9.手に入れて失う

「よぉ、クソガキ。見ない間に男前になったな」


「オジサンもね。その右目、超クールだよ」


 先ほど突き飛ばされた時に顔面を擦ったのか、イオリの眼鏡は少しひしゃげていて、右頬からは血が流れだしていた。袖口で乱暴に顔を拭ったイオリは、フリージアの方に視線を向ける。


「さっきのは? 僕の荷物に何をしたの?」


「ビジップの加護と保険をかけただけさね」


 フリージアは床に落ちたカードを拾い上げる。刀で半分切られたそれは、階段室でイオリの荷物に捻じ込まれたビジップカードであり、その中に薄型の発光装置が仕込まれていた。イオリは軽い溜息をついて首を左右に振る。


「今度からは教えておいてくれる? 荷物の中の聖櫃チョコバーを避けておくからさ」


「占いの結果はどうなるかわからないものだよ、坊ちゃん。それよりお目当てのものは見つかったさね?」


 イオリは答える代わりに、作業台の上に置いてあるノート型端末に向き直る。画面には白いキツネ達がデータファイルのアイコンを口に咥えて踊っていた。コマンドを打ち込んでファイルを開いたイオリは、小さく身震いをしてから、反動のように大きく息を吐き出す。


「……見つけたよ。ナノマシンの除去方法。母さんの身体からナノマシンを除去する時に使った手順書みたいだ。荒っぽいやり方と、丁寧なやり方があるけど、どちらがいい?」


 必死に何かを押し殺すような声に、シズマはわざと気付かないふりをした。ハッキングと同時にデータの破壊プログラムも仕掛けていたらしく、周囲のサーバが一斉に警告音を発している。円柱の中の照明は白から赤に変わり、表面に数字や文字が浮かんでは儚く消えることを繰り返していた。


「手軽な方で頼む」


「……ケイ素などを使用する増殖型ナノマシンは、その動力を互いに分け合うことにより安定した稼働を行う。要するに体内での最大値が決まっているんだ。マシンが正常に動くために必要な個数が十個だとすると、九個に減ったら一個増やすけど、十一個にはならない。何故なら一つでも最大値を超えた瞬間に、ナノマシンは余計な動力により制御を失うからだ」


「つまり?」


「一個余計にナノマシンを増やしてあげればいいんだよ。銃にナノマシンを装填して、エストレに撃ち込めばいい」


 簡潔に告げられた言葉に、シズマは大仰に眉を持ち上げる。警告を発していたサーバ群が、一つ、また一つと沈黙していく。研究室がそのまま死んでいくような、奇妙な静寂が訪れようとしていた。


「正気か? 要するに弾を体内で止めろってことだぞ。危険すぎる」


「危険なのは百も承知じゃないの。あんたも、彼女も」


 イオリは端末を閉じて、両手で抱えたまま振り向いた。頬の血に一筋、涙の横切った跡があった。それが何であったかは、少年らしい笑みが何よりも良く物語っていた。


「僕のやりたかったことは終わりだ。後はオジサン達の好きにしたらいいよ」


「そりゃどうも。俺はエストレのところに行く。お前はそこの爆弾魔と先に外に出ろ」


「爆弾魔とは失礼千万さね。自分のお陰で助かったようなものなのに」


 恩着せがましく言いながら顔を覗き込んでくるフリージアに、シズマは苦言を呈そうと口を開く。だが、相手が背を少し屈めたことにより視野が変わり、その向こう側のデスクが目に入った。

 そこにはレーヴァンが倒れていたが、乱れた髪の隙間から無機質な眼球がシズマを睨みつけていた。眼球の中心にある光調整のセンサが確かに動くのをシズマは見た。


 左腕がゆっくりと持ち上がり、手に握られた刀が水槽の赤い光を浴びてゆらめく。血に塗れたかのような色に、シズマは思わず叫んでいた。


「フリージア! 後ろだ!」


 それが間違いであったことを悟った時には遅かった。フリージアは避けるより先に、言葉に従って振り返ってしまった。

 作業台の上で腕だけを振り上げていたレーヴァンは、迷いもなくその切っ先を下ろす。自ら体を差し出すような格好になったフリージアは、それを見て何かを考える暇すら与えられなかった。


 シズマの見ている前で、フリージアの胸に刀が刺さる。ズブリとぬかるんだ音と共に衣服と身体が貫かれ、その背へと刃が貫通した。青いローブを貫いた刃の先は相変わらず赤く、シズマはそれが照明の反射なのか、「血」なのかという、どうでも良いことを考えていた。

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