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エピローグ:彼らの在り方


   エピローグ

 鎌倉駅。

 俺はあることを頼まれて、幼馴染に電話をしていた。

 あること―――所謂いわゆるあっちの世界での後始末のことだ。


 理と現実は作用する。

 今回のような、あのユミルの化身とやらが起こした大きな被害となると、鑑賞者の修復作用だけでは間に合わず、少なからず現実に作用するんだとか。


 偶然目撃した山田店主が言うには、一瞬だけあの巨人が現実世界でも可視できるようになり、鶴岡八幡宮あたりの視ることができる神主たちを阿鼻叫喚させたとか……。


 この噂はもちろん、鎌倉警察の刑事一課を含む彰の班も小耳にはさんだそうで、もう少しタイミングが遅ければ、捜査に移行する寸前だった。だからと言うか、揉み消すのは容易であったが、そのための嘘には度胸が必要だった。


「あれ、俺らのせいなんだ」

『え? あの変な形の巨大モンスターのことでしょ?』

「そうそう……。でも、あれはただの煙で……。北鎌倉の森林で軽い山火事みたいになっちゃってさ。それで……」

『……一応、もう大の大人なんだからさ? 確かに聞いた話だと怪我人もいないし、目撃者も証拠もないからいいけどさぁ。……分かったよ。お姉さんに任せなさいな? でも、その代わりひとつ約束があります』

「なんだ?」

『えーとね? フミちゃんがずっとお隣さんでいて欲しい』

「ん……よく分からないけど、了承した」

 この際、職権乱用しょくけんらんようをさせるとか、どうでもよかった。

『そう? うん、じゃあ今日は夜遅いから先にご飯食べて待ってて?』

 言った瞬間に彰の電話は途切れた。

「夫婦かよ」思わず声に出して、ツッコむ。



 勤務時間は終わり。石鳥居が立ち並ぶ鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐう参道を直進すると、そこには由比ガ浜ゆいがはまが見えてくる。

 結局、この道程を歩くのが海に向かうのには手っ取り早い。今日から一週間、古都鎌倉で古くから続けられてきた伝統の祭りが始まる。そのため、この街を歩く趣も、ちょっとばかり昔、祖母が生きていたころの懐かしさが蘇るようだった。


 国道沿いのT字路の場所、由比ガ浜 堤防ていぼうの前で雨香李は待っていた。

 祭りの前に海を眺めたいと、提案したのは雨香李だった。俺は、少し長い話をしたいと思っていた。


 彼女は海を眺めながら「昨日の雨で、少し荒れていますね」と耽始めた。

 俺にはまったく、その違いは分からない……。


「毎週見ているけど、その違いは分からんぞ?」

「本気で言っていますか? ホントに……鎌倉民ですか?」雨香李は驚いた顔を見せてから説明する。「いつもの波なら、こうサーって流れて、簡単には打ち返って来ないんです。ですけど、今日の波はザーっとイッテマス」

 うん、分かんないな……。


 確かに、二日前の雨の影響で、多少なりとも海が荒れているのかもしれないが。


 そして、「今日、姉からいろいろの事を聞きました」雨香李は話した。

 それから、しばらく俺と雨香李は、色々なことを話していた。



 その一コマだ。

「カエルは……俺の病気の事を知っていたんだな?」

「……はい。

 彰さんから聞いていました。それに、病院前で林ふみを見掛けたこともありました。だから、何か病気だとは知っていたのです」

「ッタク……、彰は口が軽いからな」

「いえ、それでしたら私、隠していることが沢山あるのです。だけど、そうやって自分にも相手にも抱えきれないほどの嘘をついて、もう全て捨てちゃえば楽なのにって。思えば、私は逃げることが癖になっていました」そして、空を見て「私、自分を変えたい」

 

「俺は――思うんだけど」一拍置く。


「きっと誰もが隠していることがあっても、その人の事を思えば分かっちゃうと思うんだ。そういうのって分かっても言わないのが本当の関係なんだと思う」


 そうだ。

 俺は、雨香李の外見に取り付けたペルソナよりも深くにある彼女の本心を知っている。彼女が必死で隠そうと思っても隠せそうにないぐらいに見え見えで、その形を知っていた。


 それは、カタワレの俺たちが支えあうための関係――少なからず、雨香李の欠点でさえ長所のように捉えるのが癖になっていた。それは、他の人でも同じとは言えないかもしれないけど。

 あの日、退院したばかりの俺の傍にいてくれたように、あの海を眺めいつくしむように、雨香李を見ていたかった。いつか終わるその瞬間、ふたりの時間を少しずつ埋めたいって、いつの日か考えていた。


「でも、未だにわたしは、本当の私を見られるのが怖い」雨香李の本音。


 俺も、ずっと怖いのは変わらない。

 雨香李という『俺を認めてくれた人間』が、この病気のせいで自身を邪険に見る事が怖かった。

 それだったら、バレる前に自分から姿を消すことさえ考えた。だけど、それでも自身は誰かを必要とする。昔、夢の中で出会った少女のように、その声が聴きたくて――嫌われても傍にいたかった。


「俺は雨香李がどんな姿でも、どんな髪形でも、どんな服を着ていても、あの場所で海を眺めるひとりの少女に声を掛ける」

「……それが本当なら、嬉しい。でも、今日でアナタとの日々も終わってしまうと考えると、少し変な気持ちがします」

「どうせ海辺で会うだろ」

「そうですね。林ふみにはお世話にはなりましたけど、それで明日に世界が終わるワケじゃないですもんね」

「まあ、ひとりになって生成するわ」

「なんですって??」身体が前のめりに雨香李は怒りをあらわにする。


 その顔が、今では慣れてしまった。

 こんな怒った顔でさえ愛おしく思える程、彼女の日々は自身の心を満たしてくれていた。


 雨香李は、すぐにこの態度を変え、一度大きく息をした。

「でも、少し楽しかったです。私、戒律で結婚できないなって思っていたから。こうやって家族のフリをするのが楽しくて溜まらなかったの。だって、私が修道女になったら、神様だけを愛さなきゃいけないっって。

 それが嫌で逃げていた。でも、現実を受け止めなきゃいけない日が来るんだろうなっていつも考えていたわ。だからね、もし私が結婚したらこういう気持ちなのかなって。近くに笑う人がいて、あなたもとてもバカだったけど、支えあって生きていかなきゃイケないって完璧に依存だけど、とても心が軽くなるのよ?」

「俺なんかじゃ、あてにならんだろ」

「そんな事なかったです。でも、そうね。昨日の事も忘れるし、初日に私が泊まった事でさえ忘れちゃっているのだもん。

 でももし、私が神様に仕えることになったら、二度とそんな思いはしないのだろうなって考えるとどうしてかとても苦しいの。きっと、アナタは私がいなきゃダメなの。そうきっとそうだわ!私がいなかったら、きっと寂しいし、忘れちゃうし、生きてられない」


 そう言うと、雨香李は胸に手をやって苦しそうだった。

 眼には涙を溜めていた。それは、明らかに俺の事のための涙だった。


 西から延びる逆光が彼女の背中を照らしていた。

 それは、許しをこう聖女のような、贖罪について告白をする淑女のよう――雨香李に救われたのは俺なのに。


 雨香李への言葉に躊躇した。

 だけど、その迷いを振り払い、彼女の前では笑顔でいたいと思えた。ただ、少しはにかんだ顔で、軽く片手で雨香李の肩を組む。



 彼女の体温が薄く感じる。

 彼女の手が、肩にしがみ付く。

 涙が、肩へと滴る。


 一秒が短い――彼女の傍にずっと居られない自分が……とても辛いけど。

「カエルは、俺と違って自分のことを変えることができるんだ。奇跡なんかじゃなくても、自分がこうしたいって願い続けて実行すればそれは叶うんだ。

 俺みたいな障害持ちじゃなければ、イカれちゃいないだろ? 俺からでも他人からでも、普通に悩みがあって、苦しんで、生きている人間なんだよ?

 だから、いばらでも戦おうな?苦しくても息吸って頑張ろうな?」


 雨香李は涙で目元を赤くなった顔で俺と見合うと彼女は俺の頬へキスをして、そのあと一礼して堤防先へと――


「100ポイントの景品です」彼女は笑顔だった。


 すべてが終わったと思い、一度大きな溜息が出てから気づいた。


 何も始まってもないし、終わってもいない俺の人生。

 俺は障害を言い訳に何もかもを捨てていた。


 彼女にあんだけ頑張れと言って、俺自身は何がしたいんだろうか……

 とりあえずは、あの古書堂兼特殊探偵事務所のバイトをしながら考えたい。

 思えば、天使の事案だって解決していないのだから。


 でも、俺はこの一ヵ月で随分と大人になれた気がした。

 そして、改めてこの街に感謝がしたかった。


 お婆ちゃんが亡くなってから、嫌な思い出だけになってしまったこの街が、雨香李といるだけで、ビビットカラーに染まっていくようだ。


END

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天使を失った世界で 明後日を取り戻すカタワレたちの物語 はやしばら @hayashibara

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