第47話 荒れる馨結

「いまの」


 芽玖めぐ先輩の気配じゃ。


 そう思った直後にはもう駆け出していて、ゆらり、と揺れた結界を抜け、「馨結きゆう!!」と彼の名を叫ぶ。


 その瞬間、吹き荒れていた風と、小さな稲妻がピタリと止まる。


「父さんっ」


 タッ、と駆け寄れば、滉伽こうがの力がこめれられた膜のようなものの中で、父さんがホッと息を吐き出したのが見える。

 その様子に、父さんの無事を確認して、馨結を見上げれば、ジッ、と男性がいたあたりを見ていた馨結が、「っちゃん」と俺を呼ぶ。


「アレは」

「……うん、あれは先輩の気配だった」

「……あの女狐がッ!!」

「馨結!!」


 バリバリッ、と何も誰もいなくなった場所へと雷を放つ。


 ピリピリ、と傍にいるだけで身体に走る電気に、ほんの少し片手の拳を握りしめ、もう片方の手で、馨結の腕を掴む。


 バヂッ、という音ともに走った痛みに、「痛っ」と思わず声が漏れた瞬間、「坊っちゃんっ?!」と馨結が心底おどろいた顔をして、こっちを見た。


「坊っちゃん?! 怪我は?! 見せてください、います、ぐ」

「やっとこっち見た」


 今すぐに、と馨結が言い終わらない内に言葉を被せて、ぐい、と腕を引っ張れば、驚きと後悔を綯い交ぜにした顔の馨結の瞳が目に映る。


「坊っちゃ」

「痛くないし、怪我もしてないから、これくらい大丈夫。気にしすぎだよ、馨結きゆう

「ですが」

「それよりも、どうすんのさ。道のど真ん中、真っ黒焦げにしちゃって!!」


 びっ、と馨結が放った雷の跡を指差しながらに言えば、ほんの一瞬、泣きそうな顔をした馨結が、「気にするところはそこですか?」と呆れたような声を出す。


「そこでしょ、どう見てもどう考えても」

「いや、どう考えてもあの女狐のことだと思いますけど」

芽玖めぐ先輩は悪い人じゃない」

「アレは悪ですよ、どうあがいても。何年経とうと、何千年経とうと」


 アレは悪です。

 そう呟く馨結の目もとの朱色が光りを放つ。その朱色に、ペタリ、と手をやれば、はら、と落ちてきた馨結の髪が俺の手の甲を撫でる。


「芽玖先輩は、。絶対に」


 視線をそらすことなく、馨結にもう一度、そう告げれば、驚き、目を見開いた馨結が、動きを止めた。


「坊っちゃん、いま」

「なん、だ? 今の」


 悪いモノじゃない。

 そう言葉を発した時、声に力がのった気がする。


「なん」


 滉伽こうがに習ったことの一つが、ふいに頭をよぎり、バッ、と口を両手で塞げば、馨結きゆうが小さく息を吸い込んだのが見てとれる。


 ―― 【言霊ことだま

 ―― 自身が発する声、言葉を媒体に、力を使うこと

 

 使ったつもりはない。使おうと思ったわけじゃない。

 でも


「……っちゃん」

「……っ!!」


 喋れない。

 いま、何か言葉を発したら、どんな言葉にでも、力が乗ってしまう。


 そんな気がして、何かを言いかける馨結きゆうに、口を抑えたまま首を振る。


 けれど。


「大丈夫。落ち着いて、ゆっくり、しっかりぬえ殿を見てごらん。ボクでもいい。大丈夫、真備まきび、きみなら出来るはずだよ」


 そんな言葉とともに、温かい手が、背中にそえられる。


 その声と温かさに、隣を見れば、父さんがほんの少し目尻をさげながらこっちを見ている。


「大丈夫。だって、きみは自慢の息子だからね」


 そう言って、とん、とん、とゆっくりと背を叩いた父さんの言葉通り、馨結きゆうと父さんを交互に見たあと、深く息を吐き出す。


ゆう

「はい」

「っ、父さん」

「はいはい」


 意を決して発した言葉は、いつとも変わらぬもので、その事に安堵して、「びっくりしたぁぁぁぁぁーっ」と脱力感とともに思わずその場にしゃがみこむ。


 そんな俺を見て、「ほら、大丈夫だっただろう?」と、いつもと変わらぬ顔で父さんは俺の頭を撫でた。




「ああ、そうだ」


 結局、あの後すぐに普段と変わらない様子の父さんの、「早く上にあがらないとすみれに遅いって怒られちゃうから……帰ろっか」という発言で、馨結きゆうとともに、三人一緒に神社へ続く階段をのぼっている。


「どうしたの? 父さん」

真備まきびに質問があるんだけどね」

「質問?」


 そう、質問。と俺の声に、父さんが頷きながら答える。


「真備は、欲はあるかい?」

「欲? 食欲とか睡眠欲とか、そういうやつ?」

「ああ、うん、質問のしかたが悪かったね。欲といってもいや、うん。あるのは当たり前なんだけどね。何ていうかなぁ。そうだな、例えば、お金やモノを手に入れたい。これは獲得欲求だね。それからちょっと物騒になるけど、誰かを傷つけたい、とか、誰かを支配したい、とか」

「ない、ないし! そりゃ、欲しいものとかは確かにあるけど、小遣いで買うかバイトでもするって」

「誰かから奪ってまで手に入れたい、とかは思わない?」

「いや思わないよ!! 普通はそうでしょ? 普通は」


 突然、穏やかな表情のまま物騒な事を言い始めた父さんに、思わず足を止めて父さんを見やれば、俺をじっと見たあと、父さんがふふ、と静かに笑う。


「うん、ちゃんと本心みたいだね、分かってはいたけどね」


 そう言って、「本当に良い子だねぇ、ボクの子は」と父さんが嬉しそうに笑う。


「父さん?」


 質問の意図が掴めないんだけども。

 そんな意味を込めて、父さんを呼べば、ふふ、と父さんはまた一人、静かな笑い声をこぼす。


 何を言いたいのだろうか。

 首を傾げ立ち止まる俺に、父さんが一枚の護符を取り出す。


「これは護符だね」

「……うん?」

「まぁ、ボクが描いたものだから、ボクの父さんのものと比べたら、効力なんて無いに等しいかもしれないけど、一応、護符として、それなりの役目は果たせる」


 ひらり、と父さんの手の護符が揺れる。


「けれど、まぁ、何もしてなければ、ただ文字と記号が描いてあるだけの、細長い紙だ。ここに描いてある文字も、記号も言ってしまえばただの模様だね」

「……いや……まぁ、うん」

「で、力をこめれば、こうなるよね」


 こうなる、と言った父さんの手の護符が、ボッと音を建てて炎をあげる。


「……燃えた」

「燃やしたからね」


 ふふ、と俺の言葉に笑いながら、父さんは歩を進める。


「要は、これと一緒で、言霊ことだまも無闇矢鱈に怖がる必要はないんだよ。正しく使えば良いだけの話だからね」


 そう言って、横に並んだ俺に、父さんは笑みを浮かべる。


真備まきびがあのとき怖がったのは、誰かを傷つけるかも知れないって思ったからだろう?」

「あ、えと……うん」


 ほんの数分前の出来事に、また少しの恐怖心が蘇って、言葉が詰まる。


「大丈夫。誰かを傷つけることを怖がる真備なら心配いらないよ。大事なのは、正しく訓練して、誤った使い方をしないようすること、これだけだ。シンプルだろう?」


 にっこりと笑いながら言う父さんに、頷きかけて、止まる。


 そんな俺に、「気になることがあるなら、言ってごらん」と父さんが俺の顔を覗き込みながら言う。


「……俺に、出来ると思う?」


 そう問いかけた俺に、父さんは目尻にくしゃりと皺を寄せ、ふふ、とまた静かに笑う。


「出来るよ。だって、ボクとすみれさんの子だよ?」


 ―― それに


「こんなにも優しい子なのだから」


 心配いらないさ、と父さんは笑う。


「しかも、真備にはぬえ殿も白澤はくたく殿もついているじゃないか」

「……いや、まぁ、うん」


 父さんの言葉に、ちらり、と左隣を見れば、珍しく黙っていた馨結きゆうとばちりと眼があう。


 不機嫌さはとうに吹き飛んでいるらしい馨結の瞳に、本当にごく僅かな不安そうな色が見えた気がして、馨結の服の裾をきゅ、と握る。


 そんな俺に、馨結はぱちり、と瞬きを繰り返したあと、服の裾を掴んだ俺の手をとる。

 馨結のその行動に、少しだけ、胸の不安が溶けたような気がする。


「……父さん」

「なんだい?」


 きゅ、と馨結の手を握り返したあと、父さんへと向き直る。


「俺、みんなのためにも、自分のためにも強くなりたい。言霊も、護符もちゃんと訓練する」


 そう言った俺に、父さんはほんの少しだけ驚いた顔をしたあと、「そうだね」と呟き、頷く。


「それで、ちゃんと強くなって、さっきの奴みたいな、父さんに嫌な言葉を言うような奴は俺がぶっ飛ばす」

「おやおや、急に暴力的じゃないか。どうしたんだい?」


 グッと拳を握りしめながら言った俺に、父さんが苦笑いを浮かべる。


「父さんの力が極端に少ないのは、俺のせい、なんでしょ?」


 そう言った俺に、父さんは数回、瞬きを繰り返したあと、「ああ、なんだ、その事か」と朗らかに笑う。


「いや、その事って」

「でも本当にたいしたことじゃないからねぇ。気にすることなんてないさ」


 ふふ、と笑う父さんに、「でも」と言い募れば、ふふふ、と父さんがさらに静かな笑い声をこぼす。


「本当に、たいした事じゃないんだよ。大切なものを護れるのなら、ボクの力なんて、幾らでも差し出すよ」


 ぽん、と俺の頭に手をやりながら、父さんは笑う。


「きみは、ボクとすみれさんのかけがえのない、大事な、大切な宝物、だからね」


 ―― 失くす事に比べたら、小言なんて痛くも痒くもないさ。


 そう言って、ぽん、ぽん、と俺の頭を撫でながら、また、くしゃりと目尻に皺を寄せて笑う父さんに、なんだか無性に泣きそうになった。









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盈月の約束    ー 陰陽師見習いの男子高校生には、吉備真備の魂に刻まれている ー 渚乃雫 @Shizuku_N

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