捕食活動
@Seimonb
第1話はじめに
ロスの高速に405があって、とにかく渋滞がひどくて夕方以降立ち入り禁止みたいな状態なんだが、405に乗るなら夕飯食って時間を潰してからなど日本でもあるっちゃあるんだけど、電車がある分全員が喰らうって訳ではないでしょ? 実際に4車線あって空いてる道路なんかは毎日がレーシング大会に参加している感があって好きな人はすきなんだろうって思うね、日本国内で運転すると比べると。その延長上にヨーロッパがあるんだろう。 ドイツのアウトバーンではスピード制限がなく運転ができる道路があり、合法にかっ飛ばすと公道となるとここかもしれない。 実際は車の混雑で速度を出せる距離が存在する事かも不安だが。 かっ飛ばすとピンと来たのはロック歌手のあの人だな、彼はフランスで時速134マイル、200キロ以上かっ飛ばして捕まったが俺はこういう人種が嫌いでもない。 ロスの4車線の左はじにプールレーンが設けてあり、複数人乗っている場合このレーンに乗っていいですよっていう区間がある。 一人でこの道路を走ると罰金だが、見つかったら罰金でも払うからここを通せといって走る奴がやまほどいてもいいと思う。 おそらく減点などもあり免停のリスクもあるだろう。 世の中にはこういったショートカットを好み、高速で世界をまたにかけるツワモノが多くいると思う。 そういった人たちを捕食したいのが僕という人種である。 捕食といっても実際に食として好む訳ではなく、どちらかというと追いかけるのが天命で、追いかける事で天珠を迎える。そんな人生を歩んでいきたい。 さて日本にいてこの捕食をする事が大前提で行動を起こすにあたって何ができるのか?! 捕食と聞いてまず頭に浮かんだのはシンディーボーカーさんとルーシーホワイトマンさんの殺害事件だ。 男女の関係でいざこざでこのようなエンディングもあるっちゃある。 蜘蛛の巣に捕らえられた蝶や蛾の捕食のシーンが浮かんできて気難しい気持ちにもなってしまうが。 釣りで稚魚だったら逃すのはルールであり、決して熟すまで壊さない。 熟れてない果物に手を出すのは動物であり、この違いができるかできないかによって捕食者の中でもカテゴライズされて食っていけるかが決まる。
まずは人様に迷惑をかけない事
簡単に言うと単独で行動しないと成し得ないだろ? 只野係長じゃないんだから、一流企業の係長やりながら、真の姿は正義のヒーロみたいな話は漫画だけ話であって器用に自分を繕わなくてもいいって事。司令塔がいないんだよサッカーみたいに相手のゴールがあるわけではない。 相手から点を奪う競技でもないんだから。 点を取られるネットはないが守るものはある。 捕食相手にはそれを教えるつもりはないが。 ではどのように世界のスピードスター達を誘導するのか? アウトバーンを作り、プールレーンを作り、その上で罰金も減点もましてや渋滞がないレーンに誘導する必要がある。 2018年1月日本ではインバウンドに対する通訳案内する対象を緩和した。 以前は検定試験を受けてパスしたもののみ、通訳者として国内を案内する事が出来なかったが、2020年に始まる東京オリンピックの前に海外から多く流れてくる数に対して持参している堤防では決壊してしまう事を懸念して堤防をとっぱらった感じだな。 そもそも通訳検定を通過したならずものでさえもろくに食えてない世界、自由競争にかけるしかないんだよ。 結局海外勢が加わってきて治っちゃう話でそもそもそんなにいらんだろう別に言葉が通じない国に通訳者なんぞいなくても、ましてや日本ダゾ。でも俺はここに道を作ったんだよあえて、こんな場所に俺の理想に飛び込んでくる速い奴らが走り込んでくると。 まるでそれは一本釣りを得意とする大間の鮪釣りの気持ちといっしょだな。 あいつらは釣ったものがいくらで売れるとか関係ないんだよ。 釣っている工程が命がけなアドレナリンジャンキーなんだよあいつらは。 カジノで太い客がくる事をクジラがきたと例えるがデカければいいってもんじゃないだろう、捕食者が求めているものなんてものわ。
道を作る
現最強のレールを調べると上海のリニアモーターで時速430kmでるらしい。 日本でもはやぶさ320km フランスのtgvなど一定の区間で渋滞もなく走ってくれるレールはあるがこんなの日が暮れても俺自身では作れないし、ましてや捕食に必要ないでしょ。 プライベートジェットで最寄りの空港に着陸してくるそのぐらいの速さのインバウンダーはwelcomeである。 ただ数は少ないよなガチャでいうとsrレベル以上だよ、出くわす率でいうのなら。結局レール建設にあたっては海外の有名なサイトで新しい空間を提供する事に決めた。 今はe-sportsなどが世界では賑やかになっていて、ゲームの勝者には一回優勝でもしたら、もしその勝者が第3カ国でくらしているものなら、マスをかきはじめたクソガキでも次の日からは億万長者で国の大統領直々に表彰されるレベルである。 学校もろくに行ってないゲームをずーっとやっている奴にもそこらへんの企業の部長と同じくらいの年収は稼げる時代なのである。日本は特にこのフィールドでは特化しているんだよ。 人口が密集していて産業が行けるところまで伸びきった国だから新しい創造の世界に雪崩くるならず者は数をしれない。 このフィールドでも優劣はつくが決して住みにくいコミュニティではないはず。 社会からのバックアップサポートもあれば社会からの通貨を両替してこの世の中で暮らす手段もある。 こういった人種が活躍して来るんだろう、ここは生まれた環境が詰みゲーの世の中に光が差し込んだ時代でもある。 俺が出会った海外のサイトも作ろうとしているレールも方向性はさほど遠くない。世界から俺に捕食されに来る人間は同じ嗅覚を持っているので俺が作ったレールを探すのは容易い事だ、俺の土俵で俺はただ横綱相撲をとり続ければいい話なんだ。
熟れない果実
新しい空間を建設するにあたってネットサーフィンを続けているとバラバラ殺人の事件が飛び込んだ、しかも日本国内でだ。 遺体の頭部が発見されたのは日本の東側の街でいわゆるghettoだ。この地域一帯の宿泊者は生活保護者や闇の深い人達が出入りして、その周辺の地域の人も出入りしないほどだ。 実際に住民登録している施設 などを調査みると、身元不明、すでになくなっている方、同じ部屋に複数登録していたりと数えあげたらキリがない。被害者になった女性は会社に勤め持ち前の留学経験で培った英語を使って通訳のボランティア、海外旅行などしていたリア充だ。そんな中捕食者に熟れる前にもぎ取られたこの事件。 容疑者は同年代のアメリカ人で一緒にいるところを駅前の監視カメラに写っていたそうだ。 日本ではこのような監視カメラはそこらじゅうに存在する。 特にコンビニエンスストアが日本中に存在するのでひき逃げなどで逃亡を測ってもかなりの確率で追跡されてしまう。 東京の都知事は以前東京エリアの治安強化のため監視カメラ、不法滞在、強制送還、資格外外国人逮捕、違法カジノ摘発、風俗営業のとりしまり、などをして一見改善されたかに見えたが実際の闇の世界の勢力は蔓延る一方で以前よりも闇は深くなったのが現実でもある。今回の事件によって大きく取り上げているのは殺害現場、遺体遺棄に使われている民間の宿泊施設、民泊である。横文字の響きは親しみ深いホームステイとされてみなさんにも馴染みがあるでしょうが、通常のホームステイは友人やどこかしら因果関係がある人を家にお招きする形ではあるが、最近のネットで知り合った知らない人を民泊させるシステムにはホテルに比べるとかなり安いが料金が発生する。 事件のあったあのゲットーの地域の中には無償で部屋を提供する本当に正味な人たちもいたんですけどね。 民泊の実態は通常旅館業方に認可されているホテルや旅館などが全体の2割を満たない現場でその他特定できない、違法な施設が残りの8割以上なのである。この数字から見ても防犯対策としてこのような事件を未然に防ぐのは皆無であり捕食者の犠牲が止まないのが正直な感想だろう。個人が経営している、コージーな田舎の民宿先などがテレビで紹介されて、こんな理想なシチェーションはごく稀で報告されていない部分に沢山の人のドキュメンタリーが眠っている。報道というのは残酷で一つ取り上げると民泊自体を全否定してくる抑制する力がる。今まで上げてきている捕食者の犠牲者ばかり見ていると夢も希望もない。おとなしく観光ツアーを組んでホテルに滞在していろっと忠告している様にも聞こえる。 ただし実際の8割近い人が新しいスタイルで動き始めている事実が見えない力、他力である。 ホテルに滞在している2割も新しい臭いに流れて沢山流れ着いてくる。実は自分も民泊を始めようと考えていた一人だ。 テレビに映る来客の外国人に親切なホストの姿に感銘を受けたのか、自分の気持ちの中にあるホスピタリティみたいなのがくすぶったのか、いわゆる母性本能に近い物が芽生えたからである。 正直自分中にある要素が足りてないからのモチベーションではあったが。
英語を使っていない事
高校の頃から留学をして、帰国後貿易の資格を取りに何年か経過して渡米をしたのだが、あれから10年近く英語の言葉を発してない。 海外ドラマなどは継続的に見てきた、むしろこの空白は常に英語を耳に入れてきたつもりだ。海外の字幕でもみれるようになった自分は高校の頃に比べてもだいぶ成長した。でも日本にいるとまー英語を使わないよね正直なところ。 最近になってそんな気分もあってからか、自分におくゆかしさがあった 理由でずっと閉じていたフェイスブックを開けてみた。 実際に20年近いブランクがある同じ学びの窓で時間を過ごした人たちを目の当たりにするのは。 試しに何人か過去に自分の中の深い思い出にリンクできる人にインスタントメッセージを送った。 正直時間のギャップはとてつもないがすでに部屋の隅っこに20年も放置していた物の考えたら正直機能しただけでも感動したよ。送っている気持ちはゲーム感覚だよ。 送られてくる人にとったらたまらないけどな。予想どうり返事はまばらでいきなり驚かしてしまったとやって反省はしている。 でも進歩はあった。一人の大学の頃お世話になった友人からかなり速いリスポンスがあった。 Liamだった。Liamとは不思議な縁を感じる。 大学は東海岸の寒い地方であったのだが、20代後半に渡米した時はロサンゼルスにいた自分はこの時もロスで再会した。 3度目の今回がsnsという形であったがとても嬉しかった。 Liamはサーフィン、スケボー、スノボーが好きで初めての出会いはキャンパスで合うんだが、彼の高校が自分のサッカーチームのライバル校であってお互い対戦した記憶があった。 彼とはスノボー仲間であり、飲み仲間の一人だった。 街に1ドルで少し古い映画が見れる場所があって、みんなでファイトクラブを見に行ったよ。 寮にかえってからは映画に影響されて二人で殴り合いをしたんだよ。 あれが一度だけだな人生でかなり本気で人を殴ったのは。彼の中での記憶で一番影響受けたのはファッションだった。 頭から下までスケート、スノボーのブランドで固めているんだよ。 あの頃は斬新なスタイルで特に緑の帽子をいつもかぶっていたのが特徴だったな。Liamは後にスノボーメーカーに就職するのだが、その大学付近にあった超大手のスノボーブランドではなくイメージも少しアグレッシブな競合の会社に勤める事になる。 かれの影響でこっちのブランドも好きになった。自分の帽子好きになったのもこの時期が本格的で今もかぶる事が好きだ。 彼はスノボーのアパレルの会社に勤めロス、フランスと転勤していくのだが、20年たった今でも彼はアウトドア系のブランドショップで営業していて、冬にはオーストラリア、夏はフランスで生活を送っている。 Liamとの会話の中で民泊するなら一軒家を貸し出して個人でカスタマイズできる部屋を提供するビジネスを提案してきたが自分にはそんな予算はこれっぽっちもなかった。 実家の民泊を考えたのもこの話があってからこそであって、調査すればするほど、やりずらさがあった。
もう一人連絡がきた、 Colinだ。 Colinとは自分が高校時代留年したきっかけで寮の隣部屋になるんだが、元々ここ学校全体がアイスホッケーに力を入れていたこともあり、男女ともスポーツ推薦で入ってくるのでアメリカ中でそこそこ腕っ節のある選手が入学してくる。一個上の先輩で寮生活中お世話になった選手がいたが彼の在学中の授業料は全額免除でただアイスホッケーをやりにミシガンから来たって強者も過去にいた。寮の部屋の向かい側に住んでいた彼。僕は彼の人間としてのやさしさが好きでなによりも仲間として受け入れてくれた事がうれしかった。学校生活が徐々に楽しくなってきたのはこういう時期だった。Colinも似たようなタイプのアイスホッケー推薦者だったと思う。時頭がよくて学校のから最寄りのivyleagueに大学の授業を特別に受けに行ってたし、その上女には苦労してないぐらい人気があったから、神はこいつに沢山の物を与えていたと思っていたよ当時は。大学の推薦もprinceton大学から高校最後の年のはじめのシーズンからもらっていたからいいきな生活を送っていたよ。 ある日いつも通りくつろぎにColinの部屋に訪れた際に苦悩に満ちた顔で消沈していたんだよ。 話を聞くと、アイスホッケーでの頭からの衝突による負荷が長年たまったせいで脳震盪が試合中に頻繁起こすようになった。 医者からは大学での選手活動がドクタストップとスポーツ推薦文届いた同じ時期に決まった。その頃からかな、俺が真剣にColinという人物を知り始めるのは。 休みに日は頻繁にボストンに遊びにいったり、長期の休みにはフロリダまで車内生活しながら南に進んだ。あの頃はちょうど春が始める時期で南にいけばいくほど着込んでいた服をぬいで最終的にはtshirts一枚でフロリダDaytonabeachまでたどり着いた。 途中大学にいってしまった昔のクラスメイトの連絡先を聞いてはその大学にいって寝泊まりして宿泊費は節約した。高校の卒業式の前日にColinと一緒にボストンに母を迎えに行った。 あの車の中で、楽しかった時間はもう終わりだなって思って話た事がその後大体そうなった。 大学に入ってからもプリンストンから遊びに来たColinと会って時間を過ごしたが、感じる空気が特に新鮮ではなく、自分がアメリカにいる自体にも疑問を持ち始めた。 彼には言ったんだあの時、もしかしたら、俺の留学の目的はすでに果たされたんだ。その後、間も無くして日本に帰国した。 連絡もらってすぐColinのskypeアドレスをもらった、10年ぶりに英語を話す自分はどこか怯えていた。 彼に合わす顔がなかったのに、多少無理やりにも話した事がかえってよかったのかもしれない。 話は20分もなかったが海外ドラマを長年見ていた自分の英語力が想像以上だったため彼は少し驚いていた。 この時間が僕の中の闘争本能に火がついた。 捕食したくなってきた。そうおもった。
どのように接触していくのか、時間的な設定でいうと高校生活の最終年1998-99年が自分の気持ちがピークにいたようにおもった。 20年たった自分になんの魅力もない。過去に3人ほど自分を訪れてきた外国の友人は来たけど、たいしておもてなせなかったあの頃。20年前からさほどかわってないのかなっと改めて認識したりもする。 結局、獲物が捕食される工程をしばらく考える時間が続いた。 案内するにはガイドだよなぁ。食の案内はしたいけどこの海外のサイトでホストをする際には細かくガイドする内容を記載しないと認可されないし。ましてやもしリクエストがきても毎回食べに連れまわすのこっちの荷が重たすぎる。ネットで外国の観光客がやってみたい事トップ10みたいなキーワードで検索するとこんな感じだ。 日本食を食べる。 和風な宿泊施設にとまる、要するにベッドでわなく布団、食事は和食、欲をいえば温泉がついてくるなど。日本酒をのむ。デパ地下をまわる。 新幹線に乗る。カラオケ、ぷりくら、秋葉原巡り、アニメグッズを買う。神社巡りをする。、、、これだよ。神社仏閣巡り。 大学の授業でsecularの言葉を覚えて以来自分の中で非宗教的な存在だと自分をカテゴライズしたわけなんだ。 もし大学を継続していたら、intro to christianity とか勉強して進んでいってたかもしれないけど。その機会は帰国と同時に失った。そもそもここで説明するのも自分の宗教的な価値観について他の人に踏み入って、どうのこうのってのは基本反していると思うので触れません。 でも日本に残る文化で国宝にもされている建造物、その他は外国の人が日本に来た時には是非拝んでいってほしいと思うのは決して間違えでわないと思う。 ましてや、空いてる時間で遠い日本までわざわざ来て自分の予定している以外のスケジュールに赤の他人の自分と時間を過ごそうなんて、ミラクルにミラクルを重ねないと起こらない天文学的な数字だとおもう。 僕はこの数字を持っている人をスピードスター、僕の獲物と呼んでいる。 おもてなしはします。 俺がここにいる事を承認してほしい。 日本の文化をしってほしい。 そんな気持ちでプレゼンテーションをしたいと思っています。サイトに記載されている応募条件を満たすために一人で日本のお寺巡りをはじめた。図書館もいって仏教の本も借りた。 写真も観光客になった気分で取りまくった。次第に1日1日が楽しくなってきた。 早く会いたい。 夢は毎日このプレゼンする内容に海外の獲物達がどうにか集合地点の最寄りの駅に来てもらう事だ。 幸いにもオリンピックが東京であるのでそう困る事はないと考えている。統計で見て、観光客の5割は中国人で3割北米、2割その他 。 はっきり言って、だれでもいいと思う。あーだこーだ考えている間にプレゼンした内容が2−3回ステップアップして向こう側のサイトからのゴーサインがでた。 やった。
撒き餌
サイト掲載が合意になって、一つのリクエストが加えられた。 撒き餌だ。 サムネに使う写真を決めなくてわならない。 いくら性能がよくてもヒットしなければ効果はえれないという意味だ。 大間のマグロの話を以前にしたが、昔のマグロ釣りにはマグロをの群れを目で判断してから、餌のイカを投げ込んでつる手法だが。 そんな手法では毎日釣りに行っても年間でいえば数本しか取れない、しかも小物だらけだ。 現在の主流は魚群探知機を購入して、マグロの群れをレーダーで追いかけて撒き餌をしてから釣る釣るスタイルだ。大間のマグロの質は日本トップで毎年初ものセリでは買い手の一年の縁起を買う意味で一番大きな立派なマグロを高額で買取る宗風がある。 ここ数年前にも1億5千万も値がついた年もあり。 大間の港は今夢を掴みに多くの若い船乗りが勝負しに青森へ向かう現象が起きている。 血統といえば牛もそうだよな。 神戸牛、松坂、米沢、など畜産農家が育てる最高峰の肉も好まれるが、海外の牛肉を安く仕入れて大衆飲み方になる肉や、ファーストフードで誰もが食べるあの肉はどこで加工しているという疑問など多種多様だ。 現在テレビでは冬季オリンピックが隣国で開催された女子フィグィアスケートのロシアの演技はアジアのイメージしてる世界間の違いが露骨に出た。 金メダルをとったあの子には日本から秋田犬が贈呈されたが、この秋田犬が血統ランクでいうと株をあげているのではないでしょうか? 日本でのひと昔の人気の犬はシベリアンハスキー、チワワ、ミニチュアダックスフンドだったがハリウッドスターが日本の映画でリメイクされた時に使われた犬秋田犬、犬好きなロシアの大統領に送った犬も秋田犬。 一方オリンピック開催地ではその犬を食べる習慣がまだあるのは知ってましたか? 古い時代の文化が残っていて実際東南アジア、日本も含めて犬を食べていました。かなり少数派の人が好んで食べるらしいが、日本でも探せばちらほらあります。 ネット配信して成形を立てている人が犬鍋を食べている中継を見た事がありますが、一人は以前犬を飼っていた思い出があり、一口でやめてしまいました。血統は人間にもありますよね。 保険屋が管理しているのではないでしょうか? 生まれた時から大体の生命の値段が決まっていてその保険金が高い人ほど血統がいい、賞金首みたいなものでしょう、世界によっては。 俺の撒き餌がその高い賞金首によって選ばれるのか? とても不安だ。掲載は合意にはなったが、サムネになる撒き餌の審査結果が受理されてない。 いったいどうなることやら。
プラスチックの花壇
地元の潰れた寿司やの隣にかれこれ30年はそこにある美容室がある。一度も人が入っているのが見た事ない。 地元の商店街も幼稚園の頃はそこそこ商売が盛んで駅から歩いて2−3分の所で夕方頃には主婦が夕食をのお惣菜を探しにそこで井戸端会議をする憩いの場所でもあった。 コンビニエンスストア スーパーマーケット ドラッグストアが街に隅々に君臨して以来、商店街の人の流れも止まり、軒並みなれんでいた店の看板がしまっている時間が増えるようになった。 この美容院も他人事ではなかったのだろう。 たまたま散歩の帰りに通った時にきずいたのが店の周りに小さなプラスチックに包まれた花壇に店をやっていた姿に目をやった。 この白いプラスチックの花壇は何年も店の主人が手入れしているものでお客さんが目にする所に入りやすいように飾るサムネイル、撒き餌だ。店の主人はこれが撒き餌なのか、それとも花との毎日の会話の中に既にサムネイル用に用意していたものから彼女の生きる日々の生きるルーティーンに見えた。 ふとヘルマンヘッセの作者だけの名前が浮かんだ。 一度も読んだ事はない。 高校の同級生の英語の授業で誰かが読んでいたきがした。内容は知らないが、たしか植物には力があり、この彼女の生きる力を注いでいる一つのエレメントみたいなことをヘルマンヘッセは伝えているなかな? 間違っていたらごめんな。自分に話を置き換えると、日本の文化を紹介したく大事に計画を練って待ち構えているのに実際に誰も来なかった場合俺は何を捕食して生きるのか? 信仰心に生命力を注いでもらう事に俺は満たされるのか? そのぐらいの危機を持っているのが今の自分である。 何も呑気に構えているように見えるが実際はが切羽詰まるとても苦しい時期を俺は楽しんでいるということも説明しておこう。
まだ見ぬ恋人
フェイスブックと再開して何週間が経つと、海外の同級生達のアップデートした近況までに目にすりようにもなる。 以前の自分では考えられない程の回復、前進である。 中に気になる情報が目にはいった、同窓会のお知らせ。 率直な気持ち自分がどの面下げていいのか想像しただけで気まずかった。 高校時代に留年した結果自分と今回話にあがっている同窓会のメンバーとは実際は一緒に卒業してないが、入学した時期は同じだった。 このような力の強さは生きる支えになる。 現状はフェイスブック上で声をかけてもらえているだけ幸せで、感謝もしてる。 学校近辺に再来する機会があえばまた会えるなと甘い考えもある。学校自体僕のサンクチュアリィであり簡単には踏みいれたくない。 それにこのポエムが遮ってくるDylan Thomas Do not go gentle into that good night この詩を読んでから縛られる感情から解放されてない。 まるで呪縛のようだ。 いけないよねー。遠くにいて、自分にパソコンの画面を通していってみんなの笑顔を見ておきたいなってシンプルに思うけど。 その一時のエネルギーを受け入れて以降の自分の生き甲斐に不満をかんじていしまうのかな。行く前提でチャットグループの中で話は進めていたけど、本心はまだ行く準備はできていない感じだ。
行かなかった自分に転機が舞い降りてくる。みなさんそんな考えを持った事はありませんか? 同じ時間帯に選択しないといけない自分に起こりええるどちらか選ばないといけない機会。もしそれぞれの機会に同等の勝ちがあるのであるならば僕は同窓会には参加はしない。 同じ時期に僕は捕食をしている、そんな気分だ。最近の自分は新境地を迎え仏教の真髄、菩薩になる努力をしていると考えていい。 毎晩祈る時間を設けている。今僕自身においての理想はすでに完成されていて、その理想に自分が身を置けている実感に少しの幸せが芽生えました。 その理想に海外から日本に来た時に日本人自体が普段の生活を送っていて気がつかない些細な事でも外の人たちがその翳りに光を照らす事実。 その理由に海外からくる人それぞれがバックグラウンドに持つそれぞれの信仰心が役に立っていると思われる。日本の建物文化の中ににみえかくれする宗教的なありがたみなどが根強く浸透しているからだと思う。 僕は同窓会のメンバーに会いに日本を少しの時間空けるよりも一回でもすれ違う可能性も逃したくはないと考えている。 重要視している点はすでに日本を訪れている、または訪れる予定の人が海外のサイトをみて僕を発見する機会。これを逃す機会が同窓会にあるのなら、見送らないといけ無い。どちらも真剣な時間で、同じ時間帯にかさなってしまう。この選択の繰り返しでみなさんは人生の道を一歩一歩進んでいると思う。 とても大きな一歩を進もうとしている自分の今の気持ちは幸せであり、貢献する先には菩薩になる理想が浮かんでくる。この意図を読み取って僕の撒き餌に食らいついてくる獲物達はどこの次元から舞い降りて交差してくるのか、それが今の自分の中でなによりも大事な事なんだなって思える。
偶然の投稿
一人の天才物理学者の訃報が流れた。彼の印象はざっくり天才でこの世に先見の明があったらしい、それ以上の情報は知らない。就寝前にいつも通りfacebookを見ていたらこの訃報を知った二人の友達が彼の有名な名言をあげていたsamanthaとpaigeだった。 とてもユニークだったのはフェイスブックに二人の投稿が並んで表示してあったのと名言が同じのを投稿していた事だった。 何も情報もない自分もこの名言を読んだ。
“Remember to look up at the stars and not down at your feet. Try to make sense of what you see and wonder about what makes the universe exist. Be curious. And however difficult life may seem, there is always something you can do and succeed at.
It matters that you don't just give up.
勇気ずけられた一言だ。
ペイジとの出会いは大学の頃Aidenとルームシェアをしてた時期の出会いだった。 エイデンはリアムの高校の同級生であったが大学の付近の専門学校に通いながら街のレストランでシェフとして働いていた。エイデンは高校を中退して後路上生活を転々としてようやく得た仕事がこの街で見つかった。 エイデンの路上生活で同行していたのがcoleでcoleが遊びに来た時に一緒にいたのがその時の彼女のペイジだった。 ペイジはロックバンドの熱狂的なファンで自分もこのバンドのブートレッグのカセットテープを当時はコレクションにしていた。 ペイジとはロサンゼルスにいた頃もトランジットの合間にあって1時間程話した。 とても勇敢で縁のある人だと自分は思っている。 サマンサは高校の同級生で実際4年間一緒に時を過ごした数少ない人の一人だ。 彼女の存在を認識しだすのは自分が留年して学年が並ぶ最後の2年間だったが、親身になって時間を過ごしたのは卒業する最後の年の後半だったろうか。 サマンサの事を親しく思っていたのは同じ日本人で現在アメリカの大学教授をしてるOwenが恋をしていた人でもあった。 オーウェンが一足先に卒業する前は日本語をよく使っては人生を語っていた。オーウェンがサマンサの事を絶賛する事で彼が卒業した後にサマンサの事をあまりも何も話した事なかったが気に止めて少しづつ尊敬の念を持つようになったと思う一年を通して。facebookから届くこんなメッセージも前の自分では発見できなかったと思う。 この二人が発する情報も尊く自分が今ここで触れてあなたに届くミラクルは金メダルをとるよりも難しい、偶然といえばそれまでだが。Owenとは一度日本で再開した。 ビザの審査を待っている間実家で時間
を潰していて、大阪から青森の彼女の家までチャリで旅行すると決めて途中宿泊先として家を通過していった。 その後青森からりんごジュースを送ってもらって以来話してはいない。でも毎日覚えていたら彼のアメリカでの無事を祈っている。
農家の姉弟
仏教の魅力を海外の人に理解を得るのは田舎の野菜と生産者の人柄を理解する事と似ている。無農薬、有機野菜 地元の人にしか愛されていないそんな穀物。もし都内にで回れば購入する人も生産者もwinwinだ。おそらく現地でまかなえる量しか生産してないでしょう。有機野菜、無農薬って事はおそらくないであろうが、手作りで極力人に害の無い愛情をもって毎シーズン沢山の野菜が小さなマーケット会場に並ぶ。
高校にいた同級生にそんな農家の生産者がいた。 Alisonとその弟のKevenだった。彼女らの人柄に高校時代には影響を受けた。 なんっていったって、純粋な性格、自分と比べてら恥ずかしくてつらいよね、こんな自分でごめんなさいって感じ。アリソンとは卒業が一緒で一緒に住んでいる量の仲間からも何人も彼女に好意を持っていたと思う。 ザ田舎娘の印象がなによりもの強みだ。 彼女の存在が弟への風当たりがよかった雰囲気も間違いではなかった。 アリソンが放つ弟を可愛がる姿勢が彼を見守っていた。一つ彼女の思い出といえば卒業式に彼女がキスをしてきた。 別れの挨拶に捉えた自分はコリンにキスされた事を伝えると彼も丁度アリソンからキスをもらったと告白されて、少し納得の残念な気持ちも残った。 自分が母校をサンクチュアリィと置いているのにはその学校の周りで生活する彼女らの存在があるのが理由の一つだ。 いつか訪れた時に自分が合わす顔に準備が必要で、確実に2?3ヶ月後に予定されている頃にはその顔の用意はできないであろう。この聖域まさにグレイシャーピークごのごとく純粋で豊かな環境を僕は作り提供しないといけない。 仏教が持つ背景で尊くはかない感情を来客する海外の冒険者が発見し感じとって、彼らの第二の故郷にしてもらう。これをなしに訪れる事は決して起きない、そして僕の存在価値はこの空間を作る事にあると考えている。 机上の空論で実際に出会う人達に影響を受け日々変わっていく自分も想像できるが、骨組みになっている部分はこんな感じ。
慈悲喜捨
中学生の頃街にはビデオのレンタルショップができて映画に行く文化から家でビデオ鑑賞する時代になった。 現代の人でベータ vhsの話をしてもわかないかもしれないが、小学生の頃の自分の家にはベータしかなかった時期があったため、借りられるアニメが限られていたためか、大手の外国でいうブロックバスターが来た時にはショップにいけば学校の生徒とでくわしてよくたむろっていた。 ビデオ以外にもお気に入りのcdを借りてはテープ録音して個人のベストヒットを作っていた時代でもあったった。 年に数回いった家族との映画鑑賞ではバックトゥザフューチャー3が上映されていて。 家に帰ってから 1 2 と借りてアメリカの情報を詰め込んでた。 当時のベストヒットはフォレストガンプ ビッグ インディジョーンズ パフェクートワールド ダイハードといったところかな。特にビッグの映画にはもろ影響を受けて自分が描いていたアメリカンドリームもまさにこれに近いファンタジーであった。現在もアメリカのフィルムは大好物でこれまで膨大な量の作品を見てきた。 それも実際にアメリカ大陸で吸収したものに拍車がかかったからではないではかなと自分で分析した、しらんけど。多くの留学生には高く目標を設定して乗り込んでいったと思うが、僕は英語の言語を流暢話している自分を想像していた。学習能力はこれといって飛び抜けている物はなく他の留学生に比べても著しく劣っていたと今思うと感じる部分はあったが、全く気にならなかった。 学校がはじまっても、授業の内容も宿題内容、テキストも何もわからなかった。当時はインターネットはメールのみで日本の資料、翻訳などもなかった。 持参の電子辞書と日本から送ってくる資料を取り寄せてあとはアドリブだけでそのばしのぎをしていた。会話なんかはよくて韓国人とタイ人と話して、あとは日本語で生活していた。 オーウェンは中3の頃から転入してきたので、日本語を話すのを嫌った。現地のアメリカ人と話す壁がものすごく感じた。 留学生のための英語のクラスがあったので、そこでギリギリヨーロッパの生徒と挨拶ぐらいはする機会はあった。ヨーロッパ圏の人の方が英語を教育で取り入れている事や、言葉一つ一つに要素が近い事もあり英語を巧みに話していた。 自分がアメリカ人と話す機会が増えはじめたのは放課後の部活の時間でだ。 ボールは友達とよくいったもんで、唯一小学生の頃から黙々とやっていたサッカーで自分の空間を手に入れる。 言葉が話せなかったせいで、長年やっていたゴールキーパーがやりたいと主張できなかったため、小学校3年生以来のフィールドでプレイした。 翌年かれは一軍でレギュラーを3年間そして最終学年ではキャプテンを任されて学校での自分の居心地がいい場所を手に入れた。 秋のシーズンはサッカー冬はスノーボード春はラグビーをやり、筋トレに目覚め、最後の年にはアートアクティビティー絵を書く時間も設けた。 学校の授業はさっぱりでとにかく誰かと話をして発音、その人の背景をしりたくて休みには日本に帰らず誰かの家にくっついていった。 バージニア、ニューヨーク コロラド、マサチューセッツ、ニュハンプシャー バーモント、中でもニューヨーク、ボストンは度々行く事になるんだが。 あの事件があった事もありニューヨークは思い出に強く残った。 ドミニカから移民して来たrobertのホームステイをした思い出だ。 彼の地元の友達を紹介され、地元の教会を案内された。 母親がめちゃくちゃ美人で高校生の俺にはたまらなかった。 あの街の夕日が今も鮮明に残っているツインタワーと一緒に写っている。 多くの人と一緒にいる方が物事は楽しい、そんな気持ちの一点張りで留学生活は過ごしてた。 これは慈悲喜捨の慈の部分で自分は友情パワー海外で作っていたと自覚した。 残り悲 喜 捨のパートは課題ではある。 悲のパートは正直苦手な部分だと生理的に理解している。 喜のパートは相手の事を理解でき賛同する気持ちはフェイスブックのいいねがいい訓練だ。 以外にバカにできないあのクリックする気持ちを芽生えさせるのは。捨は僕が思うに神に対する祈りの積み重ねがその気持ちを鍛えるそんな喜がする。しらんけど
浄化された街
以前、スピードスター達の捕食ルートを一人で歩いてみた事触れた事があるが、後半にあたって訪れるその地域は懐かしくしばらく佇んでしまった。 一つの理由としては幼い頃両親と半年に一度の晴れた日曜日にわざわざこの地域まで車で来て移民してきた中国人が経営する中華料理屋で昼食をとった思い出だ。 見るからに倒れそうな店構えにテーブル席、カウンター席あわせて10人ぐらいがぎゅうぎゅう詰めになって食事をする。 メニューが書いてあるが、そのメニューの上に書かれている数字で注文しないと受け付けてくれない。愛孫が悪く、息子一人合わせて3人で経営してた。でも店の外にいくと毎回長蛇の列で味も美味しかったと記憶している。 その人混みと両親が楽しみに来ていた雰囲気が味の美味しさをひきだしていたのかもしてない。 こんな事を今でも覚えている時点ですでにその食の機会に掛け替えない価値があったんだろう。食事の後はきまって紀伊国屋の前にあるソフトクリームを食べて帰るのだが、僕にとってはこの味ハッキリと美味しかった覚えている。 当時はあまり気がつかなかったが、ふたたび訪れた時に感じたのは観光客、修学旅行生でふんぞりかえっている通りなのに街全体は常に静寂につつまれている。 この雰囲気は以前海外で感じた空間に近い物を肌で感じた。 大学のキャンパス周辺や通学路に通った教会の前の通り、どこか見守られていると感じていたあの空間にリンクできる。 高校の小さなコミュニティーに存在した人からどこか力をもらっていた感覚とは違う、個人がなにか成し得る感動とは違う。ここで受けるこの平穏な気持ちをスピードスター達にも一度佇むで一度休息を与えたい。最近の言葉ではパワースポットとでも言うのであろう、このような環境を 彼らのような人達が世界を猛スピードで走っている理由として彼らが背負い込んでいる多くの苦悩をどこかで解放したいと願っている。 みんな探している心のオアシスを、心が枯れている人が迷子にならないよう捕食者の自分が誘導できればいいと思っている。
遺伝子の痕跡
facebookを見てると、友達の誕生日お祝いコメントの中に古い同級生がいた。 20年ぶりに彼女らのプロフィールを盗撮してみると、明らかに整形していて当時の印象が真逆に崩壊しているのが写っていた。 疑惑のプロフィールは2つ存在して、一つは容姿がかなり変わっていて、結婚、子供がいた。 以前自分が読んだ小説の中で一人の少女が彼女の体を風俗で売りながら美容整形を繰り返して幸せを探していく話を読んだ。女の幸せには美容整形が付いて回るのかもしてない。 実際には平凡の女性が本当に美容整形で変わるには相当な金額が必要な気がする。 この二人には実際投資が足らなくて、ブスに毛が生えた程度だった。 プロフィール上から実際に写っていた彼女達の表情の乏しさ、偽った笑顔は違う意味で何よりもショックを受けた。彼女達は新しい顔にその役柄を加えて演じているようにしか見えなかった。 俺が知っていた彼女達の面影がどこかで捨ててきていてその表情から認識するのが大変だった。 逆にその子供達から簡単に彼女達の面影をリンクする事ができた。 今となっては別にそれで彼女達は今の旦那をゲットできた、もしくは彼女達の旦那の投資で今の現状を手に入れたかは知る事ができない。彼女達が胸にシリコンを詰めていただけなら特に文句がなかったかもしれない。 思わず、’’誰だよお前?’’って彼女達に問いかけたくなったが、友達リクエストができなかった。 よほど彼女達はコンプレックスを持っていたのかな?っと思ってしまいそのページをそっと閉じてしまった。 小説の話の中でも彼女は最高の美貌を手に入れるが求めている人から認証される事が永遠にかなわなかった。 青春時代に魅力を感じてどこか惹かれていた彼女達に再びアクセスできる鍵を無くしてしまった感覚だった。 美容整形は一つの自己愛の表現一つで理解はできる。 自分にとっての捕食であり、なんども言うが海外からの来客がなければ恐らく自分は存在しないと同じだ。 たまたま美容整形がその愛の表現の手段で、今ある幸せが築ける事ができる。 先進国の世界での美容整形は絶える事なく、プロフェッショナルのフィールドではごく当たり前、最悪欠かせいない要素になってきている。 僕が生存していくフィールドも美容整形が求められる時間が来るのかもしてない。その時の自分は今の自分とリンクする事ができるのか? そのままそっと閉じられてしまうのか? ここまでの文脈が自分の過去の記憶をたどる足跡として将来の自分へ残しておきたいと思います。
フレンドシップ
掲載完了通知が届いた。 最長一週間のところを20日かかった。 これでポイントに餌をばら撒ける。うまくかかってくれればいいなぁ。これがはじまりなんだ。 そう実感する。画家のルソーも絵を書き始めたのが40歳頃なのでまー自分も近い数字になった。とりあえずフェイスブックのインスタントメッセージを使って自分の今存在している場所を送りまくった。 一括年賀状、20年ぶりみたいなものだ。 送った人に直接来てもらうのはうれしい、恥ずかしさもある最高のシチュエーションだけど、正直期待値が1%もないだろう。 ただ日本をキーワードにした時に彼らのイメージの中に今回送ったメッセージが確実に脳裏に浮かぶ。もし彼らのだれかしらの知り合いが日本にいく機会があれば餌に食いつくチャンスがある。翌朝コリンからメールが届いた。あまりにもボロかった自分のプロフィール文を訂正例と一緒に送ってきた。コリンが気を使って時間を割いてまでこんなサイトのプロフィール文を見直してもらえるなんていい友達持ったと思った。コリンは現在石炭を取り扱ったサプライチェーン関係の仕事をオーストラリアで出会った奥さんと娘と一緒にタンザニアで静かに暮らしている。 そんな忙しい彼がもし自分が訂正内容が気に入れば残りのマーケット資料の訂正も追加してくれるのことだ。彼はそこに写っていた20ねんぶりに見た俺の顔写真を見て不満そうに、笑顔がある写真に変えろとまるで母親が注意するようなことをいってきたので、折り返し連絡してこれしかないから当分変えるつもりはないけど、訂正出来るところは追加してメールしてほしいと頼んだ。もう一人短期留学で大学時代にあった日本人emiyから連絡もあった。 彼女はおそらく今も旅行代理で働いているのかな? ついこないだも、たわいもないことでチャットしたけど、今回の掲載された情報をしって、その文面、折り返してくる内容に多少なりとも彼女からの尊敬の眼差しを読み取れた。彼女との会話は正直つまらないなと思っていたんだけど、少し認められたと感じれた事で相手に対しても、少し魅力を発見できた。 元気で全速力で青春時代を走っていた彼女も少し息切れしている様子も伺えた。 チャットを継続的にしていけば少し元気が取り戻せそうと思っているので今後も少したわいもないことを送ってみよう。今月中に誰かくるかな? 書きたいがための会いたい、そして捕食したい。
撒き餌のポイント
以前サムネイルの話をしたが実際にどこにこの餌を巻けばくいつくのかこれが難しい。 大間の船乗りでさえあの広い海のなかでマグロの群れを探すのには魚群探知機がいる。 これは実体験がないため手探りで狩りの方法を探さなければならない。 今朝あらたに見つけたポイントは DevinのFacebookページだ。
彼との出会いはJesse。Jesseがロサンゼルスにいた時にあったJesseの友達の一人でボストンからロスに自分探しに来ていた。 Jesseが当時かなりの有名のポルノ女優とつきあっていたため、デリックもその女優の同業者の若いケツのあとをおかっけていた。女癖が歩くこいつの思い出といえばそのぐらいだ。接点がJesseだけで、それ以外の接点はそれ以降も生まれなかった。今日はたまたま、Emilyのオススメの映画がネットであったので遅くまで見てたので、映画が終わった明け方2時頃にフェイスブックを開けた時刻にDevinの投稿を目にした。 昨今のFacebookの株価の低下、日本のSNSは匿名性が好まれる傾向があるためfacebokのシステムは敬遠されがちだ。 米国内での使用傾向は多くの人はまだ活用して目にしている。Devinの投稿には最近のFacebookから有意義な発見、時間を作れない理由としてアカウントを閉じる話だった。このメンヘラ発言で動揺してしまい何かかける言葉を探したけど、こいつに対する気持ちはそもそもそなっていないので逆にこれを機会に閉店セール中に立ち寄る彼の友達を対象に餌をぶん投げってやった。彼の最後の投稿の真下にくるように、僕はここにいるから伝え、連絡先として自分のサイトのページをべったり貼ったよ。 この後ぞくぞくと訪れる彼の友人達は俺の餌巻きに使ったサムネイルを必然的に目にしてしまう。このなかのひとりでもこの日本のキーワードを脳裏にサブミナル効果として将来誰かが食いついてくれればいいと甘い考えが浮かんだ。 この方法では運が味方してくれない限り狩りができない。原始人以下の今の俺のハンターランクは今こうして産声を上げ始める。
散歩道
Emilyに紹介しもらった映画はそうだな、映画を見る時点自分は久しぶりで、おもいだす最近の映画をレンタルして見たのはイギリスのアクション俳優シリーズ、名セリフご無礼のあの麻雀映画くらいだった。海外ドラマは逆にめちゃくちゃ見てる。 この違いはEmilyに映画の感想を書いた時にも述べたが、2時間に納めるには物語としては成り立たないという結論。シリーズ物はキャラクターセッティングと物語の背景は一緒で1話完結で2時間が丁度良い。今回見た作品は話の終わりから始まって終わらないで終わる。 不完全燃焼というか、ダイヤの原石と表すか惜しい作品だった。 内容が多少きつくても人間味のある暖かさが視聴者に伝わればいいのだが、冷蔵庫にとりに行ったビールがまだぬるかった感覚。旅行中雨降っていて帰る時に晴れる感覚。 2時間の映画の縛りが生んだ一長一短なでき栄えだった。 金曜にも関わらず街の雰囲気は春休みの風に乗って沢山の観光客が日常の散歩コースに漂っていた。 数年前に腰痛のひどいのに悩まされて色々リハビリをしたが結局昨年の夏に始めた毎日7−8kmのウォーキングが座骨神経痛などを和らげてくれた。寝たきりの生活も長く、当時は台所の二階へも行けなかったため出前のフィレサンドとポテトのボックスを頼んでは這いずりながら玄関をあけた。 トイレも途中で腰が痛さに負けて部屋に折り返してペットボトルにした。体重もすでに太ってた体に拍車をかけて、4l 5lのサイズの専門店でしか服がきれない状態になっていた。 糖尿の心配と腎臓がおかしくなったのか、トイレが30分おきに行きたくなりこれが一番の悩みだった。現在はまず毎朝カフェインとカテキンのサプリを一緒にとって脂肪燃焼の促進を促す。 bcaaとクエン酸いりのスポーツドリンクを作り、音楽をガンガンかけて始めは山登り用の杖と膝のサポーター、腰のコルセット、フル装備で往復2時間の道を月に28日は歩いてきた。苦節9ヶ月目に入ってようやく杖の必要のない生活に戻り今日出会ったんだよ、野放しに歩いていた俺の獲物が。 獲物探知機は海外での生活で培ったから体が反応する。どの外国人でもいいわけでわなく、外見では判断ができない。 外国にいた時はしょっちゅう出くわした大物の獣の気配、この大物に対するおれの嗅覚は即座に反応して遭遇した俺の気持ちは心地よく愉快にしてくれた。 こいつはかなり年をとっていて娘、孫と一緒に俺の散歩のコース向こう側から歩いてきた。孫の小さな女の子が家族から20メートルくらい先頭で歩いていて俺の正面に後ろ向きで家族をまっていた。 その子供に気を取られながら、少し距離を半れて歩いていた自分が家族の集団の一番うしろの老いぼれの気配を感じた時にあいつも俺の気配を感じた。 足先から気配を忍ばしてくる彼の行動は俺は逃さなかった。 間違いない日本のこの季節にはいるんだよ、奴らは。すれ違ってずっち考えた。 どうしたらあいつみたいなのが俺の餌を飲み込むのか。 俺の餌に食いついてくるのはいるだろうが、あいつのような大物が食らいつくのはいつだろうか。 またあの大物クラスを街でみかけることはまたあるのか。
ピースサイン
土曜日は一層観光客が群がる散歩のコース上には最近よく目にする自分たちが被写体になりインスタや他のsnsに投稿するために自撮り棒を使っている姿を。あういう写真のスタイルこれからはも恐らく求められてくる自分の捕食のプロセスにも。いざ自分が写真を映る姿を想像した時に自然に左手で作ったサインがピースサインの指と指の間の隙間から親指の少し出すサインだった。このサインなんだったけかなーと歩きながら記憶をさかのぼった。アルファベットのKのサインだった。 自分はこの手話で使うアルファベットを高校時代に覚えた。 高校初めて受けた授業に中世のヨーロッパがあってそのクラスに聴覚の障害をもった生徒がいた。 この生徒は国から支援を受けて雇われている手話の通訳と同行して授業に参加していた。 この授業を教えていたのもこの生徒の父親だった。 数ヶ月もたたないうちにこのクラスは留学1年目の自分にはさっぱりわからなかったため学校から戦力外通告された。 この障害を持った息子Alexanderとは春のラグビーのシーズンに一緒にプレイする事になる。 同じチームにOwenもいて彼が率先して手話使って会話をしていた事を見て自分も真似するようになる。 運動神経そのものはトップアスリートの運動能力をもっていたが一度資格に入れてからの行動が色々な側面でハンデを負う形になってしまう。彼はこの年で卒業してしまうが、彼の父親とは翌年から一軍のサッカーのコーチとして関わる事になる。 ちょいちょいaleanderの事を部活の練習中に聞くとまんざらでもなかった。アルファベットKの話に戻すが自分はちょいちょいこのサインをKingのKとしてピースサインを出すタイミングでこのKサインを使っていたんだよ、情弱もいいところでしょ?それをマッスルメモリーで今日思い出したんだからバカにはならない。 これがきっかけにいい撒き餌のポイントの良いアイディアが浮かんだ。 これはFacebookのアカウントにぶん投げるやり方とは大分異なってくる。まずこの計画を実行するにあたって、物事を小さな環境に置き換えて構想を練った。初めに、alexanderの身元を探す事。そして彼に日本旅行のパッケージをドネーションを募る。 彼が目にできる案内は自分が担当して手話のパートは派遣でもしょう。 彼に同行する家族のみんながいてくれたら幸いである。 シンプルに彼に日本を知ってもらう事はラグビーを一緒にプレイして通じてわかったが俺からなにか埋められる力でもある。いざ実行するには俺一人では何も出来ない。 得意のColinにより良いアドバイスを求め連絡した。 最終的な狙いは記事に取り上げて報道してもらう事だ。 出来るだけ沢山の聴覚に障害を持っている人にも提供できる物が日本に備わっている事を証明したい。
結界
日曜日でここまで陽気になってくると、観光客が数が多すぎて若干ウォーキングに支障がでる。 外国の観光客も多数いたが、特にきになる人はいなかった。 唯一目にしたのは黒人の旦那さんを持った日本人の奥さんとその子供がいた事かな。昔から日本で生活する黒人を目にしてきたが、今日見た人は見た目は大変温厚で人混みに溶け込んでいた。 昔は女性をどこか食物にしてたイメージがあり、今となってはおそらく洋物のアダルトビデオの影響もあったせいでもある。特に黒人の男優との絡みのある作品にはレイプされているイメージがつくので嫌悪感を持っていた。ロサンゼルにいた時も黒人と付き合っていた日本人は2人知っている。その一人danielleは麦色の見た目ギャルでサーフィン好きで人当たりがいい明るい無邪気な子だった。 彼女は 年が一回り上の単身赴任している子持ちの男性と不倫関係で同棲していた。 収入は日本食レストラン不法で働き、羽振りの良いチップで生活を送っていた。彼女もそうだが、ロサンゼルスに来る語学留学で来る子の多くは不法に現地のキャバクラで働いたりして、学校にも来ないまま荒れた地でその日暮らしをしてその人生を風の吹くまま、強制送還、またビザが切れるまでその身を委ねる。今日通りで見たこの夫婦は奥さんの方がどこか上の空でいて、その彼女をうまくサポートしている彼に昔持っていた嫌悪感はなかった。彼は良い捕食者の例である今のところ。東海岸の高校生活での当時の背景には白人主義が絶対であって、狭き門を通ってきた優秀なプログラムを通じてようやく少ない人数のアフリカンアメリカンが在校していた。 今世界での人口増加の比率は先進国ではヒスパニック、黒人となっていて、白人絶対のバランスが崩れ始めてきている。 アメリカ国内でもこのアラートを昔ならテーマが人種差別からシビルアクションとしてマイノリティーによる主張する運動をドラマなどで見る事ができる。how to get away with murder, seven seconds, scandalなど今や黒人が主導権を持っていつかいつかと長年我慢してきた全ての思いを解き放つ準備をしているように見える。 それはまるで、魔界に閉じ込められた結界に傷が入っていて、今にもその結界が破れそうな様子を表しているよう。
残留日本兵
サンフランシスコ、シリコンバレーのサンノゼ、ラスベガス他の有名なロケーションについては現状述べることが少ないですが、荒れた地、ロサンゼルスについて少し触れおこう。大抵の日本人の人にとってロサンゼルスで浮かぶイメージはハリウッド、ディズニー、ドジャース、レイカーズ、そしてエンゼルスぐらいですか。自分が当時ロサンゼルスに貿易関係の資格で入国してざっくり1年近く、滞在して短大に入学したところまでたどり着くんですが、長期的に見て短大から、4年生の大学へ編入する計画を立てていましたが、短大の入学式を始める前に帰国してしまう。 その間一年間はロサンゼルスで生活を送っていた。 日本の居酒屋での仕事の大半は駅前で呼び込みの仕事であった僕に一通のメールが海外から届いた。Jesseからだ。 Jesseは元々コロラド、デンバーから車で2時間ほど行くとあるスキーリゾート地の出身で高校の頃が仲良くさせてもらい、冬休みにスノボー、牧場雪山にキャンプしにいった過去があり現在も連絡する仲間である。 当時はJesseの地元友達Davidの家の駐車場でロックバンド形成して子供達には有名なパーティ会場でもあった。 Jesseのメールで二人ともロサンゼルスで生活しているから遊びに来いとの事だったので抜け道を探した。 語学留学で貿易資格をとって帰国する予定で5年のビザを取得した。 宿泊先はSanpedro港の近くのホストファミリーで宿泊があって、ルームメイトには日本人の生徒がいました。 偶然にも彼女と自分の生年月日が同じ、この確率はやばい、決して盛ってません。ここから語学学校まで、バスに乗って通学するのだが、行きは良かったが、帰りの暗いバスの中にメキシコ系、黒人が多く乗っていたイメージが車の免許と中古車を買うモチベーションになった。 免許センターがバス停の停留所にすぐあったので取りにいったら大学時代にフロリダまで車で行った帰り道にサウスカロライナ州でスピード違反で罰金を払ってなかったため、サウスカロライナに郵送で罰金を払い終わるまで、免許を受ける資格を得る事ができなかった。 当時大学の郵便受けに支払い明細が来ていたが、周りの奴らはサウスカロライナに一生運転する予定がなければ払う必要ないと言われて放置した記憶がよみがえった。 免許自体は比較的簡単に取得して中古車も語学学校で働いた名古屋出身のお姉にゆずってもらった。 学校にはおそらく20−40近く在学していたが、実際に目にした生徒は20ぐらいだったと思う。 資格の授業は特になんでもなく、空いてる時間は車で35マイルほど離れたマリナデルレイ、Jesseのシャアハウスに遊びにいった。 サンタモニカにはDavidの音楽スタジオがあって,
Jesseもそこで働いていた。 Jesseのシャアハウスは4人部屋でそれぞれの生活が交差しているので、次第にDavidと一緒に時間を過ごす事になる。 DavidはWest hollywoodに住んでいたので、学校が終われ電話して、west hollywoodにいくか、サンタモニカにいくかで、サンペドロの部屋には週末はほとんどいなかった。 Davidはゲストハウスも裏にはあったため夜中まで遊んでそこで気絶しての繰り返しだった。Davidと他のバンドメンバーと一緒に同行してライブハウスもいった。客はほとんどいないその場所で自分は音に合わせてなんかしようと思い立って浮かんだ言葉はスチャダラパーオザケンの今夜はブギーバッグだった。 どうせ歌ってる内容も客もいない場所で無礼講みたいなものだった。資格、学校の授業なんかはあるようで、なかったみたいなものだった。 資格取得から次の短大が始める間時間があったのでバイトを始めた。学校の生徒にインターンや仕事を斡旋する日本業者がいて、そこで働いていた日本人Mr.Onoにバイトを紹介された。 空港近くのオフィスに入り、紹介内容を聞くとロサンゼルスに開かれるjobfairのフライヤーをロサンゼルス全域の語学学校、短大、日本系の飲食店においてくる仕事だった。 Mr.Onoと初めて話た時に言われた一言は日本人の待遇は悪く、肩身狭い状況だの事だ。彼の事について話した内容で本気で話した事は最初で最後でこの一言だけだった。 彼は夢を持ってロサンゼルスを拠点に日本のコミュニティーを育てていると伝えたかったのだと思う。 でも現状は理想とは程遠いらしい。 あいつの事は好きじゃなかったけど、今も頑張っているのなら応援したい。 実際紹介されたバイトでロサンゼルスを全部見てきたといっても過言ではないほど車でまわった。どこを回ってもろくな地域がない、ロサンゼルス街全体の時間は数十年前に止まったままだった。 インフラ自体はアジアから最先端で結びつくこのロサンゼルスに現在稼働しているのは中国からの輸入されてくる貨物な山だけだった。 そこそこのアメリカ全土で見てもかなりの日本人が暮らしているが、あいつが言ってたみたいに日本人はアメリカ国内ではかなりのマイノリティー扱いでひっそりと生活しているのが現状だな。 自分が東海岸にいた頃よりも物が届きやすいロケーションなので便利だが、ここで一山当てるには思想が必要だ。 jobfair自体は日本の大手企業がきてそこらじゅうの西海岸の大学に在学中の日本人が参加したが、俺にとっては車がほぼ終了になるまで走ったあの距離とロサンゼルスの背景に映った広大な景色は何よも実になった時間だった。 打ち上げでガーデナーにある芸能人がロサンゼルスに来たら必ず立ち寄る有名なうどん屋さんで集合しておひらきになった。 帰りの際にうどん屋さんの正面玄関に大きな体で黒い影が車のバックミラーに映ったMr.Onoの寂しそうな姿は戦後取り残された兵士の姿がリンクした俺の気持ちはなんだったのか? 最後の一杯に飲んだ芋焼酎、お湯割り、梅ぼし入りの余韻が残っていたか。 キャメルライトに火をつけて再びwesthollywoodに走りさった。
砂漠のオアシス
今となってはタバコもお酒もここ10年以上呑んいないが自分にもあったよ長いタバコを呑んでいた時代は。出会いは中学生の隣の学年全員でどっかいって現地解散した時にみんでカラオケにいくんだけど、そこで吸っている生徒が普段学校ではこれっぽっちも見せない面々がみんな一斉に吸い出したのが初めでした。 それから漫画読みに、ゲームやりに、そして煙草を吸いにこの生徒に家に行くようになった。 当時の煙草は220円のマルメンライトが好きでアメリカ入ってからはブランドが変わるが帰国している夏の間はマルメンライトまたは、クールが好きだった。アメリカの酒、煙草の入手にはかなり厳しく運転免許がないと購入できなかった。寮生活での喫煙はかなり難しく、学生はみなメージャリーガーがよく口にしていた紙タバコを好んでとっていた。タバコの吸えたタイミングはスノボーシーズン中ゲレンデの喫茶店に置いてあった自動販売機に顧問の先生がくる前に買いにいってリフトに乗ってる間一斉にタバコを吸うんだよ。顧問自体も比較的ゆるい人が多かったのでタバコを吸ったタイミングはこの時間が主流だった。 サッカーの練習の終わりに少し林の中に寄り道してタバコを吸っていた友達もいたが、寮に入る時にばったり寮長とすれ違ったら臭いでアウトのタイミングだったので自分はしなかった。 休みにボストンによく入っていたがその時はタバコを吸いながらnewburry street辺りをタバコ吸いながら散歩するのが留学している雰囲気を感じれた時間で好きだった。銘柄も18まで自分で買えなかった事もあり誰かが持っていたのを吸っていた時期が多く、パーラメント、アメスピ、ウインストン、マルボロ、キャメル、ニューポートと沢山あった。 この紫煙を吸いながら夢を膨らましながら沢山の外国人と少年時代の自分は出会った。 その中でもDavidとの出会いが衝撃だった。 学生時代はJesseと行動してないとDavidと合う事はもちろんなかった。Davidのコロラドのスキーリゾートの家で彼の印象は幼き王と表すのがぴったしだろう。 自分通っていた高校にもそこらじゅうの裕福なガキどもがいたがDavidだけは別格だろうなと肌で感じ取った。 憧れを抱いた自分は彼が好んでいたキャメルライトをこれを期に真似して吸うようになる。 荒れたロサンゼルスにも少なからず憩いになるオアシスは存在する丁度beverlycenterがある3rd とlacienegaが交わる、キットソンがあるロデオドライブ周辺、ビバリーヒルズがあるあの辺りは平地といって大丈夫だろう。あそこからハリウッド俳優の手形があるチャイニーズシアターの方へ坂を登っていく行けば行くほど生活水準は潤ってくる。ベニスビーチ周辺も綺麗は綺麗だが、沢山のギャングももれなく付いてくる。 ギャングとの金銭のやりとりでデイトレーダーでDaviの隣人だった人もショットガンで殺された事件も起こった。Davidの家はビバリーセンターから歩いてすぐの5000万の家に住んでいた。 Davidの姉はそれよりもだいぶ坂を登って行った場所に5億はくだらない屋敷に住んでいた。 誕生日パーティーに招かれて行ったがイメージで言うならジョーブラックによろしくに出てくるパーティー会場に近い。 彼らの母親はさらに山奥にいった高級老人ホームに住んでいた。 離婚した父親は馬主経営をして家族に会いにロサンゼルスにくる時はプライベートジェットで飛んできて姉の誕生日を祝いにくるスケールだ。 自分が長年キャメルライトの紫煙を呑み続けてきた世界観に終止符を打った時期でもあった。 その夏の誕生日会が終わり短大の授業が始まる前に祖母が亡くなった事を知った。 自分の中に金を稼ぐ野心が全て亡くなった時もこの瞬間だった気がする。 短大の入学式に帰国の便を取りJesseに空港まで送ってもらった。 この空港で口にしたビールが最後になった。
商売道具
emilyから映画を見た連絡がきた。最近の彼女のルーティーンらしい。 内容はも本人も納得のしない外国映画だったため今回は見なかった。 代わりに過去に見た映画のおすすめを教えてもらい、ネットで拾って見た。日本にも方言があるように、外国にも特徴がはっきり出てくる。 この映画は東海岸そうボストンのアクセントが使われている、高校時代の思い出の地域周辺の話。 言葉のほかにも建物に特徴がある。レンガで造られた建物は目印だ。話は義理の親子関係でかもなく不可もない作品だった。 土曜日の散歩は観光客はかなり減っていた。帰りに手を握ってほしい娘に手を差し伸べる母親の姿が尊く見えた。 登録してるサイトからのガイダンスにフェイスブックで自分のターゲットに属するグループを探してそこの住民と溶け込んで、自分のやりたい事についてアドバイスをもらえ。 ミッション見たいに捉えて5つぐらい日本に興味がある観光、フレンドシップ対象のグループに参加してみた。 中には神社仏閣愛好会があったので参加した。 参加したものの自分が広告につかいたい投稿はスパム扱いで簡単にはいかない。 フレンドリクエストがタイ、マニラからきた。タイのおばちゃんのページにはタイの仏教関連のページやタイの食事のシーンの写真が掲載されていて一つ前進。もう一つのマニラの出会い厨は正直困った。いきなりこんにちはのあとからのビデオ通話してきたので思わず着拒した。 その後英語での会話で無意味なチャットでのキャッチボールが続くのだが、しまいにはマニラに来てくれたら面倒を見ますから是非きてください、って話になった。 出会って3秒とは興味深かいキーワードだけど、さすがにいつかマニラ行く機会があったらよろしくねと返したら、不満そうな顔を残して消えていった。 Emilyとのチャットはお題をくれて書くのが好きだから映画の感想文を書いて、向こうが読むの楽しんでくれているから成立しているわけであって、不特定多数の人に案内できるのはボランティア活動では容易にはできない。 SNSは出会いのツールで間違いないな、手っ取り早いし、転がそうとおもえばどうとでも転がっていく。うまく活用することで生まれるツールで雑草をほっぽらかしたままだと、大切な商売道具のアカウント自体が茂ったり、腐っていく。フェイスブックのグループに参加するのは間違いではなかった。 何かと困っている人が投稿してきて自分はボランティアの案内人の様に困っている内容をググっては返事を返し始めた。 初めの人は韓国から日本に来た観光客が手に持っている喉ぐすりの飲み方について。 普通に錠剤を飲む様に水でと伝えた。 おそらく中国のpm2.5の影響もあるから気をつけてといった。実際インドに旅行した事のある彼は韓国にいる時が一番ひどい症状がでて日本に来てかれこれ1週間近くまともな空気がすえてなかったらしい。 次の人は4月中旬位に日本で桜を見たいからベストスポットを教えて欲しいとのアルゼンチンからのリクエストだ。 東京から近くで4月中旬となると東北に絞られるため、宮城県で桜の名所100選の船岡城址公園を教えといた。 この頭の体操はかなり好きだ。 基本日本にくる人に基本無償の愛があるので、難しい文化の国にはるばるくるので僕ができる範囲で答えられるのは対応していく。 これは外で実際に困った外国人に通訳しているのと同じぐらいのエネルギーが注がれている。 この中からわんちゃん自分のページの一番上に来ているビジネスアドバタイズされているページを覗いてもらう事がモチベーションになっているんだけどね。 これをやっていくうちにマスターランクなどレベル上げしてくれる表示機能が付いていたらずっとやってられる自信あるんだけどな。富士山がどうしても見たいお客様がいた。 前回来た時も天候が悪く富士山バージンのお客様。 明治神宮に明日訪れてその近辺から見れる場所とのこと。 羽田空港のラウンジから見える景色がいいらしいコメントを見た。 統計で富士山がはっきりみえるのは年間で37%とあった。 年間で半分も見れない環境でしかも東京から探すのはかなり困難だろう。 メッセージは明日は晴れるといいですねと残そうと思ったが、客観的にみて必要ないと思いやめた。 日本でロードバイクに乗って日本中を走っている広告が貼られていた。 俺も装備揃えてロードバイクにのって世界中を走りたいよ。さぞかし楽しいんだろうな。自分から憧れについてここ最近想像もしなかったけど、あの広告の動画はそそられるねー。 そういえば高校の同級生のkatieこないだ話した時に日本に旅行するならチャリのって日本を見て周りたいって言ってたの思い出した。 Katieはスポーツトレイナーになって今はncでバーを経営している。 アイリッシュの血が盛んで小さいながらに社交的だった。 Colinと2度Floridaまで車で旅をした時に2度目の旅行の時にノースカロライナによってKatieと一度あったんだよ大学の時。 3人でホテルに止まってcolinとkatieが便所でやりだした記憶が今蘇った。Colinはだれとでもどこでもやるからなあいつ。今書いとくねここに一応思い出だから。Katieは大学院の頃Colinを追っかけてオーストラリアに行くんだがColinにとっては付き合ってもない関係を迫られて完全に関係を絶った話を当時Colinから聞いた覚えもある。
No Cal Regionals 2018
日曜 昨夜深夜からe-sportsの大会がサクラメントで行われていたがルーティンの散歩に行った。 試合を見ながらフェイスブックでのパトロールをしてたらマニラからのフォロワーから電話のリクエストが止まなかったのでブロックした。 スレッドの中には刺青をしている人達が滞在中に刺青をさらけ出していても大丈夫か否かの話題。 暴力団関係やお水の仕事としいるイメージを持っている海外の人には礼儀に反する気持ちがある人はお寺周りしている時は羽織る物で覆って行動して、温泉などもあえて遠ざかって行動をしていた。刺青には賛否両論な所が多い部分、ガイダンスを提示する必要がある。 温泉施設なども今後より多い観光客と対面するのでガイドラインはどちらも同じ価値観を提供しないといけない問題だ。他にも日光に行きたい人の不安に中には修復工事期間なので行くのに困っている話題があった。 実際は完成予定期間よりも大分早く修復し終わっているのがわかったのでググって翻訳した文面をお伝えした。日光は日本屈指の観光名所なので是非訪れてほしいとことろだ。サクラメントのe-sportsの大会の予選もトップ8まで揃った。日本人3人韓国人2人、アメリカ人2人、台湾人1人。メンバー全員長年このフィールドで戦ってきた猛者どもで、全員スポンサーも付いているプロの選手達だ。 日本の有名なIT企業もこのスポンサーに名乗りをあげて優秀な選手を確保している。 これはひと昔のf1のスポンサーに近く、大会の決勝に上がってくる選手を抱えているスポンサー達の実力は百戦練磨でこの大手のスポンサーの目に惹かれる為に競技人口1億人を超えるプレイヤーは夢を追いかけ毎晩部屋で報われるかもわからないゲームをし続ける。この勢いは近いオリンピックの競技にされる未来は僕にははっきりと見える。
己の勘
近所に蕎麦屋と散歩道にラーメン屋ができた。 蕎麦屋のほうは海岸の観光地から少し離れた住宅地の角に家の一部、一階部分を改造して蕎麦屋にした。 入り口にはシャワーが設置してあって、店のオーナーが個人でサーフィンをした後に泥などを落とす為にカストムで作ったのか、海岸にいって帰りのよる人の泥などを落とすために作ったのはわからない。 店のまえの信号から麺つゆの香りが漂ってきて自分は店の中を覗くまではするが入ろうとは思わなかった。自分は蕎麦屋に入るとしたら、カツ丼を食べる派なのもあるが、駅前などにある敷居の低い蕎麦屋がすきなのである。 ラーメン屋の方は観光地の飲食スポットど真ん中にできたお店自体も真新しいカジュアル感があるラーメン屋だ。 スープも最近主流になってきた魚介ベースの味噌味か塩味。隣にはオープン前から長蛇の列のパンケーキ屋が逆サイドには地元の漁港で魚で料理を提供していてこちらも週末は外に列ができる。 ラーメン屋のオープン当初は開店価格でそこそこ賑わっていたが、価格を通常に戻してからは週末でもよらなくなった。 観光地にまでいちいちラーメン屋に行きたくない理由は一理ある。 女性もラーメン屋に入るには若干引き気味であるのも原因ではある。 新規オープンのお店に人を呼び込むのは難しい。 自分の現在進行中の捕食活動には全くよりついてもこない。 ネットにターゲットになる国、年齢、などに広告でプロダクトを知ってもらえる方法はある。 自分が持つ商品は注文が入ればアマゾンなどで自宅に届くようなものではない。 日本の文化を触れてもらうきっかけを与えるというごく稀な時間を提供する。 広まり方は一定で広告から伝わる印象は少なく、一度触れた旅人が他の旅人へ思い出として受け継がれていいと思っている。 完全に他力本願の事業だ。 時代が間違っていなければ今はその時代に直面していると俺の勘が信じている。この2件の新規の麺やも同じ勘に頼って今を始めようとしている。 賽は投げられた、今後も長い目で見守っていきたい。
ATP tour
昨夜の最後のパトロールは都内のラグビーチームのオフィシャルグッズをゲットしたい、そんなリクエストでした。 試合当日の会場を早いりすることでプレイヤーファンとの触れ合いで販売しているらしい。 このチームに助っ人外人で雇われている従兄弟にあたる人からのリクエストだった。 早朝に歩いていると5セントコインが落ちていた。ここでプチ英語講座を開きます。 アメリカのコインは1 cent (penny) 5cent (nickel) 10 cent (dime) 25cent quarter 50 cent (half dollar) $1(silver coin) 50セントにはケネディが描かれて、1ドルコインはめちゃくちゃ大きい。50セントも1ドルコインもギザ十よりもでくわすのは困難じゃないのかな。 1ドルコインも今じゃ金色になってサイズも小さくなっているし。うちのどこか片隅にシルバーコインが眠っているが出くわす事があるのかも不明だ。nickelが道端に落ちていたけどプラチナ、純金が落ちていたらねこばばするかもしれないけど、5円も5セントも拾わないでしょ? サクラメントの大会は日本選手のワンツーフィニッシュで幕を閉じた、次の大会週末韓国で開かれる。 この大会はテニスのプロツアーみたいに上位にランク入りするとatpポイントと同じようなポイントをゲットできて年末上位32名がロサンゼルスに招待されて優勝賞金3000マンを超える大会で1シーズンが終わる。今大会優勝した選手は東大卒のプロゲーマーで海外有名なプロゲームのチームに所属している、いわゆる大リーガーだ。それでもゲーム内で視聴者が気になるメインになるところはどこの国が優勝するかだ。 昨年のランキング1位になった選手はアメリカの大学生で彼が優勝常連国の韓国、日本の選手ボコボコにやっつける姿がアメリカ国内のゲーム熱が燎原の火のように広まった。 年末の大会を優勝したのはドミニカの選手だった。およそ3000万の賞金が17歳の少年に受け渡された。まさにワンちゃんを掴んだ瞬間だ。 現地ドミニカでの3000万が日本で3億もらったに等しい数字だ。これは先進国以外のコミュニティーに大きな夢を届けた結果だ。新シーズンを迎え入れ食い状態のこのe-sportsコミュニティーに沢山のスポンサーが有力な選手確保に世界中に地引網を張った。 青田買いとはまさにこの事でアマチュアでそこそこ活躍した去年の選手は9割近くスポンサーを見つけた。 プロの定義には契約内容が沢山あって、生活できるお金ももらえるのはまだごく一部で保証されているのはポイントを獲得しに行くために年間20回近く世界で開かれている大会の渡航費がカバーされている契約がボトムラインだ。アマチュアにはこの渡航費がネックになっていて。いくら実力があっても大会に参加しなければ世界のファン、スポンサーからも注目される機会も露出されない。今後も継続的にimpact of fundamental e-sportsを追って紹介したいと思っている。散歩もジョギングを取り入れるほど腰痛の痛みが和らいでる。汗が額から吹きでる姿を鏡で見た、清々しい。お悩み相談室では魚群探知機に映るターゲットが泳いでいるのを確認した。 おそらく横須賀米軍基地に勤めている人の身内の人が観光で横須賀、葉山、鎌倉、箱根へと観光したいのでお勧めをリクエストしていた。でも自分は撒き餌を投げる事は禁止されているので、葉山の有名なコロッケ、鎌倉の大仏、小田原のお城をお勧めスポットで紹介しただけだった。 おそらく彼女は鎌倉に滞在先を探す事を伝えてきたので上記の名所に行くだろう、俺抜きで。釣りの醍醐味だよね、最低でもそこで泳いでいるのを確認したんだから。 うーーーーーん、歯がゆい。
道標
Facebookの自分のアルバムの道頓堀川の写真にいいねがついてた、タイの国の人からだった。よその観光のグループページに広告は基本貼れないが、継続的にボランティア活動で道案内していると、気になる人は覗いてくる。 押してダメなら引いてみる、そんなところだ。 最近のsnsのシーンでは再生を稼いだり、インスタでイイねを沢山貰いたい欲求に刈られているユーザーが多数いる。 自分のスタイルは一問一答スタイルだ。ここ一ヶ月でイイね、超イイねの数が軒並み伸びているのは自分の変化の表れの一つの認識している。 イイねをもらう事がおんきせがましく思っていたメンタルから、素直に受け入れられる今の心状態は極めて健康と言って良い。 ダライ・ラマのツイートを読んでいると共感できる事が多い、彼のつぶやく言葉の重さにはフォロー0人に対してフォロワーが1800万人以上いるこのダイナミックさは敬服に値する。 Davidからの嬉しい知らせがfacebook twitterに掲載された。地道にコツコツとローカルの小さな会場でプログレッシブロックの活動を長年継続してきたが、ついに登竜門であるサマーフェスタに参加決定した。 参加バンド名を上からみると毎朝のウォーキングで耳にする超メジャーなグループが軒並み参加していて、彼のバンド名が一番下のサイズが一番小さく乗っていたのを発見してすごく嬉しくなった。 感慨深く、ようやくスタートを切れたDavidに賛辞のメールを送った。 才能、根気、運などはどんなにお金を持っていても手に入れない。それを真近で見てきたからその苦労が分かり称えましい瞬間であった。 海外の友達達ですごく親しんだ中では軌道に一番乗ったのはDavidで納得もいく。 音楽を始める事が学生の時期からでも始める、そこから結局何人の人が残ったのか? そしてこのサマーフェスティバルに参加できるまで理想に近づける人は何人いるのか? 好きな事で生きていく、やりたい事を見つける事に関しては決断力も必要だが、この苦渋の思いを長年乗り越えた彼に嫉妬もするし羨ましい気持ちでいっぱいである。リアルの関係はやはりこうでなくちゃいけない。 体内の血が騒ぐぐらいの喜びが溢れてくる。道標はこうして出来き上がった。
Reunition
血がたぎったおかげか、いつものネットパトロールを目にしたスレッドは何件はあったがググってアドバイスをする事はしなかった。 Davidに賛辞を送った後すぐにColinから連絡が来た。俺の気持ちが枯れそうな事をあいつはタスマニアで本能で感じとったのかと思うぐらいのタイミングであった。 Colinにはマーケットページの編集、聴覚障害者への支援活動諸々の話、ネットで広告を付けるスタイルが自分に適しているか、否かなど何件かメッサージを送ったが数週間返事がなかった。 若干キレかかっていたcolinへの気持ちが落ち着いた。 Colinとの友好関係は俺の生命線でこんなもんでは絶えないと思っている。 本人からはかなり仕事が忙しいので折り返しまとまって返事をするとの事だけ書いてあった。 俺は仕事を優先して俺の人生の分も支えてくれと返した。 心底本音で返したこのユーモアあるジョークをあいつはよく理解してくれる。 昔からなにかと閃いた事、人生にプラスになる事を相談しあってきた仲だからだ。 最近はそのいいと思った事もすぐ疑心暗鬼になり熱された気持ちもすぐに冷めて消えて無くなってしまうのでメモをとるようにしてる。 夜中寝る前に習慣になってきたお祈りをし、ベッドに横たわるとふと kendallの事を思った、Smanthaの妹だ。 Kendallは高校最後の年にsmanthaとの交友関係の延長上にkendall存在を知った。 生徒4学年合わせて300人程の小さな学校だったのだが下級生の生徒とはキャンパスでよほど目立ってたり、スポーツで一緒のチーム、同じ授業のクラスを取っていない知る事はない。Kendallを卒業前のプラムのデート相手に誘ったのも直感といえばそれまでだが、俺がDavidに見た直感が彼女からも似たような印象を捉えた。Smanthaに断りを得て彼女を誘った。 それからはちょくちょく彼女が出てた2軍のフィールドホッケーの試合にいって応援しにいったり、学校から少し離れた小川にいって雪解けした自然の仲で二人で時間を過ごしたりした。 Colinと一緒にkendallの同級生友達を連れ出して野外キャンプに行った事もしたな。 決して恋愛対象でもなんでもなかった、成長した時の彼女を見てみたい気持ちのみの付き合いだったっと思う。 彼女は現在のFacebookフォロワーでtweeterのフォロワーでもある。 現在は作家として最近本を出版して結婚した事までは情報を掴んでいる。 軽くストーカー気味の自分はFacebookのインスタントメッセージを送る事に決めた。 大学卒業後から現在にあたってどう人生が転機して今の作家に至った経緯を取材したいと送った。久しぶりやら、結婚おめでとうだの多少の挨拶は入れはしたが、率直に今こうして小説に書いている事を触れて過去に出会ったアメリカの友を紹介しているから時間があれば夏でも冬でも来年でもいいから返事をしてほしいと書いた。俺の時計はあの辺りで止まっている為こうして沢山の止まっている時間を呼び起こす必要だと思い、奮い起こして行動にした結果でもあった。記憶が蘇るに連れて体にも変化が生まれた。 散歩の帰り道にこの春2度目の獲物に遭遇した。老夫婦ではあったが、前回のような獣臭はなくかなりの紳士だった。一度気持ちは近ずいて日本へようこそと声をかけたかったがやめた。 ラストスパートに体があったまってきたのでジョギングを開始する時にふといつもの腰の痛みなんだが、いつもとは違う感覚を思い出した。 高校当時がかなりアスリートだった自分に対処できる腰の痛みと再認識した。少しかばって走れば全然問題無い程度の痛みと修正したのだ。 長年患った腰の痛みが脳がかばっていたせいで本来神経に張り巡らせる緊張などの信号を送るのを忘れていたみたいだった。 この様子ならすぐになおりそうな自信があるのはどうだろう。 明日また身体に聞いてみるか。そしてDavidからのリプライが来た、’’ラブそしてリスペクト、また俺たちが再結成する日が待ち遠しい。’’
情熱だけでは飯は食えない
昨夜のパトロールのメモ、新宿で鉄板焼きに行きたいのでオススメ教えてくださいとの事。新宿で鉄板焼きと聞いたらこちとらよっぽどいい場所で食べたいのかと思い、食べログでトップ10の幾つかを紹介したら高すぎていけないと返ってきた。 老舗のランチで人気の店を代わりに伝えたらいいねをもらえた。このグループページのよくある質問はで電車のお得なパスの情報や、乗り換えアプリの使い方。 日本ではクレジットカードでの清算が少ないため現金を持ち合わす情報や換金する場所の情報やら。 見てるほうからしたら、いいサイトなんだけどなんか違う感じがしる。 大半の人は見てる人が多いのでまーしかたが無いとして、もっと元気なサイトがあってもいいと思う、こんな感じで海外の人のモチベーションで日本を訪れていると思うと虚しさが残る。散歩から帰り、腰の不安も徐々にだがいい方向に向かっているので様子を見よう。
twitterを見てると今年から参入してきたアジアのE-sportsのスポンサーがコミュニティーの作成を前提に仕事の募集をしていた。 英語が話せる人、書ける人が募集要項に入っていたので応募してみた。 熱意はあるのでやらしてください。とね。 さっそくdmが飛んできて面接が始まった、学歴、現在の仕事、ゲームの経験があるか、写真 映像の編集経験があるか。面接が終わった。 余裕で無理でしょう、かなりの自信がある。考慮して後日返事をくれるみたいだが、要望している人材とはかけ離れていた。 でも個人的には良かったよ。何も伝わらなかったけど。 手伝える事があればこっちもやるけどなければないんだから。麻雀とかで例えると純からだと思ってツモっているけど、どこかツモれと思っている気持ちに似てる。このチームのオーナーのtwitterのページを見ると、イギリスのサッカーチームのマンチェスターユナイテッド, nbaウォリアーズをリツイートしているところから世界一強いチームを作ることにこだわりがある性格の持ち主だ。ちなみに自分は日本人が活躍していれば結構何処でもすきなタイプです。最後にこのオーナーには結果を知る前に、アジアから世界のトップクラスのチームを倒せる強いチームになる事を期待していますとだけ送った。 このオーナーと話す機会があったのでどっちかというと俺からの思いが伝わればいいと思っている。編集なんかこれっぽちもやりたく無いわ。どーせ弱いメンバーの集まりのなんだぜ。
初ヒット
昨夜高校のクラスメートの投稿にアメリカの小学生の投稿でネットの世界の多くの人との出会いを目で確認したいらしくてその子供のシンプルな願いに多くの人がその投稿にコメントを残している投稿だった。子供の夢をお膳立てする形で自分も一口乗った。恐らく自分一人でこの投稿を見ていても普通にスルーするような事だったけど、人のためにさほど労力がかからない素敵な時間を作れた事に脱帽だよね。 セルフジャッジに盲目さを度々感じさせる事が多い人生でもあるので自分にカンパニーが増える事で視野が広く物事を考えられるケースも多々ある。自分が捕食しようとしている事がお金では交換できなく、自分の代わりがいない。 究極の捕食は賃金が発生し無い事なのか、もしくはプロフェッショナルな仕事の対価にやはりお金をいただくのは常であるか悩みながら歩いていると一通のメールが来た。仕事だ。俺が作ったあのレールに何処からか俺が放つ臭いに共感してくれたのか連絡が来た。折り返し連絡しないといけないがため始めたばかりの2時間ルーティーンのウォーキングを1時間で切り上げた。 これは完全に撒き餌に食いついて今目の前にいる俺の獲物。あとはどのように返事をすれば喰い付いてくれるのか腕の見せ所だ。 針が食いついてくれるように餌を仕掛けないと逃げてしまう。 帰り道を走りながら頭の中は返事の内容だけが何パターンも浮かんでくる。 英語のスラングが返事の隅々に入っているとどこかし堅苦しさが無い、警戒を解く事ができる。 外国からの日本人との会話はどこかコミュニケーションが噛み合ってないイメージが強く、半ば諦めて会話を済ましてしまわれがちなので僕はその辺のとは違うイメージをはじめの挨拶で見せないといけなかった。 僕がここにいる理由はいつ日本に来た時はこのオッチャンがここにいる、そんなオッチャンになるつもりだ。賭けるものを全て失ったこのオッチャンが世界中のみんながふと思い出した時に訪れてくれるそんな捕食者に。 二言返事で入金確認されてメッセージが届いた。ご対面する日は今から役一ヶ月。野球でもピッチャー、バッターも誰でもこのファーストアウト、ヒット、打点、などが出るとどこか心が落ち着く。自分は逆に緊張が止まらない。Davidの話を聞いてから血の騒ぎが増す増す活発になっているのがじっとしていてもじっとできないからよくわかる。Emliy からは週末の映画が2本も届くし。好きな麻雀の生放送ははじまったし、これからe-sportsのベルギーの大会が待っている。 深夜に取っておいたようやくいいところまで読んだ図書館の本もベッドに置いてある。 これ全部終わらすのには明け方になっているだろう、その頃には血の気が引いているのであろうか? この緊張は来月会うまで続く予感はする。恐らくこのような不安は頭の中でシミュレーションを繰り返して俗にアスリートが使う’’準備する’’をしなければいけない。 やる事は大体わかっているんだよ。パトロールも怠ってはいけない、恐らくパトロール中に今回気に留めてくれた人が参戦しているんだから。何かサプライズ的要素の何かを用意したい。うーん とりあえず、麻雀みながら飯を食うべ。
外資を稼ぐ
エミリーオススメの映画はいつも通り見て、いつも通りの感想を書いた。 彼女の返信内容から抑揚、感情の起伏も見られ予定通りの成果をあげている。ベルギー大会に参加している日本勢も3人とも予選と通過してベスト8に入った。 ヨーロッパにまでいくメリットは日本、米国のプレイヤーの参加人数が極力減ってしまうので大会ポイント稼ぐとしたらどうしてもヨーロッパの大会を出場するのがマストになる。 この大会に出ている3人の選手もかなり実力を持っているが、確実にポイントを最低限予想して獲得できる手段としてヨーロッパの大会もシーズン序盤に動き出す。 戦略としてはかなり優秀ではある、シーズン後半の遠征は世界中の選手がポイントを稼ぎに南アメリカまで参加して翌週はヨーロッパにいく事もやむ得ないシチュエーションも生まれるからだ。 ヨーロッパの選手はまだ日本、韓国の選手がカモにしてるが、少しづつだが優秀な選手が成長して来ているので決勝トーナメントはイギリス、フランス人が優勝してもおかしくはない。昨日予約の入ったキャンセルが有効な24時間が経過をして事実上外資を自分の力で得る事ができた。実際予約の入っている日がゴールデンウイーク期間のど真ん中にある事もあり、交通機関が若干麻痺になるのを懸念してオリジナルの旅程を変更してゴールデンウイーク用に修正した事を相手側に伝えた。 正直、キャンセルがされるのが嫌だったので当日に伝えようと思ったが、このような精神自体が汚れていると判断してキャンセル猶予12時間前には伝えた。 今朝起きた時には何も問題のないメールが届き無事一段落はしたのだが、ひと昔の自分ならゴールデンウイークの混雑に関する過去のブログなぞ見てはいない。 恐らく当初予定したまま行動して乗車規制のかかった、他の移動手段を失った自分と幻滅した先方の姿は簡単に想像出来たから実際に切り回す事に成功した。先方の情報は女性二人で年代は写真から見たら同世代な気がする。Starwarsのtshirtsを着ていて自己紹介文にもstarwarsオタクとアピールしていたのでほとんど情報を持っていないstarwarsの作品をやっつける必要があるか今考えている。 路中の会話のキッカケ、相手の好きな所から責めていくのは常套手段だから現在4 5 6 1 2 3 7 8とあるからネットで3まで拾える事を確認したので今夜から徐々の進めていこう。 エミリーのお薦めにはネットで拾うには著作権違反で見れない作品も中にはある。 レンタルを借りて見ろとはいってくるが僕にはそこまで使う労力はこれっぽっちも無い。 おそらくStarwarsもなかったら正直にアメリカにいた時に何度も見たが英語が理解出来なかた当時は余り覚えていないとでも言っていただろう。 外資を稼ぐスタートが切れた事をcolinにメールで送った。 ’’これのあと1000倍は必要になってくるよ!’’
勝負スタイル
starwarsを30分ほど見始めた、ファンタジー溢れる世界観に度肝を抜かれた。 流石の一言と思う程のスタートだ。 原作を書いた人の創造力の豊かさ、これから何作も残っているこの大作を今後見れる事は大きい。 幼かった時に観る機会を拒んでいた理由に自分の空白の世界観に入れるキャパシティーが備わっていなかったからだと思う。 現在は大分収束してきた事も理由にこの作品を受け入れる器があるので楽しみ今後楽しみである。ベルギーの大会は決勝に残ったフランスと日本の同じスポンサーのチームメイト対決になった。 スポーツ飲料メーカーの大手でドイツの一部リーグ昨年から参入し、アメリカのスノボーの大会のなどで主催をする、’つばさをささげる’あのメーカーだ。この二人は昨年のトップ32に入るトッププロで2014年の世界大会の決勝での組み合わせの再現にもなった。 結果フランスの選手がヨーロッパの大会を日本からの奪取からの防衛に成功した。 優勝したこの選手は大手の広告企業に勤めながらスポンサー契約をしている。 フランスのe-sportsの一般的の認知度は日本と同じまだ浅く、ゲームをしている奴らは基本冷たい目で見られる事が多い。日本も遠くなく近い認知のされかたをされていて間違いはない。結果日本の選手は今回も負けてしまったが、彼の勝負スタイルは誰にも負けていないプロならではの姿勢、そして競技から伝わる熱量などが世界に入りファンを魅了する。 このe-portsと最近テレビ、ネット放送が多い麻雀番組がサッカー、野球よりも白熱な戦いが行われているので好きだ。 勝つまでの過程が短い中で常に結果とその勝ち筋が露骨にネットで中継されているので、プレイヤーは一切手抜きが許されない。 個人競技なので結果は自分に帰ってくるので試合の取り組み方が大きな影響を与える。自分の捕食活動も恐らく似たようなものだと考えている。 いかに僕が示す日本を多くの海外の人間に理解してもらう事に僕は魂を込めている。 世界の人がこの自分に会いに日本に訪れてくれるそんな景色を描いている。 びっこを引いていただけの昨年の今の自分には今描こうとしている景色が見えていただろうか? この変化している今の自分を少しだけ初めて認めている。
まだ見知らぬ旅人達へ
フェイスブックのグループのディスカッションのより自分のターゲットに近いグループを吟味して参加してみた。 アラビア語で書いてある日本好きのサイト、英語圏全域で使われているサイト、バックパッカーの専用のサイト。 以前はオーストラリアの日本好きのサイトだけだったたので不満があったのでしたが今回登録した3件のグループページはアクセス数が多いのでパトロールする時間効率も判断しなくてはいけなくなった。 時間がかかりそうな質問はスルーで答えられる話、日本を楽しみにしている旅行者にはあいづちを打つ感じで返事をした。スターウォーズを1話見終わった感想は日本の少年時代に影響された漫画の話が酷似していること。 恐らくかなりの話の骨組みになるアイディアをスターウォーズから吸収して作られたのではないかなと自然に思えた。 それでもその日本の作品もよく仕上げたと感心してしまう、やはり天才だ、誰も真似はできないから。 ゴールデンウイークに来る僕に関心がある二人の旅人達の事を考える時間が多くなっていきている。 すでに英語で翻訳されている資料を何枚かつくり。 食事も混雑で立ち寄る事も困難になるので持参できる、軽食の準備など。 実際にあった時にどう振る舞った方がいいのか、これが今一番悩んでいるポイントである。 二人で訪れてくるので二人の空間に邪魔にならないように空気に徹するか、ウエスタンの人みたいに英語でがつがつ話をしてお互いの事を紹介をして笑える時間を増やすか。自分は後者ではないと自分ではないと決断まではした今の段階では。まず握手して出迎えるのか、会釈して日本人らしさを見せるのか、この二択で旅人達との距離感が変わってしまう。 会釈すると、若干にっこりはしてもらい理解はされてもらう事は出来るが実際に縮まる距離はこれ以上は望めない。 自分は高校の時から握手、ハグ、ハイファイブなどのコミュニケーションの手段を使って体の中の記憶に沢山の人との思い出を残している。 それは今も継続しているものでこれは今後も生かされる事で僕自身がアドバンテージを持って海外の人とのバリアなどを解き放つ欠かす事ができないツールでもある。 この握手一つにお互いが得る情報は多く、僕が示す握手にも歴史のある情報が必ず相手に伝わると考えている。その個性にさえもなりうる僕のウエスタン風のコミニュケーションがもし会釈が代わりに済まされるほど簡単なら、ホテルでそもそも働いているし、今後このフィールドでプロで食っていく事も夢にも思わない。 同じ留学生が必死で図書館で勉強していたあの時間、俺は必死に遊びまくった。 沢山の出会いに遭遇して人が背負って生きる役目などもその交わった時間が多ければ多いほと重い。 正直、道に迷い、自分を見つめ直す時間に人の何倍もかかった。もし時代が悪かったら、恐らく困難な狭い道に自分を身を置いてた時に新たなターニングポイントを見つけられるそのまま朽ち果ててしまう勇気のある仲間達は世界に大勢いると思う。 自分にも光がさして自分を理解出来る今の環境にはこれはこれで満足している。あとそうだな、10−20組近い旅人が世界から俺の事を探してくれれば、そこから旅人達の間で日本の自分が広まり始まると思う。それまでが困難だがそれを楽しんでいる自分がいる事をお伝えしとこう。colinがどうにかしてくれると他力本願でもある。
高山さん
このタイトルは昨夜から決まっていた。 昨日新しく参加した日本と英語圏の人の交流サイトに深夜一件の質問が投稿された。 富山の高山から和歌山の串本までの行き方を教えてください。 どうも海外の乗り換えツールだと国内の高速バスの情報がインストールされてないらしく、名古屋からの情報しか見つからないらしい。 そこではじめに選択肢を与えた。7時間半 15000円の最短ルート、約9時間 9000円の再安ルートだ。投稿されてから数分で与えたこの選択肢に反応してきて出した答えは7時間半の選択肢だった。この数分の間に自分は投稿した人のプロファイルを覗きに行ったのだが、この娘は稀に見る綺麗な女性だった。 マイクロソフトに勤務していると記載されているが、顔立ちは少しラテン系の血が入っているトロピカーナもいいところだ。 彼女は高山から名古屋行きのバスをまず探していたので濃飛バスの公式サイトで英語上記されているを教えた。 彼女がそのページを開いている間に高山ー名古屋の時刻表を見つけて続けて貼った。手間を省いた彼女はついでに名古屋から串本行きの最短ルートを聞いきたので新幹線で新大阪まで行って串本までクロシオのエクスプレスがある事を伝えた。 彼女はお礼を一言して、自分は旅での安全を祈願したメーッセージにブルースリーの親指をあげている顔文字を貼って御暇した。一瞬ストーカー気質の自分だから、友達リクエストしてい葛藤に悩んだがやめた。 その後彼女の美貌の匂いに感じた他の助っ人軍団が安いルートを案内していたが、こいつらはわかっていない、彼女があのスピードスターの一員だということ。人生の渋滞機間に早歩きで近道を探している連中に交通機関内に生じる時間ロスは体感にかかる負荷はストレス以外何もなく、想像しただけで鬱になってしまう輩ばかりだ。 仮に1時間遠回りして40%近い交通費は節約出来るとしてもだ。 Davidが昔行っていたお礼の代謝にお金を払う人種がいる事と俺の一万の感覚が彼の1円みたいな感覚だと。 本当に会いたい奴らは決まって忙しい。そう思って彼女の名前さえもメモる事をやめ、スピードスターに会えて会話をした勲章として彼女のアルバムにあるかなりセクシーな写真2枚を保存してタイトルを高山さんにした。あの辺のレベルのスピードスターを引き寄せる力が最低でも欲しい、これは今後の課題にしておこう。なにしろDavidクラスの人が先に待っていて、その先に予定している獲物も俺のリストの中には予約してはいっている。 でもこのレベルの可愛い娘をアクシデントで遭遇したら間違った方向で無知な人間は法を殺めてまでこの熟れる前の果実をもぎ取ってしまうイメージはたやすく抱いてしまう。 偶然はこのようなスピードで通常の民間人よりも何倍の速さで世界を駆け巡るタイミングが重なる事で起きる現象だと自分は考える。 今回自分は高山さんに触れた事で今後すれ違った時にお互い気づく可能性は十分にある。god bless Takayama.
種の起源
昨夜初めて自分のページに掲載してある、撒き餌に高校の時のクラスメイトからのいいねを見た。 amandaからだった。 以前子供の世界中からのアクセスを要望していた投稿を紹介していたのが彼女だった。 彼女について記憶があるのはとにかく絵が上手だった事と、富裕層の都会の出身だったのでど田舎の学校でどんなに静かに行動していても俺からみたらかなり目立っていた存在だった。接点は今まで一度もなく、彼女のインスタを覗いたらもの凄い衝撃を受けた。キリマンジャロの雲の上から見渡す景色、ビデオクリップがあった。 その他に、エベレストの山の上の方のキャンプ地で火の鳥のような赤いサンバの格好をしてヨガのポーズを決めてる写真を見て思わず吹き出しそうになった。もーたまらんですわ、かなりのアウトドア派でその火の鳥の姿がよく似合っているんだよこれまた。ひょっとしたらこの彼女からのいいねに返事をする事で何か生まれると思い、返事をしてみた。 ’’これが事の始まりです。 私は世界中の人々の不安を和らげることができれば幸いです。 私の不安は、世界中の人々に認証されることで軽減されると思います。 あなたが好きなら、お互いに話して、困っている人にだけ伝えてください。’’
今朝、携帯の着信履歴のメールの中に新しい旅人の予約が入っていた。 ブラジルサンパウロからの一人での参加のようだ。 3日後に来る事になっているから、事実上彼が一番の自分の獲物になる。一人の参戦は勇気があると認めざるをえない。何処の人が俺の匂いに嗅ぎつけて、しかも一人でブラジルからひょっこり現れてくるのだ? 唯一ヒントになったのは彼のプロフィール写真に使われているのがぼやけたモアイ像の前に顔も認識できない人影が写っている事。もう一つは彼の苗字にあたる名前が日本の苗字だという事実。モアイ像のあるイースター島はブラジルからさほど遠くないので旅がかなり好きな人だろう。日系人の子孫にあたる彼が日本にきた理由には自分探しだろうと簡単に想像がつく。癒しの旅だよ、きっと。ガイドとして難しい事は言葉でわない、複数に対しての自分が一番やりにくい。 一対一の関係は自分も百戦錬磨でどーんと構えている事が重要で、事前に小細工を用意すると逆にギクシャクした緊張が生まれ物事が簡単なのに簡単に進まなくなってしまう。 遠い昔の転勤族の子孫が体の記憶がリンクしたんだとおもう。 1900年始めは日本から北米に多く派遣として駆り出されていた。 アジア人が北米に移民していく事は転勤族の架け橋になっている一つの流行りではあったが人種による迫害があまりにも無惨であったので、ブラジルのコーヒーの植民地の派遣に日本政府が方向転換した。その当時があっての今、彼が日本に来て自分を見つけてくれるこの確率が尊い。一人で来てくれている、勇敢な旅人に俺の存在を認証して、そして世界の旅人へ受け継いでいってもらいたい。
風に吹かれて
いよいよ僕の旅が現実になり月曜にはじまる。 初心忘るべからず、多少なりともこの捕食活動を経験していくなかで捕食する事をこのようなものだと少ない経験値をならすことで自信としてとらえないでほしい。 異文化が飛び交う中、自分が何を指針にするかは一度たりとも同じ答えはない事を念頭にプロの捕食家として礼儀と自分の言動が決して食い違わない結果を常に残していかなければいかない。 先入観で物事を判断するのが許されるのは若かった時に許された特権だった事を忘れてはいけない。
ふとこの事を今書き直しておこうと思ったのは、多国籍の旅人と接触してお互いの意識がリンクすると長年日本での経過されて来た時間とその周りの距離が変化してしまうのだ。 時空のずれを肌で感じている。その時、その時に流れる時間は存分に楽しむつもりであり、それがこのプロフェッショナルな活動をしている時の醍醐味でもある。風に吹かれるがままには大丈夫だが、流されてしまっては元も子もない。 獲物達を理解し、受け入れる事は大事ではあるが、現実は衝突と表した方が響きが近い。 ここがお客様は神様の商売と大きく違うところだ。
腰の状態は本当に良好でいつかは気付かない間に腰が完治している事だろうと願っている。 いつものトレーニングロードのサーフショップに芸能人を見かけた。 これで2回目だな、遭遇するのは。 自分が学生だった頃に脇役で人気お笑いコント番組によく見かけた、このおっさんもいまやただのサーフィン好きのおっさんもいいところだ。 週末はe-スポーツの韓国大会で事実上の今最強に強いやつが決まるのかな。 全員が全員参加はしていなが、アメリカの去年のランク1位の選手、韓国の今年強豪の2選手に日本人は10人近い優秀な選手が集まっている。 おそらく決勝は韓国人が生き残れば日本人との防衛戦が行われると思う。 母国開催なので是が非でもこの韓国選手は勝ちたいだろう、可能性は十分にある。 日本人選手同士の決勝もみたいが、決勝での韓国人選手との試合が一番盛り上がるので自分は期待したい。 180名の腕に自信のあるゲームオタクの連中の中で勝ち残れるのはたった一人、甘えのないシビアな勝負の世界。 俺もこの勝者の日本人達から勇気をもらっている。 プレッシャーの中ハートの強さも試される僕は風に吹かれながらその現実の一歩を週明け歩み出す。
星五つ
韓国大会の決勝が日本人同士の対決になってこの辺の人が勝つでしょと思われていたメンバーが順当に1234位と日本人が並んだ。いよいよ明日起きたら獲物が来ることで緊張してきた。体がそのような信号を送っている時はだいたい脳が準備できていない事が必ずなにかある。 自分がシミュレーションしている、日本風のホテルマンが対応する案内の仕方とウエスタン風のあの時に止まってしまった海外の自分を呼び起こす必要があるかはっきりしていなかった。 丁寧に出来るホテル経験のある自分がでていってしまったら、自分が押し殺されてしまい、自分が捕食対象になり兼ねない。 就寝前に用意した自分は過去に置き去りにしていた英語を話す事が好きで礼儀を知らない、やんちゃな、どこか人懐っこい自分を召喚した。不思議と緊張が無くなって眠りに入る事ができた。 当日待ち合わせ場所の駅のパチンコ屋の自転車置き場までfelt社のクロスバイクで向かった。 待ちあわせ時間40分前に着いた。 旅程には食事をする時間を設けなかったので駅周辺のファーストフードで済ませて駅前の噴水広場のあるところに向かった。 先日の風の強い悪天候と比べ最高のコンディションを迎え、恵まれたスタートをきれた。 ブラジルの旅人も東京からの電車に乗った連絡が来て数分遅れてるとの事。 国によっての待ち時間の長さよってにストレスを感じ方が違うアーティカルを読んだ事があった。 日本人は10分前には着いていて、2−3分遅刻までが許容範囲であるが、欧米特にラテン系の人たちは30分遅れても特に遅刻していてる自意識がない一般知識があったため、若干不安を持っていたが今回は違った。初めての獲物とのご対面はやはり日系人だったので日本人よりの遺伝子が多く残る見た目で年はおそらく自分よりも年配だった感じはした。自分が予定していた旅程に彼のリクエストで観光したい場所があったんので優先して案内した。 英語での実際の人と話すのは10年ぶりだったのでさすがに想像以上の言葉が浮かんでこなかった。 彼が主に話す言語がポルトガル語だった事と寡黙な人だった事もあり、彼とリンクするのが通常の英語圏に人と話すよりも難しかったのだと分析した。とにかく言葉を発しないがカメラでひたすら写真をとる姿から、これが彼の一人旅の通常ルーティーンだと思い、結構距離を離して彼の空間を提供した。拝観料、交通費、メディカルケアのちょっとした物など合わせたら軽く彼一人だけが参加して得れる対価はゼロに近い。自分は一度に複数の獲物を処理しようと考えてはいるが、僕はまだ誰も知られていないルーキーのハンターなのです。彼はルーキーとしって自分を選んだのは撒き餌が良かった事と同伴したかった事だろう。実際は旅程よりも多めに観光をして時間配分、日本の文化のどの辺が好まれ、自分の想像と異なりそれを発見できた事は収穫になった。旅程も帰宅後アップデートし直すことにした。 今朝の体は腰痛もちにあれだけ歩き回った結果毎朝のトレーニングは休んだ。 昨夜案内したブラジルの彼から満点5つ星と感想がレビューされた。星なしのルーキーと星ありではファーストインプレッションが違い、若干初見さんが気になって参加してくれると思う。結果今回は星をもらうために費やした1日だったが学べた事は少なからずあったのでよしとしとこう。
獲物の手ごたえ
初の狩りから2−3日が経過した。収穫はあった。 写真が撮る事が好きだったブラジルの旅人と一緒に自分も要所要所で撮った。パトロールにも進展がさほどなく、多少飽きてきていたので追放されても構わない気持ちで撮った写真をアルバムにして十箇所近いグループに公開した。 アラブの日本ページの管理者からは削除されてしまったが、その他のグループには掲載された。 オーストラリアのページの管理者からはいいねまでもらえた。アルバムの閲覧数が増えると自動的に自分のプロフィールページまで覗きにに来る人が増えるので50近いいいねをもらえた事は結果プラスに慣れたと思う。世の中には多くの人が日本に興味を持っている事が再認識できた瞬間だった。 東南アジアの各諸国の地方で生活している人たちが関心している事実に自分が提供している空間は自信に繋がる。 アップデートされた空間には新たにリサーチした情報が上乗せされて、提供しているコンテンツに深みが生まれた。 関心が絶えないほど膨大な量の情報が山積みにされているのが嬉しい悩みでもある。 捕食した数だけ徐々にクォリティーをあげていければいいなと考えている。 1日休んだウォーキングも再開してまた普段のルーティーンに戻り始めた矢先に魚群探知機が反応した。 アメリカ人だ。家族5人で俺の空間で時間を過ごしたいから旅程の詳細を教えて欲しいとの事だった。 魚群探知機に反応が見えたら対応するのに時間をかけてはいけないのが鉄則である。 撒き餌に反応してから旅程の詳細という餌をガッツリ飲み込んだこの太い客にかなりいいい感触がある。 実際の経験を持たない自分の妄想にしか過ぎないのでわあるのだが。 時間でいうと向こうの就寝前の時間に日本でする事を楽しみにしてネットサーフィンしていたところで自分の撒き餌に寄ってきた所だと思う。 対応もその深夜のなる時間帯に来るとは想像もしてないから同伴者の家族にも相談もしていない所での対応があったのでこの獲物は俺のしかけを飲み込んだままその場を後にした。 今後家族に相談して、話が盛り上がって後日俺に捕食されに連絡してくるんだと思う。 この空間は一度捕食されてしまうと、キャンセル猶予が24時間しかないためおそらく慎重に判断したのち大体10日ぐらいの猶予を与えれば結果が見えると思う。自分のやった事に不安が無かった。 他のハンターなら探知機が反応しても食いつかせられる、もしくは食いつかせた後仕掛けがバラされてしまう可能性もあったと思う。 自分がこの規模の獲物をしとめられなかった場合、何か根本的に間違っている事がある。それぐらいの感触があった。
稚魚の対応と無我の境地
オハイオの家族からの消息を失って1日半が経過した。 当然まだ猶予時間が残ってはいるが、あきらかに昨夜もっていた感触に濁りが立ち込める。いざそこに得れる物が不可能になるとある種の苦しみが芽生える。苦しみにもいろいろな原因がある。主に、死を受け入れる時、病気などで不自由になる時、失恋から生じる胸の痛み/苦しみ、生きる苦しみなど。今回の苦しみの重さが自分にかかる負荷としては微々たるものであった。 今回オハイオの少女Aさんが興味をもってくれたのは撒き餌のサムネイルに寄ってきたのだから結果はどうあれ悪く無いできであった事実がプラス材料。彼女、彼女の家族も初めてて日本旅行だった事。Aさんが先陣を切って日本で旅程を入念にリサーチをしていた。彼女の持ち札は滞在日数の時間に以上の予定を手札で用意していた事。日本の情報が限られているアメリカでネットだけの情報だけで日本/アジアそのあたりを一緒くたに考えがちな俺がもっている一般の欧米の人に対する俺自身の概念。盲目なAさんが日本で行動をする際にガイドを顎で使い、欲望のままに時間をつかいたいだけだった場合。 この家族が踏み入れいる領域は捕食者の拘束されている欲も自由も無いもっと違う次元を提供されている事に気づか無いといけない。無我夢中にはるばるアメリカから来るAさんが浮き足だつ気持ちもわからなくも無い。向こうサイドの条件を柔軟に受け入れて是が非でも回収する案件でも無いと判断したのでこのまま放置するつもりだ。要するに稚魚だったんだよ、言い値で売れるけど。 最悪 Aさんの家族の中に理解者がいて手持ちの中のカードから選ばれるかもしれない。Aさんが選択しなかった場合、不自由さ不満足な窮屈な世界にわざわざ受け入れる必要が無いゆえ、苦しみを受け入れられないと判断される。 そんな事もまったかく理解できないほどの無我の境地にいたAさんではあったが。
今週末もEスポーツのツアーがベトナムで開催される。 選手の上位に来る選手は賞金、ツアーポイント、海外旅行気分で現地の食事を堪能する。ベトナムに参加した今回のメンバーは韓国大会よりも格段に質の高いプレイヤーが参加してないので中堅クラスのプロの選手がポイントを稼ぐには絶好の機会だ。今回はサウジアラビアからも兄弟で参加しているまだ学生のプロ選手と香港の選手が台風の目になりそうだ。そのほかは常連の韓国選手1名。 あとは日本の選手でベスト8は揃うのではないでしょうか? パチンコのリニューアルで多少揺らぐ気持ちがあるが、麻雀の興味のある試合もネットで放送されるのでおとなしく家にいるために多めにお菓子を薬局チェーン店で購入してきた。サー引き篭もるぞー週末 。
大安売り
ベトナムの大会が終わった。 長年韓国で格ゲーをしてきた選手が念願のタイトルを獲った。2位に入った日本人の選手は前回の韓国の大会でも2位だった僕の一番好きな選手だ。 彼は何度も決勝の舞台まで上り詰めるが2位で終わってしまうため、Mr.consistantと世界から異名をもらっている。あまり個人的な感情を漏らさ無い彼ではあるが、今回はsnsでダメだしなどを募集していた。決勝で負ける側の気持ちなんで勝者によってフェードアウトされてしまうので視聴者は惜しかったねで片付けてしまうけど、ここ2年でもかなりの数の世界大会で準優勝で終わってしまう彼の不満が漏れてしまったのだろう。 自分はこのゲームをやった事もないが、思って事を書いて返信した。結果がでているので変にいじる必要がないと思うよとね。彼のレベルを理解できる世界でも数人しかいないだろう、同じキャラクターで絞ってしまうと彼以外理解でき無い境地で賞金を稼いでいる。また課題が生まれ、これを詰めていくと次回対戦した時に差が縮まる。これの繰り返しだ。ふと自分に置き換えてみた。目的を持って捕食をしていかないと、ただの観光案内のそこらへんにいるやつらと変わりが無い事に気がついた。 狩りをしたいので不特定多数の獲物を試し切りしたい気持ちがある。 その不特定多数の獲物を探すのに一喜一憂してしまい、肝心の僕が示す道を失いかけそうになった。 捕食哲学を築き上げていく過程で自分が学習したい分野に時間を注いで、強い個性のある人格を形成したいと考えている。この哲学が世界に理解を得て、未来に交わっていければ幸いである。つんのめりになって海外から日本に来る人を細かくパトロールしてるとどうでもいい観光客の情報が正直うざく感じてきた。 もともとの価値観にノイズが混じるみたいだったのでしばらくフェイスブックの日本案内のグループページにリスポンスするのをやめてみる事にした。 もっと違う方法で俺が求める獲物に合わ無いと捕食する真の目的に辿りつか無いまま雪崩に吞まれて遭難しそうになってしまうから。こんな訳のわからない奴ら案内するためにわざわざ空間を作った訳でわない。それが言いたいんだ。誰もが通れる道だったら苦労し無いよ本当に。 この空間を提供されて満足される人達は極極特別で何かしらのプリビレッジを持つ世界の人間にだけ与えられる。偶然たどり着いた人はいいが、自分から安売りして誰もが目につくところに案内所を設置した事が間違えであった事を早めに気付けてよかったと思う。昔居酒屋の呼び込み時代に駅前で声を張り上げて店の売り上げに貢献してた時代があった。 電車から飲み屋が集まるストリートで待ち構えてビール何杯飲んでも半額券やらドリンク何杯飲んでも半額券などを配りまくっていた。 呼び込む力、愛想、券の魅力から客は食いついてくるからこっちも楽しくなって毎晩楽しんで仕事をやっていた。 呼び込みの声だけでは限界があるのでやはり生中何杯飲んでも半額が効果がある。 自分がロサンゼルスに行く事になって仕事を辞めて数ヶ月して店が潰れた事をMixiの居酒屋掲示板で知った。自分が辞めたあとに呼び込みを代わりにやらしたけど客がピタって止まって売り上げ目標に大幅届かなくなってしまった事が原因だ。 駅の周辺で呼び込みをしてたのは僕以外にも優秀な呼び込み隊がいたから、新人の呼び込みが駅にいっても客が拾えないのは理解できた。自分の空間もよくわからない餌で狩りをして本来来て欲しい獲物が寄ってこなくなってしまったら、本末転倒である。しばらくはまた体を作り直す事と本を読む時間を増やす事になるだろう。 歴史を学んだのが高校アメリカで英語と格闘していたので、中学の義務教育が最後であった。 その時もろくに勉強してなかったので最近ちょくちょうく気になる歴史的要素の言葉をwikiで読むととても面白い。自分が生まれ育った国の歴史を知る事が楽しいのでググって図書館で借りてみようと思う。
夏の準備
この空間を作り始めにサムネの認証と共に管理会社の専属のコピーライターにアレンジして貰っていた。 お抱えのライターがデザインする文脈は差し当たりが無くどっかの翻訳ページに投げてもさほど代わりの無く思えていたが、しばらく触れていなかった。よくよくこの編集された自分のページを見てみるとここにも問題があったと再認識した。サムネの撒き餌以外にもっとも目にする文面に旨味が感じられない。 こんなのウィンドウショッピングに来た人が群がるだけで決して手にとって触れるような物では無い事に判断した。 このお抱えコピーライターよりも自分が海外で培った表現力の方がより絞れたターゲットを囲えるし、何しろ一から十まで自分で作っている世界に看板のデザインは他の人が、その空間に来た事が無いやつに書かせるのがはなから間違っていた。 独特な香りを放つ自分の空間を妥協しないようにするには姑のように隈無く見渡さないといけない。 持論だが、もし優秀なコピーライターが存在するなら膨大な量のこのタイプの仕事をそもそ受け持っていないと思う。この手の仕事はクラウドワークなどのサイトで時給100円以下の仕事で多く出回っているのを見た事があるが、人にお願いして物事を頼むのは頼まれた側に主導権がある。
ルーティーンのウォーキングの調子はいい方向に進んできている。 恐らくぎっくり腰を起こして増えた体重10-15kgはここ2年で落ちてきていると感じる。暑くなってくるこれからが色々と本番だな。
一つの答え
地元の中学を卒業して、自分の将来像に限られた知識を最大にイメージを膨らまして、国連機関に務める自分や、国際ビジネスで世界に股を掛ける自分を抱いてノースウエストのシカゴ行きの便に乗って成田空港を後にした。 学校が始まる1ヶ月前に同じ目的を持った20人近くの日本からの新入生がボストン近くのホームステイ先に滞在してオリエンテーションとボストン観光、そしてざっくりした英語のレッスンのカリキュラムを経てその20人近くの仲間は各自の高校へ飛び立っていった。 ボストンから車で2時間ほど車で行くと山の奥地に高校があった。 スクールライフは想像と一転して動物園に放り込まれたキャンパスに、鉄格子の無い刑務所のような寮の中で長い年月を過ごす事になった。最大年間日本人と会話するのはいつも同じの3−5人で、日本語を発しなかった時間も数ヶ月あったような場所で生活をしていた。 逆にこの境遇が良かったのかと今は思う。 多くの時間を広大なアメリカの自然に割く事ができたからだ。 母なる大地に身を委ねる事によって 若い時期の自分の五感が養われたからである。 赴くままに行動してきて周りの友達は今や自分が成田空港で想像していた人達に変わっていく中自分は最近やっと自分の道が見え始めた所だ。帰国を決断した時はどこか閉じ込められている自分を解放したくてとった行動で日本に帰ってからのしばらくは'out of faith'の状態で時間だけが過ぎていった。腰痛のリハビをきっかけに毎日のルーティーンワークを始めてからしばらく音信不通だった母なる大地を日本でも感じ取れるようになった。小学生の頃丸暗記していた二つの言葉がふと脳裏を振り返った。宮沢賢治のアメニモマケズ、とドラクエ2の復活の呪文だ。今示している自分の道にアメニモマケズがよく似合う。もう一つのドラクエ2の呪文は小学校の頃途中で行きずまってしまったこのゲームを一緒にプレイしていた従兄弟が攻略した呪文をわざわざ書き写して後日持ってきた事だった。 レベルが最大で途中断念した所から大幅に進行していてどうやってここにたどり着いたかもわからない自分も最後のボスを容易に倒す事ができた呪文で何度もうやり込んだ結果パスワードが頭から離れなくなり40近くなる今でも鮮明に覚えている。
かほぽみぬけてせわれるぐいる
ぐりひぞわけげてぷるぷいぺぶなも
ひがぐぢくしさふゆもしねぎむみるづ
この’’ぢじ’’ ’’ずづ’’の部分が今となっては覚えていないが現在もファミコンのカセットがあればレベル50 45 35の勇者が装備をしていなく知らない従兄弟の友達の勇者の名前’’けんじ’’君を使う事が出来る。
今も昔も世界が向かう、人が好む方向には好きな味、匂い、景色、異性、勝負のあや、競技スポーツ/チーム、小説などの自分をその物の観点をどの位置から見る尺度によって生まれる錯覚に魅了されやすい。
新しい発見を求め海外から捕食されに来る獲物は先入観を持たず僕が歩む道に踏み入れて錯覚ではない母なる大地の祝福を僕を通じて感じ取って欲しい。
仁 人を愛する心
フェイスブックのグループページに懐かしい広場のグループページに参加していて、ぷらーって見てたら、井上陽水のリバーサイドホテルが流れたドラマのオープニングのクリップが貼られていたのを見た。ニューヨーク恋物語のドラマを1988に放送されていてこの世代は自分のよりも一回り上の世代の番組だったのだが、ネットに落ちていたので2倍速で見始めた。バブル期景気がいい番組を作っていたので脚本している人の作品を見たら一つの映画のタイトルに目が止まった。 里見八犬伝。 この番組は確かな記憶はないがにテレ東の番組に夕方にテレビ放送していた時に後半の1時間だけ見て、エンディングで物凄い感動して涙がでた思い出がある。 幸いこの作品もネットで拾えたので、自分のニューヨークのイメージと被せて見てた2倍速で見てたドラマがどうでもよくなったので、小さかった自分が何に感動して是非もう一度みたいと深い記憶に残していたのか確かめてみた。光の石の下りは記憶にある。 化け物退治するイメージと玉を持った人達が力尽き果てながらも姫を守り抜いた話と認識している。 忠誠心の存在と死をもってその天命を尽くす事の厳しさと美しさに涙をしたのだと思い出した。絆と仲間をモチーフにした桃太郎タイプの作品はよく知っている話で他にない。 とても身近な話に思えるけど過去に見た時はエンディングの一部分のみしか見ていない。そして john o'banion のlove you like i never loved beforeの曲が耳から離れない。このメロディーも無意識に小さかった時に吸収していたのかもしれない。今だからじっくり見れた作品で記憶にリンクして昔の自分に会ってきた気にもなれたよ。
タチが悪い
ここ2−3日に起きた事はエミリーからの推薦映画の鑑賞をした事。感想にこれだと思うありきたりではない閃きが生まれた時はちょっと楽しい。 オーストラリアの一ヶ月程前に予約してきた獲物の捕食準備をしていた。 ゴールデンウイークのど真ん中にくるお二人さんと共に道案内をするのだが、当然混雑するので起きうる可能性のアクシデントを事前に防がないといけない。 交通のアクセスと当日人がわんさか溢れてくる自分が用意ている道に用意されているのはひたすら歩く事が最速の行動手段と決断した。 朱印などのお土産にあたる物は一週間前の本日購入して、当日購入するのに時間がかかりそうならば用意していた物を最後に渡そうと思う。 食事も持参して、当日待ち合わせ場所の付近のコンビニで最低限の食料を確保しないといけないと思われる。 最悪のケースを間逃れるための準備で自分がオリジナルに用意している空間と比べると体感満足指数は30%オフといったところだろう。 それでも他の誰よりもその周辺で体感しているメンツよりもぐっと魅力的な時間を提供できている自身がある。
朱印とお土産のハガキなどをリュックにしまいクロスバイクで稲村ガ崎周辺を通り過ぎると釜揚げシラスを天日干ししている光景が海辺に映った。 あいにくの天気にしてはこの量が干されているのでそろそろこの辺りにもシラスのシーズンがきた知らせであった。翌日のウォーキングのルーティーンにはいつも千円札を万が一、低血糖で気分が悪くなった時に緊急で食べるために持参している。 天気が良かった事もありふと昨日のシラスの事が気になり毎年お世話になっているシラスの販売所に散歩の折り返しをする直前に電話をした。 電話をしたところから川岸ををのぼるように歩いていくと昨日見た同じ光景を川の沿岸のコンクリートにシラスを干しているのを発見した。川沿いに歩いてすれ違う女性に知り合いだった人がいた。 中学校卒業してからアメリカに行く間3−4ヶ月程この近所のファミレスでバイトをしていたのだが、このすれ違った女性はその時のチーフパートのM田さんだった。 あれから20年以上経過していたが、さほど変化がなかったので気づいたけれど、相手の方は絶対わからなかったと思う。シラスは電話予約をしてあったので20分ほど干し終わるのを待って家に持ち帰った。生姜ち醤油を少しかけて炊きたてのご飯で食べたかったのだが、この時期になると自分は糖質カットするのを昨年から本格的に取り込んでいるので食べるのをやめた。米を2ヶ月近くは取らず、代わりに木綿豆腐に納豆とイナバのツナ缶で70gの内タンパク質12g資質が0.2gを混ぜて食べるのを夕飯に置き換える。それでも空腹はすぐにやってくるので、プロテインを水で割ったのを飲んだり、オートミールを多少取り入れる事にする。秋か5月手前までは結構好きに米を食べるのだが、この時期になると断食をする海外の人達に近い意識を持って脂質と糖質をカットする。ワガママバディは相変わらずなのだが、この時期少しでも頑張らないと体が言う事を聞いてくれないので仕方がなくやっている。 人の言う事は聞かない自分に命令する自分に手がやける。
その先
週末のe-sportsの大会はドミニカの国で開かれた。 日本、アジアからの参加選手がいなく。 南米の有名な選手と北米のスポンサードされている3選手が乗り込んだ。 昨年末の年の締めの世界大会で優勝したドミニカの選手の地元での主催大会になった。 一夜で地元の通貨価値3億円近い賞金を手に入れたドミニカの少年は地元では有名なセレブの一人になった。 街の大きなクラブの液晶画面には有名人を歓迎するかのように少年の姿が全ての大型ビジョンに映し出された。彼の生活スタイルには常に周りを囲む少しでもおこぼれを求めるハイエナのような群がうろついてる姿が印象的にSNSに掲載されていた。 地元の開催されている大会を防衛しないといけない、ドミニカ勢VSアメリカの点取り屋の有名な選手が掻っさていくかの図面が初日終了時のベスト8で出来上がった。チャンピオン自身は優勝しなくても年間シード権を獲得しているので集中する事は自軍の旗を防衛するだけであった。願わくは、他の仲間のドミニカの選手にポイントを獲得してもらう事だ。去年のチェンプの使うキャラクターは優勝後念入りに対策されて、優勝以来結果が残せてない。 ドミニカの選手が世界の大会に多く参加して認知されていれば事前に対策されて優勝をつかむ事はなかったかもしれない。 そういう事では一撃で人生で必要な賞金を手に入れたこの少年の持つ運と南米に夢をもたらす事ができた事は素晴らしい年であった。チャンプは早々に敗者復活に回って、少し忖度した行動が世界中に晒された。対戦相手の同じドミニカの仲間と戦う際に自分の得意なキャラクターを使わなかった点だ。アメリカから招待された実況解説もこの事を触れていた。 相撲でいう勝ち星、ポイントを譲る形、一言で八百長だよ。 それ程ドミニカの他の選手がポイントを集めて本大会に参加するのが厳しいレベルなのを誰もは認知している事実だからこそ、少しでも多くのポイントをアメリカ、日本勢が参加していないドミニカの大会で稼ぐの事がマストのシチュエーションだから行われた。 決してお金の譲り合いはない、仲間だから、彼がシード持ちの大金を手に入れている中で行われた。 勿論、立証できないレベルの行動で誰も気にしない。 そんな事がまかり通ってたどり着く緩くない世界だから、少年チャンプのこの勝負の甘さが微笑ましくとも思えた。 この選手も次に他のドミニカの選手に負けてこの戦でドミニカ国の旗をもぎ取っていったのは日本からスポンサードされているアメリカの選手になった。 このアメリカの選手は昨年日本の大会2週間前に来日してトッププロがトレーニングしている所に武者修行してゲームに勝つコツを掴んだ選手だ。 日本での活動を目に止めれられて今年ツアーを回る援助を日本企業から亜与えてもらえた選手だ。 防衛を死守できなかったドミニカ勢の落胆した姿は映されて放送が終わった。 国の名誉と己のプライドをぶつかる姿は国際戦争がくる広げられている感覚に視聴者は駆り出される。ドミニカのチャンプはこの結果をスランプと取れ得るか実力と受け入れるか僕には実力が伴っていないと思う。チャンプは去年生きる道の恵まれた所を通過した。決して彼自身がその道を創造して、選んで生まれた事実ではなかった。 あくまでもこの道を創った所に彼が通り過ぎた事実だということ。大会に世界トップクラスの実力をもって食えるようになるだけの人生だけ為に価値観は生まれるのはどこか寂しい。一つ隙間風が生まれる程の空間が世界に開けられたならそこから流れてくる風、光、闇などを求めて自分が飛び込める道を自分で作らないといけないんじゃないかと、与えられた使命に僕は思う。
同盟軍
ひさしく連絡が乏しかったcolinから連絡があった。 最後に連絡したのがその前日の夜に自分が書いた内容はメキシコからかわいい子が一人で’’道’’に参加してきたよ、の一言。colin と自分は寮で隣の部屋でたわいもない時間を過ごしてきたのでその昔の止まった時間の延長線上の次元の会話をメールで交わしている。可愛い若い子を、chickと表す事で二人の機械的なメールの対話のテンションを割る事ができたと思う。コリンが科学を専攻してきた事もあり、会話に若干不器用さの残る、合理的な返事しかしてこないのが常だ。 二人で生活してきた中で彼の柔らかな感情をしっている、そしてその一面が出てる、colinとの相性がいい。メールの返事に垣間見れた昔のコリンの姿が20年近く離れた距離が縮まったと感じ取れた。同じ時刻、携帯から優しい着信音が届いた。 獲物だ。 以前逃した5人組の家族の稚魚からの連絡が途絶えたままだったが、メキシコのチックからの連絡と今回のアメリカのニューメキシコ州からくる年配の夫婦の参加でモチベーションが保たれている。コリンもワンちゃんあるから継続して頑張れと励まされた。 そして、スカイプでの近況報告を数日以内で行う予定も組んだ。自分の机上の空論とコリンがデスク上で判断した場合の信頼度はプリンストン出てる優秀なコリンのデスクからの太鼓判は鬼に金棒は言い過ぎではあるが、有益な情報である。この道が海路に置き換えた時にこの船の舵を握っている自分にワンちゃんいけるといったコリンだけれども、実際の新しい海の怖さを本人が理解しているか疑問に残る。 比べる事はできないが、彼も異国豪州で、炭鉱ビジネスの最前線で活躍している. 彼が舵をを取っている船は長い間航海して自分の人生の道との新たなる交差を考えている。 世界で今唯一の同盟軍の仲間を公式ではないけど獲得した気分だ。世界には要塞を所有していたり、小さな国ぐらい飲み込んでしまう知人はは遠い海の向こうに俺は知っている。 スピードスター達だよ、要するに。俺の作っている道の先にはそんな彼らは好んで通過する兆しまでは机上に浮かんできてはいる、けっして無理ゲーな話で、ごくごく可能な航海プランを持って進めば成功すると自負している。 そのへんの感覚をコリンは理解しているから、高校の頃からお互いどこか尊敬しているんだと思う。 この気持ちはdavidとの間にも似たような感情がある。
生きがい
要塞や国家に属する海外の連中は決してなびかない。 同じ目的を持って協力してくれる仲間ではあるが同名協定を結べるほど相手の懐に入って割ってはなす事ができない。現時点では多国籍軍止まりだ。 我が軍が世界を航海する場合、世界から褒められて、認められる事によって生かされる、それが現時点唯一の正攻法だ。
ひと月前の初めて食いついた豪州の獲物の捕食の時間がやってきた。 前日にまとめた策はとにかく尽くして、成果をあげる事でマインドが落ち着いた。 当日集合場所に着いた駅にはゴールデンウイークのど真ん中で前日大雨の予定で本日に予定を乗り換えた大勢の人が集まりはじまる兆しは朝10時に見え始めていた。 豪州の獲物は予定時刻に現れ道を開始した。 豪州の人の英語を初めてご対面したわけだが、アメリカ英語と全く変わりがなくて大変満足したコミュニケーションを堪能できた。 あらかじめ用意していた地元の理を使いこなし、各箇所で大勢の人による時間のロスを全く喰らう事なくあの混雑の中では自分はトップクラスの誘導する事に成功した。 獲物の彼女らは想像するイメージは用意してなく、なんとなく参加して来たのだが、結果は満足する事はできたのでプロとしての十分の成果を成し遂げる事が出来た。参加した道のテーマの中に僕が必ず用意するのは苦しみや痛み 。 些細な楽しみが、苦しい道の中で発見する事ができればいいと思っている。 今回参加されて豪州の二人の女性は前々から知っていた情報野中で、パートナーで参加する、同性の参加者2名から推測される対象人物はレズの結婚された二人、もしくは娘と参加した親子。自分がターゲットにしている世界に人種の層から判断するとレズの二人組は想定内の対象に当てはまる。 従って待ち合わせ場所で探した外人の女性のカップルを見て、即座に自分の獲物だと判断出来たのも自分だった。 高校の頃にはゲイに対する免疫は持っていて、このタイプの人種がゲイなんだなーって一緒のキャンパスで何年も生活をしていたので特に偏見を持つ事もなく、一緒に時間を過ごせたと思う。 豪州のかなりの富裕層のエリアから来たレズの二人組は実に可愛げな姿で二人で助けあって人生を歩んでいて一面を垣間見れて微笑ましい気持ちになれた。 道を通じて普段鈍っている体に鞭を入れてあげる事に僕の中のサディスティックな気持ちが高ぶり扱き甲斐があった。 彼女らがふと豪州に戻ってあとに渡したお土産と自分の存在をよかった日本の記憶として刻んだ事を想像するだけで喜びが溢れる。これが実感できた。 この手応えがあれば継続できる、生きがいなのかもしれない。 自分が一緒に歩んだ時間を目に写しても、何か物足りないから、より良い物を探そうと向上心が常に芽生えるが。彼女らに今日、写った世界には僕が与えた道にブレは生じてなかった。
捕食活動 @Seimonb
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