第8話「出立」

   

 パシャ……


「遅いぞ、人間」


 野営地の近くの泉で身体を洗っていたベオに、女エルフ「パルシーダ」が冷たく声をかけた。


「出発の時間はまだあるだろう、エルフ?」

「少し、慌ただしくなった」


 ベオの裸を眉一つ動かさずに眺めながら、エルフの女医師がその唇から言葉を続ける。


「時間を早めないと、王子はお前を見送れない」

「気に入られたか、俺はあのエルフ王子に?」

「知ったことか」


 腰まで浸かっている泉の水よりも冷たいパルシーダの悪態にも耐性が出来てきたとは言え、さすがに彼女の視線までベオは無視が出来るようにはならない。


「動物の水浴びか何かのように、俺を見るな?」

「私は医師が本職だ」


 中天へ上がっている太陽の強い日差しに対し、軽く手を上げて遮る素振りをするパルシーダの長い金髪、ベオの癖のあるそれとは違う艶やかな髪が、微かに吹いた風へと舞う。


「男も女も、裸は見慣れている」

「人間のもか?」

「エルフのとは、そうそうには変わらん」


 冷然とそう告げられると、裸のベオにとっては、何かそのまま水の中にいるのが居たたまれなくなってくる。


「水から、腰を上がるぞ?」

「それが、不都合でも?」

「可愛いげの欠片も無い……」

「その可愛いげとやらを見せてやってもよいが」


 ポンと腰の剣を叩きながら、パルシーダは目を細めながらベオの股間の辺りに、嘲るような視線を投げつけた。


「代価は頂こう」

「標本にでもするのかよ?」

「面白そうだ」


 そう言いながら、パルシーダが浮かべる薄笑いに、ベオは何か本気の色を感じてしまう。


「そうだ、その目だよ」


 一瞬、本能的に見せてしまったベオの脅えの視線を見ながら、パルシーダの薄い唇の端が吊るように歪む。


「それこそが、人間どもがエルフへ向けるべき視線なのだ」

「なんて女だ……」


 すでに気恥ずかしさなどは無く、ベオは憎々しげにエルフの女の顔を睨み付けた。


「いるか、ベオ?」


 気軽、どこか呑気そうな声を放ちながら、ディンハイド王子が背の高いヤブ草をかき分けつつに、ベオ達のいる泉へとやって来る。


「おうっと!?」


 泉の岸辺へ上がろうと、脚の膝までの高さまで泉から身体を出しているベオを見て、慌てたディンハイドはベオから顔を背けて、くれた。


「お前の方が、よほどに女らしいぞ」

「はあ?」

「何でもないよ、エルフの王子様」


 ザブザブと泉から出るベオを瞬きもせずに睨み付けるパルシーダと裸の自分へ気を遣ってくれるディンハイドの顔を交互に見返しながら、ベオはこの妙な状態にため息をつくと共に。


「色々に間が悪いな……」


 僅かな頭痛を感じながらも、自身の頬をその細い指で掻きながら下着を履き始めたベオへ向けて、心持ちに苦く笑うエルフの王子。


「とりあえずは、別れの挨拶を人間にな」

「世話にはなったよ、ディンハイド」

「礼は無用だ」


 チュニックを着たベオに対して、ディンハイドは真顔で、ゆっくりとその首を振ってみせた。


「これから、お前達人間がセコセコ生きている領域、南方の大地へ本格的に攻め込むのだからな」

「そう、なるか」


 再度、ため息を吐き出しながらも、そのベオ少年の瞳には哀しげな色が浮かぶ。


「そこまで、人間が憎いか?」

「エルフ達の総意、何よりも父上の御意思だよ」

「イエスマンな息子か」

「言ってくれるな、人間」


 ベオの皮肉にもディンハイドは怒りの欠片すら見せない。


 カタッ……


 微かに柄に入った剣を鳴らしたパルシーダへ、ディンハイドが強く視線を向けて、彼女を押さえようとその瞳から意思を伝えた。


「私とて、高慢なるエルフの端くれだ」


 強く、勁(つよ)いディンハイドのその口調。


「フム……?」


 そのエルフ王子の低して響く声、それに対し一応の主君筋への礼を知らないパルシーダが持つ冷徹なその双眼、それすらもが軽く揺らいだ。


「全ての二本の脚で歩行をする生き物は、偉大なるエルフへ跪くべきだという、エルフの一般常識はわきまえているさ」

「フゥン……」


 シャア……


 泉の面を、明るく輝かす昼の太陽の光。


「妙な……」


 その陽が鎮座する天へ向けて宣言をするかのような、王子ディンハイドの言葉に。


「お方、エルフだ……」

「何だ、パルシーダ?」

「いや、何でもありません……」


 何かしらの動揺をしているパルシーダ。その彼女を訝しげに見つめながら、ベオは三度目のため息を吐く。


「所詮は、お前もエルフか」

「まあ、所詮はな」


 フゥウ……


 そう、ベオにと答えるディンハイドの口調はいつもの柔らかな物へと戻っていた。


「王子」


 パルシーダが中天から傾き始めた陽を指差しながら、上官の王子へ時間の訪れを促す。


「わかっているよ」


 スゥ……


 薄いその唇へ笑みを浮かべながら、ディンハイドが片手をベオへ差し出した。


「さらばだ、ベオ・アルデシア王子」

「ああ……」


 エルフと「手を組む」のはどうしたものかとベオは思ったが、それでも手を差し出して、くれているディンハイドへおずおずと自身の手も差し出し、ぎこちなく握手をする。


「お前のデーモンキラー、金色のPMの所で待っている」


 立ち去っていくディンハイドに続き、パルシーダがそう簡潔にベオへ指示を伝えた。


「はいよ……」


 ぼやくような口調でハイエルフの女に答えている最中、ベオはこの女としばらくは行動を共にしなければならないと考え始めてしまったせいか。


「イタァ……」


 胸だか、胃の辺りの気分が悪くなってきてしまう。


「冗談ではないぜ、全く……」




――――――







「父上」


 そう怒鳴るように叫びながら、オーク軍強襲部隊、通称略奪補給隊の隊長である女騎士アーティナはオークの大君主である父の元へ。


「帰還を致しました」


 大天幕の床へと引かれている絹の絨毯、遠くドワーフ達の住む砂漠から南下したシルクロードを渡った先にあると言われている異国の産物の上を、アーティナは大股でドカドカと歩み、父が座る奥の座へと迫る。


「大儀である、アーティナ」


 物々しい甲冑姿のまま、豪奢な謁見の間へ入り込む愛娘の姿を、かつてのオークの英雄は苦く笑いながら、その両目を僅かに細めてみせた。


「どうした、娘よ?」


 大君主の館、その大広間で一人あぐらをかいている父の御座の周囲をキョロキョロと見渡すアーティナ。


「女狐がいない、珍しい事で」

「別に飼い慣らしている訳ではない……」

 

 参謀、そしてオークの宗教面の祭司でもある自分の愛人の事を娘が悪く言うのは今に始まった事ではない。オークの大君主は、もう娘のその態度には眉一つ動かさない。


「こたびの作戦、父上の思惑は何であったか?」


 一つ不快げに鼻を鳴らしてから、アーティナは単刀直入に父へ質問を投げかける。


「作戦を失敗したのなら、まずは他に言うべき事、詫びがあるのではないか?」

「成功、でしょうに」


 肩を竦めながら言い放つ娘の言葉に、大君主はタバコを吹かしながら口を閉ざし、黙り込む。


「父上の思惑では」

「はてに、そうかな……?」

「違うと言い張れますかね?」

「頭の中でひねくりだした推測では、真実は導き出せんぞ、アーティナ」

「私の少なくない可愛い部下達が、無駄にガルミーシュの御身の元へ行ったのだが?」

「その偉大なるガルミーシュのお告げよ、今回の遺跡の襲撃はな」


 ポン……


 タバコ盆へ灰を落としながら、大君主は静かに娘へそう告げた。


「チッ……!!」


 その父王の言葉を聞いたアーティナは、ありありと忌々しげな表情を浮かべ始める。


「女狐、オークですらない人間の者がガルミーシュの使徒を騙るとはな……」

「控えろ、アーティナ」


 深い皺と束ねた髪に包まれたオークの大君主の顔、そこから鋭い眼の光が勇猛な騎士である娘へと飛ぶ。


「大予言にあった通りの女であるからな」

「偶然でありましょうに!!」

「人間の女を飼い慣らし愛ででやるのも、オーク社会の昔からの伝統、ではある」

「父上……!!」


 アーティナの顔に血が昇り、その緑色の面が怒気を帯びた。


 ポン……


 大君主はタバコを吸いながら、娘の怒りがおさまるのを静かに待つ。


「ブリティティは?」


 しばしの時が過ぎたあと、ボソリと大君主は娘へあてがった副官、自分の旧友の名を言う。


「彼に用事が?」


 冷静、ではないにしろアーティナの声には落ち着きが戻ってきたようだ、声がいつもの低く涼やかな物へと戻ってきた。


「奴に色々と話してはおくよ」


 オークの大君主は首を。


 コキィ……


 と鳴らしながら、娘へニヤリと笑ってみせる。


「そして、あやつから儂の意見を聞くが良い」


 その父の言葉に、再び眉間をしかめるアーティナ。


「娘に面と話せんとな?」

「頭に血が昇っている主ではな」

「フン……」


 これ以上話していると、自分はオーク独裁統治を踏襲している大君主、恐怖を軸として統治を成す父からの制裁を受けかねない言動を取ってしまうと思ったのか。


「父上も、あまり女へうつつを抜かさないようにな」


憎まれ口を叩いた後、彼女は謁見の間から足音高く出ていこうとする。


「アーティナ」


 父の言葉に、オークの女騎士は広間の出入り口、ビロードで織られた降ろし幕の前で足を止めた。


「悪魔やエルフ共によって土地を追い出された人間が、オークの領土へ流れ込んできた」

「異界の悪魔は最初の獲物に人間を選んだか……」


 苛立つように指を鳴らしているアーティナにしても、異界の者の恐ろしさは、一昔前にその肌で実感をした事がある。


「人間共の難民の中から、戦の心得がある者からなる部隊を作っておいた」

「フム……」

「手柄を立てさせてやれ」

「父上が矮小なる人間へ肩入れをするのは、初めてではないとは言え……」


 振り返らないまま、アーティナは微かに皮肉が混じった台詞を父に聞こえるように、あえて大きめの声でその口から吐く。


「食い物を始め、物資に余裕が持てない我らオークが奴等に気を遣ってやる必要はありますまい」

「啓示である」

「またしても女狐か!!」


 最後にそう一際大きく怒鳴りながら。


 パサァ……


 乱暴にビロードの幕をはね除け、アーティナは大天幕の中央「君主の間」から肩を怒らせながら出ていく。


「儂はなぁ……」


 天幕内の通路、そこを鉄靴で踏み鳴らしながら歩くアーティナの足音は、未だにオーク大君主の耳と聴こえてくる。彼の古強者としての耳の良さもあるが、オーク女騎士アーティナの苛立ちがもたらしている不協音でもある。


「お前には甘いつもりなのだぞ、アーティナ……?」


 他の者であれば、とっくに脇に置いてある戦斧が跳ねている言動をとり続ける愛娘の若さをオークの独裁者は少し羨ましく思いながら、その細い両目を閉じつつに薄く微笑んだ。



――――――


この話は2018/9/22に加筆訂正を致しまして、以降の話と描写力(あくまでも投稿筆者の実力レベルでの比較)に差がございます。御了承下さい。

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