第17話 元ブラック企業の社畜はスローライフに憧れていたみたいで
畑仕事のため僕たちは
シエナ湖の東側にある比較的平らな土地は全て農業に利用する予定のようで、西側の居住区とは違い視界が開けていた。
今は小麦の収穫の時期が終わったところで、一面刈られた小麦畑という少し期待していたのとは違う眺めが広がっていた。
ほら、もっと、こう、黄金の海みたいな……あるでしょ? ないですか、そうですか。
少し離れた区画は畑に利用されていて、畝が幾つか作られており、少しの緑を景色に添えていた。
「今日から脱穀が始まるから丁度皆手が欲しかったところよ? 後は野菜畑の世話ね。収穫がもうすぐだから今は大事な時期なのよ」
ミレルが説明してくれた。不満そうな表情になっていたかな?
まあ、二日前に比べれば、ずいぶん優しげに話しかけてくれるようになった。傷も癒えたし少しは落ち着いてきたんだと思いたい。
「夏は何の野菜が取れるのかな?」
夏野菜と言えば、トマトとかキュウリとか水分の多い野菜が多いよね。サラダに彩りが増えると良いな。
「キャベツよ」
僕の予想に反してミレルから短い答えが返ってきた。
「……キャベツだけ?」
「そうね……数年前から幾つか他の野菜を育てようと奥の畑で試しているけど、今のところ上手くいっていないわ……」
残念そうにミレルが呟く。その実験的な試みはミレルがやってるのかな?
種類が少ないと思ってしまったけど、日本と比べるのが間違いなんだよね……各野菜に適した土まで売られているし、ビニールハウスもあるから年中季節関係なく採れるし。
「これでも2種類の野菜を安定的に育てられてるから他の村よりマシな方なのよ? 自作できているのは小麦だけで、後は自然に生える木の実や山菜か他の村から買ってる村も多いんだから」
なるほど。
土壌のペーハーや養分、気温に湿度、日照時間と降雨量など様々な条件をクリアしないといけないから、新しい作物を育てるのは苦労するよね……
「最近快晴続きで雨が降ってないから、少しキャベツの発育状態も良くないし……」
苦々しく呟きながらこちらを見つめてくるミレル。
複雑な感情がこもった視線は何を求めているのか分からないけど……問題があることは僕にとってラッキーだから良いんだけど。こういう小さな問題をコツコツと解消していってみんなに認めてもらわないとね。
「じゃあ、まずは畑の方から行こう」
「分かったわ」
◇◇
「ミレルちゃん、もう良いのかい?」
畑に近付くと早速声を掛けられた。管理をしているコンスタンティンさんらしい。中年のおじさんだ。
「ええ、軟膏が良く効いたのか、怪我はすっかり治りました」
そう言いながらチラリと僕を見てくるミレル。僕はそれに適当に頷いておく。
そうそう、薬の効果が高かったんだよ。決して魔法の力ではない。
そんな僕の反応を複雑な表情で僕を見てくるコンスタンティンさん。
「ボグダン……か……」
いや、もう、そういうの良いですから、分かってますから。
「まあ、しっかり手伝ってくれ」
そう言ってコンスタンティンさんは僕の肩を叩いた後、畑へと歩いていった。
あれ? いつも通り罵倒されるかと思ったのに……
「昨日アナスタシアちゃんをあなたが助けたっていう噂が広まってるのよ。あと、昨日のうちにわたしからあなたが
噂を広めたのはミレルとデボラおばさんだな……先に根回ししておくとか、まるで優秀な秘書みたいだな。
余計なトラブルが起こらなくて助かる。
「ところでボーグ……」
改まった口調で恥ずかしそうに聞いてくるミレル。
そういう態度をされるとカワイイです。
「魔法って……どのぐらい使えるの?」
気になりますか、そうですか。ミレルがアーティファクト入手に協力的だったのと妙に急いでる感じがした理由はこれか。
魔法で課題解決ができるか?
降雨不足の解決は多分簡単だろうけど、ラズバン氏の事もあるし、あまり派手でランクの高い魔法は使いたくない。ラズバン氏に嫉まれるようなことになっても何の得もないからね。
それに、過去の経験から言って、ある程度仕事で使える手っていうのは使い倒されるから、同じ失敗はしたくないし。だから、手として使えるか使えないかギリギリのラインが一番良いんだけど……魔法が使えるっていう時点で、そのラインは越えてるよね?
救いは、魔法でどれだけのことが出来るのかを一般人は知らないってところか……
「それは、目下の課題として、雨があまり降っていないことを魔法で解決できるかって事かな?」
湖も川もあるんだから、それを運べば魔法を使わなくても良いような……
「一番近い川から水を汲んだりはしてるんだけど、上手くいってないのよ……水が合わないのか量が足りないのかだと思うんだけど……」
「川から水を汲んできて水やりをするのはあまり無いことなの?」
「雨が3日降らなかったらするんだけど、多い年でも2〜3回なのよ。それも、連続して何日も川の水を与えるなんて事はないわ。でも、今年はもう15日は降ってないのよ」
なるほど、だからこんなに空気が乾いてたんだね。過ごしやすいと思った。
例年は日照りがそこまで続かないって、それなりに雨に恵まれた村なんだ。
でも、こういう田舎で干ばつっていうと──
「雨乞いとかは?」
「……?? それは魔女の役目よ?」
あー、常識を聞いちゃったのか……
「ごめん、魔女が良く分からないんだ。魔法使いとは違うの?」
「全然違う物よ。魔女は魔法を使わないわ。名前に魔法と付かないでしょ? 魔女は様々な儀式を執り行う人の事よ」
呆れ気味にミレルが説明してくれて。
自然信仰の方の魔女か。役目としては祭司って事かな?
しかし、魔法使いが存在する世界で、魔法を使わない魔女とは……ややこしくない?
「それで、その魔女はいないの?」
「この村には魔女がいないのよ。この地域の町や村を一人の魔女が回っているのだけど、他でも同じように日照りが続いてるから、中々回ってこれないのよ」
確かに、干ばつの被害に遭うのが1つの村だけな訳がないよね。この国の多くの町や村から要請を受けたんじゃ忙しくて回りきれないか……って言っても、どこか他の場所で雨乞いに成功すればこの村にも雨が降るんじゃ……?
「他の村で今年は雨乞いの成果が芳しくないとか……?」
「その通りよ! 良く分かったわね! それで中々回ってこれないみたい……」
降るまで同じ村に居るのかな……? 雨乞いの結果、一部の地域でしか雨が降らないなんて事の方がおかしいんだけど、雲がどうやって出来るのかとかの天気も科学的な知識なんだよね。
南東に海があるって言ってたけど、今年は海水温が低いのかな?
「だから……」
何となくミレルが悔しそうな顔で見上げてくる。
そりゃ『こいつ』に頭を下げるなんて死んでもイヤ、むしろ殺してやりたいだろうからね。
でも、何となく、お兄ちゃんに反抗する妹が仕方なく頼ってる、っていうぐらいにしか見えない。
そんな顔されたら僕には断れないよ。
僕はミレルの頭を優しくポンポンと叩く。
「分かった、ちょっと考えてみる。集中したいから一人にさせてもらえるかな?」
「分かったわ」
両手で軽く頭を押さえながらミレルが返してきた。
あれ? 強くした覚えはないけど……あ、触られるのがイヤだったか……つい、妹的な対応を──いや、違う、これは彼女的な対応なのだ。わがままを言ってきた彼女のお願いを聞いてあげたのだ。そう思おう。
ミレルの気持ち的に、妹扱いでも彼女扱いでも嫁扱いでも不快感が同じなら、僕の中では僕が幸せに思える方にしよう。この環境に対するせめてもの抵抗に。
やっぱり嫁というのは僕には早過ぎるし、僕としてはお友達からとは言わないから彼女ぐらいから始めたい! 手を繋ぐところから始めたい!
そこ、キモいとか言わない!
何て妄想をしている間にミレルはすでにどこかに行ってしまっていた。
仕方がない。問題解決できそうな魔法でも探すか。
教えて下さいな、
まずは水を作るような魔法が何かあれば──
ランク1。変数:レベル(精製量)。効果:その辺にある物から純水を作り出す魔法。まじH2O。水魔法という捉え方で使用すると、基本的には空気を変換することになり、質量等価なので精製する量が少ない。材料を用意する方が量を作れる。追加時期:Ver.1.0.0。
ランク2。変数:レベル(精製量)。効果:飲料水精製用。純水精製が軟水になったもの。硬度30mg/lぐらい。日本人好みの硬さと思われる。少しミネラルが入ったってことです。カルシウムとマグネシウムだけじゃないですよ? 追加時期:ユーザー。
ランク2。変数:レベル(精製量)。効果:飲料水精製用。純水精製が硬水になったもの。硬度300mg/lぐらい。ミネラルが豊富ってことです。追加時期:ユーザー。
ランク2。変数:レベル(精製量)。効果:飲料水精製用。軟水精製がガス入りになったもの。追加時期:ユーザー。
ランク3。変数:濃度(味)、レベル(精製量)。効果:飲料水精製用。軟水精製がレモン水になったもの。レモン果汁ではなく香料だよ。クエン酸入りで疲れに効くはず。追加時期:ユーザー。
・
・
・
・
・
多過ぎます……魔法が多いよ!
水を精製する魔法だけで千種類以上って何なの!?
いや、まあ、水だけじゃなくて、ジュースとか清涼飲料水とかよく知った名前のが色々あったけどさ……
この世界の魔法の基準おかしくない?! というかこの世界のって感じじゃないんだけど? どう考えても地球産の魔法だよね……
中には統術『
頭の中に情報を流していくのも一苦労だよ。
まあ、目的の魔法も見つかったけど。
統術『
ランク2。変数:発動する魔法全ての変数を有する。レベル変化:発動する魔法全てのレベル変化が適用される。効果:析術『葉野菜用栄養水精製』と衝術『散布』を同時に発動し周囲に水を撒く。単体魔法を同時に発動させるのと完全に同じ。追加時期:ユーザー。
これが使えると思う。もっと良いのがあったとしても、もう一度探すのは寝てても良いぐらい時間のあるときにしたい。
そう言えば「追加時期」ってのを昨日は見落としたっぽい。「ユーザー」になってるってことは、誰でも魔法を作れるって事かな? それなら種類が多過ぎるのも、ネタ魔法があるのも頷ける。
それは良いとして、葉野菜用栄養水散布はランク2だし、それをレベル1で使えば、水を撒くだけだから派手なことにはならないと思う。水の成分なんて分からないだろうから、ただの水魔法ってことにすれば、他の村や町にはそれなりに使える人が居るだろう。
◇
「ミレル? どうやら僕は水魔法が使えるっぽいけど、どうする? すぐ水遣りした方が良いかな?」
「本当なの!?」
自分で頼んでおいてそんなに驚かなくても。ダメ元だったんだろうけど。
「もうすぐお昼だから、早めにお昼ご飯をとってもらうことにして、その間に水を撒きましょう」
そう言って、ミレルはすぐに畑にいる人たちに声を掛けていく。
人が居るところに水は蒔けないもんね。
暫くして声を掛け終わったミレルが戻ってきたけど、どこか楽しそうな表情だ。何か良いことでもあったのかな?
ミレルの声掛けの甲斐あって、すでに近くには人が居ない。どうやらお昼ご飯はだいたい川の方で食べるようで、みんな南側へ移動を開始していた。
埃っぽいところより良いよね、手も洗えるし。
「じゃあ、ボーグ、水撒いてくれる?」
首を傾けながらミレルが聞いてくる。ミレルの肩に掛かっていた三つ編みがスルリと落ちる。
なんかそういうの良いね。喜んで水遣りしますよ。
僕はスプリンクラーから水が撒かれる情景を想像して魔法を発動する。
《
《
《
あ、しまった……と思ったときにはもう遅い。
畑の上空、身長より高い程度のポイント3カ所から水が溢れ出す。それぞれから2方向に、ゆっくりと回転しながら水を撒いていく。同時に空から吹き下ろすような風が吹き始めた。
スプリンクラーを想像したから平面的な動きかと思ったけど、立体的に動くみたい。
6本の水線は重ならないように、角度を自在に変えながら畑の上を移動していく。
その様子はまるで空中に現れた水の精霊がシンクロして踊っているようで、とても幻想的だった。
横で目を輝かせながらミレルが魅入っている。
「キレイ……」
熱の籠もった吐息とともにそんな感想を言われてしまった。
流石に3カ所現れた言い訳をこのタイミングでするのは無粋かな。ミレルが飽きるまではこのままにしておこう。
僕もキャベツが元気さを取り戻していくようで、見てて嬉しくなってきたし。植物を育てるって良いね、心が癒される気がする。
みんなお昼ご飯のために川の方に行ってて目撃者も少ないからそんなに問題にもならないだろう。
暫くして畑全体の土が充分に濡れた頃に、魔法を停止させた。
ミレルが少し残念そうにしていたけど、あまり水をやり過ぎても良くない。
ただ、日照りが続いているのなら、夕方にもう一回撒いておいても良いかも知れない。
空からの吹き下ろしは魔法を止めた後、少しだけ続いてから止まった。
んー……? ああ、析術の精製系魔法って素材が必要っぽいから周辺の空気を使っちゃったんだ。それで気圧変化が起きて風が流れてきていたのか……高いレベルで使ったり、室内で使ったりすると危なそうだな。次はちゃんと材料用意しないと。
後はアーティファクトからの魔法発動停止を考えおかないと、常に3つ同時発動すると困ることになるだろうし。
さて、やることはやったし──
「お腹減ったし僕たちもお昼ご飯にしない?」
「そうね、そうしましょう!」
ミレルが上機嫌で答えてくれた。不安が払拭されて嬉しいみたいだ。真面目なミレルのことだから日照りのことがかなり気に掛かってたんだろうな。
◇◇
体感で歩いて5分ぐらい南に行ったところに細い川が流れていた。一部川原になっていてみんなそこでお弁当を食べてるみたい。
僕らが着いた頃には少しずつ昼からの作業に戻って行くところだった。
ミレルが帰っていく人を捕まえて、
わざわざ言わんで良いから……魔法で目立つことに対して悪い予感しかしないから。時間問題でしかない気もするけど。
僕らも川原に降りていって、座れそうな大きめの石があるところでお弁当タイムを始める。
歩きながら気付いたことだけど、川原の石が結構薄い青色の透明な石なんだよね。
つまり、魔石って事だ。
ラズバン氏はランプの材料をここから拾ってきていたのか。
小さいものがほとんどだけど、中にはまだまだ大きい物もある。
大きい物はランプ製作で使うだろうから、小さいのをいくつか後で拾って帰ろう。
他の魔法の実験もしたいし、出来れば時計も作りたい。
◇◇
午後からは小麦の脱穀の手伝いに回った。
ミレルは畑の方に行ってしまったので、なんと初ボッチだ!
独りにしても悪いことはしないだろうという程度には信頼されてきたのかな?
単純に忙しいだけかも知れないけど。
脱穀作業は男衆でやってるいるようで、残念なことに周りは男ばかりだった。
この村では足踏み式の脱穀がおこなわれているようだ。
足踏み式と言っても機械ではなく、実の付いた小麦を袋に入れて足で踏むという古典的な方法だ。
しっかり踏みつけて実を落とせたら、袋の中の実を乾燥用の箱に移して、また次の束を袋に入れて踏む。
この作業の繰り返し。
作業自体は簡単なんだけど、量が量なだけに体力がいる。
慣れている彼らは作業の手を休めることなく、作業をしながら会話を楽しんでいた。
そこに普段いない僕が混ざったのだから、必然的に話題は僕に向かう。
「まさかお前が仕事を手伝いに来るとは思ってなかったぜ?」
とか、
「ミレルと一緒にいるけど、脅しているんじゃないだろうな?」
とか、
「お前が子供を救うとは天変地異の前触れか?」
とか、基本的に碌でもない言われ方だったけど。
僕がそれに対して丁寧に返すたびに驚かれて中々面倒だった。
一応回答は、ミレルは僕を全うな人間にするために自分から傍に居て、僕はそれに応えるようにした、という内容にしてある。
概ねミレルの評価が上がり、それによって僕も変わってきているのだと認識してもらえたようだ。
だだ、途中から僕は身体を動かして作業をするのが楽しくなってきて、止められるまで踊るように脱穀をしていた。
「ボグダン……お前凄いな……」
なんだか変な感心のされ方をしてしまった。
ボグダンは脱穀作業が好き、という噂を流されそうだ……尾ヒレの付いた魔法の噂を流されるより面倒事は減ると信じたい。
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