと思ってないの?」


 今のミレルを見てると充分キレイだと思う。

 ミレルは顎に指を当てて考える仕草をしている。


「わたしは……ボーグはどう思う? キレイな女の人の方が好き?」


 男性に向けて艶っぽい雰囲気を出しながらそんなことを聞くもんじゃありませんよ?


「そりゃキレイな方が良いとは思うけど……」


 僕の答えにミレルが頷く。


「同じだと思うわ。人に必要とされたいからキレイになりたいと望むのよ」


 なるほど。それは男も一緒だよね。

 でも、僕は──


「強く望みすぎるのは好きじゃないかな……今よりほんの少しを望むだけが丁度良いと思う」


 行き過ぎた願いは狂気を感じるからね。あれは怖いものだよ……


 ミレルは少し驚いた後、目を細めて嬉しそうな顔で答えてくれた。


「素敵な考えだと思うわ」


 ミレルが僕の考えに同意してくれた。

 その表情が、隠さない素直なミレルの気持ちのような気がして、僕も驚いてそして嬉しくなった。

 分かってもらえてきたかな。


「そう言ってもらえて嬉しいよ」


 僕も笑顔で答えると、ミレルは恥ずかしそうに顔を逸らしてしまった。

 もしかして『こいつ』に同意してしまっていたことに気付いていなかっただけかな……


「そ、その……お風呂気持ち良かったです……わたしは家に戻ります……」


 なぜか丁寧語で告げた後、ミレルはそそくさと上の階に上がっていってしまった。


 恥ずかしがるミレルが可愛くてもっと見ていたかったけど、これ以上はなにかに耐えられない気がしたので丁度良かったのかもしれない。


 とりあえず、お風呂を気に入ってもらえて良かった。

 でも、地下室への入り口は魔法でロックしてあって、ミレルが勝手に入れないんだよね。

 毎回許可を取らせるのも悪いし……


「ミレルが好きに入れるように、認証系の魔法を付与するにしても、容量の大きな魔石が必要なんだよね……」


 一度ラズバン氏のところにでも行ってみよう。

 何か良いアイデアが出てくるかもしれない。



◇◇



 今日から数日間、僕のする畑仕事が無いらしい。

 どうやら僕が調子に乗って作業したから、いつもより早く脱穀が終わってしまったとか。

 たぶん途中から脱穀ダンスが軽快に出来てたから、勝手に魔法ブーストが掛かってたんだろうな……

 次の乾燥作業はそこまで人手がいらないから僕は行かなくても良いみたい。

 結構楽しかったんだけど、終わってしまったなら仕方がない。


 ミレルはキャベツ畑の方に行くようなのでついて行っても良かったんだけど、時間が空いたのは丁度良い。色々と聞きたい事が出てきたから順番に回ろう。まずは村長おとうさんから。


 と思って来てみたものの、村長は不在だった。

 ミレルの予定把握能力の高さを感じる。先に聞いておけばよかった。


 いつ帰ってくるかだけ聞いておこう。


「分かりかねます。明日の朝一なら御予定は無かったと思います」


 相手をしてくれたのはメイドのエレクシアさんだった。

 同い年ぐらいの女性で、シエナこの村では珍しく黒目黒髪のロングヘアで冷たい雰囲気を纏っている。

 いや、冷たいのは相手が『こいつ』だからか。


 居ないのなら仕方がないので、また明日の朝一に訪問する旨を告げて次に行くことにした。

 次はラズバン氏のところだ。


 ただ次ラズバン氏のところに行くときには手土産でも、と自分で考えていたことを思い出したので一旦帰ることに。


 相変わらず行き当たりばったりで、予定を立てる能力が皆無だな……


 自分を残念に思いながら手土産品を探す。

 余った狼肉を保存用に燻製にしたものがあったはずなので、ラズバン氏の好みを知らないからそれを持っていくことにした。

 余談だが、これもミレルとデボラおばさんには好評だった。旨味が凝縮されていて味が濃いので、個人的には酒の肴にしたいと思う。



◇◇



「この間は……ありがとう……」


 ランプ工房の前で出会った女の子に、いきなりお礼を言われてしまった。

 灰色の長い髪を後ろでひとつ括りにして、少し鋭い雰囲気を纏っている。その雰囲気が幼い顔と少しアンバランスな感じだ。


 ああ、この子がアナスタシアちゃんか。

 そう言えば、ミレルがラズバン氏のところのお姉ちゃんの方と言っていた。怪我は魔法で完全に治療したし、心肺蘇生の方も成功していたから、修道院に預けてからあまり気にしていなかった。

 元気そうで何よりだ。


 アナスタシアのお礼に対して返事をしてからラズバン氏のことを尋ねると、


「奥で机に齧り付いてる」


 と平坦な口調で答えてくれた。

 日本基準で見れば小学生ぐらいなのにやけに落ち着いて見える。


 不思議に思いながらも、僕はお礼を言って横を通り過ぎた。


 何となく視線が追ってきているような……


 一旦停止するとアナスタシアがこちらを──こちらの手に持ったものを見上げている。


「……燻製肉だけど食べる?」


 こくりと静かに頷くアナスタシア。

 どうやら鼻が利くようだ。


 少しだけ割いて渡してあげると、すぐに齧り付いた。

 もぐもぐと口を動かしているけど表情にあまり変化はない。

 少しだけ口角が上がったかな?


「美味しい?」


 また静かに頷くアナスタシア。


「それはお兄ちゃんが作ったの?」


 あっという間に食べ終わってそんな質問をしてきた。


「そうだよ。狼の肉が余ったから作ったんだ」


「……分かった」


 アナスタシアは変わらない表情で頷いてから、くるりとターンして門の外へと出掛けていった。


「何だったんだろう……」


 表情が読めないから難しいけど、とりあえず喜んでくれたなら良かったかな。


 僕は気を取り直して工房に入った。



◇◇



「ボグダン君は魔法を使えるようになったらしいな?」


 ラズバン氏に挨拶をして手土産を渡した後、僕が話し出す前にラズバン氏からそう切り出された。


「はい、家宝のアーティファクトに認められて使えるようになりました」


 そう言って腕に巻いてある帯留めしろねことベルト通しに挿していたくろねこを見せる。


「なんと……あのアーティファクトに認められるとはな……しかも2つ共か?」


「どうやらこのアーティファクトはセットみたいで、同じ者を使用者に認めるようです」


 取説があるわけでもアーティファクトが喋るわけでもないけど、たぶん間違ってないと思う。

 この帯留めと簪が何なのか分かる人が来た時点で使用者登録されるようになっていたのだろう。じゃないとあのタイミングで登録されたりしないはず。


「オレも昔触ったことがあるんだが……いや、昔の話よりも気になることがあるからそっちが先だな。何が使えるようになったんだ?」


 隠し過ぎるとあらが出るし、かと言って知識の話とかすると転生の話に繋がってしまう。

 誰も使ったことがないアーティファクトを使ってるんだから、何か特別な素質が有ったというのは問題ない気がするけど……ああ、アーティファクトが教えてくれることにしよう。誰も使ったことがないからバレることもない。


「このアーティファクトが優秀過ぎるぐらいに優秀で色々と教えてくれまして、まずは水魔法から始めています」


 ラズバン氏のコップを借りて、近くにあったランプ用の木材を素材にして恒例のレモン水を精製する。


「ほほぅ、早いな。集中もほとんど必要としていないとは、とても駆け出しとは思えない。本当にそのアーティファクトは優秀なんだな。流石は賢者の宝石ルビジュードサージュと呼ばれるだけのことはある」


 そうだった。ラズバン氏は魔法を使うのにすごい集中してからしか使えなかったんだった。

 今の口ぶりからすると殆どの魔法使いは集中を必要とするのかも。


「それで今日は魔法が使えるようになったことの報告か?」


 ラズバン氏が村唯一の魔法使いだったのだから、先輩に報告に来たって感じかな。


「一つはそうです。ここでラズバンさんの光魔法を見せて頂いて使えるようになったようなもんですから、そのお礼も兼ねて報告に伺いました」


 そのお礼の燻製肉は隣の机で絵を描いてた女の子が満面の笑みを浮かべながら頬張っている。アナスタシアとは対照的にこの子は感情が分かりやすい。

 放っておいたら食べ尽くしてしまいそうだ。


「一つ? もう一つ何かあるのか?」


「そうなのです。魔石に関する相談事でして、大先輩のラズバンさんなら何かアイデアをお持ちでないかと……」


 ラズバン氏はニヤリと笑って机の上に置いてあった魔石を手に取った。


「丁度良いな。オレもこの魔石について何かアイデアが欲しかったところだ」


 その魔石は僕が光灯付与ライトエンチャントした出来れば捨てて欲しい一品だ。


「僕もそれが知りたかったんです。ラズバンさんはどのようにお考えなのですか?」


「オレは魔石の付与限界を拡張する方法があるのではないかと踏んでいる」


 おお! そういう考え方が!

 って、確かに普通に考えたらそうか……付与できないレベルと思われる魔法が付与されているなら、容量を増やす方法が有るのではないか?と考えるのか。


 どうやら僕は、統術化することで魔法の大きさが圧縮されてしまったから、他に魔法を圧縮する方法がないか?という考えに囚われてしまっていたらしい。


 これは、もしかしたら……?


 こっそり辞書さんサーチディクショナリーで探してみる。


 ヒット!!


極術『符号登録枠拡張ポケットエンラージメント

ランク5。変数:レベル、対象指定。レベル変化:圧縮率(レベル倍)。効果:登録枠を拡張できる。ゲーム的なテコ入れ、課金拡張がないので仕方がない。魔法も多くランクも高くなったのでアイコン登録したい要望が多かったら追加された。リアルになってからは取り出せるエネルギー量も一緒に増加するようにされている。追加時期:Ver.2.5.0。


 極術ランク5!!

 って言うか、「ゲーム的なテコ入れ」とか「リアルになってからは」とかめっちゃ気になることが書いてあるんですけどー?

 気にしたら負けかな?

 でも、この文だけで理解するならゲーム内の魔法がリアルに使えるようになったってことになるけど……


「どうかしたか?」


「あ、いえいえ、なんでもありません。その可能性を思い付かなかったもので、さすがはラズバンさんと感心していたところです」


 この人は褒められると細かいことが気にならなくなる人だから、持ち上げて誤魔化そう。

 だって極術のランク5だよ!

 ランク1すら使える人がいるのか?と疑問に思ってる属性なのに、それの5って……教えたところでどう考えても使えるようにならないでしょう! 勉強方法も分からないし。

 大体それを知ってることの方がおかしいよ……


「そうかそうか、少し推論を重ねたらこの結論になったんだがな、まあお前もその内分かるようになるだろう」


 ラズバン氏は上機嫌で納得してくれた。

 否定するのが忍びないけど……素晴らしいアイデアに気付かせてくれたわけだし、使える見込みのない魔法で徒労をさせるのも忍びない。

 アーティファクトの所為にして他の方向に導いておこう。


「そういえばラズバンさんは魔石の色についてお話しされていましたけど、いくつ種類が有るかご存じでしょうか?」


「付与をするに当たって基本ではあるな。基本色となるのは5色だと師匠から教えてもらったし、その5色以外見たことは無い」


 ラズバン氏がどのぐらいの魔道具を見てきているかは分からないが、やはり1色足りないようだ。


「それは、白、赤、黄、青、緑の5色ですか?」


「その通りだ。始め立てでよく知っているな?」


 辞書さんがいるからとは言えないけど……


「アーティファクトが教えてくれたんですよ。取って置きの情報──6色目があると言うことも」


「な、何!? それは本当か?! それはこの魔石と同じ虹色なのか?」


 ラズバン氏の食いつきが凄い。

 僕の腕を掴んで問い質してくる。


「まあまあ、落ち着いてください。6色目は単色です。更にもう一つ重要な情報があるんです」


「それはなんだ?!!」


 ラズバン氏の落ち着く気配が全くない。

 腕を掴んだまま揺すらないでください〜 酔います〜


「更にその上、6色を統べた先にある属性があると聞きました。それがラズバンさんの求める虹色の魔法ではないでしょうか?」


「なんと言うことだ!! それは……いや、しかし、それは納得できる論理だ。全ての属性を知る者が使うからこそ虹色となる……オレの感性ではそれが正しいと告げているが……だが、それは真実なのか??」


 ラズバン氏は感動に打ち震えながらも、それでも最後の一歩で可能性を否定している。腑に落ちる思いを抱きながらも、聞いたことが無い話はにわかに信じられないらしい。

 誰も知らないのでは仕方がないか……


「なにぶんこのアーティファクトはとても古いアーティファクトのようですから、もしかしたら既に失われた魔法かも知れません……」


「……失われた魔法か……」


 籠もった熱を吐き出すようにラズバン氏が呟く。

 そのまま、机に向かい、また魔石を見つめてしまった。


「師匠はその魔法を復活させたというのか……?」


「だとするとラズバンさんのお師匠さんは凄い人なんですね」


「ああ、原初ヴラシエイの森でも上位の魔法が使えるエルフだ」


 お師匠様はエルフだったのか。

 てっきり白髪白髭の年寄り魔法使いかと……


「一度お会いしてみたいものです」


「そうか、師匠なら数年に一回様子を見に来るから、その時は呼ぶようにする」


 エルフを見てみたいからつい言ってしまったものの、その魔石が師匠作じゃないことがバレるんだった……まあ、その時はアーティファクトさんを犯人にした次の言い訳をしよう。


 そろそろお昼になるし、聞くことも聞いて伝えるべき事も伝えたのでそろそろお暇しよう。


「お兄ちゃん、お肉美味しかったですぅ〜」


 変わらず満面の笑顔で報告してきてくれる女の子。


「イリーナ! 全部食ったのか!?」


 イリーナはぶんぶんと頭を縦に振って肯定している。

 確かに女の子の机を見ても燻製肉は残っていない。


「お兄ちゃんにお礼ですぅ〜」


 そう言って先ほどから描いていた絵を差し出してくれた。


「これは……すごいね」


 それは緻密に描かれた似顔絵だった。

 日本で見たスムーズに描けるペンでも上質紙でも無く、ゴワゴワした紙に羽根ペンなのに、精密に描き込まれている。


「ありがとう。イリーナは絵が上手なんだね」


 頭を優しく撫でてやると、猫のように嬉しそうに頭を擦り付けてきた。

 そういえばランプの構図はこの子が描いてたんだった。

 嬉しそうなイリーナとは対照的にラズバン氏はわなわなと震えている。


「まだ一口しか……その肉で酒を一杯やるつもりだったのに……」


 その気持ちは分かります。

 でも、このままだとイリーナが怒られてしまいそうだ。


「狼肉が手に入ったらすぐに作れますので、また持ってきますよ」


 慰めるようにそう言うと幾ばくかラズバン氏の気分が落ち着いたようだ。


「こんな旨い肉、アナスタシアが食べたら黙っていないな……」


 それってどういう意味ですか?と聞く前に、部屋に何かが勢い良く転がり込んできた。

 自分と同じぐらいの大きさの物を肩に担いだ小さな影。


「アナスタシア! なんだその狼は……まさか、お前……あの肉を喰ったのか?」


 狼を肩に担いだまま静かにコクリと頷くアナスタシア。


「狼! お姉ちゃん、またあのお肉食べられるぅ?」


「食べられる」


 目をキラキラ輝かせて涎を垂らしそうなイリーナの問いに、アナスタシアがまた静かに頷く。

 そして、三人が一斉にこちらを振り向く。


 あ、はい、作ります。

 燻製肉、凄い人気だな……魔法で簡単に作れるから、喜んでもらえるなら僕も嬉しい。

 保存食用にと思って作ったんだけど、保存されずに無くなってしまいそうだ。


 狼一匹分丸々燻製肉にするので、お昼は工房のみんなと燻製肉パーティーとなった。


 燻製肉は工房で働くお年寄り達にも概ね好評だった。燻製にすることで余計な脂が落ちるから、お年寄りには良いかも知れない。塩分過多にならないように注意しないといけないけど。


 因みに、解体はアナスタシアにしてもらった。どうやらアナスタシアはハンターみたいなことをしているらしく、村の周辺に出没した獣や魔物を退治しているんだとか。シエナ湖に潜ってたのもそれが理由らしい。


 にしても魔物もいるのか……湖で見たウツボも魔物なのかな?

 僕のまだ知らない常識がたくさん有りそうだ。

 

 ラズバン氏には水魔法で燻製が作れると説明しておいた。ラズバン氏は肉が気になるのか魔法を疑問に思われることも無かった。


 美味しいものにはみんな目がないね。

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