3.天の祈りに指が届く
少年らしい細い指がキーボードを叩く。すると接続先のパネルに「OK」の文字が表示された。今まで爆発に晒されながらも、我関せずとばかりに閉ざされていた扉が、小さな電子音と共に横にスライドする。
開かれた扉の奥から涼しい風が廊下に吹き出し、三人の首を撫でた。零下に達するような冷たさに悲鳴を上げたのはイオリだけで、シズマはただ首を撫でるに留まり、フリージアは何も反応を示さなかった。
「冷却装置がフル稼働してるさね」
「アンドロイドらしい仕事部屋だな。人間が何分もいれる場所じゃない」
広い部屋にはいくつものデスクや装置が並び、それらを囲むように壁沿いにサーバが置かれていた。無数のランプが点滅を繰り返し、稼働中であることを知らせている。
天井から下げられたいくつものモニタは、就業時間内には何かしらの映像を映しているものと思われたが、今は全て電源を落とされて、四角い影となっていた。
それらを微かに照らしているのは、一つの淡い光源だった。
研究室の奥に大きな円柱型の水槽が置かれていた。強度を出すためか所々を金属プレートで保護されたもので、その台座も同じ材質の物が使われている。
何かの液体で満たされた円柱の中に、何か白いものが入っていて、それを照らしている内部の光源が、遠目からでもよく見えた。
それは白い木のように見えた。一本の木が台座から生えて、枝葉を伸ばしているような形状をしていた。
だが、薄暗い室内に次第に目が慣れてくるにつれ、その本当の姿が露わとなる。
そこに入っていたのは、一人の人間だった。
白く漂白された肌に、台座から伸びた無数のコードが絡みついて体を固定している。両腕は液体の浮力に任せるように上に伸びているが、その腕は凡そ普通の状態とは言えなかった。
魚鱗のように表面から皮膚が剥離し、更にそれが幾重にも分離している。それが遠目には繁った葉のように見えていた。
「枝」の間から覗くのは、一人の女性の顔だった。眠っているように表情は穏やかであるが、却ってそれが変形した体を悲惨なものに見せている。
「あれが……天の祈りか」
シズマがそう呟くと、イオリが小さく頷いた。
「……僕が三歳ぐらいの時、純血特有の病気を発症したんだ。父さんと母さんは必死になって僕を助けようとした。でも治すには莫大な金がかかるって言われて、正当な手段ではどうにも出来なくなった」
イオリは研究室に一歩足を踏み入れる。警告も警報も発されず、冷たい床を踏みしめる音が聞こえただけだった。
「母さんは自分の「純血」という特性を利用しようとした。母さんはあのオバサン……アイスローズとは仕事上の付き合いがあって、何か良い仕事がないか聞いたんだって」
凍えるような寒さのためか、何かを堪えているためか、イオリの声は震えている。だがどんな表情をしているかは、後ろを歩くシズマ達には見えない。
「ヒューテック・ビリンズが純血の成人の皮膚を研究していて、「研究材料」を欲しがっているという話を、アイスローズは持ってきた。母さんは僕を父さんに託して、「事故死」した」
「アイスローズと仕事上の付き合いがあったってことは、お前の母親も裏の仕事か?」
「違うよ。母さんは医者だったんだ。だから自分を事故死に見せかけて、それをヒューテック・ビリンズに「献体」する細工が出来たってわけ。アマノと言う旧姓を使って、僕との関連性を切り離した上で」
「それで、その皮膚がTNI-HOPEになったってわけか。お前も病気は治ったんだろ?」
「治ったよ。母さんが死んだ理由を父さんから聞いたのは、ナノマシンの使用について法律が変わった時だ。それ以来、僕の見る世の中は最低最悪の悪夢になった」
円柱の前に立ち止まり、イオリは自分の母親であった肉体を見上げる。人工皮膚の実験のために培養を繰り返され、「素材」として扱われてきた肉体から、皮膚の一部が剥離して落ちる。
細いアームが円柱の底から伸びて皮膚片を掴み、センサーで分析された情報をガラスの表面に映し出した。
「道行くアンドロイドの殆どが、TNI-HOPEを使っている。僕の母さんだったものが、僕の母さんじゃないものとなって周りを歩いている。僕のために母さんは死んだのに、これ以上の悪夢がある?」
「探せばあるかもしれないが、そんな無味なことをする趣味もないな。それで、これをどうするつもりだ、クソガキ?」
「決まってるだろ。これ以上母さんを好き勝手にはさせない。此処にあるデータもバックアップも、全部壊す」
イオリは円柱を一度優しく撫でた後、すぐ横にある作業台にノート型端末を叩きつけるように置いた。
「エストレの中のナノマシンを破壊する方法も、此処にはあるはずだ。僕の技術全て使って、それを掬いあげてやるよ」
「どれぐらいかかる?」
「あんたが神様に、殺生の懺悔をする時間ぐらいで十分だよ」
「そりゃ朗報だ。俺は懺悔することなんて無いからな」
鼻で笑いながら言ったシズマは、しかし隣に立っていたフリージアに小突かれて視線をそちらに向ける。
鳥肌一つ立たない白い肌が、円柱の光に照らされてゆらりとした陰影を浮かばせていた。
「此処には
緑色の瞳の先に映るのは、研究所の一番奥の壁だった。実験器具の入った棚は並んでいるが、入口のようなものは見えない。
「仕方ねぇさ。人生、そう簡単に行くもんでもないってことは、母親から産まれた時に身に染みてる。どうやら入口は一つみたいだな」
銃の歯車を回し、シズマは意識を四方に集中する。
「あれだけドンパチ噛ましたにしては、レーヴァンの野郎が来ないのが不思議だったんだが」
「此処が行き止まりなら、焦ることはないさね」
フリージアは肩を揺らして笑う。右手で爆弾を握りしめて、視線だけ後方へ向けていた。
「獲物が来るのを待っていればいいだけだもの。キンダースクールの生徒でも出来る」
廊下から、金属を蹴り飛ばす音が大きく響いた。フリージアはそれを聞き取ると、短く息を吐き出す。
「来たことを知らせたってことは、相当な自信家さね」
「……さっきも言った通りだ。お前はクソガキのお守りをしてろ。多分、その「親子」にはレーヴァンは手出しをしねぇ」
「そりゃそうだね。雇い主の大事な商売道具だもの。それに此処で作られたアンドロイドってことは、彼の肌もTNI-HOPE。無闇に此処を荒らしたくはない筈だけど……」
微妙に口ごもったフリージアに、シズマは不審に思って顔を向ける。
「何だよ」
「いやぁ、こんな仕事してると色々考えることが多いさね」
フリージアはローブのフードを左手で被り直し、爆風のために乱れた房飾りを弄りながら言った。
「君は保険は掛ける方?」
「勿論。母親はそのあたりには一家言持っててな。結婚相手には常に三つくらい保険に入れさせてたよ」
「それならよかった。じゃあ後で保険料も上乗せ請求しておくさね」
淡々としたやり取りに、イオリがモニタから目を逸らして振り返る。
「何の話してるわけ?」
「保険の話って言うのは、常に未来の話さね」
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