第22話

 煉と共に朝食を済ませ、食後のコーヒーを片手に休憩していたさくらは、突然何かを思案したように声を上げた。


「煉さん、今日は買い物に行きましょう」


「呼び捨てでいい。……お前の買い物に付き合うのか?」


「いえ、煉さ……じゃなくて、煉の新しい夏服とかを見に行こうかなーって」


 そんなことを気にしていたのか、と煉は思う。確かに此処に来て、流れで住み始めてから最初に買った服といえば、今着ている黒いジャージのみだった。


 だが本音を言えば、成るべく無駄遣いは避けたい。いざという時のために貯金は崩さず残しておきたいのだ。また何時、放浪するとも限らない。


 思考しながら壁に掛けられている時計を見上げると、時刻は午前十時半を過ぎていた。


 出掛けるには丁度いい時間帯かもしれない。それにスーパーに寄れば食材の買い出しも出来る、一石二鳥だ。


 そう結論付けると、金銭面以外で煉に断る理由は特になかった。


「分かった。なら行くか」


「はいっ!」


 昨日のほろ酔い姿は何処いずこ。熟睡し、すっかり酒も抜けたさくらは、煉からの了承を得ると、ウキウキとした様子で出掛けるための身支度を始めていた。


 子供か。いちいちそんなことで喜ぶな。


 そう思いながらも、煉の表情も自身が気付かない内に、無意識に柔らかな微笑みへと変わっていた。


 ◇


「いい天気ー。買い物日和ね」


 大人しくさくらの隣に並び歩く煉は、その独りごとを無言で聞き流す。さくらに促されて久し振りに外出したものの、正直に言うとあまり目立ちたくはなかった。


 何時、誰が何処で煉を見ているか解らないからだ。出来るなら前の職場の人間達に遭遇したくない。会ってしまったら、間違いなくさくらにも怪しまれてしまうだろう。


 しかし、ここ最近は実に穏やかな日々を過ごしていた。そのため、煉は本来の目的を失念していたことを思い出す。


 煉は元々この街から出て行く予定だった。だが、さくらに出会ったことにより、色々と予定が崩れてしまったのだ。


 知り合いに会わないようにと、胸裏で願いながら街中を歩く。すると、煉の視線にとある店舗が瞳に映る。


「……ん?」


「どうかしたの?」


 煉が何かに気をとられ歩道の真ん中で突然立ち止まると、さくらも同じく歩みを止めて視線をさ迷わせる。煉が一心に見つめていた先にあったのは、この街で有名な和菓子店だった。


煉羊羮ねりようかん……」


「寄って行きます?」


「良いのか?」


「はい」


 笑顔で頷いたさくらと共に煉は、真っ先にお目当ての和菓子店へ入店する。店内に入った途端に、小豆あずきを煮詰めたような甘い香りがふわりと鼻先を掠めた。


 煉は一足先にカウンターに近付くと、ケースの中に飾られている羊羮を、真剣な眼差しで見つめていた。


 ケースの中には羊羮以外にも、定番のお饅頭や金鍔きんつば等、餡を使った和菓子たちが色々と並んでいた。


「どれにするんですか?」


「やはり、煉羊羮がいいな。すまない、これを一棹ひとさお


「畏まりました」


 煉は商品の代金を支払い、店員から紙袋に入っている羊羮を受け取ると、満足げな表情を浮かべて、さくらに向き直る。


「付き合わせて悪かったな」


「いえ、それより煉は羊羮が好きなんですか?」


「ああ。羊羮は高カロリーで非常食にも使える万能な菓子だからな」


 大真面目に羊羮を解説する煉を、さくらは微笑ましく眺めていた。


 和菓子店に寄り道をして再び街道に出ると、今度こそ煉の洋服を選ぶために、二人は洋品店へ向かう。


 その道中だった。さくらを呼ぶ声がしたのは。


 前方から駆け足で此方に向かってくる人物が見えた。煉はその人物に対して思わず身構えてしまう。が、その必要はなかった。


「さくらさんっ!」


「えっ? 八重樫くん!? どうしたの?」


 此方に駆け寄って来た男はどうやら、さくらの知り合いのようだった。


 なんだ、この男は。さくらの男か?


 煉の眉間には、みるみるとシワが刻まれ、同時に目付きも鋭く険しいものへと変化していく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る