弐頁目:眠れる匣の美女
通っている予備校の特別夏期講習を終え、1人帰路に着くが、自転車を漕いでいると、妙な空腹感に襲われた俺は、ふと、今日は父さんも母さんも仕事で遅い事を思い出したので、自宅近くのファミリーレストランに寄る事にした。
午後9時を過ぎており、一般的な夕飯時からズレているため、席は座り放題な状態であったので、来客を知らせるベルが鳴ると同時に現れた店員に、直ぐに席に通された。
流石夏真っ盛りと云うべきか、日が落ちても茹だる様な暑さが残り、冷房の効いた店内に入った瞬間、云い様のない清涼感に浸った。
席に着いて一息付いていると、来客を知らせるベルが鳴ったので、何気無くそちらに視線を向けた俺は、慌ててテーブルの上に置いてあるメニューを手に持ち、出入り口付近に居るであろう俺と同じ高校の女子の制服を着用している客から顔を隠す様に広げた。
「1名様でしょうか?」
「はい、1人で~す。序に彼氏も居ないのでそっちの意味でも1人で~す」
「は、はぁ……」
あ~、この聞き覚えがある声……やっぱりそうなるよな……店員さん、思いっ切り困っているじゃないか……。
アイツはいつもそうだ。
あんな感じに自分のペースで何もかもを進める。相手の都合なんかお構い無しだ。
だからこそ、俺は絶対にアイツに関わり合いたく無い。
只でさえ予備校の特別夏期講習で疲れた頭で、これ以上の面倒事を考えたくない。
「では、席迄ご案内いた――」
「あっ、ちょっと待って下さ~い」
定員の言葉を遮る声が聞こえ、厭な予感がして広げているメニューを若干ズラし、アイツの方を確認する。
案の定、店内に視線を走らせ、何かを探してる様だ。
十中八九、知り合いを探しているのだろう。
予備校の特別夏期講習を1人で受ける様な俺と違い、その脳天気な言動や誰にでも別け隔てなく接する明るい性格に、文化祭のミスコンで1年の時からエントリーされる程の容姿のせいで、校内で良い意味でも悪い意味でも目立つアイツは、知り合いと呼べる人間が多いから、店内に知り合いが居ないか探しているんだろう。
だが、残念ながら、今の此の店には、家族連れやカップルが殆どで、疎らに存在する御1人様や男女各グループも、見るからに良い歳をしたオジサンやお兄さんお姉さん達ばかりで、同級生と思わしき人物は、俺を除いて居ない筈だ。
………………俺を除いて……?
あれ? それって非常に拙くないか??
厭な視線を感じ、頭を切り替えると、未だに出入り口付近に立っているアイツと目が合った気がして、慌ててメニューで顔を隠した。
「あっ、いたいた。待ち合わせしていたんで大丈夫で~す」
「畏まりました」
だが、時既に遅かった様だ。
アイツが席に案内しようとした店員をやんわりと断った。
一縷の望みを掛け、開いたメニューに集中するが、徐々に近寄って来る足音がそれを許さない。
頼む……頼むから間違いであってくれ!
――しかし、虚しいかな……足音は俺の席のすぐ近くで止まり、頭上から俺の顔を誰かが覗き込んでいる気配がする。
そちらを見ない様に必死メニューに視線を向けるが、俺の細やかな抵抗は呆気無く覆される事になる。
「よっす、悠ちゃん、元気~?」
その言葉に俺は諦めてメニューを下ろし、声のした頭上に顔を向ける。
小動物の様に良く動く大きく透き通ったダークブランの瞳。
高くは無いが、小ぶりでバランスの良い鼻。
常に笑顔を浮かべているため、愛嬌があり、健康的な色をしている唇。
亜麻色の髪を肩の若干上で切り揃えるショートボブは蛍光灯の光を反射して、見事なエンジェルハイロゥを写していた。
一般的に可愛いと云われる要素をこれでもかと詰め込んで作られた此の顔の持ち主を俺は知りたくもないが、よ~く知っている。
先日、俺をトレイの恋人にした張本人である伯父の
血縁上は、俺の従妹に当たる。
無論、それ以上でも、以下でもない。
「悠ちゃん、わたしに見惚れてどうしちゃったの?」
俺が何も応えずに呆っと睦弥を眺めていると、何を勘違いしたのか、この万年脳天気娘は両頬を手で挟み、イヤン――っと身体全体をくねらせた。
「………………キモイ……」
余程堪えたのか、奇妙な体勢のまま固まる睦弥。
店内の視線が集まるが、コイツがこういった訳の解らない態度を取るのはいつもの事なので、構わずテーブルに広げたままのメニューに視線を移し、何を食べるか考える。
「ちょっと、悠ちゃん、今のは酷いと思うな! 思うな!」
「相変わらず立ち直り早いのな、睦弥」
メニューから視線を移動させずに応える。
「悠ちゃん、人と話しをしている時は、ちゃんと目を見て話す様に叔母さんから教わらなかった?」
身長も発育も良い睦弥がテーブル席の向かい側に移動しながら椅子に鞄を置き、身を乗り出してきたので、俺は溜息を零し、メニューから面を上げる。
「はぁ……あのな、睦弥。俺は見ての通り、夕飯を何にするのかで忙しいんだ。どうしても構って欲しいのなら、オマエのそのスマホの中に存在する膨大な量の電話帳の中の誰かに連絡をすれば良いだろう? 睦弥からの連絡なら、男女問わず、何時だろうと喜んで来てくれる筈だ」
「わたしは悠ちゃんと一緒が良いな~」
「俺は睦弥と一緒は厭だな~」
「何で?!」
心外だ! ――っと云わんばかりに睦弥は大仰な態度で驚いてみせる。
コイツ……本当に解って居ないのか……?
俺がオマエのせいでどんだけ文字通り頭の痛い事態を経験したと思っている?
今更説明するのも面倒なので、自分にネガティブな事は直ぐに忘れるコイツでも未だ覚えているであろう出来事を伝える事にする。
「睦弥、この前の件、忘れた訳じゃないよな?」
「えっ? どれ??」
本当に睦弥は切り替えが早く、いつの間にかメニューを広げて何を食べようか選んでいたので、睦弥が広げていたメニューを下ろさせてコチラを向かせる。
「人と話しをしている時は、ちゃんと目を見て話す様に、だろ?」
「そうだけど……悠ちゃんはどれの事を云おうとしているの?」
あぁ、コイツ、俺を面倒な事に巻き込んでいる自覚はあるのに、それが面倒な事とは思っていないんだな……。
まっ、何を云った所で睦弥には届かないと思うが、云わないと俺の気が保たないから云わせてもらう。
「睦弥の友人で沙恵って娘がいただろう?」
「うん? 3組の沙恵ちゃん?」
「何組かは俺は知らないが、多分その沙恵って娘だと思う。その娘が友人達と一緒に廃院となった所に肝試しに行った時に持ち帰った匣のせいで、どんだけ面倒な事になったのか忘れたのか?」
「あ~……」
当時を思い出したのか、睦弥は天井を仰ぎ見て眉根を寄せた。
その後、両腕を組んで唸ったり、俯いて首を傾げるが、暫くすると肩を竦め、両の掌を上に向けて、お手上げのポーズを取った。
「アレには驚いたね。沙恵ちゃんの部屋のあっちこっちで音はするし、座ってても危ないって思える程揺れて、地震か~、って思って慌てて部屋を出たら何でもなかったしで、その上、あの夢でしょ? いや~、あそこまでのは久し振りだったね」
「そうだな……それのせいで俺は何度も胃の中のモノを戻す事になったし、見たくもないモノを見させられた上に、その後、何日も寝込む事になったんだけどな……!」
アレは本当に、思い出しただけでも吐き気が蘇る程、強烈なモノだった……。
「んで、それがどうしたの?」
「それがどうしたって……あのな、生まれてこの方17年間、睦弥が絡むこの手の事で、酷い事態にならなかった事はないんだぞ? 何でこうも外見も性格も伯父さんに全く似ていないのに、そういう一番受け継いじゃいけない、曰く付きのモノ好きの所だけ、ピンポイントに受け継いじゃったかね~」
「何でだろうね~?」
「そこ、他人事みたいに云わない。伯父さんのあの癖のせいで、伯父さんと伯母さんがどうなったのか、知ってるだろう?」
ん~? ――っと俺の押さえがなくなって自由になったメニューを眺めていた睦弥がメニューから顔を上げる。
「別居しているね~」
「軽く云うのな、ホント」
「そりゃ~、当時はそれなりにショックだったけど、別にパパもママもお互いが厭になって別居している訳じゃないからね」
「そうかい……」
もうこれ以上何を云っても睦弥には伝わらないと諦めて俺もメニューを手に持ち、夕飯を何にするべきか選ぶ事にした。
一応、睦弥は睦弥で、あの沙恵って娘の件もヤバイってのは覚えていたし、伯父さんと伯母さんの事もそれなりに思う所ではあった様だ。
それにしても、あの睦弥がつい最近あった出来事だからって、よくあそこまで細かく覚えていたな。
それに夢の事も――
「夢の事??」
「うん? どったの?」
「睦弥、さっき《あの夢》って云ったよな?」
「云ったね~」
何だか凄く厭な予感がする……。
「な、なぁ、あの沙恵って娘が持っていたあの匣、結局どうしたんだ?」
「えっ? 沙恵が要らないって云ったから~――」
「云ったから?」
「もらったよ」
その一言に、メニューを流し見ていた俺は視線が止まり、鈍い動きで顔を持ち上げて、睦弥に無理矢理視線を合わせる。
「も、もらったって……まさか……」
「うん、持ち歩いているよ」
椅子に置いている鞄から何かを取り出そうとしたので、メニューを持っていた手を離し、左目を隠す様に掌で覆った。
ほら――っと睦弥がテーブルの上に俺が今最も嫌う匣を置いた。
見間違う筈がない。
一見しては只の宝石箱にしか見えないアンティーク調の匣だが、蓋を開けるには、妙に手の込んだ仕掛けを外さなければならず、更にその中に入って居たモノもモノであるため、例え数百、数千万のお金がもらえたとしても、俺だったら決して受け取らない代物だ。
「あ~、やっぱり、悠ちゃん、左目を隠すんだね」
「当たり前だ。俺にとって、こういう類のモノ程、頭が痛くなるモノはないんだよ」
「ふぅ~ん……その頭の痛さもそこに含まれてる想いの強さに因るんだっけ?」
「そうだよ……その匣の中には、視界に入れただけで胃の中身を戻しちゃう程重く、何でそれを入れたのか想像は出来るが、理解は全く出来ないし、したくもないモノが入っているんだよ」
「ふむふむ……悠ちゃんにはそう《視える》んだね~」
「確かに《視え》もするが、どちらかと云うと、痛みとして《感じる》だな。伯父さんも俺と同じ様にそういうのが解る体質らしいけど、俺と違って想いとかを上手く逸らす事が出来る様で、此処迄酷い状態にはならないよ」
「良いな~、わたしもパパや悠ちゃんの様に視えたら面白いのにな~」
「別に視えたり感じたりした所で、何も良い事はないぞ」
「そうなの?」
「睦弥はハンバーグを食べている時に、人間を滅茶苦茶に繋げた様な、何とも形状し難たい吐き気を催す赤黒い内臓色をした塊を視たいか?」
俺の例えが相当効いたのか、眉根を寄せると舌を出しながら口を開いて、うげー――っと女子高生にあるまじき声を上げた。
「そりゃ厭だわ」
「だろう? んで、その匣だが、沙恵って娘からもらって、何日経っているんだ?」
「今日で丁度7日目だよ」
俺は何も云わずに立ち上がり、忌々しい匣を左目を瞑ったまま手に取り、本当はそんな事したくないが、俺の鞄の中に押し込み、続けて睦弥の腕を掴むと、そのまま店の外へと連れ出した。
噎せ返る様な熱気と不快感に襲われたが、今は其処じゃない。
何の注文もしていないので、会計をする必要もなく、何か文句を云っている睦弥を無視し、ブレザーから取り出したスマホを操作して伯父さんに電話をかける。
……1……2……3……4……5――
「はい、《伽藍堂》です」
「夜分遅くにすみません、伯父さん。佐伯悠です」
「あぁ、悠君か。こんな遅くにどうしたんだい?」
「伯父さんの娘さんが、トンデモナイ爆弾を抱えているので、除去してもらうと思って電話を掛けました」
「えっ? 睦弥が? 今度はどんなモノを持っているんだい?」
「俺が以前、こんなモノを匣に詰めて願掛けるなんて、正気を疑います、って云っていた《曰く付き》の匣、覚えていますか?」
「うんうん、覚えているよ。アレは本物の《
「そのまさかです。しかも、今日で7日目です」
電話の向こう側であの伯父さんが息を呑む気配が感じられた。
「それは……本当、なのかい……?」
「本人からの報告なので、何とも云えない所ですが、《未だ》その時ではないのだけは確実です」
「そう、か……うん、解った……兎に角、睦弥を僕の家に連れて来て頂戴」
「元からそのつもりで伯父さんに電話をしました。直ぐに連れて行きます」
そこで電話を切り、背後に居るであろう睦弥に振り返ると、何やら足取りが覚束なく、フラフラとしている。
――まさか……。
「睦弥……オマエ、眠い、のか……?」
恐る恐る尋ねると、睦弥は重くなっている瞼を擦り、自分の足で立てない程になっていたため、慌てて駆け寄り、抱き止めた。
鼻孔を女子特有の甘く柑橘系の香りが擽るが、今は其処じゃない。
「イヤン、悠ちゃん……」
「頼む、睦弥。今は真面目に答えてくれ。眠いのか? 眠くないのか?」
「う~ん……こうやって抱き締めてくれていると……直ぐにでも眠れちゃう位だよ……」
拙い……非常に拙い!
今此処で睦弥が寝たら、確実に《
しかも、伯父さんが《本物》と云っていた程の代物のだ。
何としてでも伯父さんの家――《伽藍堂》迄起きてもらわなきゃ困る。
「頼むよ、睦弥。伯父さんの家迄起きていてくれ」
「え~……でも~……今、凄く、眠いの~……」
あ~も~、何でコイツはこうもマイペースかね~。
オマエの命運が関わっているんだぞ?
「なぁ、睦弥。起きてくれ。伯父さんの家迄起きてくれたら、前みたいな何日も寝込む様な面倒事以外なら、頼み事をきいてやるから」
頼み事をきいてやる――この言葉が余程効いたのか、睦弥は今にも閉じそうであった瞼を見開き、真っ直ぐに俺を見詰めて来た。
何処迄も透き通る瞳に見詰められ、妙な胸騒ぎと背筋を異様に冷たい汗が伝う。
俺の心を見透かされている様で落ち着かないが、声を出そうにも口が少し開いただけで、声帯を震わせず、只々空気が抜けるだけで、声にならない。
睦弥の口の端が持ち上がり、目は笑っていないのに、口だけ笑っているという何とも歪な表情になり、俺の心を不安にさせる。
「ねぇ……本当に頼み事、きいてくれるの?」
「あ、あぁ……曰く付きのモノ関係以外なら、な……」
声が震えてしまっているが、何とかそれだけ応える。
「……解った……それじゃ、パパの所に早く行こう……」
見た者に不安を与える表情のまま、俺から離れると、確りとした足取りで自転車置き場に向かうので、急いでその後に続いた。
お互いの自転車の鍵を外し、乗ろうとした所で、ふいに睦弥が俺に振り返り、腕を伸ばしてきた。
もう口だけ笑っているという歪な表情ではなかったが、校内での常に眩しい迄の笑顔でいるコイツしか知らないヤツなら、本当に同一人物なのかと疑ってしまう程お面を貼り付けた様な感情の篭らない顔をしていた。
「あっ、そういえば、悠ちゃんが持っているその匣。返してくれる?」
睦弥に云われて気付き、俺は左目を瞑りながら鞄の中に手を入れて、宝石箱にしか見えない匣を手渡した。
匣を受け取った睦弥は、一瞥して、自転車の前かごに置いてある鞄に入れると、自転車を漕ぎだしたので、俺も後に続いた。
伯父さんの家迄の道程では、睦弥の後に続く形で自転車をこぎ、一切の会話はない。
キッカリ20分後、俺と睦弥は伯父さんが経営している古物店――《伽藍堂》に着いた。
既にシャッターは閉まっていて、正面入口からは入れないが、裏手に周り、呼び鈴を鳴らそうとすると、睦弥が俺の前に進み出て、鞄の中から南京錠という、女子高生にあるまじきモノをキーホルダーとした家の鍵を取り出し、勝手口の鍵を外して扉を開いた。
「パパ~、来たよ~。悠ちゃんも一緒だよ~」
睦弥は靴をその場で脱ぎ捨てると、揃えたりも何もせず、家の中に入って行ってしまったので、俺も小声で、お邪魔します――っとだけ云って中に入り、扉を閉めて鍵を掛けた。
台所から引き戸一枚で仕切られてる客間兼非売品倉庫となっている丸い卓袱台が置かれている見慣れた和室に向かうと、伯父さんが番茶を啜りながらテレビを眺めていて、その横に、制服姿の睦弥がちょこんっと座っていた。
こうして並んでいる所を見ても、本当に何処も似ていない。
本当にこの伯父さんの遺伝子を半分受け継いでいるのか? っと疑問に思うが、曰く付きのモノ好きな所や、こうして重要な事があったとしても、マイペースで動く所を見ると親子であるのが、辛うじて解る。
俺の気配に気付き、テレビからゆっくりとこちらに顔を向けて来た伯父さんが、その面長な顔に笑みを浮かべた。
「いらっしゃい、悠君。今丁度面白い所なんだよ」
「いや、そこ、何流そうとしているんですか? 娘さんの一大事なんですよ? 呑気にお茶を啜りながらテレビなんか見ている場合じゃないですよ??」
俺が必死に言葉を重ねると、伯父さんは何でそんなに慌てているのか解らぬっと云った表情で眺めていたが、秒針が何周かした所で、漸く合点がいったらしく、軽く両手を叩いた。
「あ~、そうか~……ごめんごめん、悠君。僕さ、電話をもらった時に悠君が慌てていたから、冷静さを若干欠いちゃって、直ぐにウチに来る様に云っちゃったけど、考えてみたらさ、睦弥が一週間近く持ち歩いていたのなら、心配する必要ないんだよね」
「はっ? 何を云っているんですか?? その匣は7日目に――」
「まぁまぁ、良いか良いから、そこに座って」
伯父さんの真意が解らず、疑問符を浮かべていると、座るように促されたので、其処ではないが、渋々従う事にした。
目の前にお茶が出されたので、自転車を漕いで喉も乾いていたし、口にして喉を潤した。
「いや~、もうアレさ、何の《
「えっ、そうなんですか? だって、アレ、プロでも関わり合いたくないモノなんですよね? なのに、もう何の《
「そのままの意味だよ。ほら、この通り」
お茶菓子を出す感覚で卓袱台の上にアンティーク調の匣を置かれたため、初め、それが何であるのか解らず、両目で見てしまった。
一拍遅れて、ソレが何であるのか理解した俺は、慌てて左目を隠そうとしたが、頭をハンマーで殴られる様な痛みも、出るものが胃液だけになっても戻してしまう程の嘔吐感も起きず、呆気に取られてしまった。
以前、うっかり左目を瞑らずに視界に入れてしまった時なんか、半日はトレイから出れなく、その後数日間、頭の中で警笛を鳴らされている様な頭痛が続いた程なのに、どうしてだ……?
「……これ、偽物じゃないですよね?」
「無理だよ。この匣ね、《
「えっ?! ……そんな高価なモノを《
「逆だよ逆。本物の《
「はぁ……」
卓袱台の上に置かれている、今は只のアンティーク調のジュエリーボックスに成り下がった匣を見詰め、何とも気の抜けた言葉を返した。
「悠君の云いたい事は良く解るけど、何かしらの後ろめたい願いを成就させるためなら、幾ら大枚を叩いても構わないって人は結構居るもんなんだよ」
「伯父さんも、その1人なんですか?」
「いんや、確かに僕は《
俺が最も嫌う人間トップとトップツーの名前が出て来たため、眉根が寄ってしまう。
因みに、トップスリーはこの前俺をトレイの恋人にした原因の本を伯父さんに売った旗師の《
「あははぁ~、悠君にとってあの2人は、天敵だったね」
伯父さんは苦笑しつつ、卓袱台の上に置いてあるジュエリーボックスを手に取り、胸ポケットにしまっていた単眼鏡を右眼に掛けて眺めだす。
「《八坂堂》と《齋堂》の2人は、千歩譲って顔位は見せても良いですが、あの大学生だけは別です。アイツだけは、どんな事態になっても、左目で視ません」
「あ~……うん……《此岸から視ている時、彼岸からも視ている》って言葉の通り、久遠君をその左目を開けたまま《視る》のだけは絶対にしちゃ駄目だね。もし視てしまった場合、最悪――」
「最悪?」
俺が聞き返すと、眺めていたジュエリーボックスを卓袱台の上に置き、何度か唸った後に、軽く肩を竦めた。
「いや、何でもない。さっ、もう結構遅い時間だし、悠君は家に帰った方が良いよ。睦弥は――」
「ママにさっきメールを送ったし、泊まっていく~」
「って事だから、悠君、帰り気を付けてね」
「思いっ切り話しをはぐらかされた感じですが、時間も時間なので、今日はこれで失礼します」
残っているお茶を飲み干し、立ち上がると、何かを思い出した様に睦弥が声を掛けて来た。
「あっ、悠ちゃん、今回の約束、忘れちゃ駄目だよ?」
コイツ、こういう事だけは覚えが良いのな。
「約束も何も、その匣は既に何でもない状態だったんだし、今回はなしだろう?」
「ううん、《パパの所に行くなら頼み事をきいてくれる》って約束だよ~。だから、こうやってパパの所にちゃんと来たし、きいてくれなきゃ駄目だよ~」
屁理屈を……。
だが、コイツがこうやって何かと理屈を捏ねて来る時は、何が何でも退かないって態度の現れてでもあるので、無駄な労力はしないに限る俺は、仕方無く、首を縦に振る。
「解ったよ……只、この夏休みの間は特別夏期講習があるから、時間は――」
「今度の土曜日には、何も入っていないよね?」
「あっ、まぁ、入っていないが……何で睦弥が知っているんだ?」
「悠ちゃんは叔父さんと叔母さんと悠ちゃんの予定をCoocleMailCalendarで家族で共有しているじゃん?」
「あぁ、しているな」
「それの共有にわたしも入っているんだよ
「なっ?! 俺はそんなモノの許可をした覚えがないし、俺から睦弥の予定を見た事もないぞ??」
「叔父さんと叔母さんに、わたしと悠ちゃんは同じ学校だし、お互いに予定を管理出来た方が安全だから、共有させてくださ~い、って云ったら、直ぐにしてくれたよ。後、わたしの予定が見れないのは、悠ちゃん、共有されているのを知らなくて、設定していないからだけだと思うよ」
「マジかよ……」
我親ながら、余りのセキュリティ意識の甘さに頭痛を覚えるぞ……。
幾ら親戚だからと云っても、教えて良い事と悪い事があるだろうが……。
「あれ? 悠ちゃん、わたしの予定をそんなに知りたかったの??」
睦弥は座っている体勢のまま、両頬を両手で挟んで、器用に身体をくねらせる。
女子高生ってのは、コイツの様にみんな頭お花畑なのかね?
俺は溜息を零した。
「いや、いい……友人の少ない俺が、睦弥の様に友人の多い人間の予定表を共有なんかしたら、カレンダーの予定表の所が俺以外ので全部埋まりそうだからな。何て云うか……非常に切なくなる」
「そうかな? わたしの予定を見れて、いつなら空いているのか解るから、相当なアドバンテージなると思うんだけどな~」
「何のアドバンテージだよ……」
「わたしの予定争奪戦?」
睦弥は小首を傾げて一般的に可愛らしいと云われている態度をとるが、生憎、生まれてからずっと本人を見て来た俺には通じない。
「争奪戦と云われても、初めから参加していない俺には無用のアドバンテージだな」
「いやいや、これから重要になるかもしれないよ?」
何故に? ――訝しむ俺にアッケラカンとした態度で応える睦弥。
「今度の土曜日以降、わたしと連絡を取りたくなるのが増えると思うからかな」
「……無いな」
うわっ、酷い――っと本当には思っていないのが解る笑顔で睦弥は応える。
「後でスマホに連絡を入れるね」
あいよ――っと応えた俺は、伯父さんに軽く挨拶をして、その場を後にする。
時間が遅いのもあるが、これ以上伯父さんの居住空間兼非売品倉庫になっているあの部屋に居ると、うっかり《本物》の曰く付きのモノを視てしまう危険があるため、サッサと帰宅する事にした。
了
伽藍堂備忘録 @Black_Cat_Staff
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