10.神託は下る

 数時間前、シンジュクの路上でテーブルを広げてビジップカードを切っていた占い師は、客用に置いた椅子に誰かが座ったのを見て顔を上げた。


「そこは客用さね」


「おや、ご挨拶だね。あんた死んだんじゃないのかい、フリージア」


 アイスローズと呼ばれる情報屋の女は、白ワインと安物の香水の匂いを漂わせていた。


「レッドゴーストに殺されたって聞いたけど?」


「自分はそんなこと聞いてないさね。大体、あんな連中に殺されるほど落ちぶれてない」


「それを聞いて安心したよ。ちょっと仕事を頼みたいんだけど、どうだい?」


 フリージアはカードをテーブルの上に並べる。使い込んで色褪せたカードは、それでも四隅に書かれた数字と絵柄の輪郭は判別可能だった。一番簡単な占いの手順に従ってカードを五枚めくり、そこに出た絵札の内容から「未来」を読み取る。テーブルの上に出た絵札は、フリージアが記憶する限り、最も不吉な組み合わせだった。


「ビジップは仕事を受けることには反対のようさね」


「当たるのかい、それ」


「さぁ。統計を取ったことはないさね。ただこの前、ちょっとしたアドバイスをしてあげた娘さんが「このクサレ占い師」って唾を吐きに来たことがある」


「なるほど、いい腕を持っているじゃないか。ところでビジップとやらは報酬は気にしないタイプかい?」


 女は足元に置いていたトランクを、ハイヒールの踵を使ってフリージアの方に押し出した。


「……これは?」


「依頼料に決まってるだろう。まさかあんた、これがクリスマスプレゼントに見えるんじゃないだろうね?」


「随分高額さね。ケチなあんたには珍しい」


「アタシはケチじゃないよ。金を出さなくてもいいものに出さないだけだ。どうせ誰も味がわからない高級な酒に金出すよりは、ウォーターサーバーを契約した方がいいに決まってる」


 トランクを手に持って重さを確認したフリージアは、それがかなりの高額であることを理解すると同時に、その重量に見合うだけの仕事を求められていることに気が付いた。


「仕事の納期は?」


「今日だよ。正確に言えば今からだ」


「そんなことだろうと思った。冗談じゃない。あんた、運び屋を便利屋と勘違いしてるんじゃないさね? 電話一本で駆け付けて、水道管をキュッと締めてくれる連中だよ」


「そんなことは思ってないよ。あんたぐらいにしか頼めないんだ」


 アイスローズは真剣な表情で言った。


「あんたに出来ないなら、誰にも出来ない。それぐらい難しい仕事なんだよ」


「……難しい仕事、ね」


 本業は占い師だと主張するフリージアだが、運び屋としてのプライドも持ち合わせている。あらゆる手段を使って仕事を遂行するフリージアは、同業者の中でも一目置かれており、「運べないものはない」とまで噂されている。

 その自分にしか出来ない仕事と言われれば、自尊心がざわめくのを抑えることは出来なかった。


「姐御がそこまで言うとはね。よっぽど利益のある仕事と見える」


「アタシは何も得しやしないよ。寧ろ、危ない橋を渡って寿命を数年分死神に渡したばっかりだ」


 けどね、と女はゆるりと笑みを浮かべた。


「どいつもこいつも命を削って、何かを得ようとしている。こんな状況は久しぶりだ。この先にどんな結末が待っているのか、アタシは見てみたいんだよ」


「……物好きさねぇ、人間っていうのは」


 カードを集めて一つに束ねたフリージアは、それを髪ゴムで乱暴に括った。


「自分は何処に行けばいい?」


「手始めにイケブクロのチャイナフード店。そこで「カラス」と「フォックス」を回収してから、此処に運んでくれるかい?」


 テーブルの上に置かれた薄型の端末を見て、フリージアはそれが思った以上に厄介な仕事であることを確信する。


「自分の目がおかしくなければ、これは動いているように見えるんだけど?」


「おかしなことを言うね。物事は動いているか止まっているかの二択だよ。今回の目的地は動いている。だから、あんたにしか頼めない」


「勝手なこと言うさね。準備をするから、その間にもう少し詳しい話を聞かせてくれると助かる」


 端末を手にしたフリージアは、青いローブを翻して立ち上がった。

 カードが暗示する未来は最悪だった。一枚だけで不運を示すカードが五枚も揃い、そして全て正位置だった。占い師であるフリージアは「運命」を信じているが、これは少々出来すぎだとも感じていた。


 誰かが裏で何かを操っている。

 まるでひと昔前の陰謀論のようなことを考えながら、フリージアは口角を歪めた。

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