感情論(2)プライドを、かなぐり捨ててでも

 俺はねだからつまりなんにだって希望なんてもっちゃいなかったわけですよ。さんざんな時代をね送ってきたんです高校までだってそれなりに。あのね高校のときからなんてマスクが欠かせませんでしたよほんとうに。だって俺の顔見ると男どもは惚れるし女どもはわあわあ言うし。俺ほんとに女ならどんだけよかっただろうなあ。ちまいし声かわいいしさ、こうやってふりふり着てにゃんにゃん言ってるとほんっと、かわいいだろ、アイドルネコちゃんですにゃーんって感じ。神サマ、采配、間違えてねえか? マジでさ。


 俺そうやって毎日マスクしてさなにしてたかって中学のころは新聞配達だし高校のときはファーストフード店とファミレスとチェーンの古本屋で掛け持ちバイトだよ。あとは家に帰ってガキどもに餌やって明け方になるまで勉強するだけさ。俺はな勉強は、というか学ぶことは好きだったよ。好きだったし、学べば未来がひらくと思ったさ、俺にできることなんざさ、そんくらいしかなかっただろうよ、――超貧困のネズミ大家族、愛情も、生き甲斐もなし、しかも長女の俺はほんとうは男でほんとうは学びたいのに家には金がねえ金がねえ金がねえって。金がなあ、あればどんだけ……進学についても希望もてただろうし俺はよ、早く本来の身体になりたかったんだ。だんだんジェンダーがレスだのフリーだのいって身体が女でも男子の制服着れたやつとかうらましかったなあ僕いますぐ殺してしまいたかったよ、だってそういうのってけっきょく金持ち層から浸透してくんだろ金持ち私立の坊ちゃん嬢ちゃんよお。誇らしげに僕はほんとうは男だったんですとか俺も言ってみてえわ俺の通ってた高校知ってんか、想像できるんか、いやここにいるようなヤツらは知らない、ぜーったい知らない俺の住んでいた貧困地域の貧困ダメダメおバカ高校なんて。



 なんだよ決めつけんなみたいに思ったか。じゃあ言ってやるぜ。知ってっか? ××区の、××高校だよ――ああほら微妙な顔しやがる。ひとりでも、ねえー、知ってますかー? 私の母校ー、知ってますかー? ……知らないだろ、知ったかすんなよ、人間未満か、殺すぞ、俺のつくった社会でおまえ人間認定してやんねえぞ。わかったらその理解者みたいな馬鹿面をやめろ。人間じゃなくされてえのか、――いい趣味ですねえ。



 俺はね毎日絶望のなかで生きていたつもりだったのこれでも。

 だから世界立大学の話だってよ期待はしたが本音のところじゃ無理だと思っていたさ。



 俺このままずっと、このままなんだろうな、って。

 俺は金がなくて高校受験もろくにできなくていちばん近場のおバカ高校にお情け奨学生で入れていただくしかなかったけどよ、ほんとは勉強はできたんだよそこいらのやつら以上にずっとな。でも俺はバカ高校のおちびマスク女ちゃんだ。俺がなどんなに勉強できるっつったって好きだっつったってはいはい妄想ですね馬鹿高の馬鹿女子高生が犯してやろうか、ってなるわけマジで。そういう雰囲気、そういう目線、気持ちがよお、わかるんだよ。近所でバイトしたって馬鹿にされんだよ。パワハラ、モラハラ、セクハラ? そんなんだから定義して言えるだけで恵まれてんだって。俺がな、家と、学校と、近所と、すべてのバイト先でどんな扱い受けてたか、教えてやろうか?






 人間未満だよ。

 おまえ人間じゃねえんだよってあいつらずっとメッセージ発し続けやがってんだよ。



 家ではモノを食う度に醜い生き物扱いされてな。

 妹や弟たちは俺のことを金の出どころとしか思ってねえ。


 学校では男たちからは卑猥なことばっか言われてよ。

 反論すれば、身体まさぐられるか、殴られるか、……写真撮られて、おしまいだよ。

 女どももそんときはいた。

 女どもは、俺のこと指さして、かわいいからこそこうなると哀れー、とかゆってな、笑うんだよ、――なんだよおまえらが犯されればいいじゃんよ。いや。交尾してれば、いいじゃんかよ。どうして、どうして俺にかまったんだよあんなに。


 近所のやつらは俺のこと玩具としか思ってねえよ。道ふさがれたり。連れ込まれたり。生活費だってなんど、奪われた? ――そのためになんど、屈辱的なことを、させられた?


 バイト先では俺は頭もお股も緩い馬鹿女子高生で通ってたよ。休憩時間、俺が勉強しているとすぐに笑いにきた。なにそれ、小学校の算数でちゅか、って。高校の勉強ですと言うと、ろくに使えもしねえくせになんだその態度はと休憩時間なのに説教タイムだ――あれは、すさまじい公開自慰だったな。ああ、あと、残業代どころか、給料ハネられたことだってあったぜ。現代の話だよ、マジで。「おまえ無能だから」っつうのが理由でよ――労基に言ったらぶち犯して殺してやるからとか、にたにた、言われてよお、






 俺は、俺は、……僕はな、私は、







 抵抗、できなかったんだよ。






 抵抗すればよかったじゃん、って、思うだろ。






 できなかった。……できなかったんですよ。

 なんでだろ。……なんでだろ。






 女の身体が弱いっていうのも、あった。

 あいつらが面倒っていうのも、あった。




 でも、でも、僕は。

 ……俺はな。





 怖かったんだよ。

 嫌だったんだよ。






 けっきょくのところ、殺されたくなかった。

 犯されたく、なかったんだよ。




 俺ってさ、……高柱猫って人間って、たぶん、殺したくなるようなやつなんだよな。

 そんで、犯したくなるような人間なんだと、思う。




 ……なんでかは、わからないよ。

 考えないよ。……考えないよ。そんなこと、突き詰めたらさ、考えたらさ、こんどこそ、……ほんとうに、壊れちゃうじゃん、僕。









 でも。

 でもな。



 これだけは、言える。







 俺は、強く、殺されたくないと言う気持ちがあったし。

 ……犯されたくなかったんだ。



 人間としての尊厳をかなぐり捨ててでも、

 ……どんなに、嫌な目に、あわされても、







 そのためになら、って、どんな要求でも、どんなことでも、

 媚びへつらう、最低の人間になっても、

 たとえ人間としてのプライドを放棄したって、







 犯されたく、なかったんだ。なかったんだよ。それなのに。なんで。……なんで。あそこは、地元ではなかった。世界立の、大学だった。希望をもって、俺、マスクつけなくても、笑えるようになった、……俺のほんとのすがた知ってもらえたと思った、それなのに、なんで、ねえ、なんで、――なんで、俺、犯されなくっちゃならなかったの?

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