9.ネットワークの骨組み

「これは?」


「この端末にポートを大量に用意して、ダミーのネットワーク信号を発信しているんだ。反応の有無、その速度から建物の中のネットワークがどのように構築されているか調べることが出来る」


「反応速度だと?」


「物理ネットワークは距離が長ければ長いほど通信に時間がかかる。同じ規格のケーブルを使用していたとして、一メートル離れた場所では通信速度は一ピコ秒も違うんだよ。ミリ秒の差が出たら、距離にして十の九乗は違うということになる」


 ブロック片はところどころの情報を欠損しながら、それでもビルの形となる。欠損している場所には、そもそもネットワークケーブル自体が存在しないと考えられた。


「一階の此処がノーシグナルなのは、お手洗いだからだね。この立体模型に、エストレの座標を追加すると……」


 階層分だけ座標をコピーして重ね合わせると、いくつかはデータのない場所の上に表示された。イオリはそれをすぐに削除し、候補を絞り込んでいく。


「一階から五階までは該当なし。となるとエストレはエレベータを使った可能性が高くなる。この業務用エレベータには火が入っていないから……使ったのは来客用」


 模型の外側に密着した小さな部屋が、黄色く点灯する。


「来客用エレベータは到着階の制限がある。その中で十階と十一階は薬剤研究所だから除外出来る。十二階はサーバルームで、手術室を作るには向かない。可能性としては十三階以上だけど……」


「一つ良いさね?」


 悩むイオリの後ろから画面を覗き込んでいたフリージアが口を開いた。


「運び屋としての経験で言わせてもらうと、秘密裏に何かを行う場合は、万一に備えて備蓄を多く揃えることが多い。物品の調達に時間をかけるたくない……っていうのは人間もアンドロイドも同じなはず」


「備蓄庫の横にあるとでも?」


「そうじゃないさね。姐御に聞いたけど、このビルの中には複数の工場があって、中にはアンドロイドを作る部屋もある。アンドロイドにする手術を行うなら、備蓄の補給と非常時の対応を兼ねて、その部屋のすぐ近くに用意すると思うさね」


「一理あるな」


 シズマは同意して、画面の上の複数の赤い点に視線を戻した。


「何しろ、エストレの父親はここの社長だ。秘密の部屋シークレットルームなんて好きなように作れる。社員は全員アンドロイドだから、行動制御をインストールすれば、勝手に部屋に入れなくなる。だったら使い勝手の良い場所に作るかもな」


「それなら……」


 イオリが画面を操作して、ある一点を拡大した。赤い点が大きな部屋の中心に光り、ネットワークを示す線が無数に走っている。その線は隣の部屋にも続いていて、そちらは倍以上の広さがあった。


「この広い方が普段業務で使われている工場で、その裏に隠すように部屋があるとしたら説明がつくよ。来客用エレベータから降りてすぐだし」


「何階だ?」


 急くように画面に目を近づけたシズマだったが、フリージアのほうが先に口を開いた。


「十八階さね」


「お前、そこからよく見えるな。目がいいのか?」


 画面から一番離れた場所に立っていたフリージアにシズマが尋ねる。「あぁ」とフリージアは一度瞬きしてから答えた。


「君と違って両目もあるし、性能も悪くないからね」


「俺だって両目はある。片方が休業中なだけだ。しかし一階下でこれだけ俺たちが騒いでるのに、様子を見に来る気配すらないってことは、防音壁で囲まれてるのかもしれないな」


 ビルの中は静寂を保ち続けていた。イオリの端末がネットワークのシグナルを受信する音だけが単調に響いている。不気味なほどの静寂の中で響く音は、シズマにイオリの心音を思い出させた。


「階段を使っていくか。流石にエレベータは使えないしな」


「自分もそれに賛成。まずはその大きい方の部屋に行くのが良さそうさね。何かの工場だとは思うけど……」


「工場じゃなくて、第一研究室だよ」


 端末を壁から離して、両手で抱え込んだイオリが呟いた。その声は小さく震えていたが、恐怖などによるものではなく、興奮に近い感情が生み出したものだった。


「ヒューテック・ビリンズが世界に誇る人工皮膚の研究室。エストレをアンドロイドにしようとするなら、似た技術を使った研究室の隣に作るのは確かに効果的だ」


「似たような技術だと? そういやお前、確信めいたことを言っていたな。「ヒューテック・ビリンズは人間をアンドロイドにする技術を持っている」って。それが、この第一研究室と関係してるのか」


 イオリは大きく頷いて、眼鏡の奥の目でシズマを見上げた。


「そうだよ。僕が辿り着きたかったのが、この「第一研究室」なんだ」


「そりゃ目出度い。じゃあついでだから俺にも祝福をくれ。その技術ってのは何なんだ」


 出会った時からシズマの問いをはぐらかしてきたイオリは、覚悟を決めたように息を飲む。端末で起動していたソフトが停止して、シグナルの音も闇に紛れて消えた。

 絶望と希望の入り混じった奇妙な眼差しを向けて、少年は一言ずつ区切るような発音でシズマに問いかけた。


「ナノマシンって知ってる?」

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