第12話

 この女の酒を飲むペースが早いと思った時点で、一度止めるべきだった。


 煉は今、とてつもなく後悔している。


 何故なら安酒に酔った、さくらに絡まれているからだった。所謂、絡み酒でこの上なくタチが悪い。


「ほんとぉ~あの上司、仕事しないのよ~!」


「そうか」


 煉は律儀に、かつ適当にさくらの愚痴を聞いては相槌をうつ。かれこれ、こんな状態を二時間ほどエンドレスループし続けていた。


 そもそも、平日の夜に泥酔するまで飲み潰すのか? 普通。俺は愚痴の聞き役に呼ばれたのかもしれないが、正直に言って酔っ払いの相手は得意ではない。


 煉はおかしな女に引っ掛かってしまったことを、再度強く悔恨しては自戒していた。


 そして、酒も飲んではいないのに頭痛がした。仕方なしに煉はため息をつき、永遠のように続くさくらの常日頃の仕事に対する、愚痴を流れ作業の如く聞き受け流していく。


 その数分後。散々愚痴を吐き出して満足したのかと思えば、さくらは突然にだんまりを決め込んだ。そして、ローテーブルという小さな境界線を乗り越えて、少しずつ煉ににじり近寄ってきた。その瞳はすでに酒に酔い正気を失っていた。


「煉さん」


「なんだ」


「猫耳付いてないんですか?」


「…………」


 聞き間違いだろうか。今、猫耳が何とかと聞こえた気がした。俺は一体どうすれば良いんだ? 最早、この女をどう扱えば良いのか俺には解らない。


 煉が酒に酔ったさくらに内心怯えていると、さくらはそんなこともお構い無しに、更にジリジリと煉のそばへと近付き距離を縮めていく。そして気がつけば、互いの目線が酷く近い距離になっていた。


 さくらは頬を上気させ、瞳は心なしか潤んでいるように見える。


「おい……。それ以上近づくな」


「猫耳が……。きっとここら辺に猫耳が……。生えているはず……」


 何かに憑依されたように、さくらは譫言を続けながら、突然に煉の頭部をがっしりと掴み、髪の毛を動物を愛でるように、わしゃわしゃと触る。


「やめろ」


「…………」


 だが煉が放った言葉で、さくらの動きはぴたりと止んだ。


 俺は何も悪くはない。悪いのは絡み酒の上、許可もなく俺を動物と勘違いして触った、この女が悪い。それに、俺は猫ではない。


 そして、何故かぴたりと煉にしがみつき硬直したまま、さくらの反応はなかった。


「重い」


 煉のさくらに対する非難は、耳元に直接届いているはずだが、それでもさくらは微動だにしなかった。


 もしや、泣いているのかと思い、煉はさくらの肩を掴み、控え目にその顔を上げさせる。


 しかし、そんな煉の考えはどうやら勘違いだったようだ。


 さくらは幸せそうな、実に気の抜けた表情をして既に眠っていた。


 まさか、寝落ちされるとは、俺としても予想外の展開だった。

 

 本当にこの女には警戒心というものが、備わっていないらしい。諦めにも似た、ため息が無意識の内に溢れ落ちる。


「……ベッドに運んでおくか」


 酔っ払いのさくらに始終、振り回された煉はさくらを抱き抱えてベッドに運び、その身体に適当に毛布をかける。そして、煉自身はリビングに戻り冷えた床で静かに眠りついた。


 ◇


 翌日。煉が嫌々目を覚ますはめになったのは、さくらの色気のない叫び声が原因だった。


「ど、どうしよう!? 遅刻しちゃう!」


 さくらは朝から、忙しなく部屋を右往左往し動き回っていた。先程までリビングで就寝していた煉の存在すら、さくらの視界には入っていないような慌てぶりだった。


 煉は起き抜けのぼんやりとした脳内で、そんなさくらの慌てふためいた行動を、無言のまま視線で追う。


 ビール三本程度で酔うくらいなら、平日は飲まなければいいだろうに、と胸裏で思うがあえて口にはしない。


 ものの十分程度で仕上げた化粧と、綺麗めなオフィススタイルに身を包んださくらは、煉を一瞥すると声をかける。

 

「あ、あの。このマンション、オートロックなので、勝手に出て行ってもかまいません。私これから仕事なので、それじゃ行ってきます」


「ああ」


 どうやらさくらは、煉の存在を完全に忘れていた訳ではないようだった。遅刻すると言いながらもさくらは、わざわざご丁寧に煉に挨拶をしてマンションを飛び出して行った。


 煉はさくらが出て行き、ゆっくりと閉じていく扉を眺める。

 

 主の居ない部屋に、何故か残されてしまった煉は他に為す術もなく、ただ一人ぽつんとしていた。

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