9-10

だから歩くたびにカツカツという音が廊下中に響いたのを聞いた。

扉の前の床がわずかに盛り上がっているのを見た。

扉は軽く押すだけで開いた。足元を見ると床から離れているからだとわかった。

内部構造は一階の写しのようだった。

ベッド、本棚、クローゼット、テレビと順に眺められたが、

主の周りにあって、ごく身近な家具のはずであるのに、

ここではまるで使われた跡が見られず壁の向こうへ押し込まれている。

まるで人工物のよう。主の生活圏内は、その椅子の周りの食べ散らかしや

畳まれない衣服、テレビのリモコンが電池を取られた状態で突っ伏している、

壊れたグラスとその破片にオレンジ色の濃厚な汁で浸された床、の中で完全だと主張している。

主の椅子の真上にあったのをわずらわしいと思ったのか、

天井にある照明が外されて、今は床の隅でその相貌の影を増やしている。

菜子は20年以上生きた全生物に対して「変なの」という評価を下すのが常であるが、

主は若く見えたが「ものすごく変なの」だと思った。


主は椅子から立ち上がると片手にステッキを持ちコツコツと言わせながらその周りを一周すると再び元のようになった。

「僕は規則正しい生活を所有している。」「真面目な青年なんだ。」「学校でそれを教わった。」「あるきながら、考えた。」

さっき一階の天井から聞こえてきた槌の音は、こうして椅子の周りをぐるぐる回っている主によるものだった。

その呪詛のような陰気な声が聞こえてからというもの扉の外へ一目散とかけていった。

扉の外からも「当社自慢の人間時計は年中二十四時間回転(開店)中」という声が聞こえている。

一度離れたはずであるのに陰惨な景色は頭の隅にこびり付いてしまったかのように思える。

隅の照明、僅かな位置の光の照射が何倍も影を作っている様子が何よりも陰気を陰気たらしめる。菜子は、一度は情けない退散に終わったが、

次は物怖じしない大人の様子を真似て「少しの間明かりを貸していただけないかし

ら」と悲劇増幅器を取り除ける事で、主に無償の親切を施そうとする。

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