花粉ライダーヒロキ

吉岡梅

3月

 3月14日はホワイトデー。バレンタインデーにチョコレートを貰った人が、贈った人に返礼としてキャンディーやクッキー等を贈る日だ。北郷祐樹きたごうひろきにとっても、例年ならば、へーそうですかという1日だ。だが、今年は事情が違う。なんと、密かに良いなと想っていた杉野さんからチョコレートを貰っているのだ。


 残念ながら、おそらくいわゆる本命チョコというわけではないだろう。部活の皆に配るような形で裕樹もチョコが周って来たというわけだ。しかし、高校生活3年間で、バレンタインデーにチョコレートを貰うなんていう経験は、初めてだ。しかも意中の人に貰うなんて。

 祐樹は、このチャンスを逃すまいと、ホワイトデーの日を心待ちにしていた。お礼にかこつけて、想いを伝えようと考えているのだ。


 既に杉野さんに渡すクッキーは用意してある。妹から女子に人気のクッキーをリサーチし、「重すぎず軽すぎない、いい感じのランクのクッキー」を購入済みだ。少々高かったが、先行投資と自分に言い聞かせて購入した。時は3月、祐樹たち3年生はもうすぐ卒業だ。このチャンスを逃してしまえば、もう想いを伝えるチャンスはそう巡ってこないだろう。それに、例え玉砕したとしても、あと1月も耐えれば別々の道へと進んでにできる、という打算もあった。


 部室へ向かう前に、トイレに入って気合を入れる。髪を整え、制服のヨレを直してほこり取りのブラシをかけると、普段ならこの季節には手放せない花粉症用のマスクまで脱ぎ捨てた。準備万端だ。仕上げに鏡の中の自分に小声で言い聞かせる。「大丈夫大丈夫。男を見せろ、裕樹。お前ならできる」そして祐樹は、両手で頬をぴしゃりと叩くと、杉野さんの待つ部室へと向かった。


 何気ない様子を装って部室のドアを開ける。いつもの席に陣取って他愛もない話をしている友人達に軽く手を上げ、自然な体で杉野さんの元へと向かう。杉野さんは、祐樹に気が付いて顔を上げると、にっこりと微笑んできた。


「おーす。なんかいつもと違うね? あ、マスク?」

「ちーす。そう。今日はちょっと外してみたんだ。ところでさ……」


 祐樹が、お礼の話を切り出そうとすると、それを遮るように杉野さんが先にこう切り出した。


「ねえ裕樹くん、今日、放課後ちょっと付き合ってもらえるかな? 話しておきたいことがあるんだ」

「え? 今日? 別にいいけど。てか今だとまずい話?」

「よかった! うん……ここじゃちょっと言いにくい話で……。じゃあ部活はけたら一緒に帰ろっか」


 祐樹は、はしゃいだ様子の杉野さんに曖昧に頷く。背中の方からは、他の部員たちからの好奇の視線を突き刺さるように感じるが、気づかないふりをしていつもの席に座り、部活の実験記録を付け始めた。


***


 放課後、二人は体育館の横手にあるブナの木の辺りを並んで歩いていた。裕樹はドキドキと張り裂けそうな胸をなんとか抑え、最高にさりげない様子でクッキーを取り出すと杉野さんの前へと差し出した。何か気の利いた事を言おうと思っていたのだが、緊張のあまり、うまく声すら出せなかった。

 その様子を見た杉野さんは、きょとんとした様子であったが、花の咲くような笑顔になると、クッキーを受け取ってくれた。


「うわー、ありがとう! ホワイトデーの? トータロー洋菓子店さんのクッキーとか渋いね。嬉しい」


 杉野さんは、胸の前でいったんぎゅっとクッキーを抱えると、大事そうに鞄にしまった。


「喜んでもらえて良かった。でさ……実はさ……俺……、ずっと杉野さんの事が……す……好きだったんだ!」


 裕樹は、ありったけの勇気を振り絞って、告白をした。告白をした後どうするだとか、OKだったらどうするとか、ダメだったらどうするとかは一切考えずに、ただただ想いを伝える、その事だけに必死になっていた。


 しばらくの間、2人の間に沈黙が流れた。杉野さんは真っ赤になって黙っていたが。泣きそうな笑顔になると、うん、うん、と頷いて裕樹の手を握って来た。


「嬉しい……。ありがとう裕樹くん。私もずっと好きだったの」


 杉野さんの返答が、裕樹には信じられなかった。今、何が起きているのかが良く把握できない。頭の中はぐるぐると混乱してぼぅっとし、何か視界もぼやけ、鼻の奥はつんとする違和感を感じ、握られた手からは痺れるような感覚すら感じていた。

 そんな裕樹の様子を見て、杉野さんは握っていた手を慌てて話すと、後ろ手に組み、首を少し傾げて尋ねてきた。


「裕樹くん、大丈夫?」

「あ、大丈夫。なんか信じられなくて……」

「ふふ。私も。本当にうれしい。じゃあ、私からもひとつ告白しなくちゃね……」


 そう言った杉野さんの顔は、どことなく寂しげであった。


「実は私ね……。花粉なの」

「え?」

「スギ科の花粉なの。ほら……」


 杉野さんがくるりと手を回すと、その軌跡には何かきらきらと煌めく粉末のような物が尾を引いて流れる。

 裕樹は混乱していた。杉野さんの言っていることが理解できなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。その証拠に、裕樹の体は明らかな反応を起こしていた。目のかゆみ、鼻の違和感、頭痛、視界のぼやけ、ありとあらゆる器官が全力で裕樹へと警鐘を鳴らしていた。くしゃみ、倦怠感、不快な微熱、そして左手の変形。


「杉野さん!!」


 裕樹の左手はみるみるうちに、青白く輝く巨大なチェーンソーへと変形していた。


「なんで俺にそんな事を! なんで!」


 顎からは鼻までを完全に覆うマスクが現れ、頭には目を覆うゴーグル付きのヘルメットが転送される。ヘルメットから頭皮に鋭い針が2本射出され、その先端からは体内へと直接抗ヒスタミン剤が投与される。


「俺は……俺は……」


 裕樹の体は完全に変形を完了していた。全ての花粉を消滅させるために生み出された異形の英雄、花粉ライダーへと。その姿を見て、杉野さんは艶然と微笑む。


「そうよね。そうなっちゃうんだもんね。裕樹君は。いいよ。切り倒して」


 裕樹の体は自然に動いていた。右足を深く踏み込んで上体を捻る。嫌だという裕樹の意思が体の動きを止めようとするが、その動作はかえって十分な力を蓄積する働きにしかならない。一気に捻り込んだ筋肉を回転させ、左手のチェーンソーが足元から頭上へと勢いよく振り上げられた。二の太刀を考えない力任せのひと薙ぎ。その一閃で、杉野さんは倒れ伏していた。


「杉野さん! 杉野さん! なんで!」


 裕樹は変身したままの姿で、杉野さんを抱き起す。息も絶え絶えの杉野さんは、裕樹と眼を合わせると、にっこりと微笑んだ。


「これで……これでいいの」

「杉野さん! 嫌だ! なんでこんな! せめてあと1カ月黙っていてくれれば俺は君をこんな……」

「ごめんね。そうだってわかっていたんだけど、どうしても私の気持ちを伝えておきたくて……私、花粉失格だよね……。でも、ありがとう裕樹君、わた……し……嬉しか……た……よ」

 そう言い残すと、杉野さんの体は青白い光を放ちながら消滅していった。


「杉野さん! 杉野さん!」


 裕樹の慟哭を聞いているのは、傍らのブナの木だけだった。やがて変身の解けた裕樹は、ゆっくりと立ち上がると自分に言い聞かせるように呟いた。


「全ての……全ての花粉は……、俺が例外なく消滅させる!」


 裕樹の頬には二筋の涙が流れていた。その涙は、裕樹が花粉以外で流す、初めて心の奥底から湧いてくる涙であった。そして、非情な花粉殺戮マシーン、花粉ライダーが流す、最後の涙でもあった。

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花粉ライダーヒロキ 吉岡梅 @uomasa

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