10.エゴか愛か

「失敗作……」


 カインは娘の言葉に傷ついたように目を伏せた。


「そんな言い方は止してほしい。いや、すべきではない」


「パパは当時、会社を立ち上げたばかりで、アンドロイドに必要な色々なパーツの研究を行っていた。ママと出会ったのもその頃よね? ママはどんな仕事をしているか話してくれたことはなかったけど、一度だけ寝室で古いメモリービューアを見たわ」


「……ママは、マリアベルは、カンベ工房の最後の技術者だった。彼女は私を理解してくれた。無茶なが原因で私の筐体が壊れた時も、嫌な顔一つせずに修理してくれたよ。膝に入った小さな歯車が外れた時は、必死に探してくれた」


「そしてパパはママに「子供を作ろう」と言った」


 カインはゆっくりと頷いた。


「人工精子を知っているかな。人間が不妊治療に使うものだ。パパはそれに自分の情報が組み込まれたナノマシンを大量に入れた」


「そのナノマシンで卵子を弄り、本来受精卵として行うべき細胞分裂を、マシンの手で行った。そういうことね」


 一ミリの十億分の一という最小サイズのマシン。かつては遺伝子操作やその修復において使われていた。だが小さすぎるために制御が出来ず、いくつもの重大な事故を引き起こした。


 また、何人かの研究者や研究所は細胞すら操作出来る性能に魅了されて、人体実験にナノマシンを使い始めた。幼い子供にナノマシンを投与して、遺伝子や細胞を一つずつ壊し、組み換え、他の生き物にしてしまった者すらいた。

 現在は医療目的以外の使用は禁じられているが、その法律も五年前に出来たばかりであり、まだいくつかの企業では極秘裏に使用しているところも多い。


 エストレはその情報をACUAを使って知り、そして自分という存在の正体にも気が付いた。人間の体の中に流れる無数の歯車。それがエストレを構築している。

 数ヶ月前にエストレは、自分の腕を傷つけて歯車を一つ取り出した。電通ドライバを歯車に突き立てると、それは砂細工のようにバラリと崩れた。その時にエストレは、両親が揉めていた本当の理由を悟った。


「どこかの悪趣味な研究者は、我が子をナノマシンで作り変えて砂の化物にしたらしいわ。そして別の科学者は奥さんの脳を抉りとって、代わりにナノマシンを入れて、好きなように人格や行動を操作したんですって」


 興奮して喋るエストレの肌に歯車が浮かぶ。カインはそれを見て、戸惑うように視線を揺らした。


「パパとママにとっては、私もそれと一緒だったんでしょう?」


「誤解だ、エストレ。私たちは本当に、お互いの子供が欲しかった」


「そのためにナノマシンで細胞をいじくり回して、私を作り出した。狂った研究者より質が悪いわ。子供を玩具にするんじゃなくて、命そのものを玩具にしたのよ」


「エストレ!」


 カインは両手で顔を抑えるようにして声を絞り出す。怒鳴りつけたくなるのを、物理的に押しとどめているかのようだった。


「……完璧だと思った。当時、ナノマシンの万能性は至る所で謳われていたんだよ。人間が生まれる時には、卵子と精子がそれぞれ持つ遺伝子情報により子供の素質が決まるのだろう? だったら、その役割を満たせば片方が機械でも問題はない」


「実際最初は上手く行ったようね。パパとママはずっと仲が良かったわ。おかしくなったのはナノマシンの使用が禁じられた五年前からよ」


 エストレの中のナノマシンは、十年以上稼働し続けている。稼働限界を迎える前に交換することを夫婦は望んでいた。だが、ナノマシンの使用が禁止されてしまったことで、二人は取り乱した。


 娘の体に違法物質が入っている現状は、まだ誤魔化しが効く。ナノマシンの交換も一度ぐらいであれば法の目を掻い潜ることが出来る。

 だがその後は?

 製造することはおろか、入手することも出来なくなれば、エストレの中のナノマシンは故障し、暴走する。今は歯車の形にすることで安定させているが、それもいつ崩壊するかわからない。暴走したナノマシンがエストレの命を動力にして、次々と細胞や遺伝子を書き換えてしまう恐れもある。


 夫婦はエストレを人間かアンドロイドにするべきだという結論に至った。

 だが、どちらにするかを決めることが出来なかった。


「お前の肉体はナノマシンを制御出来なかった。だからマリアベルは暗示によってナノマシンを歯車の形に変えたんだ」


「失敗したのよ、パパとママは。私という存在を完璧に作ることは出来なかったの」


 失敗作、とエストレは繰り返す。


「最初から作らなければよかったのにね」


「それは違う。エストレ、それだけは違うんだよ」


 苦悩に耐えるように、カインは目を強く瞑る。


「ママとお前がいなかったら、私は今頃とっくにスクラップとなってシンジュクの路地裏に転がっていただろう。マリアベルがお前を連れて会社に来るから、その度にお前がパパに走り寄ってくれるから、それが嬉しくてここまで頑張ったんだ」


「だから、パパは私をアンドロイドにしたいのね?」


「……そうだ」


 エストレは父親の顔を見つめ、小さく溜息をついた。


「それってエゴなんじゃないかしら」


「人間にするよりアンドロイドにするほうが楽なんだ。生存率だって高い。なのにマリアベルは私の言葉に耳を傾けようとしなかった。当然だな。彼女は人間だ。子供がアンドロイドになるなんて許せなかったのだろう」


 自嘲して見せる父親にエストレは似たような笑みを一瞬だけ見せた。だが、首から頬を手で撫でて、浮き上がった歯車を肌の奥へと押し込むと、しっかりと左右に首を振った。


「違うわ、パパ。パパはママを誤解している」


「何だって?」


「ママは人間として育った私を尊重したんだわ。だって学校に通って、食事をして、よく眠るアンドロイドはいないでしょう? 人間として育った私をアンドロイドにすることは出来ない。ママはそう考えたの」


「どうしてそんなことが言えるんだい?」


「ママは私のために大きな歯車を回そうとしたの。それで答えは十分なんじゃないかしら? ただのエゴで、そんなこと出来やしないわ」

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