第21話

 またか。煉はそう思わずにはいられなかった。さくらの猫耳事件が脳裏に鮮明に甦る。


 別に晩酌が悪いとは言ってはいない。ただ、自分の限界を自覚しろということだ。


 冷蔵庫の前でさくらと煉による仁義なき攻防戦が、今まさに繰り広げられているところであった。


「駄目だ」


「あと一本だけ……」


 さくらは冷蔵庫の前で仁王立ちしている煉を上目遣いに見上げる。すでに酔っている瞳だった。


 そんな潤んだ目をされても俺には効果がない。無意味だ。


 先刻、さくらは夕食のとき何処か沈んだ表情をしていたのを煉は見逃さずにいた。もし、さくらから何か相談や愚痴があるのなら聞くつもりだったのだ。


 だが今は結局、また安酒に酔い完全に仕上がってしまっている。


 無意識に、ため息が溢れる。


「もう寝たらどうだ」


「……けち」


「あ?」


 どうやら、さくらは本当に酔っているらしい。普段は決して言わないような言葉を口にして、煉に対して子供のような悪態をついている。


「そんなこと言うなら、煉さんも飲めばいいのに……」


「いや、俺はいい」


 今日は、なかなかに手強い。何時もなら、そろそろさくらの方が折れて、就寝するはずだが少し状況が違う。


「そういえば、煉さんは年いくつですか?」


「いきなりだな。……二十四だ」


 逡巡して答える。


 煉は自身の本当の年齢を、もう覚えていない。恐らく百歳は越えているだろうが、産まれた年月すら遥か遠い昔のことで忘れてしまった。だから、何時ものように慣れた嘘を重ねる。


「じゃあ、私の一つ下かな」


 四本目のビールを諦めたさくらは、リビングの床で体育座りをして、酒のせいで赤く染まった顔を綻ばせる。


「そうだな」


「煉って呼んでもいい?」


「別に、構わない」


「ふふ、ありがとう」


 煉が頷き了承すると、さくらは子供のようにとても嬉しそうに破顔した。


 たかが、俺の名前を呼び捨てにすることくらいで、そんな風に喜んだ表情を見せられるとは思わなかった。やはり、この女は本当に不思議だなと思う。


 今まで知り合ってきた女とは、何もかも勝手が違う。


 全てが予想外の展開ばかりで、その度に煉はさくらに振り回され続けている。なのに別段嫌な気はしないのは何故なのか、自分でもよく解らない。


 さくらは千歳ちとせとは、真逆のタイプではあるが。と、ふと、そんなことを思ってしまう。


 千歳──。


 俺は今、何を考えて……。


 煉は慌てて脳裏を過る過去の記憶と共に浮かんだ思考を消し去ると、改めてさくらにもう一度念を押す。


「今度こそ寝たらどうだ」


「そうします。おやすみなさい」


「……おやすみ」


 さくらはゆっくりと立ち上がると、ふらふらと覚束ない足取りで寝室へと消えていった。


 ◇


 翌日。さくらは休日だった。その為、時刻はもう午前九時になろうとしているのに、一向に起きてくる気配がない。


 仕方ない。起こすしかないか。


 煉は二人分の朝食の用意を済ませると、さくらの寝室の扉を軽くノックする。


「起きろ。朝だ」


 だが、返事はない。昨日の酒酔いのせいで爆睡しているのだろう。


 痺れを切らした煉は呆れながら『入るからな』とひと声かけてから、さくらの寝室に足を踏み入れた。


 そして案の定、顔まですっぽりと毛布を被り幸せそうに眠っているさくらが視界に入るが、気にせずに無慈悲に言葉を投げ掛ける。


「起きろ」


「んー……。あと……もう、ちょっとぉ……」


 さくらは、そう言うと更に毛布を巻き込みながらベッドの上で小さく丸まっていく。休日の朝は、とことん寝起きが悪いらしい。


「……朝飯が冷めるがそれでもいいんだな」


「……やだ」


「なら起きろ」


 煉の有無を言わせないその一言で、ようやくさくらは毛布から顔を出し、まだ眠たそうな表情をしながら『起きます……』と渋々起床した。

 

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