Ⅰ 運命の輪 WHEEL OF FORTUNE 「彼女はふた股をかけられているのか?」5
──こんな私でも、『占い館シーラ』にいた頃は、売り上げが全店舗中でトップ三に入ってた時期があったんだ。でも、ネットの匿名掲示板に私のスレッドが立って、中傷コメントが書き込まれるようになっちゃってさ。
「美月の占いはいいことしか言わないデタラメ」「オーナーや男性客に取り入るために枕営業をしている」「占った子が自殺未遂をした」
あとはなんだっけ? とにかく、「名無しのお客さん」たちが、もう思い出せないほどいろんな事をクソミソに書き込んでくれた。
スレッドの存在を教えてくれた同僚のモモカさんは、心配そうなふりをしつつも、抑えきれない好奇心で目がキラキラしてた。彼女は私と売り上げ順位を競ってたから、本人がスレッドを立ち上げたのかもね。私が店の控室に入ったとき、モモカさんがいじってたケータイをあわてて隠したことが何度かあったから。
問い詰めてみたい気持ちもあったけど、何もしなかった。足の引っ張り合いなんて珍しくないだろうし、別に
だから、下へ下へと向かう重力に逆らえなくなったのは、私が戦意を失くしちゃったからなんだ。
占った女の子が自殺未遂をしたのは、本当なの。
彼女は無職の一八歳で、名前は
私は何度もリーディングして、ポジティブな魔法をかけようとした。
感性が豊かだから、デザイン関係の仕事が向いてそう。興味が持てそうなら専門学校に行ってみるといいかもね。え? そんな気分にはなれない? そう。まだ焦ることはないよ。今は楽しいことだけ考えて、ゆっくりやりたいこと探せばいい……。
たぶん、あの頃の由香子にとって、私は何でも話せる唯一の他人だったんだと思う。次第に、「今夜は何を食べればいい?」「
──由香子は完全に、占い依存症になっていたんだ。
このままでは本人のために良くない。だから、「そろそろ占いに頼るのは控えて、自分で考えるようにしなきゃ」って、はっきり告げることにしたの。そして、「どうしても占いたいなら、タロットを勉強して自分で占ってみればいいよ」と言って、一式のタロットカードをプレゼントしたんだけど……。
私は由香子のためにそうしたつもりだったのに、彼女はそれを裏切り行為だと受け止めてしまった。泣き出しそうな顔で、「最低! 信じてたのに!」って叫んで出てったっきり、店には二度と来なかった。
それからも由香子のことが頭から離れなくて、思い切って自宅に電話をかけてみたら、彼女の母親から入院したことを知らされて。
しかも、お
命に別状はないと言われたので、急いで病院に駆け付けたんだけど、由香子は会ってはくれなかった。事情を知った彼女の母親は、「あなたのせいじゃない」と言ってくれたけど、なんだか空しくてさ。
落ち込む私に、『占い館シーラ』のオーナーは、「客に依存させてこそ一流の占い師なんや。うまく引っ張って稼げばええねん」って、真顔で言ったんだ。本当にお客さんを依存させなきゃいけないなら、一流の占い師になんてなりたくないよ。
それ以来、仕事への情熱が急速に冷めて、顧客がどんどん離れていった。説教グセが抑えられなくなったのも、この頃から。もしかしたら、わざとお客さんを突き放すようになっちゃったのかもしれない。もう、誰からも依存なんてされないように。
それで店をクビになって、路上占い師になって、家賃すら払えなくなって。今日だって、愛莉がいなかったら睦実を怒らせて終わっちゃったんだろうし、いい加減に占い師なんて辞めちゃったほうがいいんだよ。
──話し終えると、愛莉は「ちょっと調べたいことがある」と言ってリビングテーブルのノートパソコンをいじり始めた。私はぼんやりと、自分のこの先について考えた。
彼女には家政婦にしてほしいなんて言っちゃったけど、きっと無理だろう。秋田の実家に帰るって電話したら、うちの親なんて言うかな。アラサー独身娘の帰郷なんて、狭い田舎町だからウワサの的になっちゃうだろうな……。
「あのさ……」
ひたすらパソコンを見ていた愛莉が、声をかけてきた。
「さっきの由香子って人の話、今まで誰かにしたことある?」
「ないよ」
そう、誰にも話さなかったのに、打ち明けてしまった。自分でも不思議。
「その人は、今どうしてるの?」
「分かんない」
「……あたし、その人の気持ちが分かる」
「えっ?」
もしや、私の話を聞いて何か推理したのだろうか?
「彼女は退院した後、また別の占い師に依存した。きっと何人も。そして、あるとき気づいた。アナタだけは、自分のことを本気で心配してくれたんだって」
「……そう、だといいね」
慰めてくれているのだろう。その気持ちはありがたいけど、本当のところはどうだか分からない。すると、彼女は黙ったままパソコンをこちらに向けた。
画面は匿名掲示板の私のスレッドだ。まだ残っていたのか。占い館を辞めて半年以上も経つのに、暇な人もいるもんだな……と思ったら、書き込みは半年ほど前から止まっていて、一番下にある最後のコメントだけが、今月に入ってから書き込まれたものだった。
占い師なんてみんなインチキ。とっとと辞めろ。
あいつら、適当なこと言ってわざと不安にさせて、客から金を巻き上げる。
占い師の鑑定なんてマジ金の無駄。
どうしても占いたいなら、タロットを勉強して自分で占えばいい。
カードをくれた友だちが言ってたけど、まったくその通りだ。
「他に誰にも話していないなら、書き込んだのは彼女本人しかいない」
愛莉の声を聞きながら、一見バッシングのような書き込みの最後を読み返す。
──友だちが言ってた──。
だんだん文字がぼやけてきた。脳裏に、私があげたタロットカードで自分を占っている由香子の姿が浮かんだ。
将来の夢は、もう見つかったのかな?
何でも話せる友だちが、そばにいてくれたらいいな。
いつもオドオドしていたけど、心根の優しい子だった。私のためにわざわざ並んで人気スイーツを買って、差し入れしてくれたこともあったよね。でも──。
「友だちなんて、言ってもらえるような関係じゃなかったんだ」
私がつぶやくと、愛莉は
「今から思えば、私、由香子の占い依存が心配だっただけじゃなくて、相手にするのが面倒になっちゃったのかもしれないんだよね……」
その気持ちが伝わっていたから、あの子は絶望したのかもしれない。あんなに頼りにしてくれたのに、途中で逃げ出すような結果になっちゃって、本当にごめんね。
「そんなの、当然だよ」
ちょっぴりセンチメンタルになっていた私の思考を、愛莉の厳しい声が切り裂いた。
「自分が苦しいからって、他人にどうにかしてもらおうなんて
ガーン! 強烈な一撃。確かに、怠慢で傲慢かもしれない。でも、そんな不完全な者同士だからこそ、支え合って助け合って生きるのが人間なんじゃないの?
──って言い返そうかと思ったけど、あまりにもクサいのでやめておいた。
「そっか……愛莉はそう思うんだ」
「血の
なるほど。言葉はキツいけど、私をフォローしてくれているんだ。でも、この子はなぜこんなに冷めているのだろう。まるで、何もかも
「占い師さんが彼女を突き放して、よかったんだと思う」
黙りこくってしまった私に、愛莉がまた話しかけてきた。
「だから、彼女は客を食いもんにする占い師の存在を知って、目を覚ますことができた。占いなんて、当たるも
まあ、そうだよね。由香子が占い依存から脱してくれたのなら、それでいいや。占いなんて
私はこれまで、めくったタロットカードをヒントに、相手が言ってほしいだろうと思ったことを告げてきた。でも愛莉は、私と相談者の会話からいろんなことを推理して、論理的な答えを導き出したんだ。それは占いではない。
もし私にこの子のような能力があったら、由香子にもっと明確なアドバイスができたかもしれなくて、そしたら、彼女は占いに依存せずに済んだかもしれなくて……。
頭をフル回転させていたら、ポケットのスマホが鳴った。取り出して画面を見ると、占い用のアドレスに写真が添付されたメールが届いている。
「さっきの睦実ちゃんからだ!」
件名は、〈ありがとうございました〉。本文は、〈コウさんです♥〉。写真には、幸せそうにほほ笑む睦実と、少年のように目を輝かせた小柄で誠実そうな青年が、仲良く並んで写っている。
これがコウさんか。なかなかいい男だ。二人がそれぞれ抱いている黒とグレーのプードルも、ぬいぐるみのように愛らしい。
「ね、見て。コウさんとのツーショット送ってくれた。超カワイくない?」
愛莉は写真にチラリと視線を送り、興味なさげにその視線を
リアクションが薄すぎるよ!
「睦実ちゃん、誤解が解けてよかった。愛莉のお
若干、おだても交じえて言うと、無言のまま目を伏せた愛莉が、右の口角を少しだけ上げてすぐに戻した。
なるほど、これが彼女なりの喜びの表現なのだろう。分かりにくいけど。
私は、いつの間にか満ち足りた気分になっていた。アドバイスをした人の幸せな報告を受ける時くらい、占い師をやっていてよかったと思える瞬間はない。引退しようとしていたはずなのに、やる気が沸々とみなぎってくる。
(あの探偵みたいな女の子)
──睦実の言葉が浮かんできた。そうだ!
「今、すっごい事、思いついちゃった!」
思いっきり気合いを入れて愛莉と向き合った。
「愛莉には、名探偵並みの洞察力と推理力がある。睦実も私も、あんたのお蔭で本当に救われた」
「いや、占い師さんのは掲示板を見ただけだし」
なんて言いながらも、機嫌は悪くなさそう。よし、このまま勢いで宣言しちゃおう。
「私、やっぱり占い師は辞めない。愛莉と占いユニットを組みたい!」
「占いユニット?」
「そう。私たち二人で」
「……よく分かんないけど、あたし、占いなんて無理だから」
もちろん、こんなに声が小さくて早口で無愛想で、人と目を合わすのが苦手な愛莉に、お客さんと対話させるつもりは毛頭ない。
「大丈夫。あんたは一言もしゃべらなくていいから、私の隣で一緒に話を聞いて、気づいたことを教えてほしいの。例えば……そう、メールアプリとかで。それを見ながら、私が相談者と話をする。それなら、単なる気休めの占いじゃなくて、探偵のように悩みを解決してあげられるかもしれない」
それこそ、私が本当になりたかった、ポジティブな魔法をかけられる占い師だ。
「愛莉がプロデューサーで私がパフォーマーの、歌でもダンスでもない占いユニット。私も愛莉の指示で話してるって相手に知られたくないから、二人とも顔を隠すコスチュームでやるの。どう? 面白そうじゃない?」
「ふーん。占い師さんがボーカロイドで、あたしがボカロPか……」
「私が
「それ、古い」
ジェネレーションギャップを感じながらも、愛莉をその気にさせようとプレゼンを続ける。彼女はプロデューサーという響きに興味を持ったようだ。
「体調が悪くなったら席を外していい。ただ、推理するときのあんたは最強モードになるような気がするんだ。私はパフォーマンスを頑張るから、愛莉はその頭脳でプロデュースしてほしいの。何も情報がない場合は、普通にタロットで占うからさ」
私は、「これ以上は無理!」と言い切れるくらい
「お願い、私には愛莉が必要なの!」
断らないで! と心の中で祈ったら、なぜか泣きたくなってきた。
しばらくのあいだ、愛莉はうつむいて右の親指を
やがて、ゆっくりと頭を上げて、意を決したように口を開いた。
「分かった」
やった、祈りが通じた!
「その代わり条件がある」
「なんでも言って!」
「あたしは家を出たくない。占い師さんも、さっきの三人が探すかもしれないから、しばらく二子には戻らないほうがいい。だから、この部屋を占いサロンにする」
「えっ……?」
まさかの提案に、言葉が出てこなくなってしまった。
あの男たちは、私が二子の居酒屋で占いをしていることを知っている。しかも、金髪ピアスは『俺んち、この近くだから』と言っていた。あの辺は、ヤツらのテリトリーなのだろう。もしかしたら、なんらかの報復を考えているかもしれない。
愛莉はそこまで考えて、承諾してくれたんだ。きっと彼女にとって、この決断は重大だ。
「ありがとう……今はそれしか言えないけど、本当に
「ただし、サロンのオーナーはあたしじゃなくて、占い師さんってことにしてもらう」
「え? 私がオーナーのフリをするの?」
「そう。〝転勤した
……なんだかよく分からないけど、愛莉とは偶然にも同じ
「分かった、それで構わないよ。だったらさ……」
私はもう一度だけお願いしてみることにした。
「さっきも言ったんだけど、住み込みの家政婦にしてほしいんだ。鑑定をするとき以外は何でもやる。給料はいらない。住まわせてくれるだけでいいからさ」
我ながら厚かましいお願いだ。でも、今度は受け入れてもらえるような気がする。
「いいよ。部屋は余ってるから。給料もそれなりに払う。だったら、室内でタバコは吸わない。あたしの部屋には入らない。あたしの私物には触らない。余計な詮索はしない。リビングの窓のシャッターは絶対に開けない。この五つは守ってもらう」
「承知しました」
照れ隠しで古風な家政婦っぽく答えちゃったけど、目の前に立ち込めていた霧が晴れて、空気すら澄んだような気がしていた。
私は浮かれついでに商売道具のタロットカードを取り出し、中から一枚だけ選んでテーブルの上に置いた。
「『運命の輪』。十番目の大アルカナで、意味はチャンス到来。楽しみだね!」
愛莉は表情を変えずに、時計のような円盤が印象的な絵柄をじっと眺めている。
そう、いろんな意味でこれはチャンスなんだ。私にとっても、彼女にとっても。
あ、また
「ユニット名なんだけどさ、ミス・マーシュってどうかな?」
「意味は?」
「調べるのは得意でしょ」
彼女は早速、ノートパソコンで検索を始めた。
「……ミス・マーシュか。ミス・マープルみたいで悪くないかも」
「じゃあ、決まりね!」
──マーシュとは、ラプンツェルという植物のフランス名だ。
何があったのか分からないけど、愛莉は自分で作った
そんなんじゃダメだよ。もっといろんな人と触れ合って、心をうんと動かして、楽しいことをいっぱい経験して。人って捨てたもんじゃないなって、思ってほしいんだ。
だから──。
私がこの子を檻から助け出す。
今度こそ、途中で逃げ出したりなんてしない。絶対に。
「……ねえ、もうひとつだけお願いしていい?」
ノートパソコンから目を離して愛莉がこっちを向いた。
「なに? 占い師さん」
「占い師さんって呼ぶの、いい加減にやめてほしいんだ。美月さんって呼んでよ」
彼女は少しだけ首をすくめて、またパソコンに目を戻した。
無視かよ! くっそぉー、わざとだな!
「ちゃんと名前で呼ばないと、口利かないからねっ」
憤慨したフリをしながらも、私の胸は新たな目標を得た喜びで高鳴っていた。
あたしは、占いになんて興味ない。
もちろん、家政婦なんて必要ない。
でも、謎だらけの世界に隠された、
真実にだけは興味がある。
だから、この家に置いてみよう。
あたしが、あの人に飽きるまで。
窓がない部屋のミス・マーシュ 占いユニットで謎解きを 斎藤千輪/KADOKAWA文芸 @kadokawa_bunko
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