8.昨日の弾丸

 レーヴァンは隠し持っていたダガーを投擲する。薄闇の中、銀色の軌跡を伴って細い刃が宙を切り裂く。シズマの放った銃弾はダガーには当たらず、その奥の作業台に乗っていたビーカーを砕いただけだった。


 ダガーの軌道上には、イオリがいた。ハッキングに集中している少年は、背中に迫る殺意には気付いていない。ダガーの刃が延髄へ到達しようとした刹那、フリージアがイオリを思い切り蹴り飛ばした。


 豪快な音を立てて横転したイオリが悲鳴を上げる。ダガーはそのまま壁へと突き刺さり、続いて小さな爆発を起こした。もしイオリの首に突き刺さって起動していた場合、死を想像することは容易い。


「てめぇ、正気か。下手すりゃTNI-HOPE天の祈りも道連れだぞ」


「別に構わない。それは八年も使ってきたから、既に実験体モルモットとしては成果を得られなくなっている」


 レーヴァンは冷たい笑みを見せて、頬に入っていた小さな亀裂を広げた。


「このあたりで「新調」しても良い頃だ」


「……イオリを次の実験材料にしようってか」


「成長途上の子供のほうが良いデータが取れそうだろう」


 クヒッと笑いを零すレーヴァンとは逆に、床に座り込んだままのイオリは青ざめる。その目は命あるものを見ているのではなく、標的の「価値」だけを捉えていた。


 シズマは自分の目的のために、サーバを壊すことは出来ないし、そこから情報を抜き出す術を持つイオリを危険から少しでも遠ざけなければならない。だがレーヴァンにはそのどちらも不要だった。イオリを殺してしまえば、情報を抜き出されることはなく、そしてサーバを護る必要もない。


 タンッと床を蹴る音がして、レーヴァンがデスクの上に飛び乗った。視線はシズマではなくイオリを見ている。標的を切り替えたことは明らかだった。イオリの傍にはフリージアがいるが、爆弾という武器は銃以上に接近戦には向いていない。ましてこの状況で使えば、イオリが巻き込まれる可能性がある。


 危機に面した筈のフリージアは、しかし焦燥ではなく憮然とした表情を浮かべていた。


「想像通り。保険はかけておくべきさね」


 しなやかな足が床に落ちていたイオリの荷物を蹴り上げた。様々な機器が入って、それなりに重いはずのリュックサックがレーヴァンとイオリの間を遮るように飛ぶ。

 レーヴァンは煩わしい虫でも払いのけるかのように、刀を横に振り払った。黒い布が裂け、中に入っていたメモリチップや通信機器などが飴細工のように砕け散る。


 その瞬間、カチリと小さな音がしたと思うと、大きな閃光が爆ぜた。部屋の全てを白く塗り潰すような強い光が、全員の視界を瞬時に奪う。人間だろうとアンドロイドだろうと、強い光を浴びれば視界が遮られるのは変わらない。閃光弾の洗礼を受けたレーヴァンが短い呻き声を上げて一歩よろめいた。


「カラス!」


 フリージアが鋭く叫んだ。

 シズマはその声を聞くと、反射的に左目を抑えていた手を右へとずらす。そこにあった眼帯を握りしめ、そのまま毟り取った。


 閃光弾の光を浴びなかった右目は明確に部屋の中を捉えていた。ズキリとした痛みと共に、シズマは玩具店のアンドロイドを思い出す。無意識に指で弾いた歯車が、弾をマグナムへと切り替えた。


「……甘く見るなよ、クソ野郎」


 発砲音が響き渡り、確かな手応えがシズマの腕へ伝わる。

 一瞬の静寂の後、レーヴァンの身体が大きく揺れて、足場にしていたデスクに崩れ落ちるように倒れた。手に握られた刀が最後の抵抗のように円柱型の水槽の表面を掠めていったが、小さな傷がついただけだった。


 ヒュッと息を飲む音が聞こえた。シズマは閃光弾のダメージから回復してきた右目でその方向を見る。レーヴァンのすぐ傍に蹲ったイオリの喉から零れたものだと気付くと、少しだけ気の抜けたように肩を落とした。

 銃を片手で弄びながら、部屋を縦断して二人の元へと向かう。途中、レーヴァンが落としたらしいダガーが爪先に当たって、どこかへと滑っていく音がした。

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