第7話「休息」

  

「おはよう、ベオ」


 淡い灯りが灯る中、美麗な容姿の男が夜着の姿のままに、ベオが横へとなっている天幕に入ってきた。


「馴れ馴れしく呼ぶな、エルフ」


 まだ少し疲れが取れきっていない様子ではあるが、それでもそのベオ少年の声と顔色へは張りが見てとれる。


「では、そうだな……」


 その姿を見てエルフの青年はその顔に微かな安堵の色を浮かべつつ、ニヤリと笑う。


「遅よう、ベオ」

「わざとやっているな、エルフの王族?」

「ゆえに、私は国の年寄りから睨まれる」


 口を歪めつつに笑顔を浮かべているエルフの王子「ディンハイド」のその姿へ向けて。


「そうだろうよ、俺も苛立つ……」


 ジッとした視線を投げつけながら、ベオはゆっくりとにその上体をベッドから起こした。


 シャ……


「経過したのは、一日か?」

 

 再び朝の日の光が天幕へ入ってくる事を見るに、ベオが寝ていた時間は短くとも一日は過ぎているであろう。


「三日、だな」


 そのディンハイドの言葉を聞いたとき。


「冗談じゃないな……」

「疲れていたんだろうさ、お前は」

「乗りなれないPMに、トラブルが続いたとはいえ、な」


 ため息をつきながら、ベオは露骨にうんざりをした顔を見せる。


「それでも、まあ……」

「ウン?」

「一応は、エルフ共に礼を」


 ふて腐れた顔をしてそう呟きながらも、ベオは簡易ベッドの上で両の手を揃え、幼い頃に習わされていた、アルデシア王国の王族としての正式な礼、それをディンハイドに行ってみせた。


「父上がやる古式の礼に似ているな……」


 作法の最後の手順として深々と頭を下げるベオの姿を、ディンハイドは興味深そうに見つめ、その細い瞳でじっと見やる。


「俺の国に伝わる、初代聖王の時代から伝わる礼儀作法だぞ?」

「我々エルフの礼儀を取り入れたのかもしれんな、ベオ」

「だから、お前に呼び捨てにされる筋合いは無い。解らないか?」

「解らんから、私の事はディンハイドと呼べ、人間」

「チッ……」


 嫌みを込めてそう言い放つエルフ王子の姿をベオは、実に忌々しげな風情の感をその面へありありと浮かべながら。


「逆の意味で、相手にしたくないタイプのエルフだな……」


 自らのベッド脇へと立つディンハイド、彼をその青い瞳で横目に睨みつけた。


 バフゥ……


「ディンハイド王子」

「パルシーダか?」


 パルシーダと呼ばれた革鎧姿のエルフ女医師が、ベオの横たわっていた天幕へその出入り口の幕をはね除けながら入ってくる。


「人間の王族やらの目が醒めたので?」

「ああ」


 そう女に答えつつ、ディンハイドはややに神経質そうにみずからの指先を自身のその細い顎へと当て、軽く叩く。


「ぶっ倒れおった、こやつの見立てはどうだったかな?」

「他の医師からの話ですが、単に過労と慣れないPMを強引に動かした事による」


 そのエルフ女、小柄な身体に緑色の短衣を羽織ったその上へ、所々に金の縁取りをされた革鎧を纏った彼女はベオ、人間の少年へ向けてその双眸を冷たく光らせた。


「霊力失調が原因かと」

「無茶からくる疲れか……」

「何か、こやつの排泄物に妙な兆候も見られました」


 フォフ……


 長く、美しい金の髪をテント上方から垂れ下がらせているランタンの灯火で輝かせている、彼女の淡々とした言葉。


「ちっ……」


 確かに医師による、単なる体調チェックの一環に過ぎない事はベオにも解るが。


「くそ、エルフの女め……」


 まさにそれを女に見られた、嫌っているエルフ相手とはいえ女性に見られたのは、未だ少年であるベオとしては気恥ずかしいものだ。


「ふむ……」


 ベオの心の葛藤なぞは当然この場にいる二人のエルフには伝わらない。彼女パルシーダの報告に、エルフの王子はブツブツと舌打ちをするように口ごもりながら。


「内臓へ、何か問題があったのかな?」


 スゥ……


 ベオの顔を覗きこもうと、その顔を近づける。


「さ、さて……!!」


 至近まで近付いてきたディンハイドの顔から反射的に離れさせるようにベオはベッドの上で後ずさりをしながら、一つわざとらしく咳払いを放った。


「俺はこれからどうなるのかな、エルフ?」


 その声色に微かな脅えが含まれたのを感じたディンハイドは、ニタッと口の端を上げるように笑う。


「感じやすい少年だな……」


 そう呟きながら、エルフの王子は近くにある椅子へと腰をかけた。女医師はそのまま突っ立ったままだ。


「デーモンキラー、キンキラの金色PMのデータを収集してもらう」

「断る」

「私達の傘下へ入れという言葉ではないよ、ベオ」


 無下に断ったベオに対して、若王子はその両手を広げて何かを示すような動きをする。


「違う意味があるのかよ?」

「勝手に出ていけと言うことだ」

「ウム……?」


 ディンハイドの言葉の真意を掴めず、ベオは二人のエルフを交互に睨みつけながら、しばし口を閉ざした。


「水」


 そのぶしつけなベオの言葉に、エルフ王子の片の頬が微かに緩む。


「パルシーダ」


 エルフの女医師は、上官がその顎で示した合図に一つ鼻を鳴らしてみせてから。


「……」


 無言で、ベッドから少し離れた所にあるチェストテーブルに置かれていたヤカンから水をコップへ注いだ。


「飲みな」

「無愛想な女だ……」


 ぞんざいにコップをつき出すパルシーダへ、眉をひそめながら睨み返すベオ。その二人を見つめながらディンハイドは薄笑いを浮かべている。


「あのPMは専用性、パイロット個人を識別するタイプの奴だったのか?」

「お前が寝ている間に、いじくり回してみたが」


 水を一口飲んでから、偶然に手に入れたPMに関してエルフ王子へ問いかけたベオは。


 ツゥ……


 そのディンハイドの言葉に耳を傾けながら、舐めるようにコップの表面へその唇を寄せる。


「この私やパルシーダが乗っても、出力が出ない。エンジンが上手く回らんだ」

「エルフの唯一のPM適性である、制霊力による出力増幅が出来ないとなるか」

「故に、お前にくれてやる」

「気前の良い事だな、エルフ」


 グゥ……


 残った水を飲み干してから、ベオはコップをパルシーダへ何度か突き出しておかわりの催促をする。


「気がきかない」

「……」

「の上に、気に入らないエルフ女だ」


 わざとらしく、そのベオの仕草と言葉を無視しているエルフの女性。


「あのPM、結局の所は何だ?」


 医師パルシーダのその態度に、呆れたとも苛立ちともつかないような表情をベオは自身の顔に見せながらも。


「とぅ、とう……」


 仕方なく、ベッドから身体を起こし自分で水を汲みに行く。


「大丈夫か、ベオ?」

「ああ、問題ないよ……」


 ふらつく足取りでテーブルへと脚を運ぶベオへ、ディンハイドは椅子へ座りながら心配げな声を出した。


「エルフとは、男の方が世話焼きなのか?」


 ヤカンから水を入れてベッドへ戻る時にベオが溢した言葉、それに対して女医師が。


 クックゥ……


 唇の端を歪め、薄く嗤ったように見える。


「お前が知っていることは何かないか、ベオ?」


 気質だか何だかが合わない様子である二人、人間の少年ベオとエルフの女性パルシーダの二人が睨み合う視線を無視しながら、ディンハイドは一つあくびをしつつに少年、ベオにと問いただす。


「……」


 手元のコップの水を飲まず、無言でベオは自分の少し前の記憶を思い起こそうと、しばらくの間その首を傾げ。


「恐らくはドワーフ製のPM工房、そこにアイツと同じと思われる同型の機体が何機が鎮座していた」


 一瞬、ベオは一応には敵対者であるエルフ達へ向かって嘘をつこうかとも思ったが、単純に例の金色のPMをいじった時間としては、このキャンプにいるエルフ達の方が長いのだ。


――思い付きで嘘など付くな、ベオ王子――

「だよな、危険だ……」


 自らが所属する傭兵団、主に旧アルデシア王国の残党で結成されている武装集団の実質的なリーダーを務める団長ガルガンチュア。アルデシア近衛騎士隊の元隊長であり「氷のカミソリ」と怖れられていた男の言葉がベオの脳裏へと疾る。


「ドワーフ共の対悪魔用のPM群、文献に書いてあった通りだな」

「悪魔、か……」


 コ、トゥ……


 ベッドの枕元に置いてあった、PMを模した人形を軽くその手で触れながら、ベオが低く呻いた。


「あの遺跡、今はどうなっていると思う?」


 そのベオの言葉に、ディンハイドは軽く自分のその長い黒髪へ手を差し込みながら。


「さて、ね……」


 しばしの間な両の目を閉じ、考えた後にその薄い唇を開く。


「オーク共が愚かにも、紅い月の日に生け贄用の祭壇の前で、魔獣召喚」

「希少種であるベヘモス、だったな」

「召喚の門を開くのには、最適の種別であるベヘモスを召喚してしまったからなあ」


 ジッ、ジイ……


 油が無くなってきたせいか、テントに吊るされているカンテラの灯りが細くなる。とはいえ朝の光が応急医療テントの入り口から入ってくるおかげで、お互いの顔が見えなくなる事は無い。


「オークが古の悪魔と取引をしようとしたか?」

「そんな訳があるか、阿呆」


 じっと黙って二人の話を聴いていた医師パルシーダが、露骨に馬鹿にした声をベオへとかけてきた。


「せっかく、口を開いたと思ったら……」


 幼さが残るベオの両瞳、その間の眉間に縦書きの皺が寄り集まる。


「お前、顔の割りに評判が悪い女と呼ばれているだろう」

「この私の腰の剣が見えないのか? 人間よ」


 チャ、リィ……


 という音を発しながら、パルシーダの腰に吊るされている剣の柄が鈍く、灯火を受けて光った。


「それについては、オーク共に聞いてみるしかない、よなあ……」


 ディンハイドはとにかく、睨み合いを止めないその二人へ。


「だよな、ベオ?」


 笑いの色を込めたその細い目を交互に向けながら、軽く笑ってみせる。


「まぁな……」


 仲裁へ入ったエルフの王子の気遣い、どちらかというと同族のパルシーダの方から喧嘩を吹っ掛けてきているのだが、それでもその女エルフではなく敵対種族、人間であるベオの方へ気を使ってくれているその姿勢には。


(姉さん……)


 どこか、この目の前にいるエルフ諸種族達との戦いで戦死をした姉、苦労人であった彼女の姿を重ねてしまうベオ。


「だったら」

「何だ、ベオ?」

「助けてくれたついでに、食料や水もよこして欲しいな、ディン、ハイド、殿」

「やるさ」


 わざと舌足らずに自分の名前を舌に乗せてくれた、亡国の王子である人間の少年へディンハイドは明るく、簡潔に返事をする。喧嘩腰の二人へ呆れた視線を向けていた彼の気が、少しは良くなったようだ。


「お前の見張りの為、連れて発たせるこの彼女へちゃんと持たせてやるよ」


 ディンハイドのその言葉が意味すること、自身の目を数回まばたかせたあとに理解をしたべオは、脇に立っているエルフの王子の副官、医師でもあるエルフ女性パルシーダの顔へ。


「お人好しなエルフの王子でも、所詮はエルフか……」

「愚弄を本人へ言う度胸もないかよ、ベオ?」

「別に……」


 無遠慮に、何度もその眼を向けながら、ディンハイドのからかいの声へブスリとした表情をしながら答える。


「役に立つ家畜は虐げもしなければ、殺しもしない」


 そのパルシーダの言葉には、何故かベオよりもエルフ王族ディンハイドの方が困ったような顔を見せるのは、不思議な事だ。


「安心しな、人間」


 そのパルシーダの冷たく澄んだ言葉に、ベオは薄暗い天幕の中でも淡く輝く金髪へ手を差し込み、クシャリと掻き混ぜながらその顔を強くしかめる。


「全く……」


 何日も風呂に入っていない為、ベオの髪には埃と油がこびりつき、その彼が掻いた金色の髪からは僅かに嫌な臭いが辺りへと舞う。


「俺に何を望んでいる、エルフの王子?」

「偶然かどうかは別として、異界の魔の者が降臨したとなれば、な」


 ベオの髪とは対照的に、ディンハイドのその黒い長髪は美しい艶を出している。多忙なはずなのに、彼は自らの髪の手入れは怠らない性格のようだ。


「父上のエルフ千年帝国の願望も、軌道修正をせざるをえまい」


 ディンハイドの、その低く唸るような口調で放たれた言葉、それに対してベオは。


 グゥウ……


 重く、息を吐く。


「俺の国の建国王、聖王アルデシアの時代のおとぎ話、それの産物であると思っていたがな……」

「私が産まれた時頃にエルフも悪魔、デーモンをその目で見て、戦ったらしいな」

「では、お前は百歳前後か」

「人間と比較すれば、ベオ君と同い年位になる」

「実に気安く人を呼んでくれるエルフの王族だ……」

「好感が持てるだろう?」

「吐き気がする」


 その言葉に対しても、王族ディンハイドはニヤリと笑うだけだ。ベオはその穏やかな顔に。


(親父、か)


 今度はこの目前のエルフ王子、彼の妹の手によってギロチンへとかけられた父の面影を見て取れてしまう。


「ドワーフ共に、この機体の詳細を訊ねて欲しいな」

「この辺りの森から南下をして、ドワーフ領へ入れと?」

「このPMがドワーフ製であるのは間違いがなさそうであるからな」

「フム……」

「どうにか、我らエルフの手で量産化を成し遂げたい」


 そう言いながら、真意な視線で自分を見つめるディンハイドの面、それを見つめ返しながら、ベオがボソリと呟く。


「悪魔の恐ろしさについては、建国王の伝説からでも学びとっていたよ、俺は」

「その悪魔征伐の功績をもって、聖王とやらは我らエルフの領域を奪い取り、人間の国を建てたらしいな」

「えっ……!?」


 エルフの王子が口にと述べたその台詞、それはベオが王宮お抱えの歴史教師から習った話とは全く逆の品物だ。


「そうなのか?」


 驚いた声を出したベオに対して。


 クゥ、ク……


 腰の剣の柄頭を撫でながら、薄ら笑いを浮かべるパルシーダ。


「その為に、父上達の世代のエルフが故郷を奪還しようと」


 微かに暗く下げた口調でその話をするディンハイド王子は。


 スブゥ……


 腰のベルトに括り付けられた皮の水袋を手に取り、その中身を口へと運び始めた。


「さんざんに我らを苦しめたPMと言う名のオモチャの人形、人間とドワーフ共の産物まで逆に取り入れ、自作をし」

「ご苦労な事だ」

「遥々と、極寒の北の大地から兵を興したんだとさ、ベオ?」


 ベオの茶々を無視して、どこか他人ごとのように言いながら、エルフの若王子は皮袋へ入っている度数の低い酒を口に含みながら、話す。


「なるほど、そうか……」


 疲労が完全には抜けきっていないベオにとって、そのエルフ王子が飲む酒から漂うアルコールの匂いは、少し疎ましい。


「俺に歴史を教えた教師は、そんな事は一言も言わなかったな」

「そんなもんだろ、世の中は」

「もっともに、まあ」


 ベオは、薄めた蜂蜜酒を呑み続けるディンハイド王子へ。


「現代の人間である、俺にとって」


 いや、どちらかと言うと嫌味な女医師パルシーダへと向けて、その口を尖らす。


「執念深く、陰気な情念の虜となっているエルフの言う事なんぞは、信用が出来ないがな」

「フフ……」


 薄く笑ったその女エルフは、自身の金色の髪をなびかせつつに。


 ヒュサ……


 優雅な仕草で、腰から剣を抜き。


「……」


 無言のまま、そのレイピアの切っ先をベオにと向けた。


「さすがに、彼女は替えてくれないか?」


 その剣先を見ても、ベオ少年は眉間へ皺が寄るだけの反応だ。顔色は変えない。


「天才的な能力を持ったエルフ、数少ない古のハイ・エルフの血を引く女!!」


パァ、パァン!!


「良い女であるんだよ、ベオ!?」


 剣を突きつけられても、なかなかに動揺をしないベオを本気で気に入ったのか、ディンハイドはその両手を大きく音を立てて叩き拍し、はしゃいだ声を上げた。


「旅路の最中、俺に夜毎の不眠症になれと言うのか?」

「遊びじゃないんだ、ベオ少年」


 その視線だけをエルフ王子はパルシーダへと向けて。


「承知、王子……」


 剣を収めるように促しながらも、ディンハイドの顔からは笑みが徐々に消え、彼の細い顔が引き締まり始めた。


「悪魔に負けを続けたお陰で、父上達の世代のエルフはその戦後、他種族との覇権競争に追い付けなかったんだ」

「だから、その時の恨みが俺たち人間の神聖アルデシアや」


 ベオの方もエルフ王子、ディンハイドへ向けて真剣味を帯びた声色、引き締まった言葉を返しながら。


「他の、種族の国々へ向かったと?」


 彼ベオは頭の中で、旧「神聖アルデシア王国」の周辺地図を思い浮かばせようとする。


「聖王とやらに土地を追い出され、北の凍てつくブリザードにその細い身を凍えらせながら、な」

「そりゃ、また……」


 さすがに真剣な面持ちでその話をし続ける主君筋の目配せに、舌打ちをしながら剣を収めたパルシーダだが。


「森の種族であったエルフが、冬の木々よろしく丸裸に……」


 彼女のその姿から滲み出る剣呑さをその目で確かめたベオは、さすがにその皮肉を最後までその舌には乗せない。


「そしてに、な」


 軽い酒がまた一口ディンハイドの唇へ。


「伝承通りであれば、悪魔共の行う所業は、それは我らを凍えさせた北方のブリザードの比ではない」

「それはさんざん教師に習ったよ、エルフ」

「今現在の、毎日ヒイヒイ言って生活をしている、お前達人間の勝てる相手ではないな」

「その悲鳴を言わせ続けている当事者のクセに」


 エルフ達の占領下へ置かれている国々、そこへ住んでいた人間を初めとする他種族をエルフ達が下位身分として定義している事は誰でも知っている事、遠く南方に位置する人間勢力の大要塞「トラキア」の者でさえ知っている話だ。


「もっと、その人間である俺へ気の利かせた言葉はないのか?」

「無い」


 フ、アァ……


 酒を飲みながらあくびをするといった器用な芸を見せながら、エルフの若王子は外の日の光の様子を気にし。


「陽が昇ってきたな……」


 ポンと、彼は椅子から立ち上がった。


「基本的に、劣等種である人間を心底から護ってやる義務は我らエルフには無いんだ」


 天幕の入口、簡素な刺繍がされたカーテンを開けながら言い放つディンハイドの声に感じられる気だるさ、それは今現在の疲れの、身体のそれだけではないのかもしれない。


「だろうな……」


 朝日に照らされるディンハイドの後ろ姿、その彼の背が浮かばせるシルエットは、ベオを含む自分達の子に対して。


――過酷な重税による農民反乱とはいえ、我ら王族は、現時点の宮廷情勢ではそれを弾圧せざるをえないのだ――


 つねに国内の情勢不安による「疲れ」の色を見せていた父と母の姿を思い出させてしまう。


「俺はな、エルフ」


 北方から冬将軍と共に来襲してきたエルフ達。彼らの侵攻を防ぎきれなかった要因の、間違いなくそれの一端をまかなっていた、父達へ「苦悩」を与え続けていたそれらの事柄。


「なんだかんだ言って、人間の元王族という肩書きがある」

「ああ……」


 その「奴等」の顔を頭から振り払いながら、ベオはテントの入り口を閉じるディンハイドへ向けて、ややに低い声を喉から押し出した。


「お前、ディンハイドから受けた恩を確実に仇で返すぞ?」

「かまわんよ」


 トゥ、ト……


 エルフの王子はベオが上半身を起こしたままのベッドの近くまで戻り、座っていた椅子をテントの片隅へと片付けながら。


「もともと、色々な部分でサイコロとなる問題だよ、あのデーモンキラーは」


 作った気安さと思われる声で、ベオにと答えた。


「どのみち、我らエルフではドワーフとまともな交渉ができない」

「まあ、な……」


 シャフ……


 天幕の出入り口が開けられ、少しその背を伸ばさせているディンハイドへ一人のエルフ兵が近寄ろうとする。


「パルシーダ様、あなたに伝えた方が……?」

「そうだな」


 そのエルフ兵はベオと話している最中のディンハイドへ気を遣い、彼エルフ王子の副官であるパルシーダの方へその身体を向け、彼女へ耳打ちをした。


「ついに俺も、気に入らないエルフの王子に顎で指示を出される、小僧の使いよろしく、となったか……」


 主君へ一つ目礼をし、外へと出ていく兵の姿を横目で見ながら。


「ならば、捕虜として扱われたいか、ベオ?」

「それも困るな」


 ベオは、ディンハイド王子へ向けて自分の口の端を歪めてみせる。


「そして、その悪魔撃退の功績をもって私の父、偉大なるハイエルフ王と神聖国の再興に関しての、交渉のカードの一つとでもすると良い」

「王子、伝令が」

「うむ、パルシーダ」


 ベオの冷笑を無視し、若王子ディンハイドは側へと寄る副官の女からの耳打ちを聞き、何度かその頭を頷かせた。


「そこまで言って頼むのであれば……」

「何だ、ベオ?」


 トゥウ……


 ベッドから立ち上がったベオは、険しい顔をして自分を睨み付けるパルシーダを無視し、ディンハイド王子へと自身の体を近付けさせる。


「頭の一つでも下げろよ、ディンハイド」


 バィシィ……!!


「頼む、ベオ」


 パルシーダ、女エルフから放たれた平手により痛む頬を押さえながらも、ベオはいとも簡単に、深々とこうべを下げたディンハイドの姿へ複雑な表情を浮かべ、その瞳を何度かしばたたかせた。


「そこまで、悪魔とは恐ろしい物か?」

「パルシーダの世代はその生き字引とも言えるな」


 ディンハイド王子が顔を上げた途端、彼の口から生あくびが一つ。


「エルフの歳など分かるもんかって……」


 投げやりにそう吐き捨てながらも、ベオはこの気の良いエルフの若王子にどこか引かれている自分の気持ちに。


「クソ……」


 軽く、苛立ちの様なものを感じた。


「少し、また横になる」

「ああ」


 さすがに未だベオは足元がおぼつかない、三日間寝っぱなしでは流石に体力は落ちる。


「それなりに長い道程になるからな、ベオ」

「ン……」


 ベオはそう呻きながらベッドへと潜り込み、再び布団を引き寄せながら枕へと頭を乗せる。


「王子」

「何だ、パルシーダ」

「少しはお休みを」

「うむ……」


 どうも、先の遺跡での戦いの後、このエルフ王子も多忙であった様子だ。


「王都アルデシアからの再度の連絡員が来たらな、すぐに起こしてくれ、パルシーダ」


 瞼を閉じながらベオは、何か口調までも自分の死んだ父や母、姉弟に似ているエルフの王子ディンハイド、彼の名を布団の中で一言呟く。


「復讐をすべき、アダ仇の兄なのにな……」


 天幕から出て、その入り口の近くで待機していた先程の連絡員とパルシーダへ指示を出すディンハイド王子の声を聞きながら。


「しかし、デーモンか……」


 ベオは、まどろみを始めていた。

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