10.裏切りと取引

「レーヴァン!」


「その銃を発砲するのはオススメ出来ないな。それより先に、小さな狐ちゃんが襟巻になる」


 イオリは眼前に叩きつけられた殺意に、何も反応を返せずにいた。床に座り込んだままのエストレは、険しい表情でレーヴァンを睨みつけている。だがその顔は蒼白で、冷や汗がその上を流れて行った。


「そいつから離れろ。子供を手にかけるのか」


「俺は平等主義者でね。ご丁寧に足手まといを連れて歩いているお前が悪い」


「どうして俺達の場所がわかった。尾行は無かった筈だ」


 移動する最中も、シズマは周囲に気を配っていた。少なくとも物理的な尾行は無かったと断言出来る。

 その疑問に対して、レーヴァンは歪んだ笑みを浮かべた。


「尾行? 本当にお前は期待外れだ。ゴミ箱の生ごみでもつついてるほうが似合っている」


 刀を握っていない右手で、レーヴァンはカード状の端末を取り出した。スイッチが側面についている他は何もないシンプルな機械で、起動すると埋め込まれた画面にバックライトが灯る。


 そこには平面地図が表示されていて、中央に赤い十字マークが点滅していた。シズマはその意味を考え、そして理解すると同時に頭に血が昇るのを感じた。こめかみから脳へと熱く滾った液体が流れ込む。

 画面に表示されている地図は自分たちが今立っている場所で、そしてその赤いマークは、誰かの位置を示していた。


「アイスローズか!」


「カラスの羽に糸をつけた。そんな風に言っていたな」


 シズマは羽織っている上着を一瞥する。

 ハンバーガーショップにアイスローズが持ってきた服。それに発信機が仕掛けてあり、レーヴァンはそれを頼りに此処まで来た。今の会話はそれを示唆していた。


「あいつと取引したのか。だからそいつがフォックスだとわかったんだな?」


「金が要り用だったみたいだからな。高くついたが、別に俺の金でもないからどうでもいい。随分長い付き合いだったようだが、あっさり裏切られては面白味もないな」


「あのオバサン、食えないね」


 イオリが苦笑を浮かべながら言う。刃物が顔のすぐ傍にあるという危機感からか、語尾が震えていた。


「まぁ、賢い手口だよ。信用している奴を騙すんだからリスクも少ないし、見返りも大きい。何て言うんだっけ? 赤子の手を捻る?」


「お前は黙っていろ」


 レーヴァンに睨みつけられて、イオリは黙り込む。眼鏡の奥の目を覗き込むようにして首を傾けたレーヴァンは、その姿勢のまま口を開いた。


「お姫様に質問だ。この子狐を助けたいか?」


 エストレは顔を上げてレーヴァンを見た。

 緊張により流れた汗で湿った髪が、一房だけ頬に貼りついている。シズマは妙に目につくそれを見ながら、早口で告げた。


「耳を貸すな」


「……もし」


「エストレ!」


「貴方は黙ってて!」


 エストレは絞り出すような声で叫ぶと、髪を掻き上げた。大きな瞳はシズマを見ていない。


「私が貴方と一緒に行けば、イオリを離してくれる?」


「察しが良くて助かる。何度も同じ話や説得をしたくはない」


「じゃあ行くわ。だからイオリには手を出さないで」


 明確な意思を持った言葉にレーヴァンは満足そうな笑みを見せる。だが、逆にイオリは怒ったように眉尻を持ち上げた。


「僕はあんたに助けられる覚えはない! たかが知り合って数時間だろ!?」



「数時間あれば十分よ。お見合いじゃないんだから、収入と信念と生活習慣まで把握する必要はないわ」


「こいつについていくってことは、あんたの望みが途絶えるってことだ。それぐらいわかってるだろ? なんで僕なんか助けようとするんだ!」


「そうね」


 エストレは苦笑を浮かべ、諦観したような口調で言った。


「私がエストレ・ディスティニーだからよ。シズマみたいに目的に冷酷になれるわけでもなく、イオリのように目的に貪欲にくらいつくでもなく、フィルみたいに目的のために耐え忍ぶことも出来ない」


 一度口を閉ざしたエストレは、今度は思い切り口角の両端を吊り上げた。


「それが私。文句あるかしら?」


 床から立ち上がったエストレは、スカートに付着した汚れを払うと、レーヴァンに一歩近づいた。


「父のところに連れて行きなさい」


「威勢のいいことだ。狐はどうする?」


「刀を退けなさい。余計なことをしたら、この場で舌を噛みちぎるわよ」


 レーヴァンは肩を竦めて、刀を壁から抜き取った。砕けた壁材が軽い音を立てて床に散乱する。


「気が強い女は嫌いじゃないが、こうも強靭だと興醒めだ」


「私も嫌味ったらしい男は嫌いじゃないけど、こうも陰険だと反吐が出るわ」


 エストレはレーヴァンの後ろを通り抜けて、破壊された店の出入り口の方へ向かう。その背中にシズマは声を掛けた。


「俺との契約はどうなる」


「そうね。破棄しておいてくれるかしら」


「後悔しないのか」


 振りむいたエストレは、眉を片方吊り上げて、わざとらしくしかめ面を作った。


「なら貴方、この状況をどうにか出来た? 言っておくけど、イオリを見殺しにしていたら、それこそ契約を破棄していたわ」


 シズマは何も言えずに黙り込む。エストレは背を向けると、真っすぐに店を出ていく。それを止める術をシズマ達は持っていなかった。

 刀を鞘に戻したレーヴァンは、シズマ達への興味を失ったかのように、軽い足取りでそれに続いた。


 店の騒動を聞きつけた野次馬達が外にいたが、異様な雰囲気に飲まれたか、あるいは関わり合いになることを恐れたのか、誰も声を上げなかった。妙に静かな夜の道に、エストレとレーヴァンの足音が刻まれていく。

 やがてそれが聞こえなくなるころ、野次馬達も四方八方へ散っていき、数分もすると静寂が店の中に満ちた。

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