2.死ぬ程度のこと
シズマが引き金に手をかけると同時に、フリージアがイオリを抱えて逆方向へ走る。その先には第一研究所の扉があった。
固く閉ざされてはいるが、扉の横にある電子ロックパネルの待機ランプは点いている。フリージアはその前にイオリを下ろし、パネルの蓋を跳ね上げた。
「さて、どう攻略を?」
「この会社で主に使われているのはAZ規格かM-6規格。アンドロイドと親和性が高いからね」
イオリは荷物から、先ほど階段室を開けるのに使った装置を出した。
「さっきのがAZ規格だったからここも……と言いたいところだけど、AZ規格は緊急時の解除に対するハードルが非常に低い。火災などで避難経路として使われる時、緊急解除が困難だと困るからだ」
イオリはノート型端末を開き、床に座り込んだ。パネルに接続されたコードがキーボードを叩くのと共に揺れる。
「この研究室は違う。中で扱っているのは、この会社でもトップレベルの研究材料だ。だからアンドロイドには扱いにくい規格のほうが、セキュリティ性が高い。そうなると考えられるのは人間が使うセキュリティ規格……YSだ」
イオリは確信に似た口調で言いながらキーボードを叩いたが、その目には怯えが僅かに見えた。限られた時間の中、選んだ手段は賭けでしかない。もし間違っていれば、もう一度解析をやり直す必要がある。
焦りからか、一瞬だけイオリの指が震えた。それに重なるように、シズマがロボットを撃ち抜く音がする。
幼い頃からハッカーとして様々な窮地を乗り越えて来たイオリだったが、それはあくまで快適な空調の中に座っての出来事であり、レーザー弾や爆弾が飛び交うような場所でのことではなかった。
自ずと上がる心拍数を鎮めようと、イオリは反射的に胸元に手を当てようとした。だがフリージアの声がそれを抑止する。
「止まったらダメさね。そんなことで人間の高揚は鎮まらない」
「それは正論だよ。でも殺し屋とロボットが撃ち合いをしている中の正論って意味ある? 失敗すればそれだけ時間がかかる。僕の寿命をショートカットして、あのロボットのレーザー弾が飛んでくるんだ」
「だったら悩んで当然だと?」
フリージアはイオリを護るように立ちながら、しかし視線はシズマの方を向いていた。ロボット達を倒すことに注力する男は、一瞥たりともこちらには向けない。
「溺れる者は藁をも掴む。藁を掴めた者はどうなると思う? ただその役立たずを握りしめて沈むのみさね。だからその手は下ろせ。目的があるなら余計なものは切り捨てろ」
冷たく鋭い言葉がイオリを突きさす。
「それに坊ちゃんが失敗しても死ぬだけだ。安い賭け代さね」
「……確かに」
イオリは冷や汗を垂らしながらも、胸に当てかけた手を元に戻す。その目には強い意志が蘇っていた。
「YS規格だ」
一言だけ言い切ると、イオリはキーボードに再び指を乗せた。
複数のルートを同時に解析するより、一つのルートに絞った方が速度も精度も格段に上となる。その代わりに失敗した時のタイムロスや精神的負担も大きい。
それでもイオリはその道を選んだ。
危険なハッキングを何度も仕掛け、ACUAの管理者になって噂話を掻き集めてきた成果が、本人にも説明出来ない明確な意思を持って、その道を照らし出していた。
「そうだよ。僕はこのために此処に来たんだ」
指先で直接、電子の海をこじ開けるかのように、イオリの指は激しくキーボードを叩く。暗号化された文字列がモニタに羅列されるのも恐れず、その中から必要なキーポイントを探し当てる。
照らし出された道の先で、電子の海は開かれた。
イオリがそれを知るのに必要だったのは、たった数回のアクセスとシステムからの応答だけだった。
「死ぬ程度のことで立ち止まっていられるか!」
自前のハッキングソフトから、狐のアバターが次々と飛び出した。画面に並ぶ文字を次々と食らい、一度飲み込んでからコンバートして吐き出す。画面を覆いつくしていた暗号化文字列は、瞬く間に意味を持つアルファベットへと変貌した。
「……開けるよ」
イオリはフリージアにそう言ったが、緊張のためか喉が掠れていた。傍で見守っていたフリージアは「あはっ」といつも通りの笑い声を出す。その右手には爆弾が一つだけ握られていた。
「坊ちゃんがお仕事終わったって! そっちは残業さね?」
「まさか。仕事に飽きて終業のチャイムを待っているところだ。激しく鳴らしてくれ」
「了解」
シズマが後方跳躍しながら、一番近くにいたロボットをレーザー光線で弾き上げる。フリージアは一度右肘を大きく引き、ロボットへと爆弾を投げつけた。
二つの力が加わったロボットは、重いキャタピラを履いているとは思えぬほど、軽々と吹き飛ばされ、そして後ろに控えていた別のロボット達を巻き込んで派手に爆発した。
それを見たシズマはわざとらしく口笛を吹く。
「来年から花火大会は此処でやろうぜ。スミダ・リバー・フェスティバルより盛り上がりそうだ」
「それはいい。酔っ払いは窓から投げれば後腐れもないさね」
軽口を叩く二人の傍で、イオリは端末を抱えて立ち上がった。画面にはハッキングにより探し当てた開錠キーが表示されている。
「行くよ」
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